〇月△日
23:35 某駅発の各停電車に乗り込む。
23:58 微力の呪力を感じたと同時に電車は領域内へ突入。仮想怨霊の発現とし任務に当たる。なお、この際にすべての電子機器は使用不可能となり、以降の記録はアナログ時計の目視と収音機器を用いての報告となる。
きさらぎ駅、という名称でネットを賑わせている現象に呪術高専が頭を悩ませ始めたのはここ数年のことだ。
なんでも意識が途切れた瞬間に無人駅へ連れていかれ、さらに電車から降りたと同時に帰宅が困難になるという。不気味な人の気配がちらほらと徘徊している上に線路を伝って歩いても逃れることができない。ネット回線が通じる時もあれば外界との連絡手段が絶たれる時もあり、人によってはあっさりと迎えの電車がきて逃れることもあれば、ある人は最後にどこかへ行きという書き込みを残した後消息不明。
明らかな呪いによる行方不明事件。書き込まれていないだけで犠牲になった人は大勢いるだろう。
ならば、祓いにいくのが呪術師としての責務だが、悩ませているのは以下の点。
その一、発生条件が不明。いつ、どこで、どんな人間を取り込むために呪いが動き出すのか法則が全く分からない。
その二、本来であれば呪いが見える人間を攻撃対象にしやすい呪霊が呪力の低い人間を取り込んでいるということから(今まできさらぎ駅に取り込まれた被害者は皆呪霊の目視はほとんどできていない)ある程度呪力のある人間は遭遇できない可能性がある。
その三、被害者の報告によると何駅か移動してもまだ暗闇が続くとあったことから、広範囲の領域を会得している呪霊である。特級相当に区分できる。
一つ目の問題点は人海戦術でかかればいつかは到達できる。しかし本当の問題は二つ目と三つ目。特級相当の呪霊に対して呪力の強い呪術師を配置できない。そうなるといくら運よく呪いを確認できたとしても低級呪術師では勝負にならないだろう。
そんなこんなで認識はされていても解決策がなく後回しにされていたこの事案。七海は定期的に話題にあがる呪いを認識してはいたが、まさかこの時まで自分がその呪霊の討伐にあたるとは思ってもいなかったのだ。
乙骨憂太という少年は流石というべきか哀れというべきか特級過呪怨霊と長年付き添って生きてきただけあって呪いのこととなるととにかく勘のいい青年である。
「……次、たぶんココだと思うんですよ」
路線図をさす白い指先に合同任務に当たっていた七海は「それは、どういう基準で」とコーヒーから口を話して問いかけた。
一級呪霊の案件が終わり、二人で入った喫茶店。年相応にオレンジジュースのストローを咥える乙骨と二人で件の仮想怨霊について話している時、おもむろに手帳を開いた彼は口を開いた。
「いや、あの……昨日、ネットでまた話題になってたので少し調べてみたんです。そしたら一回目の目撃はこの路線、それで次はこっち、昨日はここでした。多分、この呪霊、呪力の強い地域で領域を展開することで自分に足りない分の呪力を補填してるのかなって」
「それ、五条さんには?」
「い、言おうかなって、思ったんですけど……でも僕、まだ特級に戻ったばかりだし、間違っていたら申し訳なくて」
「少なくとも私は五条さんより乙骨くんの意見のほうが信憑性があると思いますね」
「それに……予想しても、二級以下の術師では祓えないでしょう?」
「まあ、そうですね」
無駄な犠牲は出したくない。と謙虚に言うがそれは即ち「仲間が死ぬのはイヤだけど一般人が多少犠牲になるのは何も心が痛まない」と言っているようなもので。七海はやはりどこかおかしい特級という人間を見つめていた。
「ではなぜ、私にその話を?」
「……七海さんは、いつも呪力を抑える縛りを課してますよね」
「そうですね」
乙骨はズズズとジュースを吸い上げた。あまりに細い少年に七海は自分の注文したアボカドシュリンプサンドを差し出す。
「ありがとうございます。あ、おいしい……それで、その縛り、僕と協力して一時的にもっと強いものにしてみませんか?」
「具体的には?」
乙骨は半分食べたサンドイッチをさらに戻し、黒曜石の瞳で七海を見据える。
「〇月△日、呪霊出現の濃厚な23時から24時まで、呪力制限をかけ七海さんの呪力をほぼゼロに近づけます」
「なるほど、呪力が低ければ呪いに取り込まれる可能性もある……ちなみに日付変更の時間までに私が特級呪霊を遭遇してしまった場合は? 私、たぶん死にますけど」
「え、七海さんってそんなヘマするんですか」
「しませんけど」
むきになって返した言葉に「ですよね」と微笑む少年が残りの昼食を腹に収めるのを見ている間、やはり特級は特級なのだと、軽薄な銀髪が脳裏によぎったのだった。