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    takanawa33

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    寛七 現パロ

     今年度、三回目となる法務部への訪問に七海は肺から溢れて止まらないため息を吐き出した。他の部屋と変わらない金属製のドアの横に書かれた部署名、その下にあるボタンを重々しく押すと『ブー』と少しも愛想がないブザー音がして続けて『はい』と返事がある。
    「……昨日、メールで相談しました七海ですが」
     名乗れば勝手知ったる様子の女性は「どうぞ」と一言、扉を開いた。カチャリと鍵の回る音と共に聞こえた吐息は同情なのか、はたまた嘲笑なのか、七海には分からない。
    「日車ですよね、少々お待ちください」
     大型本棚の合間に用意された応接用ソファに座りながら七海は約束の相手を待つ。しばらくぼうっと棚の企業コンプライアンスについて書かれた書籍群を見ていたが、相手はすぐに表れた。
     本棚の間からぬっと顔を出されると高い鼻と鋭い眼光のせいでおとぎ話のガラの悪い方の妖精が出てきたようにも見えるけれど本人にそのことを言うつもりはない。
    「すまない、突然電話がかかってきて」
     眉間に皺を寄せる。倫理と時間にうるさいこの男にとって遅刻はとんだ失態なのだろう。七海にもその気持ちは分かるので「いえ、お忙しいですものね」と頷いてから改めて姿勢を正した。
    「で、今回はどうしたって」
     すでに詳細はメールで送っているけれど本人からもう一度調書を取りたいらしい。いつものやり取りに七海は置かれるボイスレコーダーを一瞥。口を開いた。
    「……三日前の業務中、取引先のお客様から性的な要求をされました。一度目は応接室で一対一の時、契約する代わりにホテルで一晩一緒に過ごそう、と。もちろんお断りしましたが、昨日どこから知ったのか私のプライベートの番号に電話がかかってきてやはり同じ要求を。悲しいですけど慣れてるので途中から録音しています」
     これ、音源です。SDカードを差し出すと日車は頷いてからビニール袋に仕舞い、油性マジックで日付と時刻を記入する。シンナーの香りがふわりと七海の鼻孔を掠めた。
    「二回目ももちろん断っていますが……さすがに二回の接触はセクシャルハラスメントに該当すると思いますし」
    「番号を嗅ぎつけるまでの執念は少し恐ろしいな、七海にとっては」
     唇を噛む。ぐうの音も出ないほどその通りだ。あの事件が起きてからまだ二カ月。七海としてはもう引っ越しはしたくない。
    「で、どうしたい?」
     日車は録音ボタンを停止する。黒いボイレコの先端は赤から緑に変わった。
    「勧告送ってもう二度と近寄るな性欲ハゲ野郎、と穏便に済ますこともできる。お前が望むなら慰謝料ふんだくることもできるな、まあ少し証拠が足りないからもう少し相手と接触しなきゃならないが」
    「勧告だけで十分です」
    「ならそうさせてもらおう。上司に報告は済んでるか? なら俺の方からも一報入れておく。なに、次の担当は同じ性欲ハゲにしてやるから心配するな、意外と意気投合するかもわからんぞ」
     にぃ、笑う顔は悪人そのものだが七海にとってはようやく安堵できる場所だった。この男、日車寛見は性格は少し難があるところがあるが法律に関わる人間としては非常に優秀だ。そのおかげで七海は何度救われてきたか。
    「ありがとうございます日車さん、よろしくお願いします」
     そう言って笑う隈の深い七海を日車はジっと見つめるのだった。

    『疲れてるみたいだな、今夜どうだ』
     会社のメールで送った招待メールに七海が食いつくことは分かっていた。インターホンに出た彼女、法務部で優秀な事務の彼女はこのビルの情報に精通しており日車がランチ一つ奢れば社内の人間の情報はあっさり集めてくれる。七海建人の行きたい店なんてすぐに分かるのだ。
     ほら、やはり。日車宛てに送られてきたメールには『九時からなら』との返信、もちろんその時間も想定内。予約はすでに取ってある。
     了解、と返事を送りエンターをタンと叩く。悪い人間の顔をしているのは自分でも分かっていた。七海は、きっと善良な、時に気難しいけれど本質は善に寄っている日車という人間は自分を気にかけてくれているのだと、そう思っているだろう。実際半分は正解。
     けれど残念ながら七海が思うように日車は善性だけで生きていない。七海のように心底美しい人間ではないのだ。つまり、下心こみこみ。
    「可哀そうになあ」
     まるで他人事のようだが自分はその渦中にいる。事務の彼女のジトリとした目線を浴びながらも無視して日車は椅子に背中を押し付けた。
     そして約束の時間。九時にビルのエントランスで待ち合わせた二人はそのまま三駅先の焼き肉屋へと入店した。個室の完全予約制。客同士が鉢合わせしないように配慮された店内を案内され、二人は比較的小さな一室へと通された。
    「なんでも食え、奢りだ」
    「……前回も私が奢られました」
    「誘ったのは俺だ。それに前回はそのあと七海がコーヒー奢ってくれただろ」
    「学生のような扱いはやめてください」
    「俺にとっては二十代なんて似たようなもんだよ。ほら、白米から頼め。ここは土鍋で注文してから炊くから肉の後だと遅い」
     ネクタイを緩め、ブザーを鳴らす。とりあえずのビールとキムチ、それに七海が食べたそうな肉厚牛タンを二人前。
    「何合いる?」
    「三合で」
     ムスっとしたままちゃんと甘えてくる年下に日車は満足そうに頷いた。これだこれ。この素直な部分が堪らない。
    「俺は明後日、健康診断がある。お前はたくさん食べておくといい」
    「いや、なんで誘ったんですか」
     ムっとする七海だがメニューは手放さない。恐ろしいかな一人っ子。日車の心をこそばゆくさせる。
     眉間を狭くしていたはずなのに、メニューを見ながらどんどん機嫌がよくなる七海をつまみにビールを流し込む日車はジョッキを置いてからトングで牛タンを網に置いた。
    「今日、先方に連絡がいった。明日には回答があるだろう」
    「そうですか」
     本当はもう結果がきている。けれど今日話してしまうと明日会社で七海に会えない。日車は煙を出す肉塊を見つめながらさらに続ける。
    「それにしても、七海は本当に不運というか、なんというか」
    「呆れますか?」
    「いや、お前個人には何も非がないだろう」
     表面を軽くあぶるだけでいいと店員から説明された肉を自分の皿に取り、噛みちぎる。うまい、肉汁が口に広がる。けれど健康診断を考えたら本日はここまで。
    「一回目の訪問は別段驚かなかったよ、七海ほどの見た目ならそういこともあるだろうと思ったしな」
     蕩けるほど柔らかな肉を飲み込み。日車は七海との出会いを思い出す。社内の女性社員から言い寄られていて困っている。しかも彼女は既婚者で自分は不倫するつもりは毛頭ない、そもそも彼女がそういう立場でなかったとしても迷惑行為である。七海が疲れた様子で相談にきたのは半年前、入社してすぐのことだった。
     しかし日車にとってそんな案件は珍しいことじゃない。むしろ法務部にいる以上、避けて通れないこと。しかし、法務部のドアを叩いたこの青年の見事なまでに整った顔立ちと聡明な性格になるほどこれは厄介なことになるぞと一人確信したのは秘密。
    「二回目ともなるともはや同情の粋だな」
     一回目も今回と同様、勧告を送るだけで撤退してくれた加害者であったが二回目はもっと複雑だった。取引先の男性客が七海のストーカーと化した。
     オートロックでエントランスからキーがないと入れないはずのマンションにどう忍び込んだのか、玄関扉の前で「もう、早くいれてくださいよ」と笑っているストーカーを見たとき、可哀そうに七海は少し泣いてしまったらしい、怖すぎて。
     そこまでいくと流石に勧告だけでは済まない、警察に厄介になり、男性に接近禁止令を出して引っ越したのが三か月前。そして今回である。
    「次はフレンチにするか」
    「ジョークにならないですよ」
     白米がやってきたタイミングでカルビ、ハラミ、ホルモン、再びの牛タンを追加する七海。元気がなさそうなわりにもりもり食べる姿を見ると日車の唇は自然と緩んだ。
    「そうだな、でもジョークはいいとして、このままだと四回目の訪問も近いんじゃないか」
    「でも、私にどうしろっていうんです。もう退職して山奥でテレワークしましょうかね」
    「それは俺が困るな」
     ふむ、日車は考えた。否、考えるふりをした。この脚本はもうすでに組み立ててある。あとはただアウトプットするだけ。
    「なあ七海、お前がこういった被害にあるのは一重にお前がフリーだからじゃないか」
    「そうかもしれないですね」
     カルビと白米をかきこむ七海。おかわりをテチテチと茶碗によそう。
    「恋人がいれば、さすがに手を出そうと思うヤツも減るんじゃないか」
    「……でも、私、好きな人はいませんし」
    「まあ聞け。しかし恋人といっても並大抵の人間ではお前が引き寄せる濃い変態たちとは渡り合えん。そうだな、強い人間性がいいだろう」
     日車は顎をさすった。
    「強い、とは何か。性格も大事だな。何事には引かない、挑戦する胆力のある人間がいい。立場もそうだな、人間社会的立場が上の人間には頭が上がらない。できれば顔もいいほうがいいだろう。美醜で判断する愚か者も世の中には多い」
    「となると、七海に必要なのか強い人間性の、弁護士資格がある、顔の整った男……そうだな、俺とか、どうだろうか?」
     七海はトングでカルビをひっくり返してからジっと日車を見つめた。
    「酔ってます?」
    「いや、自分でも驚くほど素面の状態に近い。そして自分でも驚くほどいい案だと思っている」
     日車はジュウジュウと煙を上げるカルビの向こうで不機嫌そうにしている七海にニコリと笑いかけた。
    「深く考えるな七海、まずは試してみるのもいいだろう。俺と交際していることにしてみろ。きっとうまくいく」
     うーん、考える七海。焼ける肉。ほかほかの白米。
    「……色々と言いたいこともありますが、確かに日車さんのアイデアも悪くないかもしれません」
    「では契約成立だな」
    「はぁ、貴方が飽きたら言ってくださいね。私のために日車さんの評判を下げるのも心苦しい」
    「ふふ、七海は優しいな」
     それでは、明日からよろしくお願いします。そう言って再びハラミを焼きはじめる七海は自分が日車の法廷に引きずりこまれたことにまだまだ気付いてなかったのだった。
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