ほんの少しの祝福をとある裂け目。現世幽世現実幻想エトセトラ。様々な世界の境界のスキマで日傘を差した少女が楽しそうに浮かんでいる。
ふらふら、ふわふわ、ふよふよ。
そうして少女はお目当ての世界を見つけたようで、日傘を差したままスキマに消えていった。
目まぐるしく数値が変わる装置や規則正しい電子音を刻む装置が所狭しと置かれた中を男が歩いている。身なりからは育ちの良いことが感じ取れるが、鋭い目付きやその眉間に刻み込まれた深い皺には近寄りがたい雰囲気がある。男は手元の書類を見て溜息をつく。どこかの馬鹿が好き放題やったせいで今回も赤字である。いくら説教をしたってまったくもって奴は聞く耳を持たない。もしや俺の説教の時だけ外部音声を切断しているのか?今度抜き打ちで検査してやるか。などと考えを巡らせながら装置の点検を終える。
書類の数字を再度睨みつけながらデスクに戻ると、積み重なった書類やら本を上手く避けて小さな籠が置かれていた。小さな白い花が籠いっぱいに敷き詰められてなんとも可愛らしい様子である。疲労とストレスでうまく回らない頭で「また奴の仕業か。随分とファンシーだな」などと思いながら上に添えられた若紫色のカードに手を伸ばす。奴からの憎々しい文言が書いてあるのだろうと開く。しかし、それを見た瞬間、険しく歪められていた顔に驚きと畏怖、そしてほんの少しの喜色が浮かぶ。そこには自分の名前とメッセージが一言だけ書かれていた。
しばらくカードを見つめているとストレスの元凶がずかずかと部屋に入ってきた。一応何か用事があったのだろうが、机の上の花籠を見つけると興味津々にそちらを見ている。
「おいグルッペン、これはお前の仕業じゃないんだろうな」
「当たり前だ!エミさんが欲しいなら今度送ってやらなくもないが」
「断る。野郎に花をもらう趣味はない。今回はたまたまだ」
「ほお。してエミさんよ、これだけ多くの外の花だ。何か意味があるんじゃないか?」
「そうだな……」
見た目と記憶から検索をかける。花の名前は山査子。花言葉は「厳格」、そして──
「どうだった?」
「…「厳格」だと。相手はよほど俺に厳しくしごかれたことがあるらしい。そんなことをした覚えは無いんだがな」
そう溜息をついてみせたが、反面その声には少しだけ、本人も気づかないほどの嬉しさが滲んでいた。グルッペンは気づいたようだが、その前にエーミールは歩き出していた。
「ほらもう行くぞ。次の作戦の計画を立てるんだろ」
(すでに失くしたと思っていたが、“私”は、まだ奇跡を願ってもいいのでしょうか)
「エーミール様 貴方に奇跡が訪れますように」
サンザシ:花言葉 厳格・希望
佐山県にあるごく普通の小学校。午後の日差しが差し込む校長室で一人の男が優雅なアフターヌーンティーを嗜んでいた。校長という教育者には異質な男は、自ら淹れたダージリンを片手に脳内で策略を張り巡らせる。例えばつい先日入った依頼、あれはうちのお得意様であるから次の会合で商品を渡しても問題はないだろう。あとは先週の商談相手、新規の顧客だったから下手に出たが少々こちらを舐めているようだ。次に会うときは少し圧をかけておきましょう。あちらはアンダーグラウンドでの活動歴がまだまだ短いようですし。そして一昨日の商談、こちらにとっても悪くない条件だった。しかし妙に引っかかる。こちらを騙そうというか、陥れてやろうという思惑が何となく見え隠れしていたような気がする。これまで数回取引を行った顧客だから失うのは惜しいですが。もし杞憂で終わらなかったら、その時はゾムさんにお話合いの相手を代わってもらいましょう。
気が付くとカップの中は空になっていた。どうやら空のカップの中身を啜っていたらしい。護衛の彼が授業中で本当に良かったと心底安心する。彼に見られたが最後、三か月はこすられ、いつの間にか生意気な子どもたちにも伝わってしまうのだから。カップをソーサーに戻そうと手をやった時、そこになかったはずの違和感が手の甲にあたる。驚いて見るとソーサーに淡黄の花弁に橙の輪の模様がついた花が、一本の枝に咲いたまま置かれていた。校長室には誰も入ってこなかったはずなのだが。こんな芸当ができる人間は一人しか心当たりがないのだが、当の本人は校庭で子供たちとサッカーをしている。いくら彼でも無理だ。
「これは…プラタナス、ですか。何かメッセージが?」
端末を操作して花言葉を検索する。プラタナスの花言葉は──「好奇心」。その文字を見てエーミールは口元に不敵な笑みを浮かべる。
「なるほど、送り主が誰かはこの際どうでもいいでしょう。しかしこれは忠告ではなく私に対する挑戦ですか?ならば私は、猫は猫でも殺す側である黒豹になって、好奇心を囮に狩りでもしてやりましょう!」
一人高笑いする校長が花の下にあるカードに気づくまであと10分。
「エーミール様 貴方が真に平穏を過ごせますように」
プラタナス:花言葉 天才・好奇心
ここは悪魔学校バビルス。将来の魔界を担う若き悪魔たちが集い、競い、切磋琢磨しあう場だ。授業が終わり、ある者は親しい者と遊びに出かけ、またある者は師団で仲間と時間を過ごす放課後。魔界中の本が集められた図書室の中で一柱、背景の本棚の色に溶けてしまいそうなほど色素の薄い悪魔が分厚い魔導書とにらめっこしていた。ミルクティー色の悪魔は時折自分の周りを漂う何冊かの本を開き、ぶつぶつと呟いてまた手元の本に目を向ける。
先日は旧師団の後輩の前で見事な失態を犯し、そのあとの演説でもまんまと詐欺師の弁に乗せられていたことが露見した。後輩の前での失敗はちょっとした手違いのせいだったから、次はきっと大丈夫だ。騙されたのも相手の方が一枚上手であっただけ。まだ挽回できる。しかし、だがしかし、一番気に食わないのはそのあとのグルッペンだった。
『ハーッハッハッハwwwあのかっけぇ登場の仕方をしておきながら魔バナナだすとかww魔ビスコも出たしwwフハハハハwww騙されてやんのwww』
今思い出しても十二分に腹が立つ。チャバンちゃんも青筋をピキピキさせていたし、やはりあの時勢いでオリオン家奥義で一度燃やしておくべきだったか。
本を読むのも忘れ空中で浮いていると下から声がかけられているのに気が付いた。もしかして今の怒りが声に出てしまっていたのかと慌てて降りる。自分を呼んでいたのは二年生の、金髪を赤いリボンで結んだ女子生徒だった。
「す、すみません。煩かったでしょうか」
「いえ~そういうわけではなく…エーミール先輩、これ落としましたよ」
「それはどうも、ありがとうございます」
女子生徒が差しだしてきたのは一枚の栞だった。ありがたく受け取ってから気が付く。あれ私、こんな栞持ってましたっけ?もしかしたら人違いでは、と言おうとしたが、そこにもう彼女の姿はなかった。そういえば私の名前を知っていたし、一体彼女は何者だったのだろう。
返すのは諦めて栞を見ると、見たことのない白い花の押し花が封入されていた。白い三枚の花弁が綺麗な三角形を形作っている。そして裏面には模様のようなものが描かれている。
「なんでしょうこれ。本でも見たことがありませんね…」
家系能力を駆使して調べても出てこない。これは叡知の悪魔として知る価値がありそうだ。そう思うやいなや叡知の悪魔はまた一柱、知識の海の中へと沈んでいった。
「エーミール様 貴方に梟の加護がありますように」
延齢草(エンレイソウ):花言葉 叡知
「教〜授〜!」
ノックとともに返事を待たずに入ってきたのは、私の研究室に質問と言いながらコーヒーを要望してくる教え子だ。とは言っても"元"教え子で、今はまったく別世界で違うことをやっている。強大な力の妖怪らしい彼女は、時折こうやって私の所にサボりに来るのだ。
「久しぶりだな。今日も元気そうで何よりだ」
「教授も相変わらず暇そうで!」
「これの何処をどう見たら暇そうに見えるんだい?私は論文の期限が迫っていて忙しいんだが」
「またまた〜。そんなことよりコーヒーください」
いつもと変わらない調子の彼女に溜息をつきながら執務机から腰を上げて、休憩がてらにドリップコーヒーを淹れる。一滴一滴雫が垂れるのを眺めて、彼女がいつの間にか持ち込んでいたマイマグカップに注いでやる。彼女が避けたおかげで少しスペースができた応接用のソファセットに腰掛けて、向かい合わせになってコーヒーを啜る。味がお気に召さなかったのか顔をしかめている。
「そういえば、別世界の教授に会って来ましたよ!実際に顔を合わせたのは一人だけですけど」
「ッ!?!?ゴホッゴホッ…!な、何を急に 」
「やっぱりどの教授も女性には恵まれていませんでしたねえ」
「ううううう、うるさいな!!まだあるかもしれないだろう!?」
「まあまあ〜。花贈ってきたので教授にもあげますね!はい」
そう言って彼女が渡してきたのは小さな鉢植えに入った紫色の花。花束にするのは難しい花だ。
「ほお、露草ですか。可愛らしいですね…って、待て。紫露草の花言葉って」
「尊敬していますが恋愛対象ではありません!!」
元気よく答える彼女に思わず突っ伏す。
「あのねえ紫君。私は君を恋愛対象として見たことは一度もないんだけど、面と向かってはっきり言われるとちょっと傷つくよ?」
「そうですかー。じゃあお詫びにお好み焼きでいいですよ」
「何故私がご馳走する前提なんだい…?」
しかしちょうど昼時でありお腹も空いてきた頃だ。図々しい教え子に久しぶりに奢るのも悪くは無い。腰をあげた刹那、パソコンに通知が届く。書きかけの論文をきちんと保存してメッセージを開く。
【ゾムさん:エミさん飯行こうや!】
今回は断りの返事を送ろうとしたが、彼女から声がかかる。
「教授、ゾムさんからでしょう?行ってきてください」
「しかし君と」
「大丈夫ですよ。私はまた来られますし、私の時間は腐るほどありますから!」
こっちの気持ちを見透かしたような回答に思わず笑みがこぼれる。
「ではお言葉に甘えさせて頂こうかな」
執務机の一番下の引き出しを開けてペットボトルを取り出す。そして中に入っているミルクティーを半分ほど飲んだ。するとエーミールの姿に変化が現れる。焦げ茶の髪はミルクティー色に、髪と同じ色の瞳は透き通った乳白色になる。これで"教授"ではないエーミールの完成だ。
「それでは行ってくるよ」
「気を付けてくださいね」
鞄に必要最低限のものを詰めて、ネクタイをループタイに付け替えた彼が開けた研究室の扉が閉まった。
ミルクティー色の、“教授”ではなくなった彼が後にした部屋に一人。残った彼女は彼が本当にいなくなったことを確認してスキマに隠していたものを取り出す。飾り気のない花瓶には鮮やかな紫色の花が鈴なりに咲いた枝が生けられていた。彼女はそれを露草の鉢の隣に飾る。寄り添うように、そっと。
「私の幻想郷はすべてを受け入れます。それはそれは残酷な話ですのよ?なのに教授といったら…まあいいわ。それが“エーミール”ですものね」
「また来ますね。エーミールさん!」
デュランタ:花言葉 貴方を見守っています
これまでの感謝とこれからのさらなる活躍の願いをこめて。
Happy Anniversary 6th ,Emile