子供が欲しい!「好きな人の血を飲むと、将来その人の子供ができるらしいよ」
は?と思わず聞き返してしまった。
ヨシダの口からそんな色恋噂……というか下世話が出てくるなんて思わなくて、理解に時間を要した。
「すごくない?」
「いや、ただの噂でしょ?ていうかそんなの誰から聞いたのさ」
「えーなんか、すっごい服の女の人!」
トランプタワーの向かい側から笑顔を覗かせて答える少年の顔は、無邪気そのものだった。
おそらくその"女の人"は研究所の偉い人かなにかが性欲処理に遣わせたデリヘルかなにかだろう。ここは山の中の閉鎖された施設。まれにそういう人がいたりする。
「あんまり信じなるなよ、そういうの」
「なんで?」
「ここにいたら将来も何も無い。その女はテキトー言ってるだけだ」
「えーそうかなぁ」
「第一血って……物騒だろ」
呪いかなにかの類かとも疑いたくなるような話だ。
正しい知識とは異なるし。
「でも、ホントだったら、ボクはホタテの血飲みたい!」
「うん…………は!?」
あまりにも唐突な告白に思わずトランプタワーを崩してしまった。
「あーもう!!よそ見するなよー!」
「いや、ヨシダ……」
「ん?」
崩れたトランプタワーの中から覗かせられた表情は先程とは一変。飄々と小悪魔のようで、少しゾッとした。
血を飲みたいって、この話の流れじゃ子供……いやそれ以前に私を好きって意味になるってことわかってるのか?
「飲ませてくれる?」
「…………」
拍車を、かけやがる……。
「……血の味を知りたいだけだろ」
「えーそんなことないよ」
最近ヨシダは好奇心に溢れている。この前までは実験に順することしか知らず、ただ漠然とそこに"在る"だけだった命が、メラメラと自我を持っているようだ。
外の景色をみたい。
そう言われた時はどう答えていいのかわからず、研究所のホールにある絵画を見せに行った。
私もここに幽閉されて長いが、私は少なくとも生まれはここじゃない。
何も知らない少年が、やはり痛ましい。
「まぁ、少しだけならいいよ」
「ほんと?やったー!」
立て直そうとしていたトランプをほっぽって、彼は私の膝に乗った。
身長は大して変わらないのに、さほど重さを感じなかった。内臓が空虚だからなのだろうか。
「じゃあ、噛むよ?」
「え、直接?」
「嫌だった?」
「いや熱に……いいけど……」
きっとこれを研究員に見られたら罰則を食らうだろうななんて。
がぷ。
首筋に痛みが走った。
意識が覚醒して、部屋が鮮明に見えた。
するとトランプの下から吸血鬼の漫画が覗いているのが見えて、ああそういうことかと、納得とともに肩を落とす自分がいることにも気づいた。
きっとすっごい服の女の人とやらはそう、彼の知らない単語で子供ができると言ったのだろう。
しかしそれを理解できないまま知識だけ持ち帰った彼は、吸血鬼の漫画でその不揃いな知識を補った。
そして知識を実践したくなった。自分が犯されている実験と同じように。
解説してみると、そこに自分への好意なんて微塵もなくて笑ってしまった。
何を勘違いしようか。彼にはおよそ感情と呼べるものなどなかったではないか。
「んっ……」
痛みが消えてしばらくすると首元から牙が離れた。血の混じった唾液がすぅーっと伝うのがなんだかそそられたが、母親の顔を思い出して抑えた。
「どうだった?」
「んーわかんない、しょっぱい」
「海の生き物だからな」
首筋に噛み跡が残っていた。研究員に見つかる前になんとか皮膚を再生しなくちゃな。
「でもこれでホタテの子供ができる!」
おおう……。
「早く産まれないかなぁ」
ん?
今なんて……
「ホタテとボクの赤ちゃん」
鱗が熱を発しそうなほど褐色の頬を赤らめ、彼はお腹を見つめながら言った。彼、というか、ヨシダには性別がないのであくまで敬称としてそう呼んでいるだけなのだが。
その表情はもうすぐ十月十日を迎える妊婦のようで、愛らしくもあればまたその体にそぐわず気味の悪いものでもあった。
「ちょ、ま」
「ん?」
「ほんとに、ほんとに信じてるの?」
「うん」
「いや、その話はちがくてさ、」
そこで口を噤んだ。
これは言ってはいけない。きっと正しい知識を教えればそれを実践してしまう。
彼にとって実験じゃなかった。本番の気持ちで挑んでいたんだ。私との子供を本気で欲しがっていたのだ……。
身体中が熱くなって心臓の鼓動が早まった。部屋から飛び出して、すぐにトイレに向かった。発情とは違う。何かこう、支配欲というか、悦楽というか、上位存在にたってしまったような快楽を感じた。
私はヨシダが好きだった。この施設に幽閉されてからというもの、殻に閉じこもって、感情も表情もなくし死体同然だった私を生き返らせた。
恩恵を感じ、好意を抱いていた。
でも彼は実験体だし、彼は実験しか知らない。今一緒にいるヨシダもいつ消えてしまうか分からない。第一私になんて興味はない。
気持ちを捨てて生きていこうと決めていたのに。
彼は縋るような乏しい知識で、私との子作りを望んでいた。
あぁ可愛いなぁ。愛らしいなぁ。
よし、正しい知識を教えよう。そうしよう。ここからいつか抜け出して、2人と子供でで暮らしてやろう。
口角の向上を抑えられないまま、でも早くヨシダに会いたくて、トイレを抜け出し部屋に戻った。
扉に手をかける。開口なんと言おうか。結婚しよう?いやー遠回りすぎるかなぁ。やっぱり
「一緒にここを出よう!」
部屋には誰もいなかった。
崩れたトランプタワーと吸血鬼の漫画と、そのほかの遊び道具は散乱していたが、八重歯を覗かせて笑いかけてくれる少年はいなかった。
その上、どこか先程よりも部屋が荒れているように見えた。
ベッドのシーツを見ると、引っ張ったような跡が残っていた。
「ヨシダ……?」
私が部屋を出る前からものの数分しか経っていないのだ。
きっと近くにいるはずだと思い部屋以外も探した。しかしどこを探してもヨシダの姿はなくて、夕食の時間が訪れても、ヨシダは現れなかった。
「本当は貝の精子を飲んで欲しかったんだけど、どういう曲解をしたんだあの恐竜」
「漫画を置いたのがやはり良くなかったんですよ、無駄な知識を与えます」
「あーそういえばあそこに吸血鬼の漫画を置いたんだっけ?ったく、次の実験体では気をつけるよ」
「まぁでもいいじゃないですか、生の血を飲むなんて。そうそう取れるサンプルじゃないですよ」
「そうだな、欲情をプログラムするのもなかなか面白いな。またやってみるか」
「あの貝はどうされるんですか?」
「ん?そうだなぁ」
また新しい恐竜でも与えておきなさい