⚔️「森松先輩ってどんな人なんだ?」
僕を知らない人は問いかける。
「温厚で、優しくて、にこやかで、いい人だよ」
「文武両道なのに、良い意味で華やかすぎない」
「努力家で健気ってイメージかなぁ」
なんと素晴らしい。むず痒くなるような過大評価だ。それが仮面だとも知らずに、言ってくれるな。
「でも、あの人の異名、知ってるか?確か―」
""戦場の怪物""
仲間がほとんどいなくなり、相手が優勢にたった時、彼の赤い目は一層光り始める。
一呼吸、深い呼吸をした刹那、まるで理性のなくなった猛獣のように戦場を駆け回り、敵を狩る。
一度その刀に触れてしまえば身体は細々と四方に飛び、あたりは血飛沫に乱される。
逃げようにも逃げられない。彼の理性が復活するまで、振るいに歯止めはない。
「そんな人に見えねぇ〜……」
「同じ隊だった奴から聞いたからマジだと思うぜ。ちなみにそいつはその光景がPTSDになって戦線離脱してる」
「怖ェ〜〜〜〜〜!!!」
兵隊への道を進み始めて9年、軍に入って5年、戦線に立ち始めて4年経った。
戦場の怪物と呼ばれ始めて2年経ったが、僕は未だに、その""理性のない時間""の記憶はない。
ちょっとばかり上の兄弟が多くて、ちょっとばかりお金持ちで、ちょっとばかり剣道が好きな、何の変哲もない家に生まれたと、幼少期は思っていた。
兄貴たちとチャンバラの真似事をするのが好きで、周りの子より強かった。
父からは、森松家に産まれたからには、剣道と学業どちらも優秀でなければならない、と言われていた。
だから勉強もそれなりに頑張って、それなりにできた。
でもそれがただの家訓とか教育なんかではないことを、齢十五で知った。
「お前は軍に入る」
軍?自衛隊みたいな?
「自衛隊ではない。アレに戦力は必要ない。お前が入るのは、特殊特攻軍だ」
つまりは、どこぞの国の紛争地帯に出向き、勝利への支援をする。ただこの軍は国籍を持っておらず、基本的に、依頼を受ければどこの国の援助でも出向く。一週間前仲間だった国は、今週は敵になっているかもしれない。そんな組織だそうだ。
もちろん、嫌だと言った。
「この家に産まれた奴に、拒否権はない。お前の兄も姉ももうその場所にいる。お前は3年後、その養成所に入学する。普通の学生でいられるうちに青春を楽しみ、また、」
人を殺すという心構えをしておけ。
養成所は辛いものだった。
中学からの晩年剣道部、大会への出場も何度かあったため刀の扱いには慣れていたが、一振り一振り、じわりじわりと人を殺める恐怖感によって矛先はぶれ続けた。
実践練習で動く人形と対峙させられたときは、悪夢のように顔が見えた。友人、恋人、担任教師、街角のパン屋さん、大会審査員、市長、総理大臣……知っている人間の顔が、ひたすらに人形の残像に映り続けた。
外へ出歩けない時期もあった。この世の生きとし生けるもの全てが敵に見えていた。殺さなきゃ、殺さなきゃ、と、家電量販店で先の尖った調理器具を睨んでいたときは、さすがに自分でも限界だと思った。
そんなときにあの試験は訪れた。
自衛隊が外面的な政治的軍隊ならば、特殊特攻軍は政府の陰に隠れた秘密隊だった。
だから紛争支援以外にも、暗殺、留置、拷問等々の仕事があり、その中でも""処刑""は一番メジャーだった。
死刑囚は、表向きでは3人の監督によりボタン式の死刑執行法が通用している。しかしそれは間違いだった。
正確には、ほとんど、実験台。
養成所の卒業条件には「躊躇なく人間を殺められるかどうか」の試験があった。
僕は、死刑囚の首を斬った。今でも覚えている。数人の審査員に囲まれ、まだ息のある、なんなら命乞いまでしてくれる人間を殺した。
斬った途端、拍手が起こった。それは合格のサインであると同時に、僕が人の道理を外れた音だった。
それからはもう考えることをやめた。
命令に順することだけがこの世界。派遣された紛争地帯で人を殺めることだけが正義。考えるな、苦しむな。
心なんていらない。いらない、なくせ。
そして、自分を壊さぬよう、笑顔を忘れるな。忘れるな、忘れるな。
忘れるな……。
あれ?
なんで、周囲に人が倒れているんだ。
そっか、仲間がいっぱい死んじゃったんだっけ。あれ、でもよく見たら敵じゃない?
さっきまで圧倒的にこちら側の劣勢で、不敵な笑み浮かべる敵の顔があったのに。
振り返ると後輩が怯えていた。その視線は敵にでは無く、僕に怯えているように見えた。
インターネットスラングで気がついたらDQN倒れてたみたいなのがあった気がするが、まさにそんな状況だった。
それからだ。戦場でしばしば記憶が途切れることが増えた。
そして意識の戻った先では、何十もの敵の死体が、私を囲んでいた。
「お前……」
あ、怖がられる。
ダメだ、ほらまた笑わなきゃ、笑って。
あれ?
第3部隊の隊長に任命された。
別に嬉しくはなかった。第3部隊といえば軍の中では有名だ。""死の待合所""なんて言われている。何かしら問題があると判断された兵が割り振られ、ほとんど勝率のない紛争地帯へ送られ、救援物資や人員補充もなく、その隊員全員が死亡するのを待つだけ。
なるほど、自分の居場所はもうどこにもないのだ。
そう思ったらやけに肩の力が抜けた。街歩きに出向くような気分で向かい、できる限りには仲間の存命に懸命したが、それもそこそこに諦め、また記憶は飛び、そして放浪した。
笑顔を繕う必要がなくなったのは心地がよかった。でもまるで私の人生がいかに空虚だったかを思い知らされた。
別段彼の誘いに乗ったのは縋りたかったわけじゃなかった。居場所をあげようと言われたからついて行った。
そこが、Nー500研究所だった。