さがさないでください探さないでください。
一年ほどのインターンを終えたフロイドは、軽い足取りでオクタヴィネル寮の自室へと向かっていた。
ジェイドの顔が早く見たい。触れ合いたい。渡したいものも、見せたいものも、食べさせたいものもたくさんある。
4年次のインターンはそれぞれ別のところで技術を学び、卒業したら起業する。そう言ったアズールは、当然お前たちもついてくるだろう、と自信に満ち溢れた表情だったと記憶している。フロイドも、ジェイドも当然のように頷いた。フロイドは料理を極めるため、ジェイドは秘書としての能力を身につけるため、アズールは経営とマーケティングの勉強のため、それぞれ、一年後の再会を誓った。フロイドとして想定外だったのは、ジェイドのインターン先がずっと遠くの国だったことだ。アズールは隣国にいたので頻繁に遊びに行けもしたが、ジェイドのところは国の事情もあって簡単に行き来できる場所ではなかった。それに金だってかかる。アズールには起業資金のために無駄遣いはするな、と釘を刺されていた。双子はアズールが起業したら絶対に面白いから、という理由でその投資も快諾して月にいくらかアズールの通帳に入れている。それを差し引いても決して不自由ない給料だったが、フロイドにはどうしても欲しいものがあって、その貯金もあって、ついぞジェイドの元に行けるまでの資金が貯まることはなかった。
とは言っても、母親のように毎日連絡を取り合っていた。特に話すことはなくともなんとなく。それはメールだったり、電話だったり、ビデオ通話だったり。アズールとだってしたことがある。アズールはアズールでジェイドと連絡を取り合っていたようだし、相手が元気であることは確認できていたはずだった。
なのになんだこれは。
久しぶりのジェイドの体温を期待して、るんるん気分のフロイドを部屋で待ち構えていたのは、一通の手紙だった。珊瑚のワンポイントが箔押しであしらわれた小洒落たメッセージカードには、手本のような筆記体で「探さないでください、Jade」と一言添えられていた。片割れがこの部屋にいた形跡はすこしだって残っていない。
「…ん、やろう」
山のような荷物を床に落としたフロイドは、昨日まで当然繋がっていたジェイドの番号へコールする。
少ししたのち、「おかけになった電話番号は…」という機械音が流れ、聴くなりベッドに力強く端末を投げ捨てた。
「クソ、クソやろう」
独り言を呟いて、次にアズールに連絡を入れる。3コールもせずに繋がった。
『はい、どうしましたフロイド』
「ぁんさぁ、ジェイドしらね?」
『え、知りませんけど。あなた帰ってきたんですか?』
「あっそ」
『あっ、おい待て!』
すぐにアズールとの電話を切って、部屋を出た。
学園の中を探しに探した。探さないでの文言なんてすっかり頭から抜けていた。今のフロイドの頭の中にあるのは、ジェイドがいない、ただそれだけだった。
昨日は当然のように話していた。明日会えるのが楽しみだね、というと、待ち遠しいですねと言ったのはジェイドだ。どうして、どうして。オレはこんなにも会いたいのに!
植物園にも図書館にも、他の寮にもいない。鏡にだって聞いた。先生も、学園長も、みんなみんな知らないという。
もうどうしようもなくて、もう一度ジェイドに連絡を入れてみる。お、と聴こえて終了ボタンを押した。
学園隅々まで探してから、オクタヴィネル寮に戻る。ラウンジを横切ってVIPルームに向かった。
不機嫌を隠さず足でドアを蹴破ると、アズールからの怒号が聞こえてきた。
「お前!!今までどこにいたんだ!」
怒鳴るアズールを無視して、ソファーに深く腰掛ける。
背もたれに大きくのけぞるように座ったフロイドの顔をアズールの位置から伺うのは難しかったが、聴く耳を持たない態度であることは長い付き合いで十分理解している。
幼馴染として、大きなため息を一つついた。
「…フロイド、ジェイドは?」
「…」
何も答えないフロイドに、また自然とため息が出る。こうなったフロイドはちょっと面倒だ。
「…あなたから電話があってから、何事かと、僕もあなたたちの部屋を訪れました。ジェイドの置き手紙も読みました。僕もジェイドに連絡がつきません。…お前もだろ?」
機嫌の悪いフロイドに強く発言するのは悪手だとわかっているから、できるだけ刺激しないよう声をかける。のけぞったフロイドが体を起こして、今度は前方に項垂れた。ちゃら、と音を立てたピアスを指先でさらに鳴らす。
「…ジェイド、どうしたのかな」
十分な間があってフロイドが言った。
もう遅い時間だ。今日帰寮予定の生徒は皆帰ってきただろう。もし、帰寮が伸びるようなら、教師に連絡もいっているはずだ。ずっと画面を上にしておいてあるアズールの端末もニュースの通知を知らせるのみ。目の端に映るのは、どこかの国でデモがあったという報せだ。
「……あいつのインターン先は様々な事情が絡み合っている国ですから、何か事件でもあって、すぐ帰れなくなったのかも。明日には、帰ってくるでしょう。そんなに、焦ることはありません」
アズールは明日帰って来なければ、本格的に捜索しようといった。
その日フロイドは部屋に帰る気になれなくて、VIPルームのソファにそのまま横になった。アズールは幾度目かの大きなため息とともにそれを許可した。
フロイドの身長に対して小さいソファーに無理矢理体を収める。
胸ポケットに入れていた小さな包みが音を立てた。邪魔になってそれを取り出す。少し立派な紙に包まれたそれは今日ジェイドに渡そうとしていたものだ。言い知れない寂しさを紛らわすように、ぎゅ、と抱きしめて、目を瞑った。
倦怠感とともに目を覚ます。静かで薄暗い部屋はまだ早朝の気配がする。バキバキの体を伸ばして、端末をみる。黒い画面はスヌーズすら表示していない。
ジェイドの番号に連絡を入れてみる。昨日と変わらない文言がながれて大きなため息が出た。
「ジェイド…」
フロイドの声は、小さくとも部屋によく響いた。
さらに身じろぐと、床にかさ、と何かが落ちた。昨日握ったまま寝てしまった小包だ。
封を切って中身を手のひらに転がす。
それは2対の指輪だった。
ジェイドに昨日渡そうと思ってたもの。言おうと思ってたこと。
「…ジェイド、会いたい。ずっと、一緒にいたい。ジェイドはこの一年不安じゃなかった?オレは不安だったよ。そばにいるって、信じさせてよ、ねえ」
卒業を控えて、結果的にアズールの起業について行くという形で一緒に就職することになったわけだが、望めば全く違う場所にだっていける。この一年、その可能性について考えていた。もしかしたら、ジェイドが遠い国で何かフロイドやアズール以上に面白い何かに出会うかもしれない。そうなったらフロイドには止める理由がない。許さないと泣いて叫んでもきっとあの片割れは止まらないだろう。
縛るものが欲しかった。兄弟以上の強い繋がり。それで思いついたのが先手必勝のプロポーズ作戦。
全く先手を打てず、出鼻を挫かれているのだが。
焦燥感は、想像していたことが現実になりそうだからだろうか。家出のような文面に冷静さを失っていた。
改めて、購入した指輪を眺める。人魚姿では水かきのせいで指輪はできないが、ペンダントにはできる。アズールの事業はゆくゆくは陸にも、という話だったので、指につける機会だって多くあるはず。そう思って指輪にした。
シンプルな見た目のそれは、裏側にイニシャルと巻貝の刻印がされていた。まさに給料3ヶ月分相当の値段がする代物だ。
指輪を包みにしまってまたポケットにしまう。
まだ薄暗い寮を1人、ふらふらと歩いた。
向かったのは鏡の間だ。鏡の奥はぐるぐると渦巻いてはいるがそこから何か出てくるような気配は全くない。鏡が見える位置に腰を下ろして、ぼーっとそこを見つめた。
「フロイド、ただいま戻りましたよ」
声がして、目を開ける。どうやらそのまま少し寝てたらしい。
ぼやけた目を擦ると、そこには焦がれてやまないジェイドがいた。
「!?!?!?!っっっっっ!ジェイド!」
「ふふ、びっくりしすぎです。こんなところで寝ていたら、風邪をひいてしまいますよ」
ジェイド!ジェイド!ジェイドだ!!
フロイドはがば、とジェイドの首に手を回して引き寄せる。荷物を持ったままだったジェイドは、横に荷物を置いて、背中に手を回してくれた。
「ばか、どこ行ってたんだよ。もう帰って来ないかと…」
「国のデモで鏡が使えなかったんですよ。端末も破損してしまいましたし、本当、大変な目にあいました」
眉を八の字にしたジェイドは、それでも楽しかったですという顔が隠し切れてなくて、ほんとにこいつ…人の気も知らないで…とフロイドの頭の中のアズールが呆れていた。
首に回した腕にさらに力を入れて締める。安心が先に来たが、だんだん苛立ちが湧いてきた。
「じゃあなにあの手紙、家出みたいなこと言って…なんだったの?」
「ぐ、ああ、あれですか」
背中に回された手に強く叩かれる。離せとの合図にすこし緩めてやった。
「ちょっと…悪戯心が湧いてしまって」
「悪戯?」
「ええ、はい。僕たち、一年も会わなかったことなんてないでしょう?だから、恋しくなってしまって。それと同時に貴方はどうだったか考えたんです」
フロイドは、眉間に皺を寄せて、怪訝な目でジェイドを見た。
「フロイド、貴方がそんなに不安がるなんて思いませんでした。僕としては、大満足の結果です」
それでさらにフロイドの眉間に皺が寄る。この片割れは全く…。
文句の一つ言おうとしたところで、今度はフロイドの首に腕が回された。ギュッと抱きしめられてジェイドの匂い、体温、耳元でピアスのなる音が感じられて、大きく息を吸い込んだ。
「ありがとう、フロイド。恋しかったのは僕だけじゃなかったんですね」
「…あたりめーじゃん。オレ、ジェイドと離れるのが嫌すぎて、この一年めっちゃ考えたんだから」
「おや、じゃあどうして会いにきてくれなかったんです?僕のインターン先は忙しすぎて、僕からは会いに行けないと言っていたのに」
「それはさ…」
胸ポケットから小さな包みを取り出した。その中には、ジェイドにあげるはずだった指輪が入っている。それを一つ取り出すと、手、出して、とジェイドに言った。手のひらを上に向けて出すジェイドの左手を取って裏返す。手袋をそっと外して、その左指に指輪を差し込んだ。
その様子を興味の表情で見ていたジェイドは、だんだん驚愕の表情を浮かべる。
「貴方…これ…結婚指輪ですか…?」
「…うん、そう…」
「僕と?貴方が?」
「………嫌?」
ジェイドはフロイドが持ってた包みからもう一つの指輪を出す。ディテールを少し確認した後、フロイドの左の薬指にそれをつけた。
「嫌なわけないじゃないですか。それよりも言うことがあるでしょう?」
ジェイドは、フロイドと視線を合わせた。互いのゴールドの瞳に瞳が写り合う。
フロイドの次の言葉を期待して微笑むジェイドを見たら、今まで感じていたフロイドの不安感などどこかへ行ってしまった。
「あは、オレと結婚してください。ジェイド」
「ええ、もちろんです、フロイド。ずっと一緒にいましょうね」
「お前は!なんで!そう!好奇心に身を任せて!そんな!」
ジェイドは無事に帰ってきた。結局帰れなかった根本的な理由はインターン先でのデモに巻き込まれて、鏡の付近が立ち入り禁止になっていたからだった。先生に連絡を入れずとも2、3日帰国予定がずれることはざらなので、大丈夫だろうと思ったそうだ。それで、せっかくなので、ちょっとした実験をしたかったとも言った。
自分が帰らなかったら、2人はどう言う反応をするのか、気になったらしい。
思いついた時には手紙に探さないでくださいと書いて魔法で部屋まで転移させていた。
でも、すぐに帰ろうと思ったらしい。早くフロイドに会いたかった。抱きしめて、キスをして、それで……。
だから朝一番に帰ってきた。まさか鏡の間でフロイドが寝ているなんて思わなかったそうだが。
一通りアズールに経緯を説明したところで、アズールはジェイドを叩いた。強く殴るという訳ではなくポカポカと軽く、けれど数は多く叩いた。
ジェイドも怒られることをしたのは事実だし、痛い訳でもないから甘んじて受け止めていた。
ひとしきり文句を叫んだ後、静かになったアズールが俯いて黙ってしまったので、双子が顔を覗くと、
「…本当は、僕についてくるのが嫌だったんじゃないかと思っていました」
と震えた小さい声が聞こえた。
「アズール…。ご心配をおかけしました。もうしません。もうしませんから泣かないでください」
ジェイドはアズールの肩をそっと撫でた。
「泣いてません!全然泣いてない!」
アズールはジェイドの手を跳ね除けた。
そしてこの後さらにジェイドとフロイドの婚約の話を聞いて、アズールは結局涙を流すことになる。
ナイトレイブンカレッジの卒業式から数ヶ月。起業してから忙しかった諸々もなんとか落ち着きつつある頃、アズールは社長室の机に一枚の手紙を見つけた。
「探さないでください Jade Floyd
P.S. 新婚旅行に行ってくるね」
アズールは双子と出会ってからすっかり癖になってしまったため息をついた。