勿忘草の花束を「確定診断は難しいですが、認知症の疑いが強いとしか言えません。とりあえず、進行を抑える飲み薬を出してみますので、それで経過を見て行きましょう」
土方は硬い表情の医師を真っ直ぐ見つめ頭を下げた。
初めに彼が異変に気付いたのは部下の山崎の指摘からだった。それも1ヶ月前だ。土方が何度も同じ事を言うようになったので疲れてるんじゃないかと言われた。山崎が報告書を出した事を忘れて催促したのも1度や2度じゃないらしい。
おかしいと思い机の上にメモを置き、その日の出来事を綴ってみた。巡回後帰室すると机のメモの事も忘れ何故出しっぱなしなのか不思議にメモの中身を見て自分の記憶が飛んでいると知った。数時間前の記憶すら思い出せないのだ。おぼろげにあった気がするとしか分からない。これは何かの病かと急いで大江戸病院で脳のCTやらMRIを撮って貰ったが、画像上認知症特有の脳の異常は見られないらしい。採血もどこも異常がない。が、問診上では認知症の傾向が強いのだと。
ショックだった。しかし、今の医療では認知症を完治する術はない。このまま進行すれば、やがて周りの事を分からなくなってしまうだろう。
「山崎」
「はいよ」
「俺が萩に行ってる間、あいつらはどうだった?」
「いつも通りですよ」
「そうか…俺がいなくてもサボるんじゃねぇぞ」
「何馬鹿な事言ってんですか。あんたがいなきゃ誰が俺や沖田隊長を叱るんですか」
「原田あたりがやんだろ」
「あいつは面だけでそんな役割り似合わんですよ」
「山崎」
「勘弁して下さい」
「山崎、」
「俺ぁ…土方さん専属の監察なんです。俺に無茶な命令出来んのも、ご褒美くれんのも、アンタの役目じゃないですかっ…!」
土方が辛そうにしないから、代わりにとばかりに山崎がボロボロと涙を流した。サイボーグ化しても涙は流せるんだなとフと笑い、山崎の肩を叩いた。
「後の事は頼んだぞ」
忘れない内に病院での事をメモにし、その足で近藤の元へ向かい辞表を出した。思った通り真っ青な顔で混乱する近藤は辞表を破り捨て土方に抱き付いて涙を流した。辛かったな、もっと早く気付いてやればと山崎のようにおんおん泣いた。
まだ周りの事や仕事の事も分かる内は辞めさせないと言われたが、真選組の頭脳が使い物にならないのでは近藤や隊士達を危険に晒すのは目に見えている。駄々を捏ねるように泣きつく近藤を引き離し、次の副長に引き継ぎをしてくると言って局長室を後にした。
忘れないようにと今の出来事をメモしながら廊下を歩いているとアイマスクをして寝ている沖田を見つけた。仕事をサボって副長室の前で惰眠を貪るとは切腹もんだといつもなら怒鳴る所だが、沖田も土方の異変に気付いたのだろう。じゃなきゃ探りを入れるように傍になど寄って来ないだろう。
「起きてんだろ、入れ」
障子を開けたまま副長室の中に入るよう促すと沖田はのらりと起き上がると土方の前に机を挟んで腰を下ろした。
沖田が座った事を確認し、重要書類や印鑑、始末書の原本や提出先など淡々と話始める土方に沖田は嘲笑うように「ハッ」と話を遮った。
「どうしちまったんでィ。とうとう俺に副長の座ァ譲る気になったんですかィ?」
怒気を孕んだ言い方とは反対に、土方は冷静に「そうだ」と告げた。余りにも呆気なく言い放つものだから沖田は口を開けて言葉を失う。
「俺は今日にでも真選組を去る。時間がねぇから、その空っぽの頭に副長の役割りっつーのを叩き込め」
「理由はなんでィ。アンタが近藤さん捨てて、真選組捨てて居なくなる理由を言え」
「近藤さんやお前らを守る為だ。俺ぁ頭が馬鹿になったそうだ。完治は望めねぇ。俺の脳が使えなきゃ守るもんも守れねぇ。だから…」
「そんだけかィ」
「総悟、」
「俺ァあんたからお情けで貰った副長の座なんか興味ねぇよ。俺ァあんたから副長の座奪うのが目的なんでィ。刀握れる内はその座ァ死ぬ気で守ってみせろッ…!」
沖田の抜刀に刀で応戦など間に合わず、土方は机を盾に刀を防いだ。その上に置いてあったメモがハラハラと舞散って沖田の足元に落ちた。
【午前10時~巡回 かぶき町 異変なし】
【午前11時半 巡回した事を忘れる 報告は済んでいる】
【新人隊士の名前と顔がはあく出来ていない ろう下であいさつされたが名前を言ってやれなかった】
【いつも書いてる漢字が出てこない】
【新しい記おくからなくなっている】
【俺はきおくを保持できない】
【メモをわすれるな】
走り書きのようなメモは信憑性を増すには一番だった。極めつけは大江戸病院脳神経外科からの薬袋を見つけてしまえば追い打ちで斬りかかる気力も失せた。だらりと刀を持った手を下げそれらを見つめる。
「総悟、近藤さんを頼んだぞ」
そう告げられると、居ても立ってもいられず沖田は逃げるようにその場を出て行ってしまった。
沖田の姿が見当たらないまま、真選組は緊急集会を開き近藤の口から土方の休職を言い放った。理由は土方自身の口から告げられたが半ば信じられないと隊士たちがざわついた。もしそうならば近藤は休職としたが、事実上退任だ。
「治療に専念すれば治るんスよね?帰って来ますよね副長ぉぉぉ!」
グズグズと涙を流す鉄之助に土方は漸く困った顔をした。
「すまねぇ。手は尽くしてぇが、調べる限り進行は遅らせれど治るもんじゃないらしい。ポンコツになる前にカッコつけたまま此処を去らしてくれ。…テメェらなら俺がいなくても近藤さんや、江戸を任せられると信じてるよ」
「副長っ…」
「副長ぉっ!」
まるでお通夜のような雰囲気のまま土方はすすり泣く隊士達から離れ自室に戻った。身辺整理をしなければ。
散らばったメモをゴミ箱に捨て机を直し、私服を風呂敷に詰めた。私服と一緒にタンスにしまわれていたマヨネーズの被り物は記憶に新しい。万事屋を営む坂田銀時に被せられたものだ。その辺はまだ憶えている。ふざけるなと叩き付けたものだが、マヨネーズの形を傍から見てしまえば妙に愛着が湧くもので。勿体無いからと持ち帰ったのだった。今や思い出の品だなと、土方はそれも一緒に風呂敷に詰めることにした。
刀は護身用に持って行けと言われたが記憶を失くし、バラガキ時代のように闇雲に振る舞う剣になってしまうのを危惧して置いて行くことにした。しかし、真選組副長として顔が割れている故、刀の代わりに木刀を備える事にした。木刀と、マヨネーズの被り物を手にすれば嫌と言う程銀時の事が頭にチラつく。
あいつにも最後くらい挨拶に行こうか。いや…と、土方は躊躇った。万事屋には真選組くらい思い入れのある連中だ。江戸を離れる時も挨拶したくらいだ。行けばいいのに、行くのが怖い。銀時に会ってしまったら、今まで我慢していた弱音を全部吐露して泣いてしまいそうな気がする。そんな格好悪い真似出来やしない。そこの矜持はまだ持っている。
なら、手紙を書こうか。手紙なら顔を見ずに挨拶できる。だが、なんて書こう。今までありがとよ?世話になったな?なんだか文字にする方が照れ臭い気もする。それについうっかり依頼をしてしまいそうな自分もいる。万事屋は今までどんな相手でも、どんな困難でも乗り越え救ってきてくれた。そんな連中だから、自分のこの病も解決してくれるのではと縋ってしまいそうになる。そんな無茶難題、万事屋と言えどできっこないのに。なのに、「助けて」と言えば救ってくれそうだから、甘えてしまいそうになるから。やっぱり黙って行こう。きっと風の噂で万事屋の耳にも入るだろう。
その時は、銀時も土方が居なくなって寂しいと思ってくれるだろうか。
それはないか、と自嘲する。そう思うのは自分だけだ。
土方は銀時に対し友愛以上の感情を抱いていた。けど、江戸を離れれば、病が進行すればその内この気持ちも忘れるんだろう。本当に忘れてしまうのか、近藤さんや総悟、銀時の事を忘れるなんて…。
「嫌だ……」
そんなのホントは嫌だ。怖い。助けて欲しい。忘れたくない。大事な大事な想い出ばかりなんだ。
「助けて…万事屋……ッ…」