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    kisaragiOPfu

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    【俳優パロ/ヴェルドフ】終わりよければすべてよし

    ※わんぴが海外ドラマな時空のパロ
    ※スタント出身のヴェ×英国俳優のド
    ※CP要素はヴェドのみ、なんでも食べられる方向け





    舞台の上に、異形がひとり、立っていた。
    大きな体躯を歪め、ぎょろりとした目で客席を睥睨する異形は、息を潜め、目を背けたくなるほどに醜悪な、人の形をした怪物だった。
    『馬を』
    怪物は、どこか喘ぐように、声を出す。
    それは縋るというよりは、脅すような声で。
    末期の声というよりは、その先があると信じているような気配に。
    ぞく、と背筋が震える。
    この怪物は、まだ自分の生があると信じている。
    どこまでも生に執着する異形の息遣いに。
    劇場が、呼吸を忘れる。
    『馬をよこせ……』
    声は掠れ、歪な体躯はもはや動きはしない。
    “せむしの”王から命の灯火が消えようとしているのは明らかなのに。
    誰もが、その先の言葉と結末を知っているのに。
    ごくり、と唾を飲む気配がする。
    この化け物は、本当に“馬を得るかもしれない”。
    物語の中に引き摺り込まれた、おれを含む観客たちには、固唾を飲んで、戦争の行方を見守る。
    『おれの王国をくれてやる……!』
    怨念と憎悪と執着のこもった言葉を、異形は吐く。
    血潮を浴びた金の髪は鈍く光り、青い瞳は靄がかかったように白く、突き立てられた刃は異形の血で赤黒く染まる。
    それでもなお、異形は諦めていない。
    『馬をよこせ……!!』
    焼け付くような、執念の叫びに。
    ひゅ、と観客が息を呑んだ瞬間。
    スポットライトが、一斉に消える。
    暗くなった舞台を視界が認識し。
    ようやく、観客は、舞台を見ていたことを思い出し。
    いま引き込まれていたもの。
    いま目にしていたものへの、感情が込み上げ。
    その刹那。
    劇場に、万雷の拍手が鳴り響く。
    終幕にはまだ一場あることくらい、その場にいた全員がわかっていた。
    なのに、拍手は止むことはなく。
    痺れを切らした照明が、第五場の背景を照らし出すまで、途切れることなく、続いた。





    「……ミスター・ドンキホーテとお約束は?」
    花束を手にしたおれに、劇場スタッフはどこか不審げな顔を向けた。
    それはそう、かもしれない。
    楽屋口でおれをどこか遠目に見ている紳士淑女は皆、上等な衣服を身に纏い、“上流階級”だと明らかにわかる佇まいをしているというのに。
    おれはといえば、明らかに体に合っていない上に、開演に間に合うために走ったせいでよれた吊るしのスーツで。
    (……確かにどう見ても、“関係者”には見えないな)
    おれのスーツがニューヨークの三つ星でディナーを食べる格好だとすれば、周りは国王陛下の別荘での晩餐会に行く格好、と言えばいいのだろうか。同じセミフォーマルでも、明らかに格が違う。
    ロンドンナショナルシアターの楽屋口に、何でアメリカ人丸出しの奴がいるんだ、追っかけの連中は外で待ってろ、とでも言いたげなスタッフの視線に。
    花束を手にしたおれは、一瞬、逡巡し。
    けれど。
    「……いえ」
    にこり、と笑顔を貼り付ける。
    「彼もお忙しいでしょう。お暇させて頂きます」
    せめてもの意趣返しに、彼に教わった完璧なキングス・イングリッシュで話しかけ、さっき入ったばかりの劇場裏口から出る。ブロードウェイと違って、そこにパパラッチが待ち構えていることはなく。けれど、彼や他の役者を待っているのだろう、ペンとノートを手にしたファンがたむろしていることには変わりなくて。
    彼らの“お目当て”が来る前に、さっさと退散しよう、と足早に立ち去ろう、とした瞬間。
    「ヴェルゴ!」
    ファンの中から上がった声に振り返ると、最前列で待っている女性が、どこか興奮した面持ちでおれを見つめていた。ちら、と見れば彼女のスマートフォンには“スマイル”を模した、ジョリーロジャーのステッカーがついていて。なるほど、と思いつつ、営業用の笑顔を浮かべつつ、彼女の前まで歩いて戻る。
    「まさかこんなところで会えるなんて!」
    手渡されるままにペンを受け取り、彼女のノートにサインを書きつける。
    「前シーズン、最高だったわ。トラファルガー・ローとスモーカーとの戦闘シーン、迫力が凄かった」
    「そう?」
    「アクションは勿論だけど、最終話で崩れ落ちる研究所の中で、別れを告げるシーンのあなたの表情っていったら!」
    「ありがとう」
    微笑みと共に、彼女にノートとペンを返せば。
    「今日、“彼”に招待されて来たの?」
    どこか爛々とした目で見つめられるのに苦笑しそうになりながら、唇を開いて。
    「あぁ。ドフィに招待されてね」
    何でもない風を装いながら、おれは彼女を見つめる。
    「申し訳ないが、この後仕事が詰まっていて……彼へのメッセージガールを頼んでも?」
    「勿論よ!」
    どこか上気した頬で頷く彼女に、手にした花束を渡す。
    「これを彼に」
    「何かメッセージは?」
    「花束を渡してくれれば十分だ」
    ありがとう、と言う代わりに。
    「協力感謝する」
    “中将”を意識して言葉を口にすれば、彼女は目をきらきらと輝かせるから。小さく微笑んで、歩き出す。少し歩いた大通りでブラックキャブを捕まえ、ホテルの名前を告げれば。
    ようやく、溜息を吐き出すことができて。
    溜息を吐くのと同時に、疲労感がじわじわと体のあちらこちらから滲み出す。ほんの数十分前まで、世紀の名演に酔いしれていた時の高揚感は、すっかり失われていて。
    (……住む世界が違う、というのはこういうことか)
    もう一度、溜息を吐く。
    彼とおれとは、生まれた場所も、育った環境も違った。
    彼はスペイン生まれ、ロンドンのパブリックスクールで育ち、大学で経済学を修めた後で文学の博士を取った、とびきりのエリート。
    片やおれは、アメリカの片田舎の高校を卒業して海兵隊に入り、たまたま声をかけられてこの世界に飛び込んだ、その辺の雑草。
    彼は四大悲劇を演じ、批評家たちから絶賛される舞台俳優。
    おれは、替えのきく、体を張る仕事ばかりで、明日生きているかどうかも怪しいスタントマン。
    そんなこと、わかっているつもりだった。
    わかっていても、惹かれた。
    わかっていても、恋に落ちた。
    けれど。
    ここで、彼の国で、初めて彼のいる場所を見て、彼の周りにいる人々を見て、ようやく思い知った。
    (おれは……彼とはつり合わない)
    ひどく今更な感想を浮かべながら、ぼんやりと車窓を流れるロンドンの夜景を眺める。
    一目惚れ、だった。
    世界的な人気を誇る海洋ファンタジードラマの顔合わせで、雷に打たれたように、という言葉が単なる比喩ではないと知ったのは、彼を初めて見たその瞬間で。
    ハリウッドで女優を見ても、まぁ美人だな、くらいの認識しか持たなかったおれが、彼だけは、うつくしい、と心の底から思った。
    そんなおれの気持ちを知ってか知らずか、彼はおれにひどく気安く接してくれたし、“自分の役”を演じることに不慣れなおれに、色々と教えてくれた。
    比較的若い現場で他に同世代がいなかったことや、役柄として彼の役に密に関わっていたことも手伝って、彼とは段々と距離が近くなり、撮影終わりに一緒に呑んでいる時に、彼がバイだと知った。
    交際を申し込んだのはおれで。
    彼はどこかはにかみながら、それを受け入れてくれた。
    知的で、天才肌なのに努力を惜しまない、さびしがりな彼に、おれは夢中になって。
    多分、彼もおれを好いてくれていたのだと、思う。
    現場が終わって、彼がロンドンに帰ってからも関係が続くほどに。
    けれど。
    (遠い、な……)
    ぼんやりと、そんなことを思う。
    きっと今日の彼のリチャード3世は歴代の名演に並ぶものになるだろう。彼の名声は否が応でも高まるだろうし、あのドラマも次のシーズンは彼がメインの話になると聞いている。
    それに引き換え、おれはといえば。相変わらず、スタントの仕事をしながら、ぼちぼち入る俳優の仕事をこなしているような状況だ。
    舞台上にいた彼と、観客席にいたおれと。
    それはどこか、おれたちの現状を象徴しているように思えた。
    この世界は、厳しい。
    スタントマンになる前に通っていた演劇のクラスで一緒だった友人の中で連絡を取れる人間はひとりもいないし、先月やる気十分で入って来た新人が辞めたと聞かされる。成功者の周りには成功者が集まり、敗者は敗者で集う。アメリカンドリームなんていうのは、天賦の才を持つものが成し遂げる奇跡に過ぎない。
    (別れるべき、なんだろう)
    頭の中で浮かんだ言葉に、ずきりと胸が痛む。
    恋が冷めた訳ではない。
    あの一目惚れをした瞬間から、彼への気持ちは募るばかりで、歯止めが効かない。
    ロンドンとハリウッドに離れればマシになるかと思えば、彼の出演作を見漁るようになったので余計に彼のことが好きになってしまったのだから、恋心というのはタチが悪い。
    愛しいと思う気持ちも、恋しいと焦がれる気持ちも、変わりない。
    彼と繋がる快楽を知った今、他の何かで代用できるとも思わない。
    けれど。
    さっきの光景が、フラッシュバックする。
    キングス・イングリッシュを話す、上等なオーダースーツを身にまとった紳士たちが、彼が出てくるのを心待ちにしていた。
    ギリシャ悲劇について話す、イブニングドレスの淑女たちが、彼と握手するのを少女のように待ち侘びていた。
    彼が住んでいるのは、そちらの世界だ。
    おれと、24時間営業のダイナーでバーガーにかぶりついていた彼は、本当の彼ではない。
    おれと、彼の世界は違う。
    おれはマイ・フェア・レディのイライザにはなれないし、彼はローマの休日のアン王女だった。ただ、それだけの話だ。
    (……別れるべきだ)
    結論は出ているのに、煮え切らない感情を振り切ろうと、ロンドンの夜景に目を凝らすけれど。
    あの日、バーガーを食べた後、酔った目でも見えた星は、見えなかった。





    キングス・イングリッシュを教わりたい、と言った時。彼は不思議そうな顔をした。そんなことを言ってくる奴がいるなんて想像もしてなかったんだ、と彼は後で言っていたが。おれは、初めての環境で、藁にも縋りたい気持ちだっただけだ。海兵隊の軍曹の話し方には詳しいが、中将の話し方なんて想像もつかない。しかも、温厚で優しい、なんて。
    ハートマン軍曹の真似ならいつだってできるんだが、と言ったおれに彼は腹をかかえて笑い、まるでマイ・フェア・レディだな、と言った。
    最初は台本を使っての指導だったが、そのうちにエチュードをやるようになったり、シェイクスピアを読み合わせたりするようになった。時には、彼に教えてもらって、ラテン語やギリシャ語の詩劇を演じることすらもあって。将来はイングランドを背負って立つであろう名優に、演劇の個人指導をしてもらったようなものだ。
    彼は教え方も上手かったし、教えるのが好きなようだった。だから、演技なんて素人に毛が生えた程度のおれでも、なんとかなったのだろう。
    「生きるべきか死ぬべきか……それが問題だ」
    ふと口をつくのは、彼に教えてもらった、悲劇の王子と彼に心を寄せる乙女の一場の台詞で。悪辣な王を当たり役とする彼が、ショールを一枚羽織れば、乙女への姿を変えたことを、今でも思い出す。
    「……どちらがましだろうか。非道な運命が浴びせる矢を心の内に耐え忍ぶか……苦難の荒波に立ち向かい、決着をつけるか……」
    口の中で言葉を転がせば、あの時の情景が、瞼の奥に甦るような気がして。
    おれは、ハイネケンの缶を傾ける。
    ハリウッドで飲むのとまったく同じ味が舌を刺激するけれど、“いつもの味”が今はありがたく。
    さっきから何度か震えているスマートフォンに、ちらりと視線をやって、また、逸らす。
    ロンドンとハリウッドの時差は8時間、エージェントから連絡が来てもおかしくはないが、今日は休みの予定だ。1日くらいメールを見なくても問題はないだろう。端末を開いて、もし。もしも、万が一。
    (……彼からメッセージなんて来ていたら)
    あり得ない妄想に、溜息を吐いて、ソファに頭を預ける。
    (……未練が、出る)
    今日はナショナルシアターでの、千秋楽だ。パーティやら何やらがあって、彼は忙しいだろう。だから、あの花束を受け取ったところで、何か連絡をする暇があるとは思わない。ただ、おれが来ていたことを知るだけだ。
    (パーティか……)
    きっと、アルコールが沁みて来たおれの脳みそでは想像がつかないような、上流階級の人々が洒落てエスプリの効いた会話を繰り広げるんだろう。そこで同じような境遇の令嬢と出会って、新しい恋が始まるかもしれない。
    (それが……彼のためだ)
    胸の痛みと、やり場のない鬱屈とした感情を、溜息でやり過ごそうとして。
    耳に、聞きなれない音が響く。
    それが、室内に備え付けられた内線電話だと気がつくのは、一拍遅れてで。
    溜息がちに起き上がり、ベッドサイドに備え付けられた内線電話へと近寄る。
    「はい」
    受話器を上げれば。
    『ヴェルゴ様』
    丁寧な口調でホテルマンがおれを呼ぶ。
    『フロントにお客様がお見えです。お通しいたしますか?』
    いや、と言うよりも先に。
    『ドフラミンゴの弟だって伝えてくれるか?』
    電話越しに聞こえた声に、眉を顰める。
    確かに彼が弟がいて、モデルをしているという話は聞いたことがあったし、確かに彼のSNSで弟の顔は見たことがあったが、おれとは面識がない。
    『ご友人の弟様とおっしゃっていますが』
    ホテルマンの声は冷静で、追い返してくれと言えば、承知いたしました、と追い返してくれそうな気がして。けれど。
    「……代わってくれ」
    考えるよりも先に、言葉が口をついていた。
    未練を断ち切らなければならないのに。
    別れた方がいいとわかっているのに。
    承りました、と言うホテルマンの声に、後悔が胸の中にじわじわと滲むけれど。
    直接断ればいいだけだ、と自分に言い聞かせる。
    そう、直接断れば。
    『ヴェルゴさん?』
    ホテルの電話の向こうの声は明るく、彼の声とは違って聞こえた。
    『初対面な上に突然来ちゃってすみません』
    何とか追い返す言葉を口にしなくては、と頭を巡らせた、その瞬間。
    『もう休んでるとは思ってたんですけど……兄貴が拗ねて駄々こねてて』
    申し訳なさそうな声で、紡がれた言葉に、ぽかん、と口を開く。
    誰が拗ねて駄々をこねる?
    まさか。
    いつも理知的で、落ち着いた彼が?
    『パブでヴェルゴさんがいないと帰らないってクダ巻いてるんで……すみません』
    続いた言葉に。
    おれは、言葉を失った。





    「初めましてなのに、ほんとにすみません」
    どこか困ったように笑うと、目尻が下がるところが、彼に似ているな、と思う。
    「ドンキホーテ・ロシナンテです」
    乗り込んだブラックキャブの中で握手を交わせば、握った右手は分厚く。そこは彼と違った。
    「ヴェルゴです。初めまして」
    「兄がいつもお世話になってます」
    「いえ、こちらこそ……」
    どこかぎこちない会話の後、キャブの車内には沈黙が広がる。何を話せばいいのやら皆目見当がつかない、というのが正直なところだ。天気の話をする時間帯でもなければ、仕事の話をする間柄でもない。共通項といえば“彼”だが、それについて問えば、せっかく固めた決意が、また揺らぎそうな気がして。
    (……様子を見に行くだけだ)
    そう、自分に言い聞かせる。
    彼と恋人同士でなくなるとしても、彼のことは俳優として尊敬しているし、スキャンダルを未然に防げるとすればそれに勝ることはない。ただ、それだけだ。
    繰り返し、心の中で決意を確かめれば。
    「なんか……不思議な感じです」
    彼の弟は、へらり、と微笑んで。
    「兄貴から散々ヴェルゴさんの話聞いてたから、初対面なのに、全然初対面って感じがしなくて」
    そんなことを言うから、おれは苦笑する。
    「ご家庭でもご迷惑をかけていたようで申し訳ない」
    「迷惑?いや全然、おれにしてみれば、兄貴の側がめちゃくちゃ迷惑かけてるだろうなって」
    「まさか。彼の指導はいつも的確で、迷惑なんて思ったことはありません」
    おれの言葉に、彼の弟は整った眉をしかめる。
    「……待ってくれ」
    僅かな沈黙の後、眉をしかめたまま。
    「ヴェルゴさんって、兄貴と恋人なんだよな?」
    彼の弟がそんなことを問うから、おれは僅かに目を見開く。
    「一応はそうなる、が」
    含んだような言葉になるのは、彼の弟の言葉が、あまりに意外だったからで。
    「……家族に紹介してもらえているような間柄だとは、今の今まで知らなかった」
    思ったままを口にすれば、今度は彼の弟が目を見開いて。
    「……マジかよ」
    次いで、頭を抱える。
    何事かと思って、そのまま注視していれば。
    「っまさか!」
    がばっ、と彼の弟は顔を上げ。
    「兄貴から、べた惚れだって聞いてなかったりします?!」
    「おれが、彼に?」
    「兄貴があなたに!!」
    ぱちり、と自分が瞬きをする音が聞こえたような気がする。それほどに、いま聞こえた言葉は衝撃的で。
    「まさか」
    先程聞いた言葉を、おれは繰り返すことになる。
    「ありえない」
    べた惚れと言うのなら、おれの方だ。
    交際を申し込んだのもおれだし、惚れたという言葉が相応しいのはおれで、彼ではない。
    「憎からず思ってくれているとは……思っているが。それ以上ではないだろう」
    恋人にしてもいいと思っているだろうけれど、それ以上の深みに立ち入らせることはない。
    おれと彼の距離感は、そんなところだった。
    彼に恋焦がれたおれと。
    おれを恋人にしてもいいか、と思った彼。
    おれと彼の関係性は、そんなところで。
    だが。
    彼の弟は、信じられないようなものを見る目で、おれを見て。
    スマートフォンに視線を落とすと、何やら操作をした後で、おれに手渡す。
    「読んでください。読んで困るようなことは何もありません。少なくとも、おれには」
    画面のひび割れたスマートフォンの画面には、メッセージのタイムラインが表示されていて。
    その一番上に表示された、“兄貴”という表示に。
    おれは思わず、息を飲んだ後で。
    隣からの視線に促されるまま、白く光る画面に、視線を滑らせた。





    パブのドアを開けば、酔っ払いたちの視線がこちらを向いて。
    知り合いではないとわかった瞬間、興味を失ったように逸らされる。
    カウンターの端、長身の彼の隣は、弟のためにか空いていて。
    その場所を主張するように残された煙草の空き箱とライターに、小さく苦笑する。
    おれの忘れ物はそのまま兄貴に預けておいてくれ、と言って。
    彼の弟はさっさとブラックキャブで立ち去ってしまった。
    今度何か御礼を、と言うおれに。
    『あの面倒な性格のくせに寂しがりな兄貴をもらってくれるだけで十分だ』
    そう言って笑った顔は、やはり、彼にはあまり似ていなくて。
    パブのマスターが、彼の方へと近づくおれに、僅かに眉をしかめるが。
    おれの顔を見て、すべてを察したらしく、小さく肩をすくめる。
    あそこのパブは昔馴染みなんだ、と彼の弟が言っていたのは、確からしい。
    静かに歩み寄って、彼の隣へと体を滑り込ませると。
    「おれは帰らねぇぞ、ロシナンテ」
    カウンターから視線を逸らさず、彼は言う。
    「せっかく来た恋人を追い返すくせに、クソみてぇなクイーンズ・ワラントを有難がってる連中のパーティに出るくらいなら、ロンドン橋から身を投げてやる」
    それは、キングス・イングリッシュで紡がれるからこそ、聞くに耐えるような、ひどい皮肉で。
    おれの前では必ずきれいな言葉で話す彼らしくはない。
    けれど。
    おれの胸に広がるのは、どうしようもない愛しさと、愛されていることへの歓喜と。
    口にしてはならないと思っていた独占欲が満たされる、充足感だけで。
    「それは困る」
    言葉を口にしながら、彼が手にしているビールと同じものを、とマスターに視線でオーダーをする。
    「君となら寒中水泳をしても構わないが、それよりも、一緒に過ごす時間が欲しい」
    おれを見た彼の瞳が、見開かれ。
    「……なんで」
    問いかけに、小さく微笑む。
    「君がパブで拗ねていると弟君から聞いた」
    「……あの野郎」
    どうにかFで始まる単語を口にすることを堪えたらしい彼は、ビールを煽り。
    おれたちの間には、沈黙が広がる。
    パブのマスターがおれの前に、ビールのグラスを置いて。
    おれが、グラスに手を伸ばすと。
    「……別れ話だろ」
    静かに、彼は言葉を紡いだ。
    ちら、と見れば、サングラスで隠した目元には、僅かに寂しげな色が乗っていて。
    ヨーク公リチャードを鬼気迫る勢いで演じていた名優でも、アルコールが乗れば、演技に綻びが出るんだな、と思う。
    「ロンドンとハリウッドじゃ、遠すぎた」
    彼の中での”理由”を否定しようと、唇を開くけれど。
    それでは彼を繋ぎとめることはできない、とおれの直感が囁くから。
    おれは。
    「ドフィ」
    エンパイアステートビルの頂点から、パラシュートで飛び降りた時と同じ勇気で。
    言葉を、口にする。
    「おれが君を好きで、君がおれを好きなら、別れる理由はないと思うんだが。どうだろう」
    どこか虚を突かれたような顔をする彼に、おれは微笑んで。
    「君が望むなら、幾らだって君を抱きしめるし、オフショットを送るし、ビデオチャットするよ」
    そう言ってやれば。
    彼は、今度こそグラスを持ったまま固まり。
    おれは、頬を緩める。
    彼の弟に送られていたメッセージには、ひどく赤裸々な彼の内心が綴られていた。
    おれのオフショットが更新されて褒めたいけど、露骨すぎやしないだろうか。
    あの上腕二頭筋が恋しくてたまらない、今すぐハリウッドに飛んで行ってハグされたい。
    スタントの作品で姿は見れるけれど、声が聞きたくてたまらない。
    それは、いつもクールで、大人な彼からは想像もできない言葉で。
    だから。
    おれも、物わかりのいい恋人の仮面を、かなぐり捨てて。
    「おれだって、君を独り占めしたい」
    思っているままを、口にする。
    「終演後には君の恋人はおれだと見せつけてやりたいし、君の美しさを褒めそやしたいし、君の弱さも何もかも全部を知りたい」
    ひゅ、と僅かに彼が息を飲み。
    おれは見せつけるように、グラスの縁に唇を寄せる。
    ごくり、と彼の喉が上下するのを眺めながら。
    おれはビールを煽るように飲み。
    カウンターの上に、グラスを置くと。
    「”陛下”」
    仰々しい言い回しで、グラスを掴んでいた右手を差し出す。
    「”物分かりの悪い、強欲な恋人をお望みなら、この手を”」
    彼の瞳が、揺れ。
    グラスが、干される。
    そして右手に、彼の右手が重ねられ。
    「”望むところだ”」
    舞台上よりも真に迫った声で、彼は嘯く。
    「”おれに喉首を噛みちぎられないように用心するんだな”」
    カウンターに20ポンド札を置いて立ち上がれば。
    パブのマスターは、何も見ていない、とでも言いたげに、片目をつぶって。
    おれは、おれの王の手を引いて、パブの喧騒から、飛び出した。
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