「おいクソガキ、そんなとこで何してやがる」
「…………なんで君がここにいるんだよ……」
夜叉ノ國の山の中、気の向くままに進んでいた牛鬼は、切り立った崖に一人で佇んでいる少年──救い主を見つけた。救い主は振り向いて牛鬼の顔を見るなり乾いた笑顔を貼り付けて、その場で蹲った。
「こんな山ン中に護衛も付けず一人で突っ立ってるとは、随分と平和ボケしてるみてえだなァ。救い主サマ?」
牛鬼は嘲笑するように笑いながら、一歩ずつ救い主の方へ足を進める。
「うるさいなぁ……一人になりたかったんだよ……」
「そうかよ、そりゃ残念だったな。ほら、ンなとこでしゃがんでたら落ちるぞ」
そう言って、角張った大きな手をぶっきらぼうに救い主の方へと伸ばす。
「……ご親切にどーも」
救い主はその手を取り立ち上がる。そのまま数歩下がって、再び地面に腰を下ろした。牛鬼もそれにつられるように隣に座り込む。
「今日は食べようとしないんだね、俺のこと」
「勘違いすんなよ、今が夜だったらとっくに喰ってる。昼間だったことに感謝しとくんだな」
「っふふ、そうしとく」
牛鬼の物騒な言葉にも動じることなく、救い主はいつものように笑みを浮かべている。その様子に牛鬼は舌打ちをした。
「……あんなとこで何してたんだよ。まさか自害しようとしてたなんて言わねえだろうな」
「なに、心配してくれてるの?」
救い主はニヤニヤ笑いながら、わざとらしく小首を傾げて見せる。
「そんなんじゃねェ。お前が死んだら俺がお前の魂を喰えなくなる、それが気に食わねえだけだ」
吐き捨てるように言う牛鬼を見て、救い主は楽しげに肩を揺らした。
「そっか。……でも、そんなんじゃないよ。本当に」
あからさまに表情を暗くする救い主を、牛鬼は黙って横目で見つめる。その沈黙は話の続きを促すものと取られ、救い主はゆっくりと口を開いた。
「……なんかね、怖くなっちゃって、みんなの期待が」
暗い顔をして目を伏せる救い主に、牛鬼は何も言葉を返さなかった。ただ静かに次の言葉を待つ。
「みんな救い主様って言って慕ってくれるけど、俺も元々はただの人間だし……。その期待に、応えられるのかなって」
そう言った救い主は顔に苦笑いを浮かべて、自分の膝を抱え込んだ。
「……ずっと前に、両親の期待を裏切っちゃって。それ以来……ちょっと怖いんだ、期待されるのが」
ぽつり、ぽつりと、消え入りそうな声で紡がれる話を、牛鬼は無言のまま聞く。
「みんなの期待に応えられないんじゃないかって、また失望されるんじゃないかって思うと……どうすればいいのか、分からなくて」
そう言い終えると、救い主は抱えていた膝に額を押し付けた。小さく震える背中を見下ろして、牛鬼は深いため息をつく。
「……おいクソガキ」
「……なに」
「顔上げろ」
そう言われ、渋々といった感じで救い主は頭を上げた。そして──
「あいたっ」
ぺちんっと、デコピンを喰らった。
突然の出来事に混乱していると、「間抜けヅラ」と言って牛鬼が鼻で笑う声が聞こえてきた。
「期待とかそういうモンに応える必要なんざねえよ。そもそも、アイツらがお前の許可も無く勝手に呼び出したんだしな」
「それは……そうかも、しんないけど……」
牛鬼は再び深いため息をつくと、その場に立ち上がり、救い主の手を取って無理矢理立ち上がらせた。
「ま、それでも期待に応えたいってんならそうしとけ」
それだけ言うと、牛鬼は救い主の手を引いて歩き出す。
「ちょ、ちょっと! どこ行くの……!」
「うるせェ、いいから黙って着いて来い」
有無を言わさぬ口調でそう告げられ、救い主は大人しく牛鬼の後に続く。山を下って、しばらく歩いたところで牛鬼は足を止めた。
「ここは……甘味処?」
人里の隅っこに、ポツンと建っている小さなお店。そこにある看板には『甘屋』の文字が書かれていた。
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「それにしても……なんで甘味処?」
みたらし団子を頬張りながら、救い主は牛鬼の顔を覗き込むようにして問いかけた。
「……別に意味はねえ。気分だっただけだ」
そう言って、牛鬼も串に刺された団子を手に取り口に運ぶ。
「気分……ねぇ……」
納得いかないという風に呟くと、救い主は再びみたらし団子に齧り付く。そのままモグモグと咀噛していると、もう既に三本目を食べ終えた牛鬼が口を開いた。
「……クソガキ」
牛鬼は救い主とは目を合わせず、ぶっきらぼうに続ける。
「俺はテメェが嫌いだ」
「知ってるよ」
「だから、テメェが苦しもうが何しようが知ったこっちゃねえ」
「……うん」
「だがなァ」
牛鬼は手に持っていた串を皿の上に置き、ゆっくりと立ち上がった。そして、隣に座っている救い主の前に立ちはだかる。
「お前の魂は俺が喰うんだ。死なれちゃ困る」
そう言って、救い主の首筋へと顔を近づける。咄嗟に身を引こうとした時には遅く、鋭い牙が首に突き立てられた。
「ッ……!?」
痛みを感じる暇もなく、すぐに牛鬼の顔が離れていく。噛まれたあとには、くっきりと赤い歯型が残されていた。
「ハッ、随分良い色になったじゃねェか」
舌なめずりをしながら満足げに笑うと、店の出口の方へ足を進める。呆然と見つめる救い主の方へ振り向き、口を開いた。
「俺に喰われるまで死ぬんじゃねェぞ、クソガキ」
「……あぁ、分かってるよ」
牛鬼の後ろ姿に向かって、救い主は笑みを浮かべる。その瞳はどこか嬉しそうに揺れていた。
「(……ほんと、不器用だなぁ)」
まるで「俺の物」という印にも見える噛み跡を撫でながら、救い主は心の中でそう呟いた。
その首筋には、確かに熱が残っていた。