降志の結婚式 珍しく降谷さんが定時で帰ってきた。
そう、今日は付き合い始めた記念日だ。いつも忙しくしているし、約束をすっぽかされるのは日常茶飯事なのでどうせ無理だろうと思っていたが、今日は帰ってこれたらしい。嬉しくて顔がついつい緩んでしまう。
出かけよう、と言われていた。記念日だから外で予約を取ってくれたのだろう。どこに行くかは知らないけれど、降谷さんが選んだ店はどこも最高だったからとても楽しみだ。いや、降谷さんと一緒ならどこだって最高だ。
降谷さんの帰りを待ちながら、服を選び、念入りに化粧をするのは楽しかった。散々迷って最終的に袖を通したのは、降谷さんが前に買ってくれた上品なフサエブランドのワンピース。歩くたびスカートがふわりと揺れる。
メイクは瞳の色に合わせたアイスグリーンのアイシャドウに、少し背伸びした大人めなルージュ。髪も編み込んで綺麗に整えた。
降谷さんが支度をしている間にもう一度鏡で確認をする。最終確認を終えてリビングに向かうと、降谷さんは仕事帰りのスーツからオシャレで素敵な私服に着替えていた。
「行こうか」
RX7に乗って連れて行かれたのは、少し遠い海の見える高級料理店だった。街から離れているため、星がよく見える。波の音が聞こえて心地よかった。2人は予約席に通された。
やはり、前もって予約していたのだ。どうやら料理も指定していたようで、メニューは渡されず、すぐに料理が運ばれてきた。
「おいしい」
私は目を輝かせた。どの料理も素材の味がよく引き立てられていて、食材そのものの美味しさがわかった。さらに、その美味しい食材が組み合わさることでその美味しさは無限大になっている。
夢中で頬張る私を降谷さんは嬉しそうに見ていた。
「宮野志保さん」
全ての料理を食べ終えてひと息ついていると、急に降谷さんが名前を呼んだ。そして、
「僕と、結婚してください」
と、ベルベットの黒い箱を目の前で開けて言った。
もちろん、その箱の中身は指輪で。
答えなきゃいけないのに、固まってしまった。今まで、この日が来ることを心待ちにしていたのに、頭の中でたくさん想像しては備えてきたのに。
驚きと、喜びと、嬉しさと、たくさんの感情が入り交じって、どうしたらいいかわからない。一筋、涙がこぼれた。
「…ええ。喜んで」
なんとかそう言い終えると、一粒、また一粒と涙がこぼれた。
組織にいた頃はまさかこんな日が来るとは思っていなかった。お姉ちゃんの話を聞いて想像して楽しむくらいで、一生組織に囚われるのであろう自分には縁のない話だと思っていた。
悲しくなんてないのに、嬉しくて仕方ないのに、涙が次から次へとこぼれてくる。
降谷さんは大きな手で私の涙を拭うと、そっと私の手をとり、薬指に指輪を通した。
指輪は私の瞳に合わせたのだろう、エメラルドがついたものだ。普段から着けていられるようにシンプルで、かつ洗練された気品あるデザインになっている。
左手の薬指で輝く指輪は、どんなアクセサリーよりも美しかった。
「ああ、よく似合っているよ」
泣きそうな、嬉しそうな、複雑な表情を降谷さんは浮かべていた。
私がまた涙をこぼせば、降谷さんは困ったように笑ってまた指で涙を拭った。
その日の夜、2人で婚姻届を記入した。2人とも家族は残っておらず、血縁者の赤井さんはアメリカに、メアリー叔母さんや真純はイギリスに戻っているため、証人は風見さんと博士になってもらうことになった。
博士は泣くほど喜んでくれた。
風見さんもあの厳つい顔に似合わず涙ぐんでいた。
降谷さんの希望で結婚式は2人だけで神前式を行った。
神道は日本だけの宗教だと聞くし、何より降谷さんらしい。降谷さんはあんなに異国情緒溢れる顔なのに、着物がよく似合っていた。
結婚指輪はプラチナに小さなアクアマリンとエメラルドとダイヤモンドをつけたものだ。内側に模様が施してあり、2つのリングを揃えると桜が浮かぶようになっている。
降谷さんは仕事柄堂々と付けられないため、チェーンに通して服の下にネックレスとしてつけることになった。本当はそれも危険だけれど、どうしても付けたいと本人が主張した。それなら私もと揃えて首から指輪を下げた。
それじゃあ志保に悪い虫が寄ってくるじゃないか、と不満げに降谷さんに言われたので、私の薬指にはプロポーズの日にもらったエメラルドの婚約指輪が今も輝いている。
いつのまに私の気持ちを知ったのだろうか、降谷さんはウェディングドレスを着るという願いも叶えてくれた。単に降谷さんが見たかっただけかもしれないけれど。
降谷さんの仕事の関係上、ウェディングドレスは写真撮影だけにし1枚だけ現像して、全てのデータをその場で消してもらった。
私は真っ白でスラリとしたシルエットのドレスを選んだ。もし、お姉ちゃんが結婚したのなら、きっとこんなドレスを選んだのだろうな、と思ったからだ。シェリー時代や灰原哀時代に負った傷跡が見えないように露出を控えたデザインで、首も手首も純白が身体全体を覆い隠している。豊かなスカートには銀糸で細やかな刺繍が施され、蝶や花がひらひらと舞っていた。
それからポアロを2時間だけ貸し切りにしてもらい、近親者だけを呼んでささやかな披露宴をした。
招待客は、高校を出てすぐに結婚した工藤くんと蘭さんに、毛利夫妻、工藤夫妻、博士、降谷さんが潜入中にお世話になった梓さんやマスター、赤井さんやジョディさんやキャメルさん、私の血縁者であるメアリー叔母さんとその夫の武務さんと真純、羽田夫妻、風見さんと黒田管理官や公安部数人、それから私の小さな友人である少年探偵団。
私は有希子さんが選んだ桜色のワンピースドレスに身を包んでいた。髪は細やかに編み込まれ、白いレースのリボンが結ばれていて、胸には博士からもらったエメラルドのネックレスが輝いている。
降谷さんも有希子さんが選んだ礼服に身を包んでいる。私とお揃いで降谷さんも博士からアクアマリンのネクタイピンをもらった。どちらもフサエさんがデザインしてくれたそうだ。よく見るとペアになっていて、柔らかいポアロの照明を受けてキラキラと輝いている。
梓さんとマスターは腕によりをかけて料理を作ってくれた。立派なウェディングケーキはないが、ポアロ自慢の料理が所狭しと並んでいる。マスターのコーヒーも梓さんのカラスミパスタも絶品だった。でもやっぱり降谷さんのハムサンドが1番だと思ったことは内緒だ。
少年探偵団は手紙と花束と歌のプレゼントしてくれた。いつの間にか3人ともこんなに大きくなっていた。歩美ちゃんはすらっと背が伸びて、美人になっていた。円谷くんはいつか見たお姉ちゃんそっくりになっていたし、小嶋くんはがっちりとして立派な身体になっていた。大きくなったとは言えどもやっぱり3人は3人で、話している時はまるで灰原哀に戻ったかのような温かい気持ちになった。
メアリー叔母さんや武務さんからは、たくさんの食器をもらった。お母さんの代わりに、少しだが嫁入り道具として持って行ってくれないか、と言われた。
蘭さんからは今治のタオルをもらった。工藤くんがホームズ全巻を渡そうとしたため、速攻却下したらしい。流石ポンコツラブコメ探偵。流石頼れる蘭さん。でも工藤くんのスピーチはとても上手で、不覚にも泣いてしまった。それは私だけじゃなくて、私や降谷さんの事情を知る周りの人も泣いていたし、降谷さんだって目が潤んでいた。
他にもたくさんの人からたくさんの祝福の言葉とものをもらった。
ささやかとは言葉だけで、私には釣り合わないほど盛りだくさんで豪華な披露宴だった。
とても幸せな時間だった。
生まれて初めて、こんなに祝福してもらった。
パーティーの翌日は、2人で降谷さんの同期の墓参りをした。まだ結婚の報告をしていなかったからである。
宮野家の墓はないため、途中でお姉ちゃんの最期の場所も訪れた。お母さんとお父さんが亡くなった場所であろう、火災のあった研究所の跡地も訪れた。
それから、降谷さんが生まれ育った土地に行った。宮野医院のあった町である。
近くのコインパーキングに車を停め、2人で町を歩いた。
降谷さんが子どもだった頃と町の風景は大きく変わっていて、変わっていないのは道の形ぐらいだったそうだ。ここは親友とよく行った駄菓子屋、ここは毎日のように遊んだ空き地、と今はない面影を指して一つ一つ思い出を聞かせてくれた。
私が唯一行ったことのあった宮野医院だった場所も、建物が建て替えられていた。新しい家が二軒。どちらにも子どもの遊び道具が置いてあったから、子連れの家族が買ったのだろう。仲良く暮らしているだろうか。子どもたちは幼なじみになるだろう。いつか工藤くんたちのように恋人になる可能性もあるかもしれない。
道路を歩いていると、小学校が見えた。
「そうだ、ここ」
突然、降谷さんが歩くのをとめた。
くるりとこちらを振り返る。
「初めて、会った場所」
車通りの少ないのどかな道だった。放課後の児童クラブだろうか、学校の方から微かに子どもの声が聞こえる。
誰に、なんて言わなくてもわかった。
「元気で気が強そうな子だったよ。強引に宮野医院に連れてかれて。それが、僕と宮野家の初めての出会い」
「そう…」
声が震えた。
まだ、私が産まれる前、宮野家が普通の家族だった頃。家族が穏やかに暮らしていた場面が少し、見えた気がした。
「今思えば、明美はキューピットだったな。エレーナ先生と出会えて、こうして志保と家族になれて」
「…」
「助けたかった…なあ…」
堪えきれなくて、涙がこぼれた。
降谷さんを見れば、彼の瞳から大粒のアクアマリンがこぼれ落ちるところだった。
たまらなくなって降谷さんの胸に飛び込む。ぎゅっと服を掴めば、降谷さんもぎゅっと抱き返した。
「ごめんな…ごめん、守れなくて。1人にして、ごめんな…」
降谷さんの悲痛な声に何も返せなくて、ただただその胸で声を押し殺して泣くことしかできなかった。
お互い服がぐちゃぐちゃになるのも構わず、長い間抱き合っていた。
降谷さんの小さな嗚咽が耳にこびりついて離れなかった。
「エレーナ先生、厚司先生、明美。もう志保を1人にしませんから」
ようやく涙が落ち着いてきた頃。声がして顔を上げると、降谷さんが空を見上げて呟いていた。
いつの間にか青かった空はオレンジがかり、一番星が輝いている。
「だから、見守っていてください」
「お姉ちゃん、お母さん、お父さん」
私も、空に呟いた。
「私、3人の分まで」
後に続いた言葉を聞いて、降谷さんは驚いてこちらを見た。泣いて腫れた目を開いたその顔がおかしくて、私はくすりとわらった。
ーー3人の分まで、零さんを幸せにするからーー