台湾料理を食べる降志「ありがとう。君のおかげで全て終わったよ」
乾杯、その言葉を合図にグラスを打ち付ける。片方は烏龍茶、もう片方はアイスミルクティー。目の前には湯気を上げる食事。
降谷と志保は、一緒に食事に来ていた。
深夜に台湾まぜそばを食べに行ってから2週間。降谷との再開は案外早くやってきた。
『先日の件で君にお礼がしたい。何でも言ってくれ』
何でもない平日、お昼にさしかかった午前11時過ぎ。突然ふらっと現れた公安はこう言った。なんでも、前回の事件について、犯人の確保から証拠、報告書類等々、全てを終えることができて少し時間が空いたらしい。
急に欲しいものを言われても困ってしまう。フサエブランド、有名ホテルのアフタヌーンティー、新しい試薬、最新の実験器具…。少し悩んで志保が選んだのはランチだった。特に理由はない。たまたまそんな気分だっただけ。
『ランチがいいわ』
『ランチだけでいいのか?』
ランチと答えたことに対して、降谷は意外そうだった。
『これから?』
『ええ。まだ食べてないでしょ?』
『わかった。少し待って』
マップアプリを使い、すぐに店がピックアップされていく。イタリアン、フレンチ、中華、焼肉…。そんな中で志保が選んだのは台湾料理店だった。
台湾という文字を見た途端、あの夜の幸福な気持ちが蘇ったのだ。
「さ、冷めないうちにいただこう」
降谷の声に我に返る。
「「いただきます」」
手を合わせてから、志保はスプーンを持った。
台湾料理は台湾料理でも、今日はまぜそばではない。ご飯物である。
台湾鶏肉飯。鶏肉飯と書いてジーローハンと読むらしい。
台湾とつくため唐辛子やラー油を使ったような赤くて辛いものを想像したが、出てきた料理は白ご飯に茹でた鶏肉とトッピングに白ネギをのせたシンプルなものだった。
「おいしい…!」
一口食べて、志保は思わず声を上げた。
鶏肉の旨み、白米の甘み、玉ねぎの香り、ほんのりお酢の酸味。爽やかな後味を残して消えていく。決して日本人に馴染みのない味ではないのに、初めて食べる味だ。使われているのは鶏胸肉。細かく解されていてタレがしっかりと絡む。サッパリしていていくらでも食べられそうだ。
「よかった」
そう言って微笑む降谷は、大盛りの魯肉飯を食べている。
スプーンで掬って、大きく一口。あっという間にお椀の中身が減っていく。相変わらず気持ちの良い食べっぷりだ。
「食べる?」
「え?」
志保の視線に気づいた降谷が言った。
「食べてみたそうな顔してたから」
「そんなに食い意地張ってないわよ」
恥ずかしくなってふいっと顔を逸らすと、目の前にスプーンが差し出された。
スプーンの上で、肉と大粒の白米が茶色のタレを被ってツヤツヤと輝いている。
「ほら、零れちゃうから」
「…もう」
仕方なく口を開ける。
魯肉飯を口に含んだ途端、八角の独特な香りが広がった。
別に食べたかったわけじゃない。そうじゃないけど。
(美味しい…)
日本食にはない独特な香り。それがどこか癖になる。解した胸肉を使った鶏肉飯とは違い、魯肉飯には角煮のような肉厚な豚肉が使われている。赤身の歯ごたえと溢れる甘い脂が志保を虜にした。
(次来たら魯肉飯を頼もう)
そうこっそり胸に誓った。
「どう?」
反応のない志保の顔を降谷が覗き込んだ。
「ま、まあまあね」
「ふふ。君は天邪鬼だなぁ」
お見通しかのような降谷の表情に悔しくなって、志保は小皿を手に取った。
今日のランチは台湾セットだ。メインの鶏肉飯以外に、点心が5つ、選べるおかずとデザートが1つずつ、そしてドリンクが付いている。
志保が選んだおかずは春巻きだ。食べやすいように半分にカットされており、透き通ったタレがかけられている。
箸で取って一口齧った。
「!」
パリパリと春巻きが軽い音を立てる。外はカリカリなのに中の餡はトロトロ。そのコントラストが美味しい。揚げ物のはずなのに油っこくない。タレはほんのり甘く春巻きによく合っていて、あっという間に食べ終えてしまった。
次は隣の蒸し器に手を伸ばす。竹で編まれた蓋を開けると、真っ白な湯気が立ち上った。蒸し器は二段になっていて、上には小籠包が2つ、下には3種の蒸し料理。メニューには豚焼売、海老蒸し餃子、フカヒレ蒸し餃子と書いてあった。酢醤油を付けていただく。どれもまだ熱々で、皮がもっちりしてジューシーだった。
志保が一番気に入ったのは海老蒸し餃子だ。ぷりぷりの海老がゴロゴロと入っていて、噛む度に海老の旨みが溢れ出る。降谷も満足そうに頷いていた。
最後のデザートは豆花だ。台湾カステラと散々悩んで決めた。
見た目は杏仁豆腐にそっくり。細かく刻まれた寒天と赤い何かがのっていて、不審そうに見ていると降谷が「クコの実だよ」と教えてくれた。
もったりした白い生地、ほんの少しざらりとした食感と、豆乳の優しい甘さ。あっさりしていて食後のデザートにピッタリだ。
先にエッグタルトを食べ終えていた降谷が語り始めた。
「豆花は豆乳に硫酸カルシウムを加えたものでーー」
全ての皿が空になって、一息。そしてミルクティーを一口。普段飲むペットボトル飲料より豊かな香りと柔らかなミルクの甘みが口の中に広がる。
密かに多いのではないかと心配していたが、ペロリと全て入ってしまった。全体的にあっさりとしていて罪悪感もない。
「美味しかったわ」
そう呟くと、ミルクティー色の髪をした彼は、気のいい笑顔でサラリと言った。
「また頼むよ」
「またって貴方ねぇ…。ちょっとは遠慮してよね。こっちだって忙しいんだから」
…嘘。本当は降谷からの依頼なら何だって嬉しい。
でも口からついて出てくるのは悪態ばかりだ。だって、今更素直になんてなれないから。
『オメー、可愛くねーな』いつか、どこかの探偵さんが言っていた言葉が蘇る。
余計なお世話だ。
「そこはすまないと思ってるよ」
申し訳なさそうな降谷の顔に、慌てて「どうしてもの時だけよ」と付け足す。
頼られるのは嫌いじゃない。降谷に必要とされるのは嬉しい。降谷の力になれるのが嬉しい。
素直じゃないのはわかっている。でも今更どうしようもないのだ。
そんな気持ちを分かっているのかいないのか。降谷のことだから、全てお見通しなのかもしれないし、でも見透かされてほしくない気持ちもあって。
会計を済ませて店を出る。
屋上の駐車場に戻ろうとして、志保が足を止めたのは星が描かれた看板の前だった。
「プラネタリウムだね」
「こんなところに?」
ここはショッピングモールだ。プラネタリウムは科学館や天文台でしか聞いたことがない。
「科学館みたいに本格的なものではないけど。映画みたいに、天井のスクリーンに星を移すそうだよ」
「そう…」
「行ってみる?」
「時間、大丈夫なの?」
「緊急の呼び出しがなければね」
降谷はさっとチケットを買うと、入場ゲートに志保を引っ張った。
「この回、あと3分で始まるから」
手を繋いで黒のトンネルを進んでいくと、ぽっかりと頭上がドーム状に空いた空間に出た。
平日の昼間であるため客は疎らだ。間もなく上映が始まるとのアナウンスが入って、急いで座る。
志保達が最後の客だったのだろう、2人が席についたとたん、場内の照明が落とされた。
さあいよいよ始まる、そんな時に隣から聞こえたのは小さなバイブ音。
その後に聞こえたのは案の定。
「ごめん、呼び出しが」
耳元で囁かれた声。やはり、そうくると思った。
「いいわよ」
「帰りは」
迎えに行く、と言いそうな降谷の声を遮って答える。
「電車で帰れるわ。だから大丈夫」
早く行ってきなさい、と促せば、降谷はもう一度ごめんと囁いて足早に出ていった。
彼が出ていった扉が閉まった途端、頭上に光が広がった。上映の開始だ。どうやらストーリー仕立てになっているようで、ナレーションが物語を語り始めた。星の光が志保を包んでいく。
ゆっくりと伸びをして、椅子から立ち上がる。上映はあっという間だった。科学館の立派な投影機に比べれば美しさは劣るが、物語に合わせたアニメーションがついた上映は面白かった。降谷と一緒だったら、この後散々ウンチクを語るのだろう。降谷のウンチクも嫌いじゃない。彼の話は面白いし、話している彼の顔は随分と表情豊かで、それを眺めるのが楽しかった。胡散臭い笑顔だった安室と違い、柔らかで飾らない降谷本来の表情を見られるのが嬉しかったのかもしれない。
隣に降谷がいないことを寂しく感じつつも、久しぶりに服でも買って帰ろうかしら、なんて思いながらスマホの電源を入れた時だった。
『志保さん、至急この解析を頼む』
3分前の時刻に届いていたメールにため息をつく。
「今度は新作のフサエブランドを請求してやろうかしら」
足早にショッピングモールのゲートをくぐる。
少し胸が高鳴っているのは、プラネタリウムが綺麗だったからだ。
決して、降谷からのメールではない。