泡雪の君 確かにそこにいるのに目を離した隙に消えてしまいそうな君。今降るこの雪と何ら変わらない。雪は春になると跡形もなく溶けていってしまう。君も俺が見ない隙に溶けて消えてしまうような、儚くて、朧げな雰囲気の中、そこに佇んでいる。ただ、真っ直ぐに。
ここの町は雪が降る地域だ。私ももう何年もここに住んでいるからここの地形や気候が分かってきた。なぜこんな所に住んでるのかなんて、この男に聞けばわかるのだろうが忘れてしまった。私にはもうそんなことは記憶に残すような事ではないからだ。
今年は記録に残るほどの大雪で見たこともないくらい積もっていた。私はしんしんと降るような粉雪が好きなのだが、目の前の光景は全然違うようだ。昔住んでいた地域ではあまり雪は降らなかったため、この光景は絶景だ。私は目を光らせ、外に出ようと足を動かした。ニットだけでは寒いか、ならカーディガンを羽織ろう。クローゼットに手袋もあったな。それも持って行くか!
「何してるの」
静まり返っていた室内に男の声が響き渡り、私の耳を通る。
「雪を見に行くのだ」
雪を見に行くというのは間違いでは無い。なので嘘はついていない。
「そんな格好してたら風邪ひくでしょ」
「…それではジャケットも羽織ろう」
「俺も行こう」
「は?」
「こんな大雪じゃどうせ雪かきしないといけなかったし。クラピカが外に行くって言うんだがら、いい機会かなって」
「勝手にしろ」
「取り敢えず、その服はやめようか」
こいつも来るのか、なんだか気が乗らないな。後ろで準備をするクロロの横で、ニットとカーディガンを羽織り、もこもこのスウェットと手袋を履いた私は、ただ佇ずむ。…そんなにこの格好は寒かっただろうか?
隣で本を読んでいたら何か思いついたかのようにクラピカが急に立ち上がるから驚いた。後ろのクローゼットからカーディガンと手袋を取り出し、なにやら外に出る準備をしているようだ。さっきまでクラピカが読んでいた本は確か、雪にまつわる本…。成程、これに影響されたわけか…。
とりあえず、先程のトンチキな格好はやめさせ、クラピカと一緒に外へ出る。いつもとは違う大きく膨らんだシルエットに思わず笑みが零れる。金の髪が冬の空に煌めきを放ち、風になびく。今までにない雪に驚いたクラピカは降り積もる雪に足を突っ込み、じたばたと動きはしゃいでいる。その様子がまるで子供のようで、見た目はヴィーナスのようなのに、その見た目との相違が奇麗で可憐だ。
「クロロ!何をしている!早く雪かきしろ!」
ヴィーナスの声によって意識がのぼる。どうやら美しいクラピカの姿に見蕩れていたようだ。ふと俺と目が合うと、頬を紅潮させぷいっとそっぽを向くクラピカ。そんなクラピカが愛らしくて、愛おしい。
俺たちが住んでいるこの家は、かつての家主が引っ越すことになり、譲り受けたものだ。ここの土地は広大で家の周りにぐるっと囲うように緑が生い茂っており、あの森を浮かび上がらせる。庭から外門まで少しあるため、この時期になると雪かきをしなければならない。ここの庭には椿が植えてあり、今の季節では真っ白なこの土地に、紅い芽がぽつんと花を咲かせている。
その光景はまるで俺たちのようだと、ふと思い返す。今まで何もなかった俺の心に、急に現れたクラピカは、色のない世界に彩りを宿してくれた存在だ。今の俺は、クラピカなしでは生きていけないぐらい依存している。俺たちは一心同体でいわば、片身のようなものだ。少なくとも、俺はそう考えている。
物思いに耽っていると、突然どんっと後ろからクラピカが抱きついてきた。
「おいクロロ!まだ終わらないのか!」
腰に巻き付かれた腕は、厚手の服を着ているというのに冷たく、そのツンとした鼻も紅く染め上がり寒そうだ。恐らくひとり遊びに飽きたのだなと推測する。俺は巻きついているクラピカの腕を離し、しっかりとクラピカを抱き返す。そしてそのまま、真っ白な雪の中へ倒れる。
「わっ!急にどうしたのだ!疲れたのか?」
「クラピカが構って欲しくて抱きついてきたんだろう?」
「違う!あれはただの気まぐれだ!」
「じゃあ、俺が倒れたのも、俺の気まぐれ」
ヴィーナスの顔に金色の髪が散らばっている。その光景はとても神秘的で美しい。しかし本人は邪魔そうにしているので、髪を払い耳にかけてやる。俺が碧眼の目を見やると、瞳は美しく揺れ動き、擽ったそうに目を閉じる。陶器のような肌に、雪がクラピカの紅潮した頬にふと落ちる。暖かい体温の上に、まるで泡雪のように融けゆく。俺も目を閉じ、クラピカをさらにぎゅっと抱きしめる。抱きつく二人にしんしんと雪は降り積もる。このまま二人で一緒に雪の中へ沈んで、解けてしまおうか、クラピカ。
意識が遠のいてゆくその中で、頬に冷たいものが触れる。突然の冷温に、柄にもなく少し驚く。
「…!」
「眠そうだったから起こしてやった!目は覚めたか?」
目の前に俺の両頬に手をつける無邪気なクラピカの顔が見える。まるでいたずらっ子のように綻んだクラピカは、いつもよりあどけなくて、俺もつられて笑みを浮かべる。暫くそのままにしていると、足まで乗せてきたので俺もクラピカに反撃する。クラピカの手によって冷たくなった俺の頬をクラピカの赤らんだ顔にくっつける。
「わあっ!何するんだクロロ!つめたい!」
「クラピカがいたずらしてきたから、その仕返し」
「いたずらではない!クロロが眠たそうだったから起こしただけだ!」
「じゃあ、俺もクラピカを起こしただけ」
「私はすでに目は覚めている!」
俺の腕の中でじたばたと動く愛おしい存在に思わず慈しむ心が溢れる。俺の中の紅い君にそっとキスを落とすと、動いていた体は嘘のように静まり、紅い頬がさらに紅潮する。俺は、桜色の唇が微かに震えていることも見逃さなかった。…そろそろ家に戻ろうか。
「お腹がすいた」
「そういえばもう夕方だな。今日は何を食べたい?」
「…ビーフシチュー」
「君の望みのままに、クラピカ」
俺たちの周りだけ、時が止まっている。世界は騒がしく揺れ動いているのに、俺たちは和やかに、毎日を過ごしている。世間知らずと言われてもいい、クラピカが幸せであれば。さあ、もう行こうか。美味しい夕食の時間だ。
あいしているよ、泡雪の君。