多肉植物を飼う晴明さんのお話いつもの帰り道。毎日通る高架下に怪しげな露店が出ていた。繁忙期であったので定時を大幅に過ぎての帰宅だった為、駅の線路下のこの場所はオレンジの蛍光灯がじりじりと音を立てているだけで人気はない。そんな不気味な所に如何にも怪しい露店がひとつ。いつもなら気にも止めないだろうが今日は何故か立ち止まってしまった。簡素な机の上にケミカルな色合いをした謎のキラキラした液体が満たされたガラスのティーポットやら、虹色に輝く刺々しい石など、よく分からない物が色々と並んでいる。その中でやけに目を引いたのが小さな植物だった。
「やあ、このセンペルビウムが気になるかい?」
白いローブを羽織った露天商が声をかけてきた。ローブの影から除く瞳がきらりと輝いており、その声は人当たりの好さそうな感じがするがどうも胡散臭い。
「えぇ、まぁ。」
「いやぁ、お目が高い!この子は中身はあれだがいい子ですよ。いかがです?」
「いえ、そうですね…。」
露天商の言うことはよくわからないが、確かに惹かれる。
赤子の拳ほどの大きさで慎ましやかに収まる様に何故か同僚の彼の姿を重ねた。
彼は、大学からの同期生であったが、社会人となった今でも何の因果か同期となった。同じ部署の隣の課に配属された彼とは佳き友であり、好敵手である。デスクの向こうに見える大きな背中をぴしゃりと伸ばしてキーボードを叩きながら電話をする際に聞こえる声はとても澄んでいて、大きな体躯をしているというのに周囲に接する様は謙虚で奥ゆかしく、とても好ましい。その様が、何故か、この多肉植物と被った。
「リンボっていうんですよ。」
「え?」
「この子の品種です。」
子供の指先にも満たない葉を幾つも持つこの植物の品種はリンボというらしい。
「つま先がね、目が覚めるように色づくんだ。」
「はぁ。」
「どうする?」
どうすると聞かれたときには、植木鉢を手に取っていた。
「いくらなんです?」
値段を聞くと、露天商は白い歯を見せてさわやかに笑って金額を言った。特に高くもない値段。こういった植物の相場なんて知りもしないから、これが妥当な金額なのかはわからない。ただ、いくら値段を積まれてもきっと買っていたのだと思う。買ったほうがいい。勘がそう告げていた。こういったときの自分の勘が信用に値することをこれまでの経験上知っていたため迷いはなかった。
「うん。少し扱いづらいところもあると思うけど、君ならきっとうまくやれる。」
「…どうも。」
「あぁ、最後に。」
金銭を払い、足早に去ろうとして露天商の声がかかった。
「花が咲くとね、枯れてしまうんだ。君も彼も正直に、ね。それが一緒に暮らす秘訣だよ。」
意味の分からないアドバイスに首をかしげる。しかし露天商にこれ以上言うことはないという感じでニコリと微笑まれて、高架下の出口に向かって歩き出す。振り返ることはなかった。
購入した鉢植えを入れる袋など持ち合わせて居なかったので両手でしっかりと抱えながら、駅に滑り込んできた電車に乗る。スーツ姿のすらりと背の通った成人男性が両手に鉢植えを抱えているのが不審なのだろうか、真向かいに座った女性の視線が痛い。仕方がないだろう。衝動的に買ってしまったのだ。居心地が悪く、電車のざらついたシートの上で少し身動ぎする。最寄りの駅に到着して、改札を足早に抜けて自宅へ向かう。さて、彼を自宅の何処へ置こうか。ただの多肉植物なのだが、旧い親友を久しぶりに家に招くような浮かれた心地で残りの帰路を急いだ。
自分の部屋でありながら、男性独りが住むにはやや広いと感じるマンションの一室に明かりをつける。特に家具のこだわりもないので、必要なもの以外は飾り気のないリビングのソファーにジャケットとカバン、緩めたネクタイを投げておく。
さて、この子をどこに置こうか。特に考えもせず買った雑貨であるため、設置場所なんて特に決めていない。部屋を見回すが、置けるところはダイニングキッチンかあるいはソファーの前にある低いテーブルくらいだ。
迷った末に今日はとりあえず寝室のベッド脇に置くことにした。ただの植物なのだから適当な場所に置けばいいだけなのだが、何故かそれはできなかった。できれば吟味した最高の場所に置いておきたい。そう考えて、今日は一日目ということもありとりあえず無難にベッド脇に決めた。
遅い時間であったから夕食は別にいいかと思い、風呂に入るだけで就寝の準備をする。
さて、そろそろ眠ろうかとベッド脇を見たところで鉢植えが目に入る。植物なのだから、水でもあげた方がいいのだろうか。こうして植物の面倒を見るなんて小学校の夏休み以来だ。あの時育てた朝顔は、花を咲かせていただろうか。薄い記憶を頼りにコップ一杯の水をキッチンから持ってきて鉢植えに掛けてみると、リンボの葉の上に丸い雫が漂った。
「おやすみ。」
誰もいない部屋の何も言わない同居人に挨拶をして目を閉じた。