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    mireoudon

    腐タマイ専用になりつつある
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    mireoudon

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    菅→服の菅とモブ女の話
    ※名前ありモブ女がそこそこ出張ります

    バースデー・ケーキを灯して「あれ。夏樹くん本読むの?意外」
    改札を出てすぐのロータリーで菅野を待っていたその女性は、少し急いだようにこちらに向かってくる菅野の姿を認めて、開口一番そんなことを言った。どうやら菅野が手にしている買い物袋を見て、不思議に思ったらしい。都心部から少し離れた駅は、夜も更けって閑散としている。鼻の先を赤くして、ゆっくりと白い息を吐き出す彼女の様子に、申し訳なさから小走りに駆けつけた菅野は、その間の抜けた発言に肩透かしを食らったような気持ちになった。
    「待ち合わせまで時間あったから、途中で寄ったんだよね。まさかその後駅で足止め食らうと思わなくてさ〜。遅れてごめん」
    「いいよ、そんなに待ってないし。どんな本読むの?」
    真っ直ぐに下ろしたセミロングの黒髪を揺らして、彼女が笑う。その様子を見て、菅野は深い安堵とともに息を吐いた。
    乗る予定でいた電車の一つ前で起きた人身事故。事故現場は三駅ほど離れていたが、結局事態が片付くまで車両運行は中断、予定時刻から一時間ほど立ち往生を余儀なくされた。それが不慮の事故だったのか、はたまた故意に飛び込んだのかは菅野の知るところではなかったが、こういった場面で感じる虚しさを、菅野はいつもうまく言葉にすることができない。けれどもそれは、少なくとも今この場で表に出す必要があるものではない。菅野は吐いた息一つでそれを横に置いておくことにした。
    乾いたアスファルトに鈍く鳴る二人分の足音は、静まり返った路地裏によく響いた。のんびりとした彼女の歩幅に合わせて、菅野も歩くペースを落とす。目的地まではあと五分ほどかかるだろう。
    「んー、普段はそんなに読まないんだけど。今日はちょっと、知り合いが読んでるの見て気になってさ。愛についての哲学書」
    「え、似合わな」
    「失礼だな〜」
    色の濃い袋に収まったその本のタイトルは、先日服部のデスクで見かけたものだ。扱う題材が題材なだけに、特に荒木田あたりは見かけた際の反応に困っただろうが、菅野は単純に興味が湧いて、同じものを手に取った。元々読書家だということは知っていたし、読むものに選り好みをするようなタイプでもないのだから、深い意味なんてないのだろうけれど、本当になんとなく。つまるところ、それは本への興味と言うよりは、この本を選び取った服部への興味だったのだが。
    「だって夏樹くん、恋とか愛とかそういうのに関してそこまで考える方に見えないっていうか。結局どんな理屈並べ立てたって、自分の中のこの気持ちが全て!って感じで突き進んでいきそう」
    「そう見える?こう見えて慎重派なんだけどな」
    「自分で言うんだそれ。でも、慎重に動くことと迷わないことって別じゃない?」
    足取りに合わせた軽快なテンポで進む会話の中、ぎくりとした。菅野自身、恋とか愛というものに全く関心がないわけではないし、何一つ考えていないわけでもない。けれど彼女の言うように、己の感情の形が明確になれば、それを信じて進むだけなのだ。そう、名前をつけることができれば。
    「そういう真昼は迷わなかったんだ?」
    「そりゃ多少は迷ったりしたけど……って、私の話はいいでしょ」
    はぐらかしたのを知ってか知らずか、先ほどより少しだけ頬を染めた彼女がはにかむのを見て、菅野も緩やかに微笑んだ。
    彼女、花岡真昼との付き合いは、そろそろ半年ほどになる。所謂逆ナンのような形で声をかけられたのが最初だったが、それはほとんど体を成していなかったし、誘いというよりは懇願だったように思う。
    端的に言えば、彼女はストーカーの被害に遭っていた。
    相手は彼女が働く店の常連で、彼女が入社してから2ヶ月ほど経った頃から付き纏うようになったらしい。そんな彼女には恋人がいるのだが、彼女の恋人も女性だったことが事態をさらに悪化させた。初めは付き纏いだけだったストーキングが、帰宅時の待ち伏せや恋人が家に一人で過ごすタイミングで脅迫に近い電話をかけるといった行為に、みるみるエスカレートしていったのだ。警察に連絡をしても具体的な対処に動いてもらえず、店の上司に持ちかけた相談はお得意様との揉め事を避けたい意向で蔑ろに済まされてしまって、心身ともに疲弊していた彼女が出た捨て身の行動が「赤の他人を巻き込む」だった。
    そんな彼女との間柄は、二人で(時に彼女の恋人も交えた三人で)食事や酒の席を共にし、定期的に近況を報告しあい、予定が立てば顔を合わせて、そうでない時はすっと間が開くような、その程度の至って健全なものである。ちょうどいい距離を保ったこの奇妙な縁を、菅野は気に入っていた。
    それから他愛無い話を続けていれば、あっという間に店に着いた。コートを預けて席に着けば、ぼんやりと夜を照らす落ち着いた店内の雰囲気に合わせて、弾んでいた気分も落ち着いていく。
    「それじゃ乾杯ー」
    「かんぱーい」
    それぞれのグラスをささやかに重ねて、アルコールで喉を潤す至高を噛み締める。一度にビールグラスの半分は減らした菅野に対して、好んで量を飲む方ではない彼女はソーダ割りの梅酒を慎ましやかに一口飲み込んでグラスを置いた。
    互いの近況報告から始まった飲みの席は、次第に彼女の独壇場になっていった。話の主題は、真昼の恋人、花帆との日常について。所謂惚気話だったが、例えばこの前振る舞ってもらったお手製のパスタが美味しかったとか、雨上がりに見えたらしい虹の写真が送られてきて嬉しかったとか、そういった他愛ない幸福の話を聞くのは心地が良かった。今でこそこうして快活に笑えるようになった彼女も、半年前に出会った時には憔悴しきった様子だったことを思えば、現在こうして気兼ねなく街中を歩いて、平穏無事に過ごせている彼女の生活の一部に貢献できる己の仕事にも、さらに張り合いが増すというものだ。
    「で、この前までは物件探しでバタバタしててさ。やっぱり二人で住む家となるとなかなか決まらないね」
    「二人ともこだわり強い方なんだ?」
    「お互いにそれなりにかも……?窓からの光の入り方とか、キッチンの配置とか、環境音が気にならないかとか。気になりだすと止まらないんだよね」
    彼女たちは、春を境に都内を離れるための準備を進めている。具体的な話を聞いたわけではないが、花帆の実家に近いところに二人で住むことにしたらしい。ストーカー被害には実刑がついたものの、釈放後の動向に一抹の不安は拭い去れないとの判断だった。
    「落ち着いたらまた気が向いた時に連絡してよ。遊びに行くのは難しいと思うけど、元気に過ごしてるってわかるだけでこっちも安心だから」
    「もちろん。ありがとね」
    その一言に滲んでいたほんのわずかな寂しさに気づいてしまって、菅野は一瞬息を止めた。その漠然とした虚しさは、駅のホームに立ち尽くしたあの時の、足先からすっと冷えていくような感覚と同じだ。彼女は、一瞬だけ揺らいだ菅野の瞳に気づいてはいない。それだけが、今の菅野を安心させた。
    「ほんと、あの時話聞いてくれたのが夏樹くんでよかった。どうやって相談したら動いてもらえるのかとか、証拠の残し方とか、ちゃんとしたやつが返ってきてびっくりしたもんね」
    「流石に本職だからな〜」
    「ほんと、最初は信じてなかったもん。そんなできすぎた偶然ないでしょって」
    「そう言えばあの時なんで俺に声かけたの?」
    「あの日見た中で一番目立つというか、印象に残ったから。その顔の良さが」
    「アハハ、顔良く生んでくれた両親に感謝だな〜」
    父親はともかく、母親は顔もよく覚えてないけど。そんな言葉は、開けた五杯目のビールと共に飲み込む。少なくとも、この場で彼女を不用意に困らせるのは本意ではなかった。
    大抵のことには物分かりよく生きてきたつもりだったが、その中で感じた痛みを全て無かったことにしてしまう自分の性質は、ある種の不実だと服部は言う。己の痛みに真正面から向き合わずにいられるからこその無茶を、便利なんて言葉で済ませるなと、何度も叱られた。けれど菅野にはこの性質を、どうにもならないものだと割り切る以外に取れる方法がない。自分の体質だけではない、両親の死も、日々扱う事件の数々も、こうして根本的な生活環境からの自衛を余儀なくされた彼女も、今日の人身事故も、全て。どうにかならなかったんだろうか。……ならなかったんだろう、だから悲劇は起きる。それだけが真実だ。いずれにせよ、そうした悲劇が少しでも減るよう自分に出来ることをするしかないのだが、もうすでに起きてしまったこと、どうにもならないことに対して上手く心を砕けないのは、きっと。それに向き合い続けることを、耐え難いと一度でも思ってしまったからだ。だから、最悪の事態を回避することにしか、意味を感じない。それを、上手く言葉にできずにいる。
    服部は、全てのことを「仕方がなかった」で済ませることができない人だ。その姿に憧れて、自分もわかりたいと思った。いつの間にか手放してそのままだった、痛みを。
    「……これ、聞いていいか悩んでたんだけどさ」
    「何よ改まって」
    ちょうど食事もひと段落して、各々頼んだお酒を少しずつ嗜むくらいのタイミング。テーブルの上には空いたグラスと、綺麗に平らげた茶碗蒸しの器が残されるばかりだ。場の空気が神妙さを帯びてきて、菅野は一呼吸置いてから真昼に問うた。
    「同性同士ってどんな感じ?」
    聞いていいか、というよりは、どのように聞いたらいいかが分からなかったから、いつになく慎重になっていたらしい。それを聞いた彼女は「いきなり真面目な雰囲気出すから何かと思うじゃん」と、張った肩の力をあからさまに抜いて見せた。
    「別に、異性を好きになるのと変わんないと思うよ。変わらないっていうか……結局、好きになった人がたまたま女の人だったってだけ」
    「たまたまかあ」
    「というか、夏樹くんもそこそこ一緒に食事行ったりしたんだから、それこそどんな感じかは見てればわかるんじゃないの」
    「へえ〜……言うねえ」
    「真面目に噛み締めるのやめてよ恥ずかしい……」
    「はは、自分で言っといて」
    真昼がこの問いを正面から受け止めてくれたことにほっとして、菅野も少しずつ気を緩めた。そうして、たまたまの一言を心の内で静かに、何度も反芻した。人を信頼ないし尊敬する上で重要なのは個人の人となりであって、そこに性別の問題は大きく関わっては来ないが、殊更恋と名前のつくものは、なかなかそういう訳にいかない。そんな一つ目のジレンマを、彼女はシンプルにほどいてみせた。言われてみれば全くその通りなのだが、自分も存外枠に収まることに安心する質だったのかもしれない。
    「ていうか何。夏樹くんにも春が来たって話?」
    「ん〜、それがはっきりしないから、柄にもなく本なんか買ってみたりしちゃったわけなんだけど」
    「へー。ヒントくらいにはなるといいね」
    「ヒントかあ」
    「答えは自分で見つけるしかないからさ、こういうのは」
    自分を信じることができる人は強い。その何気ない一言にすっと通った芯を、菅野は眩しく思った。
    「今のめっちゃ大先輩って感じ」
    「そんなんじゃないし。ちなみにどんな人なの?」
    彼女が無邪気にそんなことを聞いてくるから、菅野は脳裏に容易く浮かぶその後ろ姿を想って、笑った。空いた食器が回収されて、名残惜しく揺れるグラスの中身もいよいよ尽きようとしている。終電が駅を出てから一時間が経っていた。
    「ん?直属の上司だよ。俺の憧れで、理想の人」
    その憧れが、憧れだけで済まなくなってしまったことに、気づいたその日から。



    タクシーを呼んで、互いに帰路についた後。行きより更にふわついた足取りで帰宅した菅野は、そのまま寝床に飛び込みたい衝動を抑えてどうにかシャワーを済ませた。汲んだ水を煽って一息つけば、回っていた酔いも幾分か冷める。ベッドサイドに腰を下ろした菅野が煙草の代わりに手に取ったのは、袋に入れたままの哲学書だった。
    取り出してぱらぱらとページを捲ってみても、ただでさえ酒が回って思考もおぼつかない頭が、適当に流し読む情報を吸収してくれるはずもない。それに加えて、簡易なランプをつけただけの部屋は薄暗くて、夜目に慣れない状態では上手く文字を捉えることもできなかった。そもそも、同じ本を手に取ってみただけで、服部の考えを推し量ることなんて、できやしないだろう。彼がどうしてこの本を手に取るに至ったのかも、どういった心境で読み進めていったのかも、何か得るものがあったのかも、きっと何一つわからない。わかっているのは、積もった感傷がそこには確かにある、ということだけ。
    服部は、折り合いをつけるのが上手いように見せるのが得意だ。けれど、その心の内には、割り切れないままのものがたくさん渦巻いている。服部は、取りこぼした事実ばかりを拾い上げてはその懐にしまい込む。すっと迫る虚しささえ飲み込んで、全て自分のものにしてしまう。どこまでも己の正義を貫くその姿に憧れて、わかりたいと思って——その渦を見つけてしまって、堪らない気持ちになった。
    幸せでいてほしい、と思う。祈りのようだったそれは懇願に変わって、いつしか、手を伸ばさずにはいられなくなっていた。それはたまたま、だったのかもしれない。これを恋と名付けてしまえば、彼女の言うように己の想いだけを信じて猪突猛進出来たのかもしれないが。それでも、安易に名前をつけて収めることがどうしてもできなくて、菅野は未だにその感情に明確な形を与えられないままでいる。言われるまで気がつかなかったが、いつになく思い切りが悪いのかもしれない。
    あの人はどうだろう。たまたま、気が向いたりしないだろうか。掴んだ手を、振り払わないでいてくれたりしないだろうか。
    「……どうだろうな〜」
    きっと、名前は必要ない。明確なかたちを持たなくたって、その背中を追い続けることはきっとできる。けれど、隣が欲しいと思ったから。必要なのは、一歩踏み込む覚悟だけ。
    その手を取りたいと言ったら、彼はこの想いに名を、形を与えてくれるだろうか。そうすることを、許してくれるだろうか。そんなことを思って何気なく手を止めたページで、その一言に目が留まった。
    『誰かを愛そうという時、幸福になることを願わない人はいない』
    そうだといいと思った。きっとそうだとも思った。祈るような思いを本の中に閉じ込めて、未だ明かりの灯らない夜と共に、眠りにつくことにした。
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