夏の贈り物「虫の知らせだったのね」
たまたまマンションを訪れた母親が、出迎えた健司の様子を見てため息をついた。
「別にただの風邪だ」
「真っ赤な顔して何言ってるの」
玄関で母親に無理やり回れ右させられ寝室まで背中を押される。
もうろうとした頭でついこの前も幼馴染と同じ事をしたなと、妙な既視感に襲われた。立場は逆だったが。
「熱は?」
「さぁ?体感38度くらいか」
「ほんと雑なところ相変わらずね。彰良くんも大変そう」
母親が呆れたように言いながらリビングの棚からめざとく救急箱をみつけて体温計を取り出した。
「なんでそこで彰良の名前が出てくるんだよ」
ベッドに腰掛けながら母親から体温計を受け取る。
「また届いたから。高槻さんから御中元のカルピス。一本冷蔵庫に入れておくわね」
「それでわざわざ来たのか・・」
「ちょうどよかったじゃない。作り置きのおかずも色々もってきたから、熱引いたらきちんと食べるのよ」
「・・・おう・・」
ありがとう、と口の中でもごもご礼を言うと同時に体温計から電子音が鳴る。
「・・38℃・・的中だな」
「なに満足そうにしてるの・・早く横になりなさい。お粥作っておくから」
言いながら母親が冷えたタオルを健司の額に乗せそっと頬をなでる。久々の母親のぬくもりに、恥ずかしいような、ほっとするような、複雑な思いにかられた。
「・・多分、必要ねぇだろ」
「もしかして彰良くん?きてくれるの?」
「さっきメールあった」
「あらそう。じゃあ御中元のお礼・・」
いいかけるが、ジロリと鋭い視線を向ける息子に気付いて肩をすくめる。
「・・は、言わない方がいいのよね。大丈夫、わかってる」
「頼むよ母さん・・」
そんな親子の会話を遮るようにインターホンがなり響いた。母親がモニターで確認すると大きな買い物袋を肩に提げた楽しげな様子の彰良の姿が写っていた。
「健ちゃーん、お見舞いに来たよ!」
「はーい、いま開けるわね」
「ん?」
インターホンから聞こえた明らかに健司とは違う声に彰良の表情が固まる。
「いらっしゃい彰良くん。久しぶりね」
「わぁおばさん、こんにちは!ご無沙汰してます」
両手を膝にあててぺこりと頭を下げる彰良に、母親がふふっと笑みをこぼした。昔から変わらない彰良のお辞儀の仕方だった。
「ごめんなさいね、わざわざ来てもらって」
「健ちゃんにはいつもお世話になってるので・・僕こそ親子水入らずの邪魔してません?」
「いやぁね、そんな他人行儀な。暑いでしょ、早くあがって」
母親に促され彰良がおじゃまします、と靴を脱ぐ。そして足早に健司の寝室に向かった。
「声かけても大丈夫だと思うわよ」
寝室のドアの隙間からそっと中の様子を伺っていた彰良に母親が声をかける。じゃあ、と彰良は下げていた荷物を下ろして寝室に入っていった。
「健ちゃん、大丈夫?」
彰良にしては控えめに声をかけると少しかすれた声で健司があぁと返事を返した。
「・・心配ない。少し疲れが溜まって熱が出ただけだ」
「忙しそうだったもんね。ゆっくり休みなよ」
ベッドの横のサイドチェアに腰掛けた彰良が白くて大きな手でそっと健司の首元を撫でる。
「・・あっつい・・熱高そうだね」
「まぁちょっと、だるいな」
そっか、と言いながら嫌がられないのをいい事に健司の頬に手を当てる。さっきまで炎天下の外にいたとは思えない彰良の手の冷たさがなんとも気持ちいい。自分の体温が高すぎるせいもあるのかもしれない。
「ゼリーとか、缶詰とか、アイスとか買って・・あ、アイス!!」
寝室の前に放置してある袋の存在に気が付き彰良が慌てて立ち上がったその時。お盆にコップを乗せた健司の母親が寝室に入ってきた。
「大丈夫、冷凍庫に入れておいたわよ」
「ありがとうございます、すみません・・」
一刻も早く健司の顔が見たかったのであろう、息子の幼馴染の様子に母親は優しく微笑んだ。
「喉乾いてるでしょ?カルピス、飲んで」
「わ、懐かしい〜」
たっぷり氷の入った白い乳酸飲料に彰良が目を輝かせた。
「健司も飲めそう?」
「飲む」
体をのそりと起こし母親からコップを受け取る。
「じゃ、私はお暇するから。彰良くん、悪いけどあとよろしくね」
「え?」
彰良が目を丸くする。どうみても健司の母も今し方着いたばかりだろうに。
「用事のついでに荷物届けに来ただけだから。ほんと、気にしないで」
普段から必要以上に佐々倉家に気を遣ってしまいがちな彰良の気持ちを察してか、健司の母はあっけらかんと笑った。でも、と何か言いかける彰良の言葉を遮るように言う。
「悪いけどあとよろしくね」
「…はい」
何かを振り払うように、にっこりと天使のような笑顔で笑う彰良を健司の母親は少し眩しそうに眺めた。
「・・彰良くん。何かあったら、遠慮なく言うのよ」
「はい、今でも健ちゃんには色々甘えさせてもらってます」
「これ以上遠慮無くされてたまるかよ・・」
苦い顔で吐き捨てる健司に母親と幼馴染が同時にこら、もう、っとそれぞれ責めるような声をあげる。
じゃあお大事に、と言って部屋を出て行く母親の背中を見送り幼馴染二人は無言でカルピスに口をつけた。爽やかな甘さと口にねっとりと残る独特の後味は相変わらずだ。
「美味しいね。子供の頃さ、うちからの御中元、カルピスだったよね。健司の家に遊びに行くたびに僕も飲ませてもらってた」
手の中でカラリと音を立てて溶けて行く氷を眺めながら彰良が少し遠い目をする。
「この時期になると健司のマンションにいつもカルピスあるの不思議だったんだ。先週来た時はなかったから。おばさんが持ってきたんでしょ」
「人んちの冷蔵庫の中身記憶してんじゃねぇよ」
健司が吐き捨てて一気にカルピスを飲み干す。
「まだ、届いてたんだ、うちから。ごめんね、さすがに迷惑だよね。秘書に言ってやめさせ」
気がつくと彰良の形のいい唇を自分のそれで塞いでいた。そしてすぐに顔を離す。
「風邪、うつしたら悪い」
バツの悪そうな顔で、健司が熱っぽい瞳を向けてくる。彰良は困ったような表情を浮かべてから健司からコップを受け取り二人分のそれをサイドテーブルに置いた。
そして堪えきれない様子で健司のベッドに身を乗り出す。
「いいよ。健ちゃんの風邪、ちょうだい」
言いながら彰良が健司に抱きついてくる。
「いいわけあるか。お前が風邪ひいたら面倒見るのは俺だ」
「それは責任とってよ」
そして健司を押し倒すように深く口付けた。さっき飲んだ乳酸飲料のせいで、お互いの唾液がいつもより粘着質に感じられて、図らずも彰良の体温があがる。それを敏感に感じた健司が彰良と体勢を入れ替えさらに深い角度で彰良の口内を舌で犯した。
軽く喘ぎながら彰良の体が緩く震える。
それを見届けてから健司はゆっくり顔を離した。
熱に浮かされた瞳で健司を見上げる彰良の頬をひと撫でしてから健司は力尽きたように彰良の横に突っ伏した。
「ご、ごめん健ちゃん!大丈夫?!」
「少し、寝る」
慌ててベッドから降りて健司が仰向けになる手助けをする。
「冷えピタ買ってきたから、持ってくるね」
言いながら出て行こうとする幼馴染を健司はか細い声で呼び止めた。
「なに?」
「・・やめなくていいから」
あまり見たことがないような縋るような顔の幼馴染の様子に彰良は息を飲む。
「・・迷惑でないなら」
彰良が答えると健司は安堵したようにすっと眠りに落ちていった。