策士策に溺れる ミスラの顔が好きだった。理由なんてないし、どのあたりがポイントなのかと聞かれても答えられないけれど、確かにミスラの顔はオーエンの好みだった。最初はその程度で済んでいたけれど、何の因果かミスラと言葉や拳を交わしているうちに、その声や強さも好きだと思った。
「恋じゃね?」
その話をしたら、ブラッドリーは興味なさそうにスマホを弄りながらそんなことを言った。
「鯉?」
「恋だよ、恋。恋愛感情ってやつだ」
「……恋」
初めて聞く単語のようだった。今まで散々他人の恋心や愛情を利用してきたけれど、まさかそんなものが自分の中にあるとは思わなかった。最初はブラッドリーが狂ったかと思ったが、その言葉に熱はなく客観的に見て思ったことを口にしただけのように見える。
「頭沸いた?」
「沸いてんのはおまえだろ」
挑発に乗ることなく、ブラッドリーは冷静に返してきた。いよいよ反論の言葉を思いつかなくなってきて、オーエンは会話を放棄した。
それが大体一年前の話だ。オーエンは偶然にも自分がミスラに恋心を抱いていることに気付いてしまった。だからと言ってどうすればいいのか。それが率直な感想だった。「好きです。付き合ってください」などというテンプレートな台詞をミスラ相手に言う気は起きなかった。そもそも付き合いたいと思うこともない。特別な関係になりたいとも思わない。ただ、自分に従順なミスラは面白そうだな程度には思う。そういう意味では恋人という関係も悪くないかもしれない。
ミスラはこの一年の間、女をとっかえひっかえしていた。オーエンも認めるほどの顔だから寄ってくる数も多いので、気に入った女を相手にするだけでも、月に何人という数になる。
正直面白くなかった。オーエンはもやもやした毎日を過ごしているというのに、ミスラは好き勝手に生きている。ミスラの所為でオーエンはこのような気持ちになっているのだから、相応の報いを受けてもいいのではないかとも思う。それを理不尽だとか八つ当たりだとか言ってブラッドリーは鼻で笑っていたが構うものか。自由奔放な男相手に常識なんてくそくらえだ。
ミスラの気を引こうとオーエンが思い至るまでそう時間はかからなかった。このもやもやをミスラも抱けばいい。それでようやくフェアだ。
オーエンは早速行動に移した。最初はミスラにアタックしている女を引っかけてみた。自分に言い寄って来た女が突然オーエンに懐いたらどのような反応をするのか試してみようと思った。
何人か奪った頃、ようやくミスラはオーエンがしていることに気付いたようで、「そういうのが好みなんですか?」と特に興味もなさそうに言ってきた。予想よりも反応が悪くてオーエンはがっかりした。
「おまえなんかを好きだって言う女がどんなものかと思ったんだよ」
つまらないと唇を尖らせたら、ミスラは妙に機嫌良さそうに笑っていた。
どうしたらミスラの気を引けるのか。SNSで大量のフォロワーを持つカインに訊いてみた。ある意味、カインは人の気を引くプロだ。相手がミスラでなければその意見は大いに参考になるだろうと思った。
「人の気を引く方法? 分からないなぁ」
カインは惚けた様子もなく、本当に分からないと言わんばかりに腕を組んで首を傾げた。オーエンは少しイライラしてカインに詰め寄る。
「あれだけフォロワー数稼いでおきながら、何言ってるのさ」
「そんなこと言われても、俺は俺の思う通りにやってるだけだからさ」
相談相手を間違えた。オーエンはすぐさま理解した。カインのように意図せずして人気を得るタイプも存在するのだ。少しも参考にならない。むしろカインの性格を把握しておきながら、どうして意見を聞こうなどと思ったのだろう。
オーエンは深いため息を吐いた。
「時間を無駄にした。お詫びに何か歌ってよ」
「俺の所為なのか!?」
カインはたいそう驚いていたが、「早く」と促せば「仕方ないなぁ」とどこからともなくギターを取り出して、姿勢を正した。
何度かギターを慣らしてから歌い始める。それは最近作ったと言ってSNSに上げていた曲だった。生で聞くのは初めてだった。それほど悪くない。校内で人目をはばかることなく披露していたものだから、自然と人が集まって来たけれど、オーエンは特等席を譲らなかった。
やがて、二番のサビが終わろうかという時、オーエンは観客の中にミスラの姿を見つけた。いつも通りの眠そうな顔で、じっとこちらを見ている。何となくその様子がいつもと違って見えた。
「ご期待に応えられましたか?」
曲が終わり、わざとらしい所作付きで訊ねてくるカインに、オーエンはにやりと笑った。
「もう一曲。騎士様が一番好きな曲を聞かせてよ」
「まったく。今日だけだからな」
そう言いながら、カインはギターを鳴らす。ギャラリーからも歓声が上がった。
オーエンはもう一度ミスラを見た。ミスラは眉間に皺を寄せていたが、オーエンと目が合うとふいと顔を背けてどこかへ行ってしまった。やっぱり、とオーエンは内心ほくそ笑んだ。これは使える。否、使わない手はない。
二曲目が終わって、ギャラリーも去った後、オーエンはギターを片付けるカインに詰め寄った。
「ねぇ、騎士様。かわいそうな僕のために協力してよ」
「は? かわいそうはともかく……協力って?」
「恋人ごっこをしよう」
ミスラはどうもオーエンがカインと一緒にいるのを見ると気分が良くないようだった。それがどのような感情からくるものかは知らないが、オーエンがよりカインとより親密なふりをすればその正体も明らかになることだろう。ミスラへの嫌がらせにもなって一石二鳥だ。
そういった事情を話せばカインはなぜか口をへの字に曲げた。てっきり、そんな不誠実な真似はできないと優等生のような綺麗ごとを口にするかと思っていたオーエンは、純粋に不思議に思って首を傾げる。
「話を聞く限りだと、ミスラは嫉妬しているように思うんだが」
「嫉妬? 騎士様はミスラを何だと思ってるの?」
「何って……ミスラはミスラだろ」
そう。ミスラはミスラだ。カインの認識はその点では間違っていない。
「ミスラが嫉妬なんてするわけない」
「え? は? おまえ、ミスラを嫉妬させるためにあれこれしてきたんじゃないのか?」
「違うよ。ミスラを僕に惚れさせたいだけ」
カインはなぜか腕を組んで唸った。俺が間違ってるのかとかそれがそういうことなんじゃないのかとかぶつぶつ言っている。オーエンは焦れてずいっとカインに詰め寄った。
「協力してくれるの? してくれないの?」
「……はぁ。少しだけだからな」
その日からオーエンとカインの恋人ごっこは始まった。ごっこ遊びだから必要以上に接触することはない。スマホで連絡を取り合うこともしなければ、積極的に一緒にいようともしない。ただ、ミスラがいそうな場所にはカインを連れて行ったし、ミスラの目の前ではスキンシップを多めにしておいた。カインは最初、そこまでするのかと驚いた様子でたじろいでいたが、その姿は初々しい恋人のようでオーエンを満足させた。ちらりとミスラを伺い見ると、やはり不愉快そうなオーラを纏っていた。
「いい気味」
ミスラのいないところでオーエンはくすくす笑った。この一年のもやもやをミスラも体験しているのだと思うと愉快で仕方がない。カインはそんなオーエンを見て呆れた様子だった。
「おまえを見ているといつもと違う曲ができそうな気がするよ」
どういう意味かと訊ねたがはぐらかされてしまった。
恋人ごっこはどんどんエスカレートしていった。オーエンは元からそうであるように、目的の為ならば手段を選ばない。
ミスラが通りかかることを計算した上で、カインにキスをした。とはいっても、ミスラから見たら唇が触れ合っているように見えただろうが、実際はふりだった。殺気のようなものを背に感じたけれど、それはすぐに霧散した。オーエンは笑い出してしまいそうだった。
「やっていいことと悪いことがあるだろ!?」
カインは顔を真っ赤にして怒っていた。
その日、オーエンは上機嫌だった。ミスラの気を引いた上に、カインの面白い姿が見られたからだ。歌でも歌いたい気分で家に向かって歩いていると、不意に背後から腕を掴まれた。立ち止まって振り返ると、眉間に深い皺を刻んだミスラの姿があった。
「何か用?」
腕を振り払おうとしたが思いのほか強く掴まれていて叶わなかった。ミスラはむすっと押し黙ったまま何も言おうとしないし、何もしようとしない。オーエンはため息を吐いた。
「用がないなら放して。おまえと違って暇じゃないんだ」
「……カインとデートでもするんですか?」
ミスラの口からカインの名前が出て、オーエンは顔に出さず笑った。一ヶ月足らずの恋人ごっこはオーエンが想定したよりも効果があったらしい。
「だったら何? おまえには関係ないだろ」
突き放すような言葉ではあるが、事実そうだ。オーエンがカインと何をしようがミスラには関係がない。当然の返答だったというのに、ミスラは珍しく動揺を顔に出した。深い緑の目が揺れる。まるで迷子の子供のように。
けれどそれも一瞬だった。すぐさまいつもの気怠げな面持ちに戻る。
「もう抱いたんですか? それとも、抱かれた?」
「なに、おまえ。僕とカインを見てそんなこと考えてたの」
オーエンは口元を歪め、空いていた手でミスラの頬に触れた。指先でそろりと撫で、耳元に唇を寄せる。
「僕が身体を暴かれて乱れる姿を想像した? やらしい」
「…………」
「騎士様ああ見えてとっても情熱的なんだ。紳士っぽく振る舞うくせに、ベッドの中だと獣みたい。マーキングするみたいに噛み付いてくるんだよ」
「…………」
ミスラは沈黙を貫く。普段ならあっさり挑発に乗ってくるくせに、今日は反応が悪い。挑発されていることにさえ気付いていないのだろうかと、身体を離してみた。
ミスラはオーエンを見ていた。ただそれだけだった。けれどその目の中には隠しきれない何かが静かに揺れていて、ぞくりとする。オーエンは笑おうとして失敗した。きっとこれはオーエンが見たかったものだ。ミスラの気を引くことに、確かにオーエンは成功した。唯一失敗したことがあるとすれば、やりすぎた。
ミスラとは何度も命を奪うようなやり取りをした。腹立たしいことにいつもオーエンが負けていた。ミスラから喧嘩をふっかけてくる時、ミスラはいつもこのような顔をしていた。少し種類が違う気もするのは、カインの曲を聞いていたあの日に見た不穏な陰が混ざっているからだろう。
『話を聞く限りだと、ミスラは嫉妬しているように思うんだが』
カインの言葉が蘇る。ミスラは嫉妬なんてしないとオーエンは思っていた。ミスラ自身がその感情を理解できるとは思わなかったし、嫉妬するならばオーエンに好意を抱いていなければならない。けれど目の前のこれは、見たことのある感情だ。オーエンは何度も他人のこのような顔を見て自分の好き勝手に利用してきた。ただ、ミスラから感じ取ったことは今の今までなかった。勘違いかもしれない。そう思いたかったけれど、オーエンは他人の感情に敏感だと自負している。これは間違いなどではない。
「むらっとしたんで抱きます」
「は?」
それは喧嘩をふっかけてくる時と同じ理由だった。
ミスラはオーエンの手を引っ張ったかと思うと軽々と身体を持ち上げて肩に乗せた。俵のように担ぎ上げられて、通行人がぎょっとした顔でこちらを見てくる。ミスラは少しも気にした様子はなかった。
「ちょっと、放して!」
「あなたが言う通り、あなたとカインがどういう関係だろうが俺には関係ないですし」
オーエンはミスラの肩の上でじたばたと暴れたが、怖いくらいミスラはびくともしなかった。そればかりか悠々と歩き始める。
「乱れるあなたの姿を想像したこともありますよ。いつだったかな? なんか、相手してた女がちょっとあなたに似ていて、あなたならどういう風になるかなって色々してみたんですけど……ああ、それの答え合わせが今日できるわけですね」
「ふざけんなよっ! 放せってば!」
いっそ誰か通報してくれないかと思ったが、如何せん、ミスラもオーエンも元不良校の制服を身にまとっている。地元の人間からしてみれば、関わらないに限る、だろう。
ミスラの家に着くまで、オーエンは誰にも助けてもらえなかったし、自力での脱出もできなかった。帰宅と同時に気が変わってくれないだろうかと期待したが、不運にもそのようなことはなかった。
ミスラはオーエンをベッドに放り投げると、仕事で使ったというネクタイでオーエンの手首を縛り上げ、それはもう身勝手に暴いた。途中で様子がおかしいと思ったらしいミスラに「カインとしてないんですか?」と聞かれたので、色々限界だったオーエンは大人しく「してない」と白状した。ついでに付き合っていないことまで言ってしまった。するとどうしたことかミスラの機嫌は急上昇して、それまでよりは少しだけマシな扱いを受けた。小さじ一杯程度の甘さだった。
ようやく解放されたオーエンは、ぐったりとベッドに沈み込んだまま動かなかった。さっさと出て行けと言われても、明日の朝までは居座ってやろうと決意していた。
ミスラは機嫌が良さそうだった。本人曰く「何かがすっきりした」らしい。あれだけ嬲って出すもの出したら当然すっきりすることだろうとオーエンは内心散々罵った。
「閃いたんですが」
どうせろくでもない内容だろうなとオーエンはぼんやりする意識の中で思った。ミスラはオーエンの隣に腰を下ろすと、無理やり顔を上げさせた。上機嫌な顔はムカつくけれど、オーエンの好みだったから見ていて悪い気分だけではないのが悔しかった。
「付き合いましょう」
「はあ?」
「恋人ってやつですよ」
「ヤだ」
一音ずつ区切って言って拒否した。しかしその程度でめげるミスラではない。更に言えば、人の話を聞く男ではない。
「あなたを抱いていると気分良かったですし、身体の相性も悪くありませんでした」
「ああ、そう。でも嫌」
「あなたなら孕んだりしませんし、恋人ヅラしてストーカーになることもないでしょう」
「そうだねで。でも嫌」
そろそろ飽きるか拒絶されているのを理解してくれないものだろうかと、オーエンは密かに願った。
けれどミスラはやはりオーエンの期待を裏切り、汗で額に貼り付いた髪を払い、顔を近づけてくる。
「あなた俺の顔好きでしょう?」
「……うん」
「なら問題ないじゃないですか」
どこからそんな自信が出てくるのか、オーエンにミスラの思考はさっぱり理解できない。
顔が好きだから何だと言うのだろう。好きなのは顔だけじゃないなんて、ミスラを喜ばせそうなことは死んでも言いたくない。
段々、深く考えるのが面倒になってきた。ミスラはいつもオーエンの予想通りにいってくれない。気を引きたかっただけなのに、あんな風に嫉妬して無茶苦茶に犯されるなんて思ってもみなかった。同じもやもやした感情を抱かせるのには成功したけれど、代償が大きすぎる。
けれど、目的を達した後、どうするかは考えていなかった。オーエンはミスラが好きで、ミスラもオーエンが好きならば、それはどういうことなのだろう。ミスラの言う通り付き合うのが自然な流れな気もしてきた。
「ねぇ、オーエン」
唇が重なる。今までのどのキスよりも優しかった。間近で見るとますます好きな顔だ。与えられるキスも嫌いじゃない。セックスだって総合的に見れば悪いばかりでもなかった。
「いいよ。付き合ってやっても」
でも、とオーエンはミスラの指に自分のそれを絡めた。
「もう一回、キスしてくれたらね」
願いは叶えられた。こんな時ばかり、と思いながらオーエンは目を閉じた。
「恋人ごっこはおしまい」
そうカインに告げると、カインはとびきりの笑顔を浮かべた。
「上手くいったみたいで良かったな。おめでとう!」
カインの目はオーエンを捉えていない。背後からオーエンの腰を抱き、頭に顎を乗せているミスラに向かっている。
「やっぱりミスラはオーエンが好きだったんだな」
「はぁ。そうみたいですね」
呑気に会話を続ける二人に腹が立ったので、今度まとめてSNSで炎上させてやろうかと思った。