双子と別れたオーエンは、食欲も失せ部屋に戻ることにした。
部屋に戻るとしっかり結界を張って、思いつく限りありったけの防御魔法を自分にかける。決して誰にもΩであることを見抜かれないためだ。
今まで、オーエンは間違いなくαだった。番を得たことはないが、ヒート中のΩのフェロモンにくらりときたことはある。βもΩもΩのフェロモンは効果がない。だから自分はαだと疑うことなく信じていた。
それなのに、スノウとホワイトは今のオーエンがΩであると断言した。ヒートまできてしまえば、認めざるを得ない。急にどうしてこうなったのかを教えてくれる人はいない。双子が大いなる厄災の影響かもしれないと口走っていたが、本当にそうだとしたらいつ元に戻れるのかさっぱり分からない。ただでさえ、大いなる厄災の傷に悩まされているというのに。
目撃者の話を聞く限り、奇妙な傷の状態のオーエンは随分と頭が弱いようだ。もしもヒート中に傷が出てしまったらと考えるだけでも恐ろしい。しかし、奇妙な傷の状態になることもヒートも防ぐことができない。
不特定多数のαの餌食にならないための方法はひとつ。以前、ホワイトが言っていたように番を作ればいい。
番がいるΩは他のαを誘惑するフェロモンを出すことはない。ヒートの時であろうと、更にヒート中に傷が出てしまっても番さえいれば酷いことにはならないはずだ。
「……それでも、番なんていらない」
オーエンは唇を噛んだ。
ままならないことばかりだ。
オーエンは部屋を出て歩いていた。少し気分が沈んでいるが、その理由は分からない。なんだかそれは心細いので、誰か知っている人に会いたかった。
会談をいくつか下りたら、視界の端に赤い色が見えた。炎みたいな色だ。きっとあたたかいのだろうと思って、追いかけた。すると、相手はオーエンの足音に気付いたようで、足を止めて振り返ってくれた。
「おじさん!」
知っている人だった。オーエンは嬉しくなって飛びついた。『おじさん』もよろけることなくオーエンを受け止めてくれる。
「急に何ですか?」
『おじさん』は犬か猫のようにオーエンの首根っこを掴むと、べりっと引き剥がした。オーエンはじたばたと暴れる。この体勢は嫌だ。『おじさん』にくっついている方があたたかいし落ち着く。
「嫌、離して!」
「はあ」
オーエンの言う通り『おじさん』は手を離した。するとどうなったのか。オーエンの身体は無抵抗のまま床に落ちてしまった。痛い。床にぶつけた足が痛いし、腰も痛い。ぐすっと鼻をすすると『おじさん』はちょっと慌てた様子で床に膝をついて、オーエンと目線を合わせる。
「あなたが離せって言ったんでしょう」
「……うぅ」
こんなつもりじゃなかったのだとオーエンはうなだれた。『おじさん』は困ったようにオーエンの頭を撫でてきた。
「調子狂うな。ほら、本当はどうしてほしかったんですか? 言うだけ言ってみたらどうです」
オーエンは考えた。『おじさん』に頭を撫でられながらその瞳を見つめ、『おじさん』にしてほしいことを考えた。
そうだ、と閃いた。言葉の意味は分からない。それがどのようなものか分からない。けれど自分が確かに欲していたものをオーエンは口にした。
「番になって」
『おじさん』はぴたりと動きを止めた。まじまじとオーエンを見つめるが、どんどん目が細くなっていった。
「……アルシム」
『おじさん』は呪文を唱える。するとオーエンを守っていた何かがぼろぼろと壊れていくのを感じた。恐くなって自分の身体をぎゅっと抱き締める。折角溜めていたものが全部なくなってしまった。
無防備なオーエンを見て、『おじさん』は何をするのかと思えば、首筋に鼻を寄せてくんくんと匂いを嗅いできた。くすぐったくて身を捩ったら、おじさんは離れていった。
「オーエン、あなたいつの間にαをやめてΩになったんです?」
オーエンは、思わず息を呑んだ。今、ミスラは何を言った。むしろ、なぜ目の前にミスラがいる。オーエンは先程まで自分の部屋にいたはずだ。それが魔法舎の廊下に座り込んで、目の前には困惑した様子のミスラがいる。傷だ。傷が現れていたのだ。すぐさま状況を理解するが、投げつけられた言葉を飲み込めない。知られてしまったのだろうか。一番知られたくない相手に、この身体の異常を。
「何を言っているの? そんなわけないだろ」
慎重に言葉を選んだ。気付けばΩであることを隠す魔法が破られている。ミスラの魔法の気配を感じる。きっとこの男がオーエンの身ぐるみを剥いだのだ。Ωであることを隠す魔法を破るなんて、そうしようと思わなければできない。ミスラは何らかの確信があってその魔法を使ったのだ。嫌な汗が背筋に流れる。
「あなたさっき自分から『番になって』と言ってましたよ」
最悪だった。オーエンは内心舌打ちし、どうやってこの場を切り抜けるか考えた。幸いにも相手は頭の回転が速いブラッドリーやフィガロではなく、鈍いミスラだ。適当に言いくるめてしまえばいいはずだ。
「冗談に決まってるだろ。おまえをからかっただけだよ」
最悪、イラついたミスラに殺される覚悟はあった。それでもΩになったことを知られるよりはずっといい。
「でもあなた、良い匂いがしますよ。Ωみたいな」
ミスラが首筋に鼻を押し付けてきた。そればかりかぺろりとそこを撫でる。
本能的な危機を感じて、オーエンはその場を飛びのいた。反射的にトランクを手にすると、ミスラは楽しそうに笑う。
「うなじを噛まれると思いました? あはは。やっぱりあなたΩじゃないですか」
「殺す」
オーエンはトランクを開いた。対するミスラは飛び掛かってきたケルベロスを蹴飛ばしながら、魔道具を取り出した。
「アルシム」
その後、魔法舎の廊下は半壊し、駆け付けた双子とオズに説教を食らうことになったが、ミスラからの追及を逃れることには成功した。