目君が日本を横断しようとする話「今年の夏は、日本列島を横断します!」
仲間達との雑談が交わされる休み時間のひと時。高らかにそう宣言した彼の声は、煩雑とした教室の中でひときわ明瞭に漫画萌の耳に届いた。
「ねえ目金君。夏休みに日本横断するって話本当なのかい?」
無謀な宣言を耳にしたその日の放課後。二人並んで帰路に着く最中、萌は同級生である目金欠流にそう尋ねる。
「ええ。日本のアニメや漫画、ライトノベルの世界に置いて、高校生と"ひと夏の冒険"は切っても切り離せないものですからね。僕も夏休みの期間を利用してひと夏の冒険に出てみようかと思いまして」
「本当は世界旅行に行ってみたかったのですが、まずは国内でノウハウを積んでから挑んでみようかと!」と眩しい迄の輝かしい笑顔を浮かべて目金はそう語った。
夏休み期間に日本横断。インドア系が大多数を占めるオタクとは噛み合わせが悪そうなその試み。しかしそれを目を輝かせて語る事が出来るのは、イナズマキャラバンというバスに乗って日本中を旅した経験があるからなのだろうかと、萌は心中で舌を巻く。萌が日本横断計画に関心を示したことに気をよくしたのか目金は旅のプランを萌に語り始める。
「移動手段はやはり自転車にしようかと。自転車で日本横断というのはやはりロマンがありますからね!それと宿泊施設はキャンプ場を主体に考えています。最悪の場合は野宿ですね。野生動物に襲われる危険性はありますが、まあ何とかなるでしょう」
僕なら出来ます!と目金は声を響かせるが、その計画はどう考えても穴だらけな内容であった。
自転車をこぎ続けられるような体力が君にあるとは思えないが?いくら日本とはいえ野宿は野生動物以外の危険があるのではないか?
ほんの数秒の間に幾つもの疑問が浮かんだが、期待に満ち溢れた友人の顔を曇らせたい訳ではない。萌は言葉を選びながら無難な質問を目金に投げかける。
「えーっと目金君。泊まる場所はキャンプ場って言うけど、食事はどうするつもりだい?それにお風呂は?」
「食事はコンビニで買ったものやキャンプ飯が基本になりますかね。入浴に関してはお風呂や温泉が併設されたキャンプ場も多数あるので、そちらを活用していこうかと」
「あー、成程ね?それと、野宿やキャンプって危なくないかい?僕たちはまだ学生なんだから」
「大丈夫、僕は男です!」
(何も大丈夫じゃない)
萌はつい心の中でそう突っ込みをいれる。男女問わず学生が一人自転車旅をするとなるとそれなりの危険は伴う筈だが、男であることで多少のリスクが軽減されるのもまた事実である。それに、自信たっぷりなその笑顔を見ていると萌はもう何も言えなくなってしまった。
自分でも一友人相手に気に掛け過ぎだという自覚はある。目金とて一男子高校生なのだ。多少の困難は自分で何とかするだろう。それに、身近な友人が日本横断というイベントを乗り越え、その後語られるであろう土産話は創作者として強い関心はある。目金を通して語られる日本横断のエピソードはきっとどれもが魅力的で、萌の心を存分に躍らせるだろうという確信もあった。しかし、それを分かっていながらなお萌は目金に旅のプラン内容を見返してほしかった。
何故なら、萌は目金に密かに思いを寄せていたのだ。いわゆる片思い。古風に言うと片恋。思春期且つ青春のど真ん中である今この瞬間、萌は同性の友人に恋愛感情を抱いているのだ。そんな思い人が、夏休みという長期休暇を利用して、たった一人で日本横断をしようとしている。それを知って冷静でいられるほど萌は大人ではなかった。
(……目金君がこんな危ないプランで、それもたった一人で日本を旅するだなんて、絶対に嫌だ)
一体どうすれば日本横断旅行を中断させられるのか。せめてプランの見直しをさせられるのか。萌は必死に頭を動かし策を練る。
『日本横断なんて時間の無駄じゃない?勉強した方が得じゃないかなあ』
___駄目だ。『その無駄な時間こそ人生を豊かにするのです!』って返されるのがオチだ。それに彼は既に十分過ぎるほど勉強している。
『いくら何でもキャンプ場で寝泊まりするのは大変じゃない?屋根のあるところで寝た方が疲れも取れると思うけどなあ』
___これも駄目だ。『テントを張るので大丈夫です!』と言われる未来しか見えない。というか彼なら寝袋さえあれば何処ででも寝れそうな気がする。
考える案全てを架空の目金に論破され、萌は頭を抱える。ただ思い人に安全な夏休みを過ごして欲しいだけなのに、何でこんなに悩まなきゃ行けないんだ。そんな誰にぶつければいいかも分からない怒りが湧いて出た頃、ふと一つの案が浮かんだ。
「…………」
恐らくきっと、このカードを切れば目金は旅のプランを練り直してくれる。しかしこれは諸刃の剣でもあり、萌自身に大きなダメージを与える案であった。萌はその案を喉に押し込んだまま、小さく唸る。
「?萌先生、どうかしましたか?」
そんな萌の様子を、目金は心配そうに覗き込む。気を許し切った無防備な顔。それをみた萌は(やはりこの子を1人で行かせる訳にはいかない)と覚悟を決め直す。萌は一呼吸した後、こう切り出した。
「…………ねえ、目金君。もしもの話として聞いて欲しいんだけどさ。その旅行、僕もついて行ってみたいって言ったらどうする?」
想定外の話だったのだろう。目金はポカンと口を開き、萌を見つめる。そして次第にその表情はパァッと晴れやかなものとなり、目金は嬉々とした表情でこう叫んだ。
「萌先生、一緒に来てくれるのですか!?」
運動嫌いで日夜家に篭り続ける友からのまさかの提案に、目金は喜びを隠そうとせずきゃあきゃあとはしゃいで見せる。それを受け、萌は(ああ、通っちゃったか)と凪いだ目で目金を見つめる。
正直なところ、萌は日本横断の旅になど着いていきたくなかった。叶う事なら目金と空調設備の整った空間でのんびりとしたひと時を過ごしたかった。しかし幾ら萌が説得したところで目金は自分の意思を曲げないだろう。ならばそれに着いて行って仕舞えばいいと、萌は思い至ったのだ。
目金は萌のことを仲間としての親愛は勿論として、"萌え漫画家の漫画萌先生"として尊敬してくれていることを重々理解している。そんな尊敬する漫画家を、それも野宿どころかネット環境から断絶された空間にすら耐えられない男を、自転車横断旅などに同行させようとしないのではという邪な思いが萌にはあった。
現に萌が想定していた様に、目金は「萌先生も一緒となると自転車ではなく電車での移動がいいですかね。普通電車の乗り放題切符でも買いますか」「萌先生に野宿なんてさせる訳にはいきません!予算は跳ね上がりますがビジネスホテル……せめてカプセルホテルは利用しないと!」とプランの大幅な見直しを始めていた。
(あー……僕今年の夏はずっと動き続けるのかあ)
旅のプランが比較的安全なものへと変わっていくのと同時に、萌は自分の夏休みが消え去ったも同然の状況に小さくため息をつく。幾ら片思い相手の目金との2人旅とはいえ、根っからのインドア人間には移動が主体の長期旅行は気が重い話であった。それも宿泊先はビジネスホテルやカプセルホテル。ホテルの設備によっては、身体を休めるのにも苦労することになるだろう。自分は目金にちゃんとついて行けるだろうかと考えていると「萌先生」と声を掛けられる。
「ん?どうしたんだい、目金君?」
「今年の夏は、沢山思い出を作りましょうね!」
満開の花のようなその笑顔を向けられて、萌は思わず黙り込んだ。移動がどうだの、宿泊先がどうだの。その全てがどうでも良くなってしまった。自分の好きな人が、自分との2人旅にこんなにも楽しそうな、喜色に溢れた笑みを浮かべている。それだけでもう、心が十分すぎるほどに満たされていた。
「そうだね目金君」と返すその声も何処か上の空で。そんな返事にすら目金はニコニコと、はしゃいだ様子を萌に見せた。
「…………」
あー、好きだなあ
「え?も、萌先生……?」
「うん?……っ」
日光が降り注ぎ蝉の声が鳴り響く真昼の空の下。萌と目金の夏は始まったばかりであった。