静かな場所まで連れてって『明日一緒にドライブへ出かけませんか』
盆暮れ正月も碌に実家に顔を見せない双子の兄からメッセージが届いた夜更け頃。唐突な連絡に驚きつつも断る理由も無い為仕事終わりで良かったらと返事を送り職場近くにある駐車場の情報を送る。
(兄貴、車買ったんだ)
明日の支度を整えつつ一斗はぼんやりと思いを巡らせる。兄貴こと目金欠流は一斗にとって真逆の在り方で生きる嵐のような人物である。留まることを知らずただひたすらに前を見つめて歩み続ける、自身にとっての『楽しい』に貪欲な人である。学生だった頃はそんな兄貴に付いて行こうと必死にあがいていた時期もあったが、変化を恐れ立ち竦んでしまう一斗と常に楽しい事を追求し続ける兄貴とでは歩調が合う訳も無く、何時しか兄貴の背中を無理に追おうとせず遠くで眺める様になっていた。
しかしそんな日々驀進し続ける兄貴だが、時々弟である一斗に今回の様な連絡を入れてくる事がある。その内容はゲーム制作が軌道に乗り始めた、プリティレイナちゃんの限定フィギュアが奇跡的に手に入ったといった些細な物ばかりだが、兄貴にとっての嬉しい出来事を自分に報告してくれているのだと思うと、一斗はくすぐったい気持ちに包まれる。兄貴からのこういった報告を受けるとまだ自分は兄貴に忘れ去られていないのだと安堵に似た喜びを感じるのだ。
「まあ、急に予定入れてこられるのは困るけど」
誰が聞いている訳でも無いのに一斗は一人愚痴をこぼす。だが耳に入る自身の声からは明らかに喜色が溢れていて我ながらちょろすぎると自然と失笑が漏れ出た。
そして時は進み迎えた翌日の夕方。仕事を終える15分程前に兄貴から『駐車場で待っています』というメッセージが送られていたのに気が付き、急いで退勤支度を整え同僚や先輩への挨拶もそこそこに兄貴の元へと向かう。
(兄貴、どこ行く気なのかな。ていうか車ってどこのブランドのやつ買ったんだろう)
そんな事を考えながら一斗は軽やかに歩みを進める。やっぱり派手でカッコいいスポーツカーとか買ったのかな、いや最新鋭のAIを搭載した電気自動車って線も捨てがたい、等と妄想を巡らせているうちに駐車場へと辿り着き。
「 。…………」
兄貴のものであろう車が目に入った瞬間一斗は立ち止まり、絶句する。
「__おや。おーい、一斗―!」
「…………」
待ち合わせ場所に現れた一斗の姿を捉えた兄貴は大きく手を振りこっちこっちと呼びかける。無邪気に弟を呼ぶその姿を見なかったことにする訳にも行かず、一斗は今すぐ叫び出したい衝動をグッと堪えつつ兄貴の元へと歩み寄る。
「…………」
「お仕事お疲れ様です。いやあ、一組織に所属する社会人というのは定時まで働かされて大変ですね」
兄貴は本心だか何だかわからない労いの言葉を一斗にかける。まさか兄貴から人を気遣う言葉が出るなんて、年を重ねて変わったものだと少しばかり感心はしたが、それを指摘出来る程の余裕は今の一斗には存在していなかった。
一斗は兄貴からの誘いが、今日のドライブが、素直に嬉しく楽しみであったのだ。兄貴と一緒なら行き先が何処であろうとも充実した気分にさせて貰えるだろうと、子供のようにわくわくしながら今日を迎えた。待ち合わせ場所に向かう足取りも浮き足立っていたと自覚していた。
それだけに、一斗は抑えきれない自身の思いの丈を兄貴にぶつけるべく声を荒げる。
「……いや、あのさあ。違うじゃん、違うじゃん!」
「何がですか?」
「全部だよ!!!」
久しぶりの兄弟水入らず。二人きりのドライブ。そんな最高のシチュエーションの中、兄貴の愛車がプリティレイナ仕様の痛車であるという現実は、一斗にとってあまりにも残酷で、その期待感をぶち壊すのに余りにも十分すぎる品物であった。
▽
「ああもうっ、本当に信じられない!普通弟の職場に痛車で来る?!」
「待ち合わせ場所を指定したのは一斗じゃないですか」
「そりゃまさか痛車で来るとは思わなかったからね!」
一斗は車の助手席に座り非常識な兄貴に向かって怒りを露わにする。その怒りを向けられている張本人は『また弟が癇癪を起こした』とでも言いたげに「大きな声を出すと喉を痛めますよ」と呑気な声色で呟く。そんな兄貴の昔から変わら無さすぎる態度により一層一斗の怒りは膨れ上がり、それを少しでも発散させるべく握りこぶしで自身の膝を殴りつけた。
あのやり取りの後、一斗が取った行動は迅速であった。この痛車のそばにいる姿を同僚や先輩に見られる訳にはいかない、そして1秒でも早く職場の側から離れたい。一斗はその一心で世間話を続けようとしていた兄貴の言葉を遮り、後で聞くから今すぐ車を出してと兄貴を急かした。当然兄貴は不満気にゴネたがそれを何とか宥めすかし運転席に押し込んで、自身も助手席に飛び込み、すぐさま駐車場を後にしたのであった。車はそのまま大通りを走ってゆき、同僚たちが多く住むエリアから離れた辺りで一斗は溜まりに溜まっていた感情を爆発させた。それが先程のやり取りである。
「本当最悪。あの駐車場職場から最寄り駅までの通り道にあるし、絶対誰かに見られた。これで僕の職場での評価はガタ落ちだ……」
「そんなことで評価が下がる職場ならさっさと辞めてしまえばいいじゃないですか」
「……流石は個人事業主様。随分と強気な発言だねえ」
ハッカー兼ゲーム製作者という特殊な二足の草鞋を履き『メガネハッカーズ』という超少数精鋭組織の代表を務めている(らしい)兄貴には組織勤めの苦労など微塵も理解出来ないらしく、いつもながら何て事無い話をするかの様にとんでも無い発言をぶん投げてくる。それが出来たら苦労しないという思いを込めて、こちらもお返しにと兄貴に皮肉をぶつけるたが、これくらいの悪意は兄貴にとって小石程度にしか感じないのだろう。兄貴は此方の言葉など全く気にも止めずに「まあ僕は組織勤めを経験していませんからね」と何の熱も感じない返事をしてきた。
そんな皮肉が効いているのかいないのか判別の付かない兄貴の態度に一斗は色々ともうどうでもよくなってしまい「……それで?何なのこの車」と恐らく兄貴が一番聞いて欲しいであろう質問を切り出してやった。
「兄貴の事だから、公式から発売されたものを買って乗り回してるだけとかそういうのでは無いんでしょ?」
「お。ようやくこの素晴らしい車体に興味を持ちましたか!この車は、」
「言っとくけど、僕専門用語使って話されても何も分からないからね」
意気揚々と自慢の愛車について語りだそうとしていた兄貴に予めくぎを刺しておく。するとやはり、兄貴は専門用語をふんだんに使った呪文を羅列しようとしていたらしく、ピタリと口を動かすのを止める。暫し思案する様に目線が空を泳いだ後、兄貴は愛車へのこだわりを語り始める。
「えーと、そうですね。この車に施されたプリティレイナちゃんについてなんですが」
「ああ、兄貴が好きな作品のヒロインの」
「ええ、このレイナちゃんは漫画君……いえ、敢えてここは昔の呼び名で呼ばせてもらいましょう。そう!この車体に描かれたレイナちゃんは、かの有名萌え漫画家である漫画萌先生に描き下ろしていただいた、世界にたった一人のレイナちゃんなのです!」
ババーン、という効果音でも聞こえてきそうなドヤ顔で兄貴は嬉しそうに、そして「どうだ羨ましいだろう」とでも言いたげな様子でこちらの反応を横目でちらちらと伺ってくる。正直なところプリティレイナシリーズを未履修な上、痛車を所有する趣味も無いので全然羨ましくも何とも無いのだが、昔憧れていた(もしくは今も)漫画家に描き下ろしイラストを描いて貰うっていうのはテンション上がるよなと、一斗は言葉にする気はないが心の内で兄貴の興奮する気持ちに共感の意を示す。
「イラストもただレイナちゃんを描いたという訳ではなく、この車体に最も映える構図を考えたうえで描きあげられた力作ですし、そのイラストをシール化し車体に張り付けて下さったのも元秋葉名戸学園サッカー部に所属していた方なのですよ」
「へえ。兄貴の人脈があったから作れた車なんだね」
「そう、まさしくその通り!話には出しませんでしたがこの車そのものも元秋葉名戸学園の方からおすすめしていただいた物ですし、誰か一人でも欠けていては完成しなかった最高の痛車なんです!」
語り切った充足感からか兄貴は満足げな表情で笑みを浮かべる。確かに(じっくりと見てはいないが)車体に描かれたイラストは漫画さんらしさを残しつつレイナちゃんの魅力を描き切ったものであったし、車内の椅子の革張りやその他のパーツから兄貴とディーラーを務めた元秋葉名戸生の人のこだわりが垣間見える。それが理解出来たからこそ、一斗は湧き出て来た疑問を兄貴に尋ねる。
「……それで、痛車そのものについては分かったけどさ」
「何です?まだ語りたいことは山程あるのですが」
「それはいい、止めて。マジで。……そんなに大事な痛車なら、ドライブに使わないほうが良いんじゃないの?そりゃ新車で走りたい気持ちは分かるけど」
あまり痛車の文化について明るくないが、こういう車は鑑賞を用途にするのが一般的な筈だ。仮に痛車に乗って移動するにしてもその目的地はアニメイベントといった同好の士がいるところで人に見てもらう為に乗っていくのだろう。今回の様に、弟とただドライブに出掛けるだけならこんな貴重な愛車で来なくても良かったのではないか。
そんな弟の主張を聞き終えた兄貴は「言われてみれば確かにそういう考え方もありますね」と少し驚いた反応を見せた後こう話す。
「折角こだわり抜いてカスタムした車を車庫にしまいっぱなしというのは味気ないじゃないですか。それに、一斗ならこの車の素晴らしさを分かってくれると思ったのでね」
等と、兄貴は天気の話をするかのような軽やかさで痛車でやって来た理由を明かした。とんでもない爆弾を渡されたこちらとしては「…………ふーん」と反抗期真っ盛りの中学生の様な反応しか返す事が出来ず、にやけ面を見られぬ様に顔を正面からフロントガラスへと背ける。すると、兄貴との会話に夢中であまり意識していなかったがいつの間にか車は郊外に向けて走っていることに気が付いた。
「ところで兄貴、この車の行き先は?」
「ふふふ。それは内緒にしたままの方がスリリングじゃないですか?」
「……峠にドリフトを決めに行くとかだったら僕歩いて帰るからね」
「んな!?何でわかったんですか?!」
兄貴の行動パターンを考えれば一番初めに浮かぶ候補が正解だったと分かり、一斗は重い溜め息をつく。弟が乗り気でないと流石に理解してくれたのか、兄貴は「しょうがないですねえ」とぶつくさ言いながらあらかじめ設定していたらしい道路案内を解除した。
「それじゃああそこにでも行きましょうかね」
そう言って兄貴は自身の頭の中で新たな目的地を設定したらしく、何の案内も無しに走り始める。兄貴が相手の意見を取り入れようとしないのはいつもの事だし、もう地方を跨ぐ大移動でなければどこでもいいと、一斗は背もたれに全体重を預ける。
兄貴と一緒にいる限り一生気苦労は絶えないのだろうなと、一斗は流れ行く景色を眺めながら思いに耽る。今後兄貴が他人を率先して気遣う様にはならないだろうし、一斗の思い描く理想の心優しい兄貴になんて一生ならないだろう。だが、歳を重ねる毎に自由奔放さが増していく兄貴の振る舞いを何処かで楽しんで、心待ちにしている自分が居るのもまた事実であった。痛車で迎えに来られようと文句を言いながらも兄貴を受け入れてしまう。それがもう全ての答えだ。
自分は兄貴に振り回され続けるのだろう。今までも、これからも。
車は高速に乗り上げ、一定の速度で走り続ける。楽しげに鼻歌でアニソンらしき曲を歌いながら運転をする兄貴の横顔を横目で眺め、許容する様に、諦める様に、一斗は瞼を閉じて、目的地で待ち受ける何かを夢想するのであった。