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    y_r4iu

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    5幕〜5幕直後くらいのいたち〜です。至→千景っぽいかも。

    格好いい人「大丈夫ですか」
    隣で壁に凭れ掛かる先輩に、そう声をかけずにはいられなかった。

    俺の同僚であり最近同室にもなった『先輩』──もとい卯木千景は、数日前に自分の所属するMANKAIカンパニーの総監督である立花いづみと共に失踪し、つい昨日酷く調子を崩して帰ってきたばかりだった。昨日の時点でも彼は酷く落ち込んだ様子で、俺は一言二言用意していた小言を言うタイミングを終ぞなくしてしまったのだが、事件があって初めての稽古日である今日の千景の様子といえば。
    数日ぶりに見た彼の演技は、明け透けな言い方をしてしまえば酷い有様で。セリフの言い回しに始まり、間、出捌け、立ち位置。どこをとってもお世辞にも良いと言える出来ではない。演技だけではなく、彼は稽古中及び稽古外の時間も終始心ここにあらずという様相をしていて、薄暗い顔で頻繁に床を見つめていた。おおよそ翌日に本番を控えているとは思えない程惨憺たる先輩の様子に自分以外の春組の面々も俺が言ったような心配のセリフを送り、いかにもなにかの渦中にいる彼に稽古の合間合間で気遣わしげな目線を送っていた。
    ただ、俺が先輩にこんな言葉を言いたくなったのは、心配が半分と、もう半分は強い驚きに打たれたためだった。なんせ俺は先輩とは劇団に入るよりもそこそこ前から付き合いがあったが、こんな先輩の姿を見たことは1度としてなかったから。こんなふうに滅法弱った先輩の様子は、稲妻のような衝撃を俺にもたらした。

    卯木千景は格好いい人だ。これは個人の感想というよりもただの厳然たる事実だった。彼の印象を尋ねられて、十人いれば十人がそう答えるだろう。それはその手足の長いモデル体型や整った顔立ちのせいでもあるし、外見のことを差し引いたって先輩は格好良かった。海外を飛び回っては取引先といくつも弊社に条件のいい契約を取り付け、資料を作らせてみれば内容が一切の過不足なく完璧なレイアウトでまとめられ、常人の2倍の仕事量をいつも余裕の笑みで終わらせる。「仕事のできる男」を地で行く先輩は上からも下からも慕われていた。その評判は他部署の所属である俺の耳にも毎日のように届くほどだ。
    俺はそれなりにひねくれた人間なのでそんな先輩に胡散臭いなとやや穿った目線を向けていたのだが、「格好いい」という評価自体に関しては降伏の姿勢を取る他なかった。それは先輩が入団してきてからも覆ることはなく、内面を見せず春組と馴れ合おうとしない彼に猜疑心を強めつつも、初めてだと言っていた芝居でさえ多少及ばない部分はありつつも初心者とは思えないほどそつなくこなす彼のことを矢張り、流石「格好いい卯木さん」だな、と感心を通り越していっそ皮肉っぽく思っていた。

    それがどうだ。真横にいる男は普段余裕の笑みを貼り付けているあの卯木千景とは別人かと思うほど陰鬱な表情を浮かべ、弱々しく自らの腕を抱いている。普段のしゃんと伸ばした背筋との対比に、自分の胸にどうしてか焦燥の風が渦巻くのを感じていた。
    大丈夫ですか、問いかけた俺に先輩は緩慢な仕草で頭を持ち上げ、淀んだ瞳を向ける。
    「……ああ」
    周囲に聞こえないようにトーンを落とした俺に合わせてか、彼はそう、ため息と言葉との中間のような返事を。それから立っていられない、とでも言うように、壁を伝ってかがみこんだ。
    セリフの飛び交う稽古場で膝を抱える先輩の背は、遠近感のせいでなく妙に小さく見えてしまって、自分が見張っておかなければこのまま擦り切れてなくなってしまうんじゃないかと、そんな錯覚を覚えた。一体どうしちゃったんですか。胸の焦燥に突き動かされるまま、そう問い詰めたい。可哀想、とこれまでの彼になら抱くはずもない感情が胸に湧いてくる。
    ただ見上げているだけだった彼を、こうして今見下ろしているのがやたらとおかしな気分で、いたたまれなく、どうしようもなく彼に手を差し伸べてやりたくて仕方がなかった。

    *
    「あ」
    エレベーターホールで先輩と鉢合わせして、思わず声が出た。それは向こうも同じようで、俺たち以外には誰もいない空間に二人分の声がうわんと反響する。それから少しの無言、扉の上の数字の並びはまだ「1」が光っている。隙間を埋めようと、あー、と意味もなく声帯を震わせた。
    「……今から帰りですか?」
    「……ああ。茅ヶ崎も?」
    「はい」
    それきり、また無言。ほんの少し、気まずさが肌を刺す。しかし以前のように、貼り付けたような笑みで上っ面の会話をするよりずっと良かった。あの稽古の日から、先輩の退団騒動だったりまた色々なことがありつつも俺たちは先日ようやく第4回公演を終え、先輩は本当の意味で家族の一員になったばかりだった。今まで単なる、もっと言えば少し苦手だとすら思っていた職場の同僚との降って湧いた新しい距離感はまだ慣れない。互いに。しかしこれから慣れていけばいいのだとも思っていた。
    ちん、とエレベーターの到着を知らせる音がして、やけに大袈裟な機械音を響かせながら扉が開く。一応後輩の身として手で先輩を先に乗るよう促し、彼の背に続いて直方体に乗り込んだ。
    見上げた液晶の数字が減っていく。「今日、茅ヶ崎は電車だっけ」先輩は突然に口を開いた。「はい」答えて、その後の先輩もですよね、という言葉は少し思案して飲み込んだ。次の次にある、じゃあ一緒に帰りましょうかというセリフを言うのが照れくさくて。言っても言わなくても出発地と目的地が同じなら自然とそうなるのだが、それを期待するようなセリフを彼に対して口に出すのはまだ少し恥ずかしい。
    エレベーターを降りると探るように俺と先輩の視線は交わって、それからどちらからともなく駅の方向へ歩き出した。並んで歩きながらぽつぽつと適当な会話をする。盛り上がる、とまではいかないが、沈黙を埋めるには上々だった。

    駅へ着いて改札へ向かおうとするとふと先輩が一点で目を留めた。不思議に思ってそちらを見ると、催事スペースの一角で最近流行りのスイーツが売られている。先輩って確か甘いもの嫌いって言ってたよな、と眉をひそめてから、ふと合点がいった。
    「あれ、今朝咲也たちが食べてみたいって言ってたやつですよね」
    今朝のことを思い出す。朝食時の賑やかしにとつけられているテレビで特集が組まれていて、シトロンと咲也が食べてみたいねと頷き合いながら目を輝かせていた記憶がある。先輩はそうみたいだな、と白々しい返事をしたあとそのまま何故か緩く足を止め、それからなにか思案するように斜め下を見て数度瞬きした。それで、何となくわかった。
    「……買って帰りますか?」
    そう言ってやれば、彼はこちらを見て少し間をあけてから「そうしようか」と。そのまま店の方へ寄っていく彼の背に、不器用だなあと笑いが込み上げた。
    ショーケースの前で立ち止まった彼は、ガラス越しに数種類のフレーバーの甘味達を眺めて、少し悩む素振りをしたあと店員へ話しかけた。買って帰りますか、と言ったのは俺の方なのに当然のような顔をして自分の財布を取り出す。それからショーケースを指さして「これを5つ」と。
    それに苦笑いをひとつして、足を伸ばして彼の横に並び「コレ、もうひとつ追加で」と店員に告げた。先輩は突然割り込んできた俺を驚いたように横目で見る。視線と視線で軽い攻防があって、先輩はため息に似た呼吸をしたあと乱入者に困惑している店員へ向かって「6つで」と言い直した。

    春組は6人ですよ。当たり前の事実を教えてやれば、そうだったな、と白々しく、それでも染み入るような声色で彼は返事をした。
    第4回公演を経て、俺はもう先輩のことを完璧だなどとは思わなくなっていた。むしろ時折酷く粗を見せる彼の面倒を見てやらねばという、使命感に駆られてさえいた。なんせ先輩は、言ってしまえば俺が拾ってきたみたいなものだったから。拾ってきた生き物は、責任をもって世話してやらないと。ただ見上げるばかりだった彼のことをこんなふうに思うだなんて、過去の俺が聞けばぎょっとするだろうか。
    「お土産、きっとみんな喜びますね」
    言えば、そうかな、とまた消極的な返事が。そのあと不意にふ、と空気が揺れて、見ればそこに穏やかな笑みを浮かべる先輩がいた。それがあまりにも自然な笑顔だったことに少し驚いて、それから、可愛いな、と思った。

    ……え?一瞬遅れて、自分の頭に過ぎった言葉に動揺が走る。心臓が徐々に駆け足になっていく。可愛いって、なんだ。
    そこで初めてマズいなと思った。変な好きになり方を、している。自分より年上で、上背もあって、チートスペック持ちのいかにも尊敬できる人間を、尊敬だけでなく、好きになってしまった。
    隣を行く先輩の背筋は糸で吊られたようにまっすぐ伸び、直線的な横顔の輪郭はまったくケチのつけようがなく、まさに「格好いい」という形容詞を具現化したみたいで。
    そんな彼を見ながら、まずいな、とまた思った。胸にせりあがってくる焦りをため息と共に空気に霧散させる。
    どこからどう見たって格好いい人を、一度でも心から可愛いと思ってしまえば、もう駄目だった。この人のことを際限なく好きになってしまいそうで、駄目だった。
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