わかってよ「ガウェイン!」
遠くからよく見慣れた、しかし久方ぶりの薄茶の髪の青年が駆けてくる。身にまとった清廉な青が彼の一歩に合わせて揺れる。彼の発した名は、吹く風に攫われそうになりながら、それでも微かにその名の持ち主の耳元へと届いた。何もそんなに遠くから呼ばなくても。ガウェインは自らの肩口で上がった口角を隠す。
ランスロットがアーサー王の円卓に招き入れられて半年ほど、初めはガウェインが目付役についていたが最近は単独での任務も増えてきた。この日数での単独任務は異例の大出世だったが、なんせ彼の活躍には目を見張るものがあって。ランスロットが剣を振るう様子を一目見ればもはや何人たりとも文句を言う隙間などありはしなかった。
今日はそのランスロットが、遠方の国から数週間ぶりに帰還してきたのだ。遣わされた先でもまた成果を上げたらしく、城のものも街のものも諸手を上げて若き騎士の帰りを祝福している。
「いいのか?主役様がこんなところにいて」
しかし当の本人は豪勢な食事に手をつけるでも街へ下りて民へ手を振るでもなく、真っ先にガウェインの元へ駆け寄って足を留めていた。何もこんなところで油を売らなくても、お前に一言挨拶したい者なんざごまんといるだろうに。しかしランスロットは「ああ」と、いまいち質問の意図を図りかねている様子で。「久しぶりに会えて嬉しい」続けてそう、友に目を細めて正面から言われてしまえば、ガウェインはふんとぶっきらぼうに鼻を鳴らして耳の裏を掻くことしか出来なかった。
お前に渡したいものがあるんだ。ランスロットはおもむろにそう言って身につけた布製の小袋へ手を突っ込む。それからいつものように突然に空をじっと見て、小さく頷いてからまたガウェインの方へ顔を向けた。渡したいもの?
何かを掴んだランスロットの手がこちらへ伸びてくるので、ガウェインは着けていた手袋を外して手のひらを上へ向ける。そこへころんと何か硬くてちいさいものが転がり込んできて、陽の光を反射して煌めいた。
「……耳飾り?」
ガウェインの手元にあったのは赤い宝石のついた耳飾りだった。サイズこそ小さいがはめ込まれた石の輝きは見るものの視線を無理やり奪うような存在感で。普段こういうアクセサリーの類をほとんど身につけない粗雑な男にも、ひと目で高価なものだとわかった。ガウェインはその小さな石たちをまじまじと見つめる。
「遠征先で見つけてな。お前に似合いそうだと思って買ってきたんだ」
ガウェインには赤がよく映える。じっとこちらの目を見てランスロットははにかんだ。それから突然に左側の髪をそっと耳にかけられ、ほんの少し尖った耳輪と薄い耳垂が顕になる。彼の指先が優しく触れて擽ったい。微睡むような沈黙。
それからガウェインは突然、弾けるように笑い声を上げた。
「お前、やっぱりうちで飼ってた猫に似てるわ!」
快活に口を開けて笑うガウェインに「…………は?」ランスロットは珍しく表情を歪める。が、青年はそれに気がつく様子もなく。
「うちの猫も、よく外で拾った葉っぱやら狩ってきたネズミやら見せに来てた」
ガウェインの家にいた白い猫は、いかにも猫らしく一日中寝ていたり、また目の前の男のように宙をとつぜんにじっと見つめて動かないでいることも多かったが、そのくせ獲物を取ってくるのは上手いようで一日の成果を飼い主であるガウェインへ献上するのが彼の日課だった。褒めてくれと足元に擦り寄る毛玉を思い出す。
「あいつも光る物が好きで、よくこういうきらきらした石っころなんか持ってきて……」
「ガウェイン」
懐かしいなと目を細めている最中に思い出話を遮られ、一体なんだと声の主を見る。すると普段常に柔和な笑みを浮かべているランスロットは唇をほんの少し突き出し、不満の二文字を表情に乗せていた。
「俺はそんなにお前の飼い猫に似ているか」
男は不機嫌を隠しきれない口調でそう。そんな文句を言われると思っておらず、ガウェインは面食らった。
「……隣ん家で飼ってた犬にも似てる」
「……そうじゃない」
あ、拗ねちまった。ランスロットは顔を背けて、ふんと強く息を吐きますますその形のいい唇を尖らせる。しまった、ちょっと揶揄いすぎたか。
ガウェインとしては懐かしさと面白さでつい話が弾んでしまっただけで、全く悪意があったわけではないのだが、まあ確かに、犬猫と一緒にされるのは気分のいいものではないかもしれない。自らの無神経を少しだけ反省する。
男は不機嫌を形作ったまま、右肩の辺りを見て何やら小さく頷いたり首を振ったりしている。例の隣人と会話でもしているのだろう。子供のするようにむくれてみせるランスロットは普段よりも幾分か幼く見えて、ガウェインはこの友人が自分よりも年下であることを切に実感した。
「悪い悪い、お前は立派な騎士だよ、ランスロット」
そう訂正してみたが目の前の男はまだ不服を顔に貼り付けたまま、痒いところに手が届かないような顔をしている。1度曲がった臍はなかなか元に戻らないらしい。
「悪かったって。お前がそんなに猫が嫌いだと思わなかったんだ」
な?宥めるようにランスロットの背に手を回すと、男は横目でガウェインを見てあからさまなため息を吐いた。
「なんだよ」
「なんでもない。手強い敵に少し気が遠くなっただけだ」
「はぁ?」
心底訳が分からない、とでも言いたげなガウェインの表情に、ランスロットは宙に視線をやってまた何やら隣人に相槌を打っていた。
ガウェイン。ふと名前を呼ばれる。それから赤い石ふたつを握ったままの片手に手を添えられて、ぎょっとして自分の右手とランスロットの顔を交互に見れば、目の前の友はやけに真剣な顔つきをしてこちらを見ていた。その赤く燃えるような、ちょうど自分の手の内にある宝石の色をした瞳に射抜かれる。
「本当は耳飾り以外にも、沢山渡したいものがあったんだ。たまたま入った店で出た珍しい果物もお前に食べさせたかったし、市場で若い画家が売っていた美しい海の絵もお前に見せてやりたかった。だが一つ一つ買っていてはきりがなくてやめたんだ」
「……そうかよ」
「俺の言っていることの意味がわかるか、ガウェイン」
そう言ってひときわ強く右手を握られる。風で男の色素の薄い髪がなびく。
「……意味って……」
「わからないなら、考えてくれ」
いっそ必死さすら感じる気迫でこの年下の男は。知らず背中に薄ら鳥肌が立った。ランスロットの言葉にひたすら惑わされる。意味だとかなんとか、一体どういうことだ。この男はいつもよくわからないが、今日は輪にかけてよく分からない。混乱する頭にただ手の中の宝石ふたつが存在を主張する。
ガウェインを困らせたばかりのランスロットは1度その長いまつ毛を伏せって気まずげにくちびるをしまいこんだあと、また友の方を見た。それからようやくガウェインの右手を解放し、王に挨拶に行く時間だ、と。
「……耳飾り、今度着けてくれ。楽しみにしている」
ランスロットは去り際にあのいつもの、人当たりのいいくせに有無を言わせない笑みを浮かべて、そう。ああ。押されてそう返事をすると、青年は上げた口角の角度を深くし、じゃあまた後で、と背を向けて去っていった。後ろ姿を飾る布が歩く度に左右にはためき、ランスロットを神聖に見せた。
握りこんでいた手を開けば先程友から手渡されたばかりの耳飾りがただそこにある。鮮烈な赤がいやに眩しい。