それよりさ、「悪かったな」
第四回公演を終え、これまで俺が手配したチケットの手数料のツケを払うかのように連れてこられた職場近くの飲食店で、先輩は唐突にそう切り出した。何に対しての謝罪なのか彼は言わなかったが、公演期間の諸々についてだということはすぐにわかった。
「何ですか、今更」
それ前も聞きましたよ、と冗談めかして言えば、目の前の男はそうだなとちいさく頷いて、でも茅ヶ崎にはきちんと謝っておかないとと思って、と続けた。
「俺が迷惑をかけたせいで、俺を劇団に紹介してくれた茅ヶ崎の顔にまで泥を塗ることになった」
「え? いや、そんな、泥塗られたなんて」
飛び出てきた彼の言葉があまりに予想外で、慌てて否定する。事実、そんなふうに感じたことは一度もなかった。なんなら今彼の発言を聞いてその可能性に初めて思い当たったくらいだ。
そう? それならいいんだけど。空気に溶かすみたいな言い方で彼はため息とともに言葉を吐き出す。
「……俺のせいで、お前があんな奴連れて来たから、とか言われてたら申し訳ないと思ってさ」
汗のかいたグラスを両手で持ちながら、目の前にいる男はそう。緩く持ち上げられた口角と、瞳にかかる睫毛の対比とが妙に痛々しかった。後悔の滲む声色に、今すぐ彼の隣に並んでその弓を描く背中を叩いてやりたくなる。
「そんなこと言う奴は残念ながらうちの劇団にはいませんよ」
背中を叩く代わりにそう笑い飛ばしてやれば、寮にいる愉快で心優しい仲間たちの顔を思い出したのかふっと空気を揺らした。「そうだったな」染み入るような、自分に言い聞かせるようなトーンで。
少し沈黙があって、迷ってから、「ちなみに、」と口を開いた。少し小さくなった氷の浮かぶグラスに唇をつけ、口内を湿らせる。柄でもないことを、けれど彼に言いたいなと思った。
「……俺もですよ」
述語の抜けた文章に目の前の男は口元の弧を残したまま俺の方をじっと見、怪訝そうに眉の形を歪める。
「俺も、先輩のこと連れて来なきゃ良かったとか、一回も思ってないです」
そう、目をまっすぐ見て言えるほど肝の座った男ではない俺は、代わりにお手本みたいに綺麗な向かいのネクタイの結び目を見ながら。
そっと様子を伺うように目を上げれば、先輩は驚きを滲ませた瞳でこちらを見つめていて、それからゆっくり下方へ視線を滑らせ、きつく眉を寄せて下手くそにはにかんだ。それから氷の溶けるよりもちいさな声で、うん、と。
ありがとう、茅ヶ崎。彼の唇が、呼吸と一緒にその言葉を吐き出す。何に対してですか、なんて野暮なことは聞かなかった。「そっちを先に言ってください」笑ってやれば、今度こそ彼は素直な形で目を細めた。謝られるよりも、こっちの方がずっといい。その方が仲介役の甲斐があるというものだ。
喧騒にそぐわず妙にドラマチックな雰囲気を孕んでしまった俺たちの間の空気は、運ばれてきた料理の湯気と一緒に空中へ溶け出した。