無題*****************
走り梅雨の湿気が街中に充満していて、不愉快だった。
『──男性はその後、搬送先の病院で、死亡が確認されました。警察によりますと、精神暴走事件との関連は無いとのことです』
街頭ビジョンから流れるニュースを聞いた途端、喜多川は咄嗟に手で口を抑えた。腹の底に血がたまっていくような、どろりとした気持ち悪さが込み上げる。
「"本番"前に、慣れておかないと」と、引き金に指をかけるよう誘導する彼の声。黒い靄となって消失する寸前の、命乞いをする男の顔。あのときの光景が頭の中で何度も繰り返されて、消えない。
急に立ち止まったため後ろを歩いていた人と傘同士をぶつけてしまい、跳ねた雨水がシャツを濡らして思わず眉をひそめた。
そのまま何事もなかったように立ち去られてしまったが、その無関心さに、喜多川はほっとする。今日は、傘のおかげで顔を見られにくい。
信号が変わると同時に同じ方向へ動き出す数々の傘達。まるでひとつの生命体だと思った。自分は今、この中にうまく紛れることができているだろうか。これぐらいのことで参ってる自分に嫌気がさす。
はやく慣れなければ──神が作ったか悪魔が作ったか知らないが、自分を見捨てないでいてくれる世界の存在は、今の喜多川にとって大きな救いになっていた。
そして、真実から目を背けず、己の力だけで生き抜くことを教えてくれた、彼も。
「僕も楽しみだよ。従順な君が全部知っていたことを告げられた時の、斑目の顔」
禍々しい異世界の地で笑う彼は、美しかった。