失墜の鬼武蔵人生最大の敗北。
これは俺にとっての名誉をひどく傷つけた。
誘惑に負け、能無しのように突っ走り、結果
酒井忠次にまんまとしてやられた。
これ程の敗北、今まで受けたことはなかった
俺、鬼武蔵は初陣から今まで敗北という敗北を経験したことがない。
16のとき、興奮で突っ走り単騎で27もの敵兵を討ち取ったとき、織田信忠様は目を丸くして青ざめていた。
「も、森長可と言ったかニャ?」
「信忠様」
「君…血まみれだけど、大丈夫か?」
「ああ、これは全部、敵のだからな」
「…」
あのときの信忠様の反応はいかにも"ありえない"と言わんばかりの顔だった。
またあるとき、関所の役人に止められたことにムカついて「殿の命令ならまだしも、お前の命令なんか聞かねえよ!」と怒鳴り散らかして暴れたもんだから、さすがに殿に呼び出された。
叱られると身構えていたが、殿は大笑いしていた。そして俺に"鬼武蔵"という異名を名付けてくださった
それから俺は戦場の"鬼"として、愛槍の人間無骨を振るい、前線を駆け抜けてきた。
それより少し前の話、一匹狼だった俺は17のときに、織田家の老臣『池田恒興』が岳父という立場になってから身内としてもよく絡むようになった。恒興は殿の乳兄弟だ。そんな奴に俺と関係を持たせたんだ。相当期待されていたのだろう。この関わりのおかげか、その後の池田家と森家の仲は良好であったと言える。
しかしたまに、仲間らに「恒興殿に懐くようになったニャ」と言われるが、そうか?実感は湧かない。
しかしその後、殿が死んだと聞かされたときはさすがに衝撃を受けた。織田家重臣の謀叛であった。殿は最期、炎に焼かれながら舞を踊っただとか。死に際まで勇ましいお方だった。
それからしばらくして、俺は秀吉のほうについた。清洲会議のとき、恒興が秀吉側についた時からいずれ"そうなる"んじゃねえかって気はしていた。
だがな、秀吉に味方したのは、秀吉のためじゃねえ。恒興が秀吉側についたからだけじゃなく、亡き殿のため、自分のため、これからのためだ。あいつに天下を渡す気はない。あいつサルだし。
しかし。織田のもとにいた頃は志は皆一緒であったにも関わらず、なぜ道を違ってしまったのだろうか。
今じゃ織田家はバラバラだ。勝家は秀吉に追い詰められ、利家と成政は敵対。
かつての仲間があっけなく秀吉の掌で転がされているのを感じると、幾分か腹立たしくなってくる。
だが、サルだからという偏見もあり、ナメている部分もあったのは事実だった。
だから俺は油断した。サルにも、タヌキにも。自分が上だと過信して、いつか奪い返してやろうと思っていた。
ツケが回ってきたのだろう。
今初めて立たされている"敗北"という窮地に、俺が慣れているはずがなかった。
そして今。人生最大の敗北を受けた俺は、落とし穴から何とか抜け出し足を引き摺りながら戻ると、恒興に肩を貸されるように介護された。部屋に着いたあと、そこらかしこが痛いくせに、怒りが収まらないことを見せつけるようにドカっと座ってため息をついた
隣には恒興が、せっせと俺の傷を処理してくれている。
「…なあ、恒興…殿」
「その呼び方はやめなさい、と言ったはずニャ。我々は既に身内なのだからな」
目の前では、俺の腕に包帯を巻いてくれている義理の父の姿があった
負けた悔しさと苦さで、ふと呟いてしまう
「俺たちは、いつから道を違った?」
「なぜ俺らは今、織田の子孫と戦わなければならないんだ?」
「最初は皆、殿という道の上でおんなじだったはずだ」
恒興は黙った。
そりゃそうだ。脳筋な俺が、神妙な面してこう語ることすら、異質だった
しかし考えることは恒興もおんなじはずだ
ましてや、殿と距離が近い立場でいたはずだろうから、心の傷は計り知れないだろう
「…考えぬほうが、今はいいだろうな」
「…だよな」
今は戦の真っ最中。しかし秀吉、家康共にいまだやる気がない。それも妙に腹立たしくなってくる
事態はいつ動くのか、事の収束に向けて俺らは身構えるばかりだった
悔しそうな顔をしていた俺に恒興は、強がるなとか、お前はまだ子供だからなとか言って頭を荒っぽく撫でてくれた。同時に、少しばかり寂しそうな顔を見せたような気がした
数日後、恒興が妙なことを提案してきた
「中入り策…だと?」
敵の弱点を突く、いわゆる"奇襲"をしようという旨だった。あの恒興が、野心的で危険に溢れた行動を選択しようとは、思ってもみなかった。
同時に、これは息子である俺の汚名挽回のチャンスを与え、停滞していた戦に勝負をつけようと考えていたのだとも感じた
「お前と私ならできる」
その言葉に論されるように俺も決意を固め、これで決めるのだと、自分の愛槍をいっそう鋭く磨き上げた。
そして俺たちは魅力的な駆けに乗り、危ない橋を渡っていくのだった。
その橋が、既に崩れていたとも知らずに。