来世までのカウントダウン(ただしタイマーは悪魔の手の上) それは雪は降らずとも芯から冷える日のこと。
誰もが口を閉じるような北風が吹く、別れを告げるにはお誂え向きの黄昏時のことだった。
「デルウハ殿、今世もお世話になりました」
別れ際に放つにしては少々重みのある言葉を、所は年末の挨拶のような気持ちで口にした。
ターミナル駅の出入り口は絶え間なく人が通り、車通りが激しく、雑音が多い。だから聞こえないか聞き返されるだろうと思っていた。
「あ?」
案の定、目の前の巨躯は疑わし気な顔でこちらを振り向いた。
『前』の彼であれば針が落ちる音にも反応していただろう。雑踏での一言を聞き逃してしまうということは、それだけ彼の周りも平和だったということだ。それはとても良い兆候だ、と所は思う。
「いえ、何も。それでは」
「何が『お世話になりました』だって?」
前言撤回しよう。以前と変わりないようである。
「……実は、余命宣告を受けまして」
所がそう告げたとき、デルウハは今まで見たことのない表情を見せた。まるでフレーメン反応を起こした猫の顔である。驚きと怒りと呆れとがないまぜになったようなそれが何の感情由来なのか所には分からないが――デルウハの地雷を踏んだことだけは直感した。
「ご、ご安心ください、今世ではデルウハ殿の手を煩わせるようなことは何もありませんから」
そう口にして、ふと多数の事務作業が脳裏をよぎる。ああ、遺言書の作成もしないと、持ち物も処分しなければ、それから……思い返してみればダイナマイトによる介錯は散骨も兼ねていたのか、さすがデルウハは合理的だ。
さて、所の考えでは「さようなら」と同じ心情で発した「お世話になりました」が、デルウハには大きな衝撃を与えていたようである。理屈と感情をきっちり分けて行動できるデルウハにとって所は少々役に立つ良い感じの棒か、過去のことを話せる都合のいいAIくらいに思っていると捉えていた。だから「とりあえず言っとくか」くらいの軽い気持ちで発したのが「お世話になりました」だった。
徐々に青筋の立った憤怒に染まっていく顔に見下ろされながら、言わなければよかったと後悔が募る。寒いのに汗が噴き出してきた。
「選べ。いま俺に殺されるか、命令に従うか」
人通りの絶えない駅前で言うことではないが、もしかすると遠隔ミサイルを撃ち込んでくるのかもと思わせるだけの圧があった。そもそもそれって要求を先に言うものではないですかデルウハ殿。
「――ああ、遺産ですか?全て寄付するつもりでしたが……今世でもデルウハ殿にはお世話になりましたし、ええ、構いませんよ」
「そっちじゃねぇ」
違ったのか。そういえばデルウハは何かの経営をやっていると言っていた記憶がある。かなりの資産を築いているのは想像がつく、だから一市民のはした金など持っても無意味ということか。なら何を要求されるのだろうか?そう考えて想像したのは腹にダイナマイトを巻いてイペリットに特攻する自分の姿である。
どんな風に年寄りの命を有効活用されるのかと恐怖がせりあがってくるが、同じくらい好奇心も湧いてくる。人生二周目、しかも最終局面ともなると自分の命の扱いも雑になってくる。
「分かりました、従いましょう……ですが、あまりお役に立てませんよ?」
今でこそ外出できるだけの体力があるが、それも徐々に衰えてくる。そのうち寝たきりになり呆けて大小垂れ流しになり、ろくな言葉も話せなくなる。坂道を下るような勢いで老いてくのだ。やはり歩けるうちに腹にダイナマイトを巻くのだろうか。爆死は遠慮したいのだが。
「あんたとは『次』も縁がありそうだ。二度あることは三度ある、と日本では言うんだろう?」
「三度目の正直、という言葉もありますよ」
「主従は三世とも言う。これは来世もあるぞ」
「日本語に詳しいですねえ」
今世では知り合い程度の縁だったよなあ、と所は首を傾げた。
デルウハはいつも当たり前のように命令を飛ばしてくるから、先ほどの「命令に従う」という言葉が主従にあたるものだとは露ほども頭に上がらなかった。