淡く甘い光 上手く、不意打ちで奪えたと思う。
触れた体を離してようやく、身に起こったことが理解できたようだ。口を開けては閉めて、言葉を探している。戸惑いの中に、特別を期待するほのかに甘い匂い。堅物なこの人からもそんな匂いがするのかと思った。
へへ、と彼が好きな人懐こい笑みを浮かべると、意を決したように名を呼ばれたから、すみません、と先に謝った。
「してみたかっただけなんです」
どんな反応をするのか、興味があった。
俺の一挙一動に、喜んだり笑ったり悲しんだり寂しそうな顔をしたり拗ねてみたり。あまりにもいろんな顔を見せてくれるものだから。
数秒前に浮かべた甘い期待の光はすっかり消え、傷ついたように濁り、けれどほのかに安堵も混じっているように見えた。引き攣る頬を薄く笑って誤魔化し、もうするなと静かに言う。
「もうしちゃダメなんですか?」
「やめてくれ」
「どうして?」
「してみたかっただけなんだろ?なら、もう済んだじゃねぇか」
「またしたくなるかも」
「……俺の国で口付けは、そんな誰彼、軽くするもんじゃねぇよ」
年長者としての体裁を保つようなキレイな建前を紡ぐ。自分の本心を語ろうとしないのは、侍の美徳だろうか。こんなに落ち着いて見えるけど、本当は?どきどきしてる?人の感情の振れ幅を想像するなんて数年ぶりだ。ああなんだか懐かしい、という気持ちが湧いて、自分が感情の駆け引きからはすっかり縁遠い世界の人間になった事実が針となって身体のどこかをチクリと刺した。
「じゃあ、トシさんの国ではどういうときキスするんすか」
意地が悪い。もう切り上げていい話題なのに、俺の言葉でころころ変わる心情を眺めていたくて引き止めた。悪い癖だ。彼が自分を嫌うことがないと高を括っている。
少し困った様子で俯いて考えていた土方が、川に目線を向けたまま、そうだな、と小さく話し出した。
「俺の国じゃ……好いた者同士が、ふたりきり、互いの情を確かめる時にすることだ」
「へぇ……」
拾った石を無意味に川に放ったら、ちゃぽん、と丸い音を立てて沈んでいった。
好いた者同士が、情を確かめるために。
そんなキスをしてきたのだろうか。これから彼の居るべき場所に帰ってから、するのだろうか。そういえば、彼のことは仕事の肩書き以外大して知らない。いつも魚がどうとか、洗濯物がよく乾きそうだとか、薪がどうとか、そういう目の前に横たわる生活の話題ばかりで、後は俺の昔話。目を柔く細めて耳を傾け相槌を打つ姿を、両親や祖父母以外に見たことがなくて初めは不思議な気分になった。兄が居たならこんな感じかなと思いもしたが、弟のように可愛がってくれている、とはまた違うような気がする。
「……トシさんは、オレとそんなキスしたい?」
土方の柔く細める目のその奥の感情を引き摺り出したい。けれどソレをどうするつもりなんだ俺は。もうじきに居なくなるこの人の感情を知ったところで、その先は?想像で書いた答えに丸をつけてもらって、やっぱり正解だと喜びたいだけじゃないのか。
「俺は……」
固まっていた土方の口が開かれて、心音が耳の側で鳴るようだった。
いま、開けてはいけない箱の蓋に手を掛けている。