老後も仲良くね「なあ、兄ちゃんはさ、六十代、七十代、八十代のジジ──おじいちゃんって見分けつく?」
ある日の夕暮れ。物干し竿から外した洗濯物を手渡していたときに、突然そう言い出した。
「見分け……」
近所の高齢者や芸能人の顔を思い浮かべてみる。当然顔の造型に違いはあるが、年代の違いとなると難しいかもしれない。
洗濯物の最後の一枚を手渡し、縁側にいる悠仁の隣へ座る。そうして顎に手を当てうーんと頭をひねったところで再度悠仁が口を開く。
「俺はつかん。みんな同じに見える」
悪びれることなく言い切った。
「同じではないだろ……。顔のシワとか……服装とか」
そうは言っても、納得して挙げているわけではないそれらは、これといった決め手に欠けていた。俺の様子をじっと見ていた悠仁がピンと人差し指を立てた。
「つまり、俺と兄ちゃんの歳の差なんてジジイになれば誤差」
突拍子もない、とりとめのない話かと思いきや俺たちの話だった。
「兄ちゃん、自分の歳気にしてるとこあるじゃん」
なんてことないように核心を突く。それは感じていても口にしたことはなかった。
「……オマエが三十のとき、俺はもう四十オーバーだぞ」
「『五十、六十喜んで』って言うじゃん」
「ことわざみたいに言うな。生命保険のCMのコピーだそれは」
俺がまごついていても悠仁は構わず続けた。
「とにかくさ。将来、兄ちゃんがしわしわ偏屈腰曲がりおじいちゃんになったとしても愛してるし」
「俺がハゲた歯抜けジジイになっても愛してよ」
それはきわめて軽い口調だったが──愛し愛されることに──疑いなく確信を持って発された。
だが、本人は至って真剣に言っているのに、思わず噴き出してしまった。
広くなった額がピカピカと輝き、歯のところどころ抜けた口元でにっかりと笑う悠仁の顔が想像されたからだ。老け込んでも変わらぬ愛嬌をまとっているであろうことが、いっそう笑いを誘った。
「ウケてる」
「すまん。想像したら……ンブっ、ふふ……」
「こちとらマジで言ってんのよ?」
「ふふ、すまん。わかってる。俺もオマエが『禿げた歯抜けジジイ』になっても愛してるぞ」
同じく確信を持って返した俺の答えに悠仁は「へへへ」と満足げに笑った。
しわしわ。偏屈。腰曲がり。
それらは未来の己の姿としては決して好ましくはない。だが、悠仁がいいと言うのならそうなるのも悪くはないかと思えた。
「いや、ちょっと待て。偏屈は見た目の話じゃないだろ」
「まあ、たとえ? 兄ちゃんがしょぼくれたジジイになっても? 俺はイケオジになりますが」
「おい抜け駆けもするな」
「ジャン・クロード・ヴァンダム、デンゼル・ワシントン、クリント・イーストウッド! かっけぇジジイに俺はなる!」
拳を握りながら海外の高齢の男性俳優を列挙し、どこぞの海賊のように力強く宣言した。
「あとジジ兄ちゃんは庭で盆栽睨んでそう」
「妙な愛称をつけるな」
「ある日近所の高校の野球部男子が庭にボールを打ち込んできて、偏屈ジジイが大切にしている盆栽の鉢を割ってしまい──変わり者の老人と男子高校生との交流が始まったが──あ‼ 俺がいるのにダメダメそんなの! 解散! 公開中止! 製作中止‼」
手で空を切り、つらつらと語った存在しない映画のあらすじを霧散させる。しかし老人相手に『俺がいるのに』とは。ジャンルはヒューマン映画でなく恋愛映画なのか?
「将来犬飼いてえな〜。一緒に朝夕散歩させたい。あ、猫のがいい? その前にウチのバリアフリー化かな。エレベーター付けて……その前に食洗機! 乾燥機も!」
「犬も猫もいいな。家事も楽に越したことないからな」
ふたりして気が早すぎる老後の生活を思い描く。
今は笑い話でも──生命保険の受取人名義の変更、不動産の整理等──いわゆる終活もそのうち他人事ではなくなる。いずれ来る老いと向き合うのは楽しいものではないが、自分ひいては悠仁のためだと思えば。
一日でも長く健やかな日々が続くことを願い、若さと健康のためにできること──スキンケアやジム通いを検討しようと思った。