明らかに風邪を引いてしまった。自分の吐く息の熱さを感じる。それ程までに体温が上がっているのだろう。脇に挟んだ体温計を取り出すとそこに表示された数字は38度を超えていた。思った通りだ。2、3日前からどうも身体の調子が悪かったがここまで酷くなるとは思いもしなかった。とりあえず水分を取ろうと冷蔵庫を開けるとまともに物が入っていない。
「くそっ………」
数歩、歩くのがやっとのこの状態では外へ出歩くことも出来ないだろう。それに外は生憎の雨で大荒れ。この状態で誰かに頼るのも気に食わない。だがこのまま野垂れ死ぬ訳にもいかなく悩んだ末に俺の片割れであるミスタに連絡することにした。そして、必要最低限の情報をスマホで送り、再び布団に潜り込む。目をつぶってみるが眠れる訳もなく、ただ雨風でガタガタと揺れるボロアパートの片隅で縮こまった。
どれぐらい経っただろうか。俺はインターホンの音により身体を起こした。漸くあいつが来たのかとふらつく足取りで玄関の扉を開けるとそこに居たのは光ノだ。
「リアス、生きてますか?」
「当たり前だろ…」
俺が連絡したのはミスタのはずだ。そうか…あいつが光ノを寄越したのか。こいつに風邪を移さないために連絡したはずがこれでは本末転倒だ。
「はぁ…今すぐ帰れ」
「せっかく買ってきたのにその言葉はなんですか!?」
光ノの手元を見るとビニール袋に入った大量の食料と冷却シート。
「いいから…かえっ…」
持ってきた物だけ受け取り、追い返そうとしたがそれは叶わずフラついて倒れそうになってしまった。そんな俺を支える光ノ。そんなこんなで俺は気づいた時には既にベッドの上にいた。
「もう…こんなになるまで何故、私を呼ばなかったんですか?」
いつもなら俺のことを小馬鹿にするはずの光ノが珍しく心配そうな表情を浮かべている。正直言ってかなり嬉しいが、そんな気持ちとは裏腹に「すまん」なんてぶっきらぼうに答えてしまった。そんな俺に呆れながらもテキパキと看病の準備を進める光ノ。前髪を寄せられ冷却シートを貼られる。
「凄く熱い…辛いでしょうに…」
そう言うと光ノは貼られた冷却シートよりも冷たい手を俺の頬に宛てた。ここに来るまでに雨で身体を冷やしてしまったのだろうか。このままでは自分だけではなく光ノも風邪を引いてしまだろう。さっさと返さなければいけないのは分かっている。しかし、この心細さに耐えられない俺は腕を掴むとそのまま抱き寄せて胸に顔を埋めた。光ノは驚いたように目を見開いたがすぐに優しい表情に変わる。そして、ゆっくりと頭を撫で始めた。
「全く……本当に世話のかかる人ですね」
「うるせぇよ……」
そう言って静かに俺の頭を撫でてくる。普段なら振り払うところだが今日はその手を振り払うことは無かった。これは熱のせいだ。だからこうやって甘えてしまうのだと。そう自分に言い聞かせる。俺はこの温もりを離したくない一心で抱き締める力を強くした。
「俺を行かないでくれ……1人にしないで……」
「私は何処へも行きませんよ?だから安心してくださいね」
俺は無意識のうちに口にしてしまっていたらしい。それに対して光ノの子供を宥める親ように囁く声はとても心地よく感じられた。
俺が次に目を覚ました頃、雨は止み、外はすっかり明るくなっていた。ふと、隣を見ると光ノの姿がない。それが分かると急に不安が襲ってきた。いや、1人なのはこれまでと一緒のはずだ。大丈夫、寂しくなんかない。そう思っていたはずが気が付くと涙が溢れ出してしまった。
「リアス〜起きてますか?」
ドア越しに聞こえてきた声を聞いて思わず飛び起きる。先程までの弱った姿を思い出し、恥ずかしくなる。それを悟られぬよう急いで涙を拭き取ろうとするが次から次へと涙が溢れ出して止まらない。そして、ガチャリと音を立てて部屋の扉が開かれるとそこにはエプロン姿で何やら皿を持った光ノが入ってくる。
「リアス…貴方…泣いているんですか?」
「光ノ…まえ…どこいってっ…たんだよ…」
俺は光ノに子供みたいに飛び付くようにして抱きついた。そして、再び泣き出す俺に困惑しながらも光ノは背中をさすってくれた。
「よしよし、泣かないでください。リアスの為に林檎のうさぎさんを作って来ましたから」
「んだよ…それ…」
光ノは少し照れたような表情を見せながら俺の前に皿を置く。そこに乗っていたのは真っ赤なうさぎだった。あの料理ができない光ノが切ったとは思えない程、綺麗に切られている。
「これ、本当にお前が切ったのか…?」
「失礼な!これでも小さい頃によく風邪を引いた闇ノに切ってあげていましたからね」
ドヤ顔をして胸を張る光ノを見て思わず笑ってしまう。そして、俺はりんごを口にした。シャリッとした食感と甘酸っぱさが口の中に広がりとても美味しい。
「ほら、リアスもう一口どうぞ。あーん……」
「はぁ!?自分で食えるって!」
意地悪そうな笑顔を浮かべながら林檎を刺したフォークをこちらに向けてきた。俺は口ではそう言いつつも素直に差し出された林檎を食べると光ノは幸せそうな顔でこちらを眺めている。まるで夫婦みたいだなんて柄でも無いことを考えてしまった。
「なんだかこうしてると新婚夫婦みたいですね」
「ばっかじゃねぇの……」
まさか自分と同じように考えていたとは。熱はすっかり下がっているはずなのに顔がどんどん熱くなっていくのを感じる。きっと今の俺の顔は茹でダコのように赤いのだろう。そんな俺の様子が可笑しかったのか光ノはクスクスと笑い出した。
「ふふ…林檎を食べたらもうひと眠りしょう。早く治すにはよく寝てよく食べる事が大切ですからね」
そう言って俺の手を握ると優しく微笑んだ。こんなにも誰かに大切にされたのはいつぶりだろうか。俺は今までの人生で他人にこれ程までに優しくされた記憶がほとんど無かった。だから、こうして光ノが側にいてくれるのが嬉しくて堪らなかったのだ。
「もう少しだけ一緒にいてくれ」
「今日は甘えたですね」
「別に甘えてなんかねぇよ」
「ふふ…そうですね私が勝手に甘やかしてるだけという事にしておきましょう」
そして、俺は光ノの手を引き、2人で布団に入った。他愛のない話をして笑い合う。そんな些細な時間でさえ幸福だ。俺はこの時が永遠に続けばいいと願った。
「光ノ……ありがとな」
「いえ、困った時はお互い様ですから」
2人は互いに見つめ合うと自然とその距離は縮まっていく。そして、唇同士が触れ合った。
「んっ…はぁ…こ、こういうのは風邪が治ってからにしましょう……」
「そ、そうだな…続きはまた今度にするか…」
「はい……」
それから暫くすると光ノはすうすうと小さな寝息を立て始め眠りについたようだった。その横顔を見ながら俺は改めて実感する。ああ、これが幸せなんだなって。そうやって俺は幸福感に浸り、目を閉じた。