つづき「寂しい」
大きな背丈からは想像がつかぬほど小さく縮こまり、白髪の青年が同じ布団の中でうずくまっている。
私のベッドではなかったか。ここは。いいや、間違いなく自分のものだ。
しかし、聞こえてきたすすり泣く音と、静かな呟きが監督生の思考をすぐにかき消す。
「我輩も誰かと、喜びを分かち合いたい」「幸せを分かち合いたい」「楽しさを、一緒に」
青年はあまりにも痛々しく、弱々しい姿で本心を吐露していた。監督生の声は聞こえず、当然姿も見えていないのだから、本来は誰にも見せることのない、胸の内なのだろう。
数日の間とはいえ、監督生はこの青年が幾度となく泣き、その度に立ち直り、走り回る姿を見守った。ただ、ここまで弱く、小さく感じられたことはない。何も知らないはずなのに、監督生の心にも痛みが走って、締め付けられる思いがした。
思わず、手を伸ばした。そこにはなんの感触もなく、監督生の手は青年の身体を突き抜ける。それでも青年の背中を貫く腕を曲げ、そこにあるかもしれない存在を抱きしめる。
「きっとあなたには見えないし、聞こえないけど」「私が見てるよ」
青年は何の反応も示さない。
「だから、もっと笑って」「あなたの楽しいことを教えて」「あなたの好きなことを教えて…」「私にあなたが見える限り、一緒にいるから」
ややあって、青年は頭まで被っていた布団を離し、上半身を起こした。
そうして自身の右手を見つめ、ゆっくり開き、握りしめ、また開く。そして勢いよく握った。
「…いいえ。我輩にはジャック様がいる。寂しいはずもございません!貴方様1人が、そしてハロウィンが、我輩の心にあれば十分なのです!」
「誰かに…わかってもらう必要なんかない…ないんだ…」
右手を握りしめ、自分に言い聞かせるように、決意を固めるように。監督生の存在は、やはり青年にはわからない。
やがてハロウィンが間近に迫って、窓の外にも装飾が増えていく。それを眺めているのかいないのか、青年は「ああ、いけない。あの中身のない空っぽどもが、また騒ぎ立てている。やつらはなにもわかっていない。もうすぐハロウィンだというのに」と憎そうな顔をして1人準備を進めていた。どこから持ってきたのか、かぼちゃを丁寧にくり抜いたランタンや、箱いっぱいの黒い布が出来上がりつつある。
「やはりハロウィンはこうでなくては。静寂で、素朴で、清貧な。」
そうしてにっこりと、片方の口角をぐいとあげて笑う。最近、この青年はあまり泣かなくなった。
監督生は物悲しさも覚えていたが、自分は青年に干渉できない。見守ることしかできなかった。当初こそ監督生が何もない場所を見つめたり、1人でしかめ面をしているのを指摘していたグリムだったが、やがてこちらも何も言わなくなった。
もうハロウィンが3日前に迫っている。相変わらず青年はドタバタと忙しなく、しかし以前よりも妙に落ち着いた振る舞いで、ハロウィンの準備に勤しんでいた。
「ああ!あれが足りない。麓の街まで買いに行かなくてはなりませんね」
突然立ち上がって、それだけ言うと、サッとドアから外へ出て行こうとする。
「待って、わた…僕も行く」
声が届かないことなどわかっているが、監督生は青年に話しかけるようになっていた。今日の授業や、生活の中で面白かったことを話す。相槌もないが、青年は時折大きな独り言を発するため、奇跡的に会話のようになることもある。
何となく嫌な予感がしたのだ。今目を離すと、よくない。呼び止めて、もちろん聞こえないので意味はないのだが、追いかけようとしたところ、目の前でバタンと扉が閉められてしまった。
そうして、青年は丸二日間、帰ってこなかった。結局、ドアを閉めた後の青年の足取りはわからず、監督生は膝を抱えて、彼の帰りを待つ他なくなった。増えていく窓の外の装飾を眺め、ふと青年が用意していたハロウィンの装飾を、飾りつけようと思い立った。立ち上がり、周囲を見まわし、例の黒い布や、かぼちゃを探す。
かぼちゃはともかく、黒一色の布を、どう飾り付けする予定だったのだろう。しかもあんな大量の…あれ?
そこで準備していたものが1つもないことに気づく。箱いっぱいの…黒い布は?ランタンもない。果ては、準備に使用していたナイフや、縫い針といった道具も無くなっている。縫い糸の一本すら見つけられなかった。
「グリム、黒い布…知らない?」
話しかけた後で、監督生に構いきれなくなったグリムは、エースたちとハロウィンの街へ出てしまっていることに気づく。
1人か。なんだか塞ぎ込むような気持ちになり、広間のソファに座ろうとした。そこでふと、壁にかかった1枚の肖像画が目に入った。そこまで大きくはない。埃のせいなのか、光の反射か、肖像画の顔が見えない。ソファの上に立ち、ごく薄く積もった埃を払った。肖像画の人物が、木のうろのような目が、ばちり、と合う。その瞬間、バタン!と大きな音を立ててドアが開いた。
「さあ!今年のハロウィンはもう数時間しかないんだ!急がなければ!」
「これからのハロウィンは。派手で、豪奢で、賑やかな。恐怖を、楽しさを、喜びを。全てを分かち合うハロウィンにしよう!」
あまりにも晴々とした笑顔で戻ってきた青年に目を奪われる。
「ヒ…」「ヒヒ…」
「イーヒャッヒャッヒャッ!」
元気に、少し下を向いて不敵に笑う顔には、黒くて大きな大きな、まんまるのサングラス。
「あ」
監督生は大きく目を見開いた。脳裏で記憶が瞬く。「あなたは」
青年が顔を上げる。肖像画と同じ目が、サングラスの闇夜の中で、ランタンのように輝いている。
「我輩の名は、スカリー・J・グレイブス!」
「さあ、ハロウィーンを始めよう」