とばりの枷異世界に渡り監督生を迎えに行き、無事に彼女を連れ帰ってきたエース・トラッポラは、一躍時の人となった。
なにしろ、まだ高校生でありながら将来を約束した相手が居ることが、学園中に知れ渡ったのだ。
そんな彼が変化したかと思えば….…変わらなかった。
相変わらず飄々と要領良く立ち回り、楽しいことを優先させる。
変化したのは、監督生はますます真面目になった。
これまで以上に様々な相手と交流を深めるようになった。
真意を聴けば「そうかな?」とはぐらかすばかり。
その姿を見てエースは、どこか面白くなさそうに眺める。
「不満があるなら直接言えばいい。
言わずに不貞腐れるなんて、君らしくない」
見かねたエースの所属寮の寮長であるリドルは、彼を呼び出してそう告げる。
それを受けて、エースは気まずそうにそっぽを向いて頭を掻く。
「オレがアイツに全部捨てさせたのに、アイツになにか言うなんて、出来ませんよ」
低く呟かれた言葉に、リドルは目を見開いた。
「君は、覚悟を持って彼女を連れ帰ったのではないのかい」
「覚悟はしましたよ….…したつもりだったんすよ」
覇気なく落とされた言葉は、リドルの部屋の沈黙を深くした。
*
「監督生は、自分の世界を捨てたことに躊躇いはなかったのか?」
パックのジュースがへこむ音が、二人の間に響いた。
エースがリドルに呼び出されたあとに、監督生が部屋を訪ねてきた。
二年生になりふたり部屋になっても、エースとデュースは同室で、デュースの歯ぎしりが相変わらずでうるさいとぼやいていたのを、思い出していたところに投げかけられた言葉で、手に持っていたジュースを一気に飲み込んだ。
茶化しているわけでもないマブの言葉に、監督生は真顔で言葉の主を見つめた。
「んー、躊躇わなかったわけではないかなぁ」
ストローから口を離して、のんびりと語る彼女の髪は一年生の時よりも長くなり、まるで昨年までのポムフィオーレ寮の寮長・ヴィルが寮長服を身にまとう際にしていたように、丁寧に纏められている。
「でもさ、エースと離れたくない気持ちが強かったんだよね…それにさ….…」
一旦区切られた言葉に、デュースは首を傾げる。
その様子に、監督生は笑みを浮かべた。
その瞬間、扉が勢いよく開かれてもう一人の部屋の主が帰ってきた。
彼は、監督生の姿を認めると険しい顔つきになり、ツカツカと彼女に近づいて手首を掴んだ。
「エース」
「あのさぁ、なんで男と二人きりで密室にいるわけ?グリムは?」
「男って、デュースじゃない」
「でも男でしょ」
「どうしたんだ、エース」
「エース、手…痛い」
エースは言葉を無視するかのように、そのまま彼女を引き寄せる。
「あのさ、デュースはオレよりちからが強いんだよね。
ロクな抵抗も出来ないのに、コイツが変な気起こしたらどうするの?」
「でも、デュースだよ」
「監督生、でもエースの言うことも…」
「デュースは黙ってろよ」
いつもになく険悪な雰囲気を醸し出しているエースの様子に、デュースは口をつむぐ。
「なあ、オレ以外見ないでよ。
オレだけ見てよ。ちゃんと守るから、責任取るから見捨てないでよ」
言いながら俯くエースに、デュースは困惑を隠しきれなかったが監督生の表情は静かだった。
「んー、あのさエース」
この場面にそぐわないくらいに、彼女の口調は軽かった。
そして、そのままごく軽く言った。
「大丈夫?おっぱい揉む?」
「「は?」」
おおよそ彼女の口から出たとは思えない言葉に、部屋の空気の重さが霧散した。
「なんて?」
デュースの少し間の抜けた問いに、彼女は変わらず軽い様子で重ねる。
「いや、だからエースにおっぱい揉むかって聴いてる」
少し恥ずかし気に再度言うので、聞き間違いではないらしい。
「今、そんな空気じゃなかったよね!?ふざけてんの」
「ようやく目が合った」
我慢しきれずツッコミを入れた彼が目にしたのは、微笑む彼女の姿だった。
「あのねエース、別に他に目移りしてるわけじゃなくて、エースの負担になり過ぎないように今のうちに地盤を固めようとしてるのよ」
彼女は、彼の目を見てゆっくり語りかける。
一度毒気を抜かれた彼からは、剣呑さがすっかり抜けて、デュースは『流石猛獣使い』と場違いな感想が胸中に浮かんだと、後に語った。
「ねぇ、私はエースに責任をとって貰いたいんじゃなくて一緒に人生を歩んで欲しいんだよ。
一緒に、しあわせになろうよ」