初めて長く赤い髪がゆるりと垂れ下がっている。
彼の頬をくすぐるにはまだ距離があった。
ポルナレフは目の前の男の表情を読み取ろうと集中した。
消して豪華な訳では無いが、教育の行き届いた従業員達の手によって美しく輝くように白くパリッと糊付けが施されたベッドの完璧なシーツは2人分の男たちの体重を受け止め、可哀相にくしゃくしゃによれてしまっている。背中をべったりとシーツに沈めた男の太い手首は別の手によって更に上から押さえつけられていた。服に覆われてない素肌にはコットンのザラついた繊維質を感じる。倒れた瞬間マットレスの内部のバネがギィと声を上げて突然の攻撃に反発した。最初にシーツに触れた時は無機物らしくひやりとしたのに今ではポルナレフの熱がじわりと染みて本来の機能の通り、彼の熱を逃がさぬよう温かく包んでくれた。
互いの呼吸音が聞こえる程静かな空間で男たちはじっと見つめ合っている。瞳の奥に何が隠されてるのかを知るために。
紫色の瞳はそのまま脳天でも射抜くかの如く男の顔面を熱心にジッと見下ろしていた。いつもは隣にいる─、彼のかわいい旋毛が見えるくらいの身長差があったはずだが、世界に逆らったかのようにおれの上にいておれは見上げているという状況、普段では起こり得ない奇妙な展開と乏しい情報の中で唯一理解出来る事といえば、この視線の主はおれの顔面に唯ならぬ熱を込めて眼差している事だけだった。勘違いなんかじゃない、だってあまりにもおれを食い入るように見ている、おれの中に何かが居て、それを引き摺り出そうとしているようなギラついた瞳だ。
しかし、それだけだ。見ているだけ。
意図が分からないまま不安と緊張が内側からじわりと込み上がり、相手に悟られぬよう、あの瞳に感情を吸い取られないようにと眉間へ微かに力を入れ、ライトブルーの澄んだ瞳も小さく揺れながら慎重に相手の様子を伺う。
ポルナレフの表情が小さくぐるりと歪む、僕が何を考えてるのかわからないって感じだ、そりゃあ愚鈍な君にはわからないだろう。賢い僕だってわからないのだ。
花京院が何を考えてポルナレフを押し倒したのか。
別になんてことは無い、いつもの言い合いとじゃれあいに盛り上がり勢いがついて単に(物凄く単純な答えだ)、ビビらせてやろうって思ったわけだ、僕は何にも考えちゃいない。
それなのに押し倒す瞬間、ポルナレフは僕に不可思議な表情を向けた。
たった一瞬見えただけの表情、視界の隅々までそのまま写真として脳に焼きついたかのような衝撃を受け、自分でもそれ程かと驚いた事に更に動揺した。いつもの驚かされて笑ってるときのそれではない、花京院が今まで過ごした日々の中から少しずつ記憶した彼の喜怒哀楽の表情のどれにも当てはまらなかった。ただ、初めて見たその顔にとても興味があった。
花京院は賢い男だ、冷静沈着で常に仲間の動向を伺い瞬時に判断し意見を率直かつ的確に伝え、いつも口を引き締めて真面目ぶった優等生面をしている。おれがあいつぐらいの歳だった頃はどうだったろうか、毎日ギャアギャア騒いでバカな友人たちとバカをしていた記憶しかない。彼のように理性を従え凛と佇んではいなかった。おれとは違うタイプだと思った。
陽が落ちてまた昇る回数の割に濃密な時間が過ぎていき、互いのことを嫌でも深く知ってしまうこの旅で花京院にもユーモアを楽しむセンスがあることをポルナレフは知った。
ただそれだけだ、そこからは毎日小さなくだらない冗談を言い合って笑う、何年も前から親友だと信じてしまう程の心地良い信頼と安心。ポルナレフは花京院がふざけてたとしても実際に押し倒してくるような男とは思っていなかった、世辞でも上品とは言えないいつもの笑い声で終わるか、優しくも力強い拳でおれの身体を小突いてくるか、そのどちらかでこの話のオチはつくと思った。
日常の冗談として出た言葉。
初めて見る表情、熱い眼差し、奇妙な展開、静かな空間。
花京院の緩やかな髪が彼の頬に触れた。
ふたりの世界は暗くなり、また光を得る。