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    kk14ac

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    幕間-ジネ・マニングSS化
    ミラージ共和連邦(偽)到着前の夜の一幕

    ##SS
    ##その旅路の終わる頃に
    ##ジネ・マニング
    ##この旅路の行く先に

    テントの外で膝を抱える。晴れた夜空に瞬く星の数々、なんの異常も見当たらない、穏やかで平和な夜番。焚き火と毛布の温もりに包まれながら、何とはなしに空を見上げる。マカジャハット王国を出て数日、ミラージ共和連邦へと続く道中の野宿、その真っ最中だった。見上げた星はグランゼールでも、ここでも変わらない。数回、瞬きをしてからまた地平を見やる。少し乾燥した草原地帯、耳を澄ませば風に揺れる葉の音に、火の爆ぜるリズム。大地を包む月明かりは、空のてっぺんから全てを見下ろしている。時折、薄く雲が明かりを遮る様子は、月が瞬きをしているようだった。心地のよい静寂が、この夜に降り立っている。

    風が柔らかく髪を撫でていく感覚に目を閉じ、ほんの少しの物思いにふける。グランゼールで依頼を受けてから、ずっと頭を離れない場所がある。この先に待つ、生まれ故郷の砂漠。それから、左手に見える黒々とした森。そう、お師匠に拾われてから八年の年月を過ごし、去年に飛び出したあの地。ほんの少し足を延ばせば帰れてしまう、そんな距離に今日、野営地を構えている。

    気にならない訳はなかった。ここにテントを張ったのはぐうぜん。だけど、今日はこの辺りで野宿にしよう、と、誰かが言ったそのときから、私の心臓は早鐘を打っている。……帰る気は、ない。この辺りが私の、生まれ育った故郷だと伝える気も。もう少し別の方角へ進めばあの村も見えてくるけれど、村にも、森にも、バーバラもいなければあの人もいない。何ひとつ、旅の目的は達せていないし、なにより、二人がいない場所に帰っても、寂しさが増すだけだから。

    だから帰らない。みんなは優しいから、この辺りが故郷だと伝えれば帰ることも許してくれるだろう。でも、一度戻ってしまえば、旅を続ける気持ちが揺らいでしまう、そんな気がしている。…この先も、きっと大丈夫。みんながいるなら、少しくらい怖くたって進める。自分のなかの恐れをほどくために戻って、そうして離れられなくなることの方が、怖かった。

    …だからこの晩、この夜番の間に自分に許したのは、外から森を眺めることだけ。一度風が強く吹き、瞼を押し上げる。

    ──視界の端に、何かが映った。なにか、緑色に光るもの、それが森の方面に立っている。いや、立っているというよりも、そこには何かが"いた"。顔があるかも分からない何か。顔を向け正面にそれを捉えれば──確かに、目が合った。

    「なん、だろう……」

    妖精だろうか、精霊だろうか。ゆっくりと立ち上がり、数歩、歩みを進める。かけていた毛布がばさり、地面に落ちた。光は動きに反応したのか、茂みへと入っていってしまった。そのまま消えてしまうのかと思えば、まだその燐光は見えている。近付いた分だけ遠のき、歩みを止めれば光も止まる。それを繰り返していればいつの間にか、森のすぐそばまで来ていた。目の前に大きく口を開ける、黒。夜の中でもぽっかりと、そこだけ光が失われているような闇。風がゆったりと森へ吸い込まれ、奥からはごうごうと、木々が葉を揺らす音がする。その遠くで、まだ光は揺らめいていた。

    待たれている、誘われている。森へ、奥へおいでと。

    一歩、踏み出そうとして、ハッとした。夜番、を、しなければ。振り返れば遠くで焚き火が小さく揺れている。みんなが眠っているテントがある。勝手に抜けて、その間にみんなに何かあったら、わたし。

    ─でも、もしかしたら?なにかあったら?

    何があるかも分からない。何もないかもしれない。それでもなぜか、切り捨てられない期待がある。横目で森を再び見る。光はまだ同じ場所に佇んでいた。

    踵を返し、駆け足でテントへ戻る。荷物を漁って書き置きを走り書きの文字で記した。重し代わりにランタンを乗せ、焚き火に薪をくべる。十分な量を足して、杖を手に取り、走り出した。ごめんなさい、と胸の中でみんなに謝りながら。

    光はまだそこで待っていた。上下する肩に、乾いた口。唾を飲み込み、森へ一歩、足を踏み入れた。

    いくら住んでいたと言っても、夜更けの森は暗い。こんな時間に森を歩くことも、暮らしていた頃はなかったし、禁止されていた。月明かりは届けど、木々の影が絡み合って、私は夜にすっぽりと呑まれてしまう。それでも、外から見るよりは森の中はいくらか明るい。月影が宙に漂う柱のようになって、頼りない視界を補う。青白く揺らめく微かな光のなかを、どれほど歩いただろうか。あの光は絶えず揺れながら数歩先にあって、止まる様子はなかった。ふと、森へ入ってきた方向を見るために狭い空を見上げ、後ろを向く。月と星の位置を見て、方角を確認して視線を前に戻すと、眼前にはただ、木立が広がっている。

    「え、あれ……?」

    先程まであった光がない。さあ、と胸を冷たいものが通っていく。慌てて辺りを見回しても、月明り以外の光はどこにも見当たらなかった。来た方向は辛うじて分かる。でも、私、どこまで入り込んでしまったのだろう。野生の生き物もここには多く暮らしているし、蛮族も少ないながら存在している。下手に森を抜けて海岸線へ辿り着いてしまえば、その先にも危険がある。心臓が焦り始める。どうしよう、と小さく呟いたのとほぼ同時、すぐ横の茂みから音がした。

    肩が大きく跳ね、身体が硬直する。目を光らせた一頭の獣が、茂みからゆっくりとその姿を現す。野生のトラだ。月光がその毛皮を撫でるように反射させる。私を遥かに上回る巨躯を低くし、殺意を乗せた視線をじっとりと向けてくる。汗が背を伝い、血の気が引けていく。小さく息を飲む音で喉がなった。途端、獣が跳躍する。鋭い爪、剥き出しの牙が眼前へと迫る。

    あ、だめだ。

    目を閉じ、身を固くすることしか出来ない。痛みと死を覚悟した。

    刹那、真っ暗にした視界を、金属音が貫く。痛みはなく、衝撃もない。恐る恐る目を開ければ眼前に、誰かがいた。誰か──背の高い青年が、盾を構え、獣の牙を防いでいる。

    「だ、だれ…!?」

    思わず出た声には反応せず、青年は盾で凶器を押しとどめたまま、反対の手に握った剣を威嚇するように振るった。その刃の煌めきを見て我に返る。

    「お、お手伝いします!」
    「いや、大丈夫。ちょっと待ってね」

    随分と落ち着き払った声だった。前を見据えたまま青年は答え、獣との距離を詰める。呆気にとられたまま、攻防が目の前で繰り広げられる。獣の攻撃の全てを受け切り、長身を翻して剣を突き出す。暗さでよく見えないけれど、手慣れた身のこなしだった。数度の攻防の後、やがて獣は諦めたようで、その姿を闇に潜ませ帰っていく。その場に呆けたままの私と、剣を鞘に収めた彼が残された。

    「危ないところだったね」

    そう言いながら振り返る彼に慌てて頭を下げる。

    「あ、ありがとうございました」

    月明りが差し込む。顔を上げて、漸く彼の姿を視界に収め、驚いた。腰の辺りに、小さな一対の羽。深い青の髪からは、羽毛が耳の位置に。

    ──彼は、ガルーダのウィークリングだった。

    きっと歳はそんなに変わらない。けれど、その人が私よりずっと大人びて見えたのは背が高いからだけじゃない。さらり、と揺れた髪の向こうに、湖面のような澄んだ水色の瞳があった。

    「今回は助けられたけど、こんな夜分に女の子一人じゃ危ないよ?」

    少し呆れたような声色がちくり。上から注がれる視線の不慣れさとその気まずさで、思わず目線を下げてしまう。そうして、自分がどうしてここにいるかを思い出した。

    「すみま、せん……。えっと…そうだ、この、私、森の外で仲間たちと野宿…してたんですけど、なんか光る、ものが森に入るのを見て追いかけてきて…えと、そういうの見てません、か」
    「あぁえと、自己紹介!まだ、でしたね、ごめんなさい」
    「えっと……ジネ・マニングって言います。さっきはありがとうございました」

    慌てて頭を下げる。言い終わってから、自分の焦り具合が恥ずかしくなって、今が夜でよかったと思った。名前を告げたときに、僅かに彼の気配がこわばるのを感じた。表情を窺えば、少し呆けたような顔をしている。

    「ジネ・マニング……」

    音を確かめるように彼が復唱した。はい、と顔を上げて返事した私の顔をじっと見ている。観察、されている。

    「その目…君もなの?」

    肯定を示せば、彼の肩の力が抜けた。その様子に少し安堵する。

    「…うん、僕はラディ。よろしくね、マニング」
    「はい。よろしくお願いします。…えっと」

    彼の名を呼べない。ああやっぱり、あなたもそうなんですね。

    「えっと…今、あなたが私のこと、マニングって呼んでくれたみたいに…私もあなたのこと…別の名前、でお呼びしたいです」

    私の申し出に彼は、少し面食らったようだった。瞳を一瞬丸くして、それから困ったように目尻を下げる。

    「…そう、ありがとう。でも残念ながら、僕にはこれ以外の名前がないんだ」

    そう、なんですか。なんて返事をしながら、少し困ってしまう。優しい声色のあなたのこと、『なんでもない』なんて、呼びたくないのに。

    「マニングというのは…」
    「勝手に名前を付けるのもあれですし…とりあえず、”お兄さん”ってお呼びしますね」

    あ、いけない、被ってしまった。

    「…っはは、お兄さん、か。そんなに…上に見えるのかな」
    「うーん…同じくらいかもしれないですけど…でも、お兄さんって、感じがして」

    彼が軽く笑ってそういうものだから、私も思わず笑みが出る。小首をかしげて、お嫌でした?と彼に問う。

    「別に、嫌ではないよ」
    「よかった。…っと、さっき、何か言いかけました?」
    「ああいや…その、君の”マニング”が、誰かに付けてもらったのか、と思って」

    軽く肩をすくめて、彼がそう投げかける。

    「そうです。”マニング”は…私のお師匠からもらいました」
    「お師匠?お師匠がいるのかい」
    「はい。今はどこにいるかわからないですけど……大事なひとです」
    「ふぅん…まあ色々あるんだね」

    彼の反応の意図が分からなくて、首をかしげる。でも言及するのもなんだか憚られて、話題を変えた。

    「ええと、その…はなし、戻すんですけど…私がここに入ってきた理由……えと、光る何か…?は、お兄さんは見てませんか?」
    「そうだね……僕は見てないけど、森に入る光る何か…ね。妖精か何かが、いたずらしたんじゃないかなぁ」
    「んー…そう、だとしても、確かに目が合った気が…したんです。だからその…気になって」
    「まあ、そうやって君を呼び寄せたんだろうね……。目的も分からないというか…多分、目的もなにも無いんじゃないかって僕は思うけど」

    腰に手を当てて彼が言う。

    「そう、ですか…」

    「何かあるかもしれない」なんて、やっぱり思い違いだったんだ。もしかしたら、と何かを期待していた自分と、そのせいでお兄さんに迷惑をかけてしまったことが恥ずかしくなる。このまま閉口して沈黙が訪れるのが少し怖くなって、質問を彼に投げかけた。

    「えっと…ところで、お兄さんはなんでここに?」
    「ん、僕はここに住んでるからね」
    「へ?」
    「住んでるんですか?」

    思わず素っ頓狂な声が出てしまう。記憶をいくら辿っても彼の顔はでてこない。もしかして迷惑をかけただけじゃなくて、とても失礼なことをしているんじゃないかって、焦りと疑問符がぐるぐるし始める。そんな私の様子には気も留めない様子でお兄さんが答える。

    「まあ…正しくはもうちょっと向こうの村に、だけど」
    「今日は木の上で寝たい気分でね」

    やっぱりあそこだ、と確信しても、どうしても思い出せない。諦めてお兄さんのこと知りませんでした、と白状すれば、今度は彼が疑問符を浮かべた表情をした。

    「ん?どうして君が…君は知らないだろう」
    「あ、えっと…その、いちねんまえ…確か一年前、は、ここで暮らしてたんです、私。その、さっき言ったお師匠と一緒に」

    ぱちぱちと瞬きをして、そうだったのか、と彼が返事する。続けて、彼がこの辺りに住み始めたのは半年ほど前のことだと教えてくれた。覚えていない、なんてことをしていなくてほっとした。

    話が一段落したところで、また、あの光の存在がよぎる。やっぱり確かめてみたい、どこか諦めきれない思いに続けて、一つの考えが浮かんでしまう。ここまで来たなら、ほんの少しなら、帰ってしまってもいいんじゃないか、なんて。それに覆いかぶさるように、夜番を抜けてきていることも思い出す。進みたい、帰りたい、戻らなきゃ。ようやく落ち着きかけた心がどうしよう、の波に呑まれてしまう。その迷いが声に出ていたようで、お兄さんに声をかけられた。

    「どうしよう、というのは?」
    「え…っと、さっき言った光、が本当に妖精のいたずらなのかな…って、でも、……探しても何もない…です、よね、きっと。そしたら私、戻んないと…」

    おずおずと答える。戻らなきゃ、と分かっていてそう口に出しても、迷いが止むことはなかった。

    「そうか、仲間がいるんだったね」
    「はい、夜の番を抜けて来ちゃったので…」
    「それは大変だ。じゃあ、森の外まで送ろうか」
    「……いいんですか?」

    彼のその申し出に、顔を上げる。

    「ああ、それくらい構わないさ」
    「ありがとうございます」

    お礼を告げると同時に、新しい考えがまたひとつ。外へ連れて行ってくれるひとがいるなら、あそこなら。

    「ええっと、その……。お兄さんは近くの村に住んでる、んですよね」
    「ああ、そうだよ」
    「そうしたら、その村の…お墓、がこの森にあるのも、知ってますか…?」
    「お墓……。ああ、共同墓地…のことかな」

    首肯して、言葉を続ける。これからする、お兄さんの優しさにかこつけたお願いに申し訳なさが込みあがる。

    「えっと…そこ、に…少し、寄ってもいいですか…?」
    「ああ、そうだね…一年前に住んでたというし…誰か、仲良かった人でもいるのかな」
    「…はい、お世話になった人…バーバラという人がいました」

    そう答えると、お兄さんはぱちぱち、と瞬きをした。それに首を傾げればなんでもないという風に微笑んで、彼が答える。

    「ああ、いや。聞いたことがあったものだから」
    「そうですね、バーバラは村の情報通でしたから…お名前は知っててもおかしくはないかなって」

    そうだね、と短く彼が返事をした後、お墓はこっちだと、背を向けて彼は歩きだした。それからは無言で、二人、鬱蒼とした森の更に中へと進んでいった。


    「着いたよ。ここだね」

    視界が開け、森の中の広場に出る。ぐるりと円を描くように開いた空間は月明かりをめいいっぱいに取り入れて、青い、神秘的な雰囲気をたたえていた。

    「はい。ありがとうございます。少し…待っていてもらえますか?」
    「うん、もちろん」

    お兄さんにお礼を告げて墓地に足を踏み入れる。一見、ただの草原に見えるそこに目を凝らせば、小さな起伏が地面にいくつもある。墓標も、供物もない、土を盛ることだけが墓の印。神の世界へ旅立つ、あるいは輪廻に次の命を委ねる死者に、現世へと繋ぐ物は供えないのが、あの村の風習だった。

    死者は旅立つもの。埋葬も、その後の祈りも、生者の為のもの。それがお師匠の教えだった。だからこれは私の自己満足。ここに来たのも、彼女に祈るのも。引き留めるひとも思いも、ここにはいないと思えば、ただ、私のために祈るだけ。この先へ進むための区切りとしてなら、ここを訪れてもまた旅に戻れる。そう考え直した。

    標はなくとも、どこに彼女が眠っているかは覚えている。バーバラの墓前。しゃがみ込んで、目を閉ざす。

    (ここに貴女がいないのは知っているの。それでも、今日ほんの少しだけ、語りかけることを許してね、バーバラ。)

    小さく息を吸って、吐く。あまりお兄さんを待たせてもいけない。必要なのは、ほんのちょっとの区切りだけ。

    (…お師匠の元を離れて、一年が経ちました。仲間もできて…私は元気でやっています。……これから行くところはうんと遠くて、ちょっとこわい…から、少しの勇気をください。そうしたらきっと、私は大丈夫です。……バーバラが、どの世でもいい生を歩めていますように。)

    目を開ける。物言わぬ地面がそこにはある。それで十分だった。ここから先に進むための祈り、これまでの振り返りを、少しでいいから誰か、親しい人の元でしたかった。立ち上がって、最後に小さく会釈をする。お兄さんの元へ戻れば彼は墓地と森の境で、木の幹に体を凭れ掛けて、私のことを待っていた。

    「ん、もういいのかい」
    「はい。大丈夫です」

    頷いてそう返すと、そうか、と短く彼が返事をする。

    「それじゃあ、また…出口まで、お願いしてもいいですか?」
    「ああ、もちろん」

    星は動けど、まだ夜明けまではいくらかの時間がある。変わらず暗い森のなかを、彼は止まることなく抜けていく。その背中を追って歩いていれば、彼がふと口を開いた。

    「君のお師匠さんは…どんな人なんだい」
    「わたしの、お師匠は…すごく……優しいひとです。いつも落ち着いていて…緩く微笑んでいて…」

    ……その微笑みがたまに寂しく見えるときが、あって。

    ぐ、と出かかった言葉を堪える。なんとなく、自分の中に伏せた方がいい気がした。あの人のことを想うと、心が暖かくなるのと同時に、少し、胸が締め付けられる。

    「…とても、素敵な方です」
    「……そうか」

    何かを汲み取ってくれたのか、少しの間を開けて返事が聞こえた。はい、と小さく返す。振り向くことなく、彼は質問を続けた。淡々と、間を埋めるように。それでも決して声は冷淡なものではなかった。

    「杖を持っている君のお師匠ってことは…そのひともまた、魔法の道に進んでる人なのか」
    「そうです。お師匠は…えっと、森羅導師であり…操霊術師でもあります。とってもつよいんですよ」
    「へえ、二種類の魔法を…それはすごいな」
    「私もお師匠の所から出て一年経ちますけど…全然届かないなあっていうのは…ひしひしと…感じています…」

    苦笑いが零れる。本当に、扱えるものが増えれば増えるほど、あの人はうんと遠くにいるんだって、思い知る。

    「それでも、君は魔法を使えるんだろう?」
    「はい!私も森羅導師としてみんなのお手伝いをさせてもらってます」
    「それはすごいことじゃないか」

    彼の言葉で頬が緩む。褒められる、というのは何回経験しても少し、くすぐったい。

    「ありがとうございます。お兄さんは村では何か…してるんですか?」

    今度は私が問いかけた。そうだね…と、少し彼が思案する。

    「まあ、中々ないけどたまにあるはぐれ蛮族の襲撃や…動物が何か間違えて来てしまったときとか…そういうときの用心棒くらいなら、やっているけれど」
    「それも立派なお仕事です」
    「そうかい?」
    「はい!」

    胸がぽかぽかする。お兄さんにも居場所や役割があることが、嬉しかった。

    「うん、まあ…どちらにせよ僕は魔法はからっきしだからね。魔法が使える君のことは羨ましく思うよ」
    「そんなことはないですよ」

    反射的に否定の言葉が出てしまう。さっき庇われたばかりの記憶や、これまでの戦いで、前線で体を張るみんなの姿が思い起こされる。

    「私は、前では……戦えませんし、自分のところに敵がきたら…なにも、できないまま…やられちゃいます」

    目線が下がる。一人ではなにもできないのは、魔法使いとしてのどうしようもなさだけじゃないのを分かっている。怖くて、戦えなくなってしまう。

    「だれかに…前に立ってもらわないと…私はなにも…できなくて」
    「……まあ、それに関しては適材適所というやつだから」
    「えへへ…そう言ってもらえると…助かります」

    ふいに、お兄さんが立ち止まって振り返った。

    「……さて、そろそろ森の入口付近だ。ここからは一人でも大丈夫かい」

    そう言う彼の瞳に少しの心配の色。お墓を始点とするなら、歩いてきた感覚で大まかな距離は分かる。少し空を見上げて、方角と位置だけ確認をする。それから、彼に向き直って返事をした。

    「はい、ここからは大丈夫です。送ってくれてありがとうございました。本当に…色々と、お世話に…なって」

    深々と頭を下げる。頭上から気にしなくていいんだよ、なんて聞こえたものだから、少し頬を膨らませて気にします、と目を合わせて返した。なんでもないような声で言わないで、優しいひと。

    「そうだ、お礼に…といって、こんなものしか出ないんですけど、これ…持って行ってください」

    ポケットを探り、救命草を五枚、取り出す。本当は手持ちを全部あげても足りないくらいだけど、あんまり多くても受け取ってもらえないと思った。案の定、目の前に差し出されたそれに、彼は瞬きをし、目尻を下げて断ろうとする。

    「いいよ、君のために必要なものだろう」
    「いいんです。受け取ってください」

    そう言って両手を前に突き出せば、彼がふっと笑った。

    「そうか、…まあ、そこまで言うなら、ありがたくもらっていくよ。ありがとう」

    葉を受け取りしまう彼を見て、こちらこそ、と微笑んで返事する。お別れのときが近いのが分かる。伝えるならきっと今だと、思った。少し、図々しいかもしれないけど、お節介を焼きたかった。

    「それじゃあ、お別れ…ですね」
    「ああ」

    緊張で鼓動が早まる。息を吸って、彼を見る。

    「お兄さん」
    「ん?どうかした?」

    お兄さんが首をかしげる。

    「お師匠と私が会って、私にマニングの苗字をくれたとき……『名前は意味を与えるものだ』って…言ってました。んっと…お兄さんは……名付けるひとはまだ、いないかも、しれないですけど」

    彼はじっと私を見据えて、黙って聞いている。

    「でも…絶対にもっといい名前と…もっといい理由が、あるはずですから。……わたしも、その…名前を自分で…自分の意味を見つけなさいって言われて旅に出たんです」
    「だから…その、なんというか、お兄さんも……。自分の、こういう風に生きたいとか、こういう風にありたいとか……そういう願い、でもなにか…自分の意味を付けられたらいいなって…思います」

    …これは、彼だけに向けたものじゃないと、言いながら感じ取った。旅に出てからずっと考えてきた名前と意味。どうやって探せばいいのかの指針が、いま口に出して形を持った。名前が意味を持たせるのは「これまでの私」だけじゃなく、「これからの私」でもあると。そうありたいという思いでも、名乗るのに値するのだと。そう、思った。

    「……自分の名前を、か」
    「はい」

    ゆっくりと、音を確かめるように彼が言う。思考を巡らせるように視線を彷徨わせてから、彼の水色が私を見る。少し不安そうな顔。きっと私も同じ顔をしている。それでも私は、笑ってみせた。

    「…そうだね、見つけられたらいいと…思うよ」

    これまで聞いたものより柔らかい声が、鼓膜を震わす。声を張る。大丈夫、きっとできる。そう伝えたかった。

    「きっと見つけられます。だってお兄さんすごく優しくて、強くて、勇敢なひとですから」
    「…そんなに褒めても、何も出ないよ」

    照れくさそうに彼が眉を下げる。

    「ふふ、助けてもらった時点でもう、十分もらってます。」
    「……そうか」
    「はい」

    夜の濃紺が閉じていく。微かに潮を含んだ風が鼻をくすぐる。

    「それじゃあ、もうすぐ夜も明けてしまうよ」
    「ほんとだ…っ。戻らなきゃ。本当に、ありがとうございましたっ」

    慌てて頭を下げる。急げばなんとか、交代には間に合うだろうか。朝方の番は誰だったっけ。みんなが無事に過ごせていますように、と胸の中で祈る。

    「ああ、君に会えてよかったよ。マニング」

    目を細めて彼が言う。穏やかに微笑むその表情が一瞬、あの人と重なった。あの人とは違うけれど、彼もまた澄んだひとだった。始めに見た、あの緑の光には何もなくとも、彼に今晩会えたことは導かれた出会いだと断言できる。お兄さんに会えた幸運に笑って、朝の気配を感じながら、森の出口へと駆け出す。

    「はい。次にお会いしたときはお名前、聞かせてくれると嬉しいです!」

    振り返りながら精一杯声を張り上げる。彼の呼びかけるような、落ち着いた声が耳に届いた。ふ、と笑う吐息も。

    「そのときまでに、君に見つかっていたらね」
    「ふふ、はい!」
    「それじゃ、よい旅を」
    「はい。またどこかで」

    木々の中を駆ける。暗闇は薄れていき、やがて視界が開く。森を抜け、あの草原に出る。地平は白み始め、逆光で黒く浮かんだテントが見えた。

    息を切らしながら焚火まで戻れば、微かに火は残っていた。急いで辺りを確認しても、動物の足跡や、異変が起こった様子はない。胸を撫でおろす間もなく、中で誰かが起き上がる気配がして、慌てて焚火の元に戻った。地面にしゃがみ込んで、消えてしまわないよう気を付けながら薪を急いで足していく。炎が勢いを取り戻してようやく、胸いっぱいに朝の空気を吸い込んだ。とく、とく、と、まだ心臓が昂っている。カタン、と手に触れたランタンが軽い音を立てた。抜け出す前に置いていった書き置きを手に取り、そっと火にくべた。それとほぼ同時に、テントから朝番のバレットさんが姿を現した。
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