彼に似ている小さな彼 事の発端は、尾行帰りに通ったゲームセンターで、雪原先生そっくりのぬいぐるみを見かけたことだった。
まるで先生をモデルに作られたかと思うほど特徴が似通った二頭身のキャラクターは、デフォルメされた大きく簡易な瞳でこちらをじっと見ている――ように思えた。
気が付けば、私は数千円と引き換えにそのぬいぐるみを手に入れていた。普段ならばこの金額を費やすのにそこそこの葛藤が生じるはずだが、予想を遥かに上回る弱さのアームとの駆け引きに、つい夢中になってしまった。この手にあるのは魔性のぬいぐるみだ。強い魔力は却って魔除けになると山神さんが言っていた気がする。これは、常日頃病魔を滅ぼさんとすべく闘っている雪原先生にあげることとしよう。
あげると決めたら、このまま裸で渡すのは失礼に思えてきた。いや、キャラクターは服を着ている。足りないのはラッピングだ。私はゲームセンターを出た足で、近場にあった雑貨チェーン店を訪れた。
店内はシーズンイベント一色の様相で、クリスマスプレゼントに使える文具やら包装資材がたくさん用意されていた。軽快なクリスマスソングを聞きながら、気分が明るくなりそうな反射の強い深緑と赤の袋を選び取る。これで先生の表情も明るくなってくれたら嬉しい。ついでに、袋の口を留める用にと金色のモールも購入した。袋と合わせることで、小さなクリスマスツリーのようになった。遠目の印象はギラギラとしていて、太陽の下にあれば鳥が寄ってきそうだ。明日の昼間に屋上で渡そう。心なしか、買い物を見守っていた手元のぬいぐるみのへの口も、長音符に見えてくる。
ぬいぐるみを手に持ったまま事務所へ戻ると、すぐに空田さんが声をかけてきた。
「えー! かわいいじゃーん。その子どしたん?」
「ゲームセンターで見かけて、つい……。雪原先生にあげようと思ってます」
いいと思う、と裏表のない笑顔で肯定されて、自分の贈り物に俄然自信がつく。
デスクに戻って荷物を整理していると、視界の端に長い指が置かれた。指の下には白いカードがある。顔を上げると、ジョージさんが控えめに笑いかけて言った。
「お裾分け。よければ、使って」
「あ……メッセージカード! 思い至りませんでした。ありがとうございます」
全くの白紙に見えたそれには、触れればわかるエンボス加工の修飾が施されていた。さりげない上品さがジョージさんらしい。ぜひ使わせてもらおう。
本日の成果である浮気現場の証拠写真をプリントアウトしながら、メッセージの内容を考える――短文すぎず長文すぎず、心がこもっていてオリジナリティがあり、独りよがりでなく簡潔でTPOに合った文章……脳内検索のヒット件数は0件だった。
己の不甲斐なさに頭を抱えていると、戻ってきたばかりの山神さんに頭痛かと心配されてしまった。
「いいえ……贈り物に添えるメッセージが思いつかないだけなんです。紛らわしくてすみません」
「いや、こちらこそ失礼。この時期は体調を崩す人が本当に多くてね……医学を嗜む者として、老婆心が抑えきれなかったのだよ」
「冬ですもんね。お医者さんは大忙し――」
ふと、アスクレピオスの啓示が下る。直感をもとに文章を構築し、目の前のカードに想像を映し出してみる。それは、とても良い案に思えた。
「おかげで解決しそうです。ありがとうございます山神さん」
「よくわからないが、良かったね」
「はい!」
退勤後、私は事務所から筆ペンを拝借し、試行錯誤の末に魔除けの儀式を終えることができた。
――と、いうわけで。
「雪原先生にプレゼントです」
翌日の一番街医院にて、ちょうど時間が空いた様子の先生を捕まえられた。
「……ああ、クリスマスか」
渡された袋を見て、先生は合点のいった顔をした。
「? クリスマスプレゼントではないです」
「この袋で……?」
「あ、でも状況的には確かにそうですね……すみません、あまり深く考えていませんでした」
「いや、君からの贈り物は有り難い。……せっかくだ。今開けてもいいだろうか」
「もちろん、どうぞ」
昨日さんざん楽観的な想像をしたものの、いざ現実の場面が来ると顔を背けてしまう私は小心者だ。どんな表情でいればいいかわからない。そもそも、自分にそっくりなぬいぐるみをもらって、嬉しいものなんだろうか。本当に今更だが、一番はじめの思いつきからして間違っていたのではないか――そんな不安がよぎり、同時に空田さんたちの笑顔に上塗りされる。
先生も、柔らかな笑みをたたえていた。
「……これは、俺か?」
「はい。あの……似ていたので……ご不快ではなかったですか?」
「そんなことはない。よく見つけたな」
「目が合いまして」
「確かに。大きい目をしている」
先生と小さな先生が見つめあっている。仕掛けた当人からしても不思議な心地だ。大きいほうの先生は、すぐに袋の中のカードにも気が付いた。それを開いた途端、彼は声をあげて笑った。
「す、すみません……!」
嬉しさか恥ずかしさかわからない熱が体を上っていった。昨夜は本当に名案だと思ったのに。
「はは。いや……ありがとう。最高のプレゼントだ。財布にでも入れておこう」
“無病息災 家内安全 疫病退散”と力強い筆文字で書かれた魔除けのカードが、白衣のポケットに大事そうにしまわれる。ぬいぐるみは、やはりどのポケットにもぎりぎり入らない大きさで、昨日の私と同様、雪原先生の手に抱かれたままでいるようだった。
「いいリフレッシュになった。今度、お返しをしないとな」
「そんな、お気遣いなく。私は、忙しい先生にお会いできるだけでも有り難いと思っています」
「格好をつけさせてほしいと言っている。クリスマスには間に合わないが、来年の楽しみにしておいてくれ」
「……はい。ぜひ、楽しみにしてます」
来年という近くて遠い未来の約束が、やけに私の胸を躍らせた。
「それでは、また」
去り際、いつも雪原先生が軽く上げる手の中には、今日は小さな先生が収まっている。全身で無言の愛を示す彼は、やっぱり先生に似ていると思った。