get the first sentence 蓮の机まわりは、きちんと片づいている。
しかし、決して綺麗好きな性格というわけではない。いつでも配信ができるように、画面の向こう側から見える範囲だけを整理してあるに過ぎないのだ。
実際、机の下には脱ぎ捨てたジャージが落ちていたり、数日前に買い物をしたときのショッパーがそのまま放置されていたりする。いつ片付くのかは、蓮にもわからない。
配信を終えてヘッドホンを置くと、もといた部屋が持ち得ている静寂と、部屋の端っこでぱっかり空いたポテトチップスの空き袋が蓮を睨んでいた。
大きい溜息を、ひとつ。
特にストレスのたまる出来事があったわけではない。けれども単純に、メンタルが疲れた。どこかで気を張っていたせいだろう、このままだと気持ちがどんどん沈んでしまいそうだ。ポテトチップスの袋を片付けることすら、ひどく負担の大きい作業に思えてくる。
思わず机に突っ伏した。ああ、まただ。自分で選んだことなのに、楽しいことややりたいことをしているはずなのに、虚無感が、ぐわり、と心のなかに襲い来るのだ。
「あーーー。あかんわ。これは。」
そんな自分を、どこか外から観ているような冷めた様子でぼやく。
それから、急いで気持ちを切り替えようと言わんばかりにスマホの上で指を滑らせ、メッセージを送信した。蓮が送った言葉は電子の波に乗って瞬時に相手へ届き、その返事はすぐさま蓮のスマホへ返ってきた。
「おけ 駅のスタボ?カラオケ?」
蓮の表情が、すこし和らいだ。
「珍しいじゃん、俺んち来るなんて。」
蓮がメッセージを送った相手ーー内海が、玄関先で出迎えてくれる。
内海の家へ行くのは、これで3回目になる。前回もその前も、コンビニで買ったお菓子を食べながら内海が持っているDVDを観て、夕方に帰った。それだけだ。
「こないだのDVD、あれまだ続きのシリーズあるんでしょ。」
すると内海の眼が見開かれ、ぱっと明るい表情になる。
「おっ!!おーおー、そうなんだよ!あのあとのシリーズがまた、アツいんだよなー!最初に発表された当初はファンの間でも懸念があったらしいんだけど、前シリーズであった視点を踏襲しながら…」
早口で語り始めた内海の弁を半分聞き流しながら、蓮は邪魔するぜー、と言い内海の家に上がり込んだ。
「麦茶しか、ねーけど」
内海がグラスに注いだ麦茶を、少し緊張した右手でそっとテーブルに置いた。
あざっす、と短く礼を言って、マスクを少しだけ下へずらすと、普段は隠されている蓮の唇が現れる。内海の視線を収束させているそれが、社交辞令程度にひと口、麦茶を含んで、こくりと飲み込んだ。
自分の意識が一点集中しているのに気付き、内海は目を逸らす。そして自分も、人ひとりぶんくらいの距離をおいて蓮の隣に座り、用意した麦茶へ口を付けた。
「…なんか、あったの」
「いやべつに」
「親たまたまいなかったからいいけどさ、…そもそもお前、俺の家行くなんてあんま言わないじゃん」
「…ん」
短く返事をして、蓮はそのまま押し黙る。
「なんか、…困ったことあんなら、聞くけど。」
少しぎこちない様子で、内海が訊く。途中、目を逸らしたりしながらも、最後はきっちりと蓮の方を向いてくれた。
蓮がここにいることで、いろいろと意識していることはあるだろう。しかしそれでも、その目から一番に伝わってくるのは、落ち込んでいる蓮を気遣っている気持ちだった。
なんとも内海らしい。趣味に対しては脇目も振らず一直線なくせに、周りの人はしっかり大切にする。心配もするし、不器用ながらちょっと世話も焼いたりする。
何より、そうすることが彼にとってごく自然で当たり前なのだと思うと、こいつがやっぱり好きだなあ、と改めて感じるのだ。
けれども、疲れて虚無感に襲われ、咄嗟に内海の顔が見たくなっただけ、なんて言いたくない。
自分が先に好きになったくせに、いや、先に好きになったからこそ、そんなことを口に出すとますますこいつに負けているように思えてくるのだ。
きっとそれは、いつまで経っても、悔しい。
返事のかわりに内海と距離をつめて、その肩へそっと頭をのせる。
蓮の頭が触れた瞬間、内海が、びくり、と少し肩を上げたのがわかった。マスクの中で、蓮の唇が上向きに弧を描く。
「…これで、十分だからさ。」
「そ、そそ………………そっか」
内海がひっくり返った声で、ちいさくちいさく返事をしたのが聞こえた。
蓮は内海に告白はしていないし、逆も今のところない。
けれどもあの日から、どちらからともなく距離が縮まって、付き合っているようなそうでないような不思議な関係を続けている。時間が出来た時に声を掛け、カフェやバッティングセンターに行ったり、お互いの好きなものを見せ合ったり。時には、内海が好きなものの中に、蓮ひとりだけでは見つけられなかった楽しさを見出せることさえある。それは蓮が生きていくうえでも、大きくプラスになっていた。
自分としては、内海といるのは楽しいし、内海のことをちゃんと好きなのも本当だ。
しかしこんな自分にも、やりたいこと、進みたい道ができたのだ。内海もそれをわかっていて、付き合うやら、彼氏やらといった言葉をふたりの間に持ち込もうとはしてこない。
ただ、そんな関係をいつまで続けていられるかなんてわかるはずがない。だからもし内海の前に、もっと内海のことだけを考えてくれる優しくてかわいい女の子が現れたとしても、自分にその流れを止める権利はないのだ。
「…権利は、ないけど。」
内海の肩に体重をあずけたまま、声はほとんど出さずに口の中だけで、そっと呟く。
「ん?どした」
あまり聞こえなかった、というふうに、自分の頭の上で内海が訊いた。その声すら普段の彼よりどことなくやわらかいのは、気のせいだろうか。
「うわ!」
内海の虚を突くかたちで、蓮は思い切り内海に抱きついた。カーペットの上に押し倒されるかたちになった内海が、目をまるく見開く。
「…まあでも、あたし、めちゃくちゃ欲張りなんだよねえ」
「な、なななんの話だよ?」
「こっちの話。」
大きな独り言を内海に聞かせたところで、蓮はマスクに人差し指をかけ、少し下へずらす。
そして自分の唇を、そっと内海の唇に押し当てた。
「〜〜?!?!?」
内海から謎の言葉が発せられる。その意味は全く聞き取れないが、とにかく驚いているのだけはわかった。
その声を聞いて、また蓮の唇が上向きに弧を描いた。今度は内海の目の前にはっきりと現れることになったそれは、少し艶めいていて、混乱する内海の脳裏にしっかりと焼き付いていた。
「…やっぱり」
「ん?」
蓮は、やっぱりあんたのこと好きだわ、と言いかけて、やめた。
「やっぱりもうちょっと、欲しくなっただけさ」
「な、んだ、それ」
倒れた衝撃でずれてしまった眼鏡を直しながら、内海が言う。さっきからずっと顔が紅潮したままなのが、何とも可愛い。
もう少しだけ、好きって言ってしまうのは取っておこう。きっともうしばらくは、内海はどこかに行ったりしないはずだ。だって、こいつがどうしたらここにいてくれるのか、自分は心得ているのだ。
なにせこっちは、ずっと好きだったんだからな。
…そう、例えば。
「さ、こないだの続き、早く観ようぜ」
終
●お付き合いありがとうございました、逸です。
はっすの口についてはあえて描写してないんですが、みなさんのお好きな形で想像してくださいね。ちなみに私は、少し厚めで、マスクをしてるのは厚めな自分の唇が好きじゃないからってのもちょっとある、と思っています。
●タイトルは「機先を制する」を自分なりに英訳してみたものです。アドバンテージを取るみたいな意味ですね。マクキャリでも同タイトルの漫画を描きましたが、カプものにおいてそういう駆け引き的な部分はずっと描いていたいです。
●それではまたどこかで。当分グリッドマンでなにかを作っていますので、またお付き合いいただけたら嬉しいです。
●内海は内海で、今の距離感が結構心地よかったりもするのですが、それはまた別の話で。
□acriotはマックス×キャリバー中心に新中左右非固定で活動しています。
キャ六花、よもゆめ、裕六、内はす、ナイ2等も描きます。