アガベの本懐(前) 爽やかな夏空の下、それとは対照的だとでも言いたげなほどに奇怪な外見をした怪獣が、悲鳴を上げながら崩れ去る。
今日もグリッドマンは怪獣を倒し、街を守った。アシストウェポンたちと一体になった彼が佇む姿は、まさに英雄と呼ぶにふさわしい、雄々しいものだった。
「今日は、割と早く片付いたね」
ジャンクショップに戻るなり、ヴィットがスマホを取り出しながらのんびりと言う。
「そうですね、被害も少なくて…良かったです、とは言えないですけど、なるべく少なくしたいですね」
裕太は困ったような顔をした。周囲を気遣う優しい性格である彼は、被害が出ることにいつも胸を痛めている。
「今回は、内海が弱点を見抜いてくれたお陰だ。礼を言う。」
マックスはスーツの皺を直したあと、ジャンクの側に居た内海へ頭を下げた。
「あ、ああいや、今回はほんとたまたまでー…」
「そー、たまたまだから!マックス、こいつのことあんまり褒めると調子に乗るから、やめといたほうがいいぞ!!」
少しはにかむ内海に、ボラーが横から口を挟む。激しい戦闘を終え、張り詰めていた空気がほどけた後に交わされる仲間たちのやりとりを、キャリバーは少し離れたところで見つめていた。
いつものことだ。
怪獣が現れれば倒す。倒せばまた、平穏な生活に戻る。異変があればその都度全員で対処するが、そうでない時は警戒しつつも日々を過ごす。その繰り返しだ。だが、それだけでは満たされないものがずっと存在しているのを、キャリバーは肌で感じていた。戦いのあとも、むやみに温度を持った何かがどろどろと胸の奥に残り続けているのだ。
「それは、おそらく『欲望』だ。」
陽が傾きかけたころ、キャリバーと肩を並べて帰途につきながら、マックスは静かに告げた。翠色の長い髪が、ささやかな風に揺れている。
「欲望、そ、それなら俺にも分かる。人間が根源的に持っているものだ。何かを食べたいとか、誰かと仲良くなりたいとか、そ、そういうものだ。」
キャリバーは無精髭をさすりながら、考え考え言葉を続けた。
「今いる、じ、自分の立ち位置から、別の場所へ手を伸ばすようなイメージだ。」
「そういった感触はあるな。…本来武器である我々は、その存在意義のみに従い、自らの立ち位置以上のことまでは行おうとしないはずだ。しかし人間としての姿を得て、人間と深く関わりあっていく中で、任務以外の望み、つまり欲望が芽生えるのは自然なことだと言っていい。既に些少な欲望ならば、みな感じているはずだ。」
「…た、たしかにな。ね、猫を撫でたいとか。」
マックスは普段からこういう事を考えているのか、などと少し感心しながら、キャリバーは返事をした。
「そして欲望というものが生まれてしまった以上、我々の中でそれが制御できなくなる可能性も、十分あり得るということだ。」
そこでマックスが歩みを止めた。
彼に合わせて、キャリバーも立ち止まる。マックスはキャリバーの瞳を見据えて、丁寧に告げた。
「その推測が立つ以上、早く明らかにしておくべきではないか。キャリバー、お前が今抱えている欲望は、どんなものか解るか。」
この時点でキャリバーは、その問いに対する明確な答えに辿り着いていたが、それは口にするには少しためらわれるものであった。俯いて少し考え込んだが、マックスはそれを怪しむ様子もなく、じっくりと待ってくれている。そんな彼の様子を見て、マックスに相談することで前に進めるはずだ、とキャリバーは思い直し、なにかを含めるように静かに「うん」と言ったあと、少し乾いた唇を開いた。
「ぐ、グリッドマンのアシストウェポンとしては、抱えてはいけない欲望かもしれない。でも、お前になら言える。こ、心のなかに、とどめておいてくれ。」
「わかった、そうする事にしよう。」
マックスは頷いた。彼は約束を守る男だ。キャリバーはマックスの首肯を認めてから、ゆっくりと、絞り出すかのように本音を告げた。
「俺は、た、戦いたい。誰かと刃を交えて、ぎりぎりのところで生き残る緊張感を、何度でも、味わいたい。」
言いながら、キャリバーは自らの右手を見詰める。その眼は夜道を警戒する猫のように見開かれていて、激しい戦闘の中に在りたいという熱をはらんでいた。
そんな彼をまっすぐ見ながら、マックスはあくまで冷静に答える。
「なるほど、武器としてのお前らしい欲望だ。私もそれは解る。戦闘が終わった後、もっと力を振るいたい、という気持ちが沸いてくる事がある。」
「そ、そうなのか」
「ああ。…少し、場所を変えよう。」
ふたりが選んだのは、街の外れにある大きな廃ビルの一階だった。大きく開けたエントランスホールは四階まで吹き抜けになっており、商業施設かオフィスビルとして使われていたことが伺えた。
「ここが良さそうだ。少し埃っぽいが」
「か、かまわない」
キャリバーの返事を聞きながら、マックスはエントランスホールの中央を通り過ぎ、十分な距離を取る。そしてキャリバーに向き合ったあと、自らの武器を出してみせた。
「ここで私と戦え、キャリバー。お互い全力とはいかないかもしれないが、可能な限り力を奮ってみせよう。」
「…し、しかし、いいのか。」
ためらいがちな言葉が、キャリバーの口をついて出る。だが、不意に自分の中でじわりと増幅した熱を感じて、キャリバーはその躊躇が自らの本音ではないことに気づいた。自分の中に「マックスと戦ってみたい」という願望がこれまで無かったかといえば、嘘になるのだ。
「構わない。こうしないと、お前の欲望は満たされないはずだ。」
言いながら、マックスは武器が装着された右腕を後方に構え、上半身を落として臨戦態勢に入る。そこでキャリバーもすぐさま腰元の刀を一本抜いた。中途半端な遠慮は、もう自分たちの間に要らないと認めたからだ。キャリバーの体内で渦巻いている熱は、今まさにマックスを捉えようとしていた。
風はない。埃が混じったぬるい空気だけが、ふたりの頬を撫でる。
先に地面を蹴ったのはマックスだった。
右手の武器を振りかざし、開戦の狼煙とばかりにキャリバーが立っている場所を拳で突く。どう、と音がして砂埃が勢いよく舞い上がり、マックスの拳そのものより何倍も大きな穴が地面に開いた。
だがそこにあるはずのキャリバーの姿は、もう無かった。すぐさまマックスの打撃を避けて、空中へと跳躍していたのだ。しかし、マックスもそこまでは予測を立てている。キャリバーの出方を伺うため、最初の一撃を敢えて引き受けたに過ぎない。
キャリバーは宙を舞いながら、二本目の刀の柄を親指で弾いて、抜いた。そのまま、素早くマックス目掛けて矢のように投げつける。空中で閃いたキャリバーの刀は的確に目標を捉えていたが、マックスは右手の武器を凪ぎ払うように振り回して防御する。
しかし彼が視界をキャリバーへ戻すと、ふたたびその姿は消えていた。
今度は刀の投擲を済ませたあと、キャリバーはそのまま身体を回転させながらマックスの右隣へ飛び込んでいたため、マックスの視界からは外れてしまったのだ。マックスの武器は大きさがあるため、右側の視界が遮られやすい。
新世紀中学生で誰が一番強いかと彼らに問えば、マックスが挙がる。しかし素早さだけを取れば他の3人が上だ。キャリバーはその利点を活かし、マックスを翻弄するつもりでいる。
「…右か………!!」
気配で感知したマックスが、今度はキャリバー自身に向けて大きく武器を振るった。キャリバーはそれを跳躍で回避すると、マックスが持つ武器の先端を利用して踏み込み、その顔面目掛けて左脚で蹴りを食らわせる。蹴撃は見事に側頭部へ命中し、マックスが付けている鋼鉄のマスクから、ぐっ、と呻き声が漏れた。
相手が怯んだ隙を利用して、キャリバーは後方へ飛びすさり、追撃を食らわせるために壁面へ着地した。
一瞬で、次は三本目を抜く。さらに、既に持っていた一本目の刀と、その新たな刀とを合わせる。ガシャン、という音とともに、ふたつの刀は一本の大剣へと姿を変えた。
「はあっ!!」
壁を踏み台にしてマックスのほうへ飛び込み、その懐めがけて刀を繰り出す。目まぐるしい速度で迫りくるその剣撃と、マックスの武器がぶつかり合い、ひときわ大きい金属音が薄闇の中を貫いた。
「ぐ………!!」
キャリバーの攻撃は、スピードも乗ってかなりの重さになっていた。マックスはその重圧にしばらく堪え続け、苦しみながらもどうにかそれを弾くことに成功する。
「くそ!」
マックスに防御された衝撃で少し後ろへのめりながら、仕留められなかったとばかりにキャリバーは悪態をついた。しかし、剣撃を防いだあとのマックスも構えが崩れて、頭部ががら空きになっている。そこでキャリバーはこの上ない好機とばかりに、先んじて体勢を立て直し、左手でジャケットの襟へ掴みかかると、今度は頭突きを食らわせた。鈍い音とともに、男たちの頭部が衝突する。
キャリバーはかなりの石頭だ。マックスもこれにはぐらついてしまい、前かがみに体勢を崩した。キャリバーはそこへ大きな勝機が出来たとばかりに半笑いし、全身を使って大剣を振りかぶる。
しかしマックスは、ぐらついた時の体勢を利用して上半身を更にかがめ、強く踏み込んで、武器を付けていない左手を使ってキャリバーへ重たいボディブローを一発食らわせた。
「ご、あ………」
キャリバーの眼が大きく見開かれ、口から涎が飛び散る。
そのまま彼の身体は吹き飛ばされ、ちょうど先程踏み台にしていた部分の壁面に打ち付けられて、床へ落ちた。
「つ、強いな、マックスは。」
壁を背にしたまま、口元にはにやにやと不気味な笑いを浮かべながら、キャリバーが言う。
「す、素手で、決められて、しまった。」
「あそこでキャリバーは大剣を使っていたからな。左腕のほうが、スピードで勝ると判断したまでだ。」
「つ、次は負けない。」
「…私も、お前の蹴りと頭突きは効いた。次勝てるかどうかは分からないだろうから、こちらも腕を磨いておくとしよう。」
マックスはキャリバーへそう告げると、武器を仕舞い、スーツの埃をぱたぱたと払ってから襟元を整えた。すぐに再戦とばかり意気込んでいたキャリバーは、立ち上がる機会を失ったままマックスが身形を整える仕草をただ見詰めている。
「…コーヒーでも、買ってくるか。」
「た、頼む。」
キャリバーは短く言い、飲み物を買いに行こうとするマックスを視線で見送ることにする。しかし、胸にしまった高揚は未だ彼の中で消え去ることはなかった。