キラキラ きらきらと輝くペンライトの海と、黄色い歓声。そんな異世界のような空間の中で、夢と希望を届ける職業_それが、アイドルである。
東雲彰人、天馬司、神代類の三人は、某大手男性アイドル事務所の研究生グループの中でも、最もデビューに近いと噂されるほどの人気を誇る『FANTASISTA SQUAD』のメンバーであった。
このまま実力を伸ばしていけば、きっとデビューできる、いや、してみせる。その心意気で過ごしていたある日、転機は訪れた。
「は?メンバーが…増える?」
「ああ。一人、『Enpire』のメンバーが引き抜きになったらしくてな…」
突然告げられた、新メンバーの加入。それはまさに青天の霹靂であった。
三人は入所時期は違えど、入所してから初めて組まされたユニットの一員であり、それなりに思い入れもある。活動期間も四年ほどで、今更デビューを目前にして新メンバーを入れるだなんて、彰人には受け入れがたい事実であった。
「『Enpire』というと、荒々しくて俺様系のドSキャラを売りにしているイメージだけれど……まあ、交流があまりないから偏見でしかものをいえないね」
「……オレ、やっていける気しねぇんすけど」
「だろうねぇ」
『Enpire』とは、彰人たち『FANTASISTA SQUAD』と並んでデビュー候補だと言われている、俺様系のキャラや荒々しい楽曲が売りのグループだ。しかし、メンバーの中には未成年と飲酒をした人が居るだの、関係者に暴力を振るったことがある人が居るだのという黒い噂が流れており、あまり関わりのない彰人から見ても印象はあまり良くなかった。そんなユニットからの引き抜きのメンバーなど、仲良くしていける自信がない。
コンコン、とレッスン室の扉がノックされる。司が大きく「どうぞ!!」と声を張り上げると、マネージャーであるカイトが中へ入ってきた。
「お待たせ~、連れてきたよ」
「お待たせも何も、司センパイにしかメンバー増えること言ってなかったじゃないスか!」
「あはは、ごめんごめん。忙しそうだったから、たまたま捕まえれた司くんに伝言頼んじゃってたんだよね」
いらだつ彰人をひらりとかわすと、カイトは扉の外の人影に手招きをした。三人が扉をじっと見つめていると、すらりと背の高い少年がおずおずと中へと入ってきた。
「…っは、」
ひゅっ、と、息をのむ音がした。
それが自分が立てていた音だということに、彰人は気づけなかった。
手入れの行き届いたツートンの髪に、なめらかな陶磁のような肌。アイスグレーの美しい瞳はきりっと切れ長で、左目の下にある泣きぼくろが、その魅力をより一層引き立てていた。
そんな少年はひょこひょことおぼつかない足取りで、彰人たち三人の前へと立った。小脇にはスケッチブックが抱えられていて、落ち着かないのか、うろうろと目線をさまよわせている。
「彼は、青柳冬弥くん。元々は『Enpire』のメンバーだけど、今回いろいろあって引き抜かれて、『FANTASISTA SQUAD』としてやっていくことになったから。よろしくね」
「あおやぎ…とう、や」
いくら交流がないとはいえ、グループの顔であるセンターよりも目立っていたと言っても過言ではないような逸材だ。さすがに顔も名前も知っている。
かの有名なピアニスト・作曲家である青柳春道の息子で、元々はピアノとバイオリンの英才教育を受けていたいわゆるお坊ちゃん。その美貌と鋭い目線、なによりも美声に惚れる女は大勢居た。だが、親が有名人であり、そもそも所長直々のスカウトで入所している上、入所してすぐにエースの座をつかみ取った冬弥に対し好印象を持つ人は、事務所の中にはあまり多くなかった。普段他人と自分を比較することが嫌いな彰人ですら、その才能にうらやましさを感じていたレベルだ。
「えーっとね、引き抜きになったのはまあいろいろ事情があるんだけど…一番は、彰人くん、君に足りない物を彼は持ってるんだ」
「…オレっすか」
「そう。で、逆もまたしかりっていうか、冬弥くんに足りない物を君たち三人…特に彰人くんは持ってる。あ、ちなみにこれはこの前の研究生主催ライブの様子を見てた所長の判断だからね」
「所長の判断であるならおそらく大丈夫なのであろうが……」
「ところでカイトさん、肝心の青柳くんの声を一言も聞いていないのだけれども」
そう言った類の声色には、冬弥を責めようという意図はなかった。しかし、カイトの後ろに隠れるようにして立っていた冬弥は、びくりと身体をこわばらせてしまったようだった。
「さて、冬弥くん。三人に挨拶してもらっても良いかな」
カイトに声をかけられ、冬弥がおずおずと前に出てくる。類とそうかわらないくらいの身長であろうすらりとした体躯は、自信なさげに縮こまってしまっていた。冬弥はわたわたとスケッチブックを開くと、文字の書いてあるページを三人に見せて、トン、と指で文字を叩いた。
『青柳冬弥、18歳です。今はうまく人と話ができないので、しばらくは筆談であることを許してください。皆さんのために俺ができることはほとんどないかもしれませんが、精一杯頑張ります。よろしくお願いします。』
しばらくして三人が文字を読み終えたのを確認すると、冬弥はぺこりと頭を下げた。思わぬ重い話題に気まずい沈黙が流れたが、はじめに口を開いたのはやはり、司であった。
「オレはリーダーの天馬司だ!事情はどうであれ、お前は今日から『FANTASISTA SQUAD』の一員だ、冬弥!よろしくな!」
「僕は神代類。そしてこっちが…」
「東雲彰人。……よろしくな」
思っていたよりも低い声を出してしまった。案の定冬弥は怯えたような表情を浮かべながら、再び頭を下げている。
(クソ…うまくやっていける気がしねぇ……)
司は妹が居るからきっとうまくやれるだろうし、類もなんだかんだ面倒見が良い。しかし、彰人はこの謎めいた男とうまくやっていけるイメージが全くといって良いほどわいてこないのだ。司にわしゃわしゃと頭をなでられる冬弥を見ながら、彰人は大きなため息をついた。
***
「……あ」
ある日のこと。レッスンを終え、駅について定期を取り出そうと鞄をあさったところで、スマホが入っていないことに気づく。大方、レッスン室に忘れてきたのだろう。
(クソ……めんどくせぇけど、さすがに取りに行った方が良いよな)
はあ、と大げさなほど大きなため息をつきながら、彰人は来た道を戻り始めた。駅からレッスン場までは、徒歩で十五分ほどだ。
ぐるぐると考えをめぐらせながら、レッスン場にたどり着く。受付で忘れ物を取りに行きたくて、といえば、「まだ誰か残って居るみたいですから、鍵は帰ってきてません」と言われてしまった。彰人ははて、と首をかしげた。
(今日はオレだけ朝からドラマの撮影があったし、疲れててレッスン終わったらすぐ帰っちまったんだよな…誰が残ってるんだか)
彰人は、今期のドラマで、デビュー組の先輩が主演のドラマのいわゆるバーター枠で出演している。仕事をもらって経験を積めることはありがたいが、レッスンとの両立はかなりハードだ。体力馬鹿だと散々言われ続けてきた彰人ですら、今日はもう早く帰ってベッドに飛び込みたくてしょうがなかった。残っているメンバーがいるというのは、必然的に会話を交わすことになる。へろへろの彰人からすると、もうそれだけで気分が重くなるのであった。
(……ん?)
使っていたレッスン室の方から、今日のレッスンで使っていた持ち歌にのせてかすかに歌声が聞こえる。
冬弥が加入してからというものの、彼が苦手なのだというダンスのレッスンの方が多めに取られていたため、歌の自主練をしているメンバーがいるのかもしれない。誰の声だろう、と少し早足になると、心地よい声が耳をくすぐった。
(…まさか、青柳か?)
未だに人と話をしようとすると言葉がつっかえてしまう冬弥の声は、二、三回レッスンで歌っているところを聞いたことがあるだけである。しかし、この柔らかく、それでいて芯のある美しい声は、間違いなく冬弥のものだ。忘れられるわけがない。
明かりの漏れ出す扉の横に、こっそりと忍び寄る。のぞき窓から中をのぞくと、目立つツートンの頭がチラリと見えた。
『__♪______♪』
タン、タン、とおぼつかない足取りで、複雑なステップを踏んでいく。歌声は途切れ途切れで息継ぎが多く、相当疲れているのが見て取れた。彰人は、なんとなく扉を開ける気になれなくて、のぞき窓から見える景色をそっと眺め続けた。
(さっきレッスンの先生に怒られてた部分か。まあ、『Enpire』はダンスを売りにしてたわけじゃねぇから、難易度が跳ね上がってつらい思いはしてんだろうな)
『Enpire』というユニットは、キャラ売りといえばよいのだろうか、ドSで荒々しい雰囲気を全面的に押し出して活動していた。冬弥はそのきりっとした切れ長の瞳が人気で、冷たい目で見下されたいのだの、にらみつけてほしいだのというファンが多かったのだということを彰人は知っている。
対する彰人たち『FANTASISTA SQUAD』はパフォーマンスや演出を売りとしているため、とにかく難しく、激しい振り付けが多い。いくら冬弥にアイドルとして自分を魅せる才能があるといったって、ひと月では到底追いつけないレベルだろう。
『__♪、ッ!』
「ッ、あっぶねぇ…!!」
汗が床に落ちていたのだろうか、冬弥が足を滑らせてしまう。彰人は思わず扉を開けて、中へと駆け込んだ。しかし、当然間に合うわけもなく、冬弥はこてんと倒れ込んでしまった。
「っ、う……」
「おい、大丈夫か!?」
「だいじょ、う、え!?」
彰人が慌てて手を差し伸べると、顔を上げた冬弥が信じられないものを見る目でこちらを見てきた。彰人は彰人で、初めて聞く冬弥の話し声に目をぱちくりさせていた。
(…こいつ、こんなにも心地良い声で喋んのか)
ほんの一瞬、優しく響いたテノールが、耳にはっきりと残っている。人と話すことが怖いのだということは、加入初日に教えてもらっているのだ。それだからこそ、『FANTASISTA SQUAD』はメンバーが優しく、居心地の良い場所であることをゆっくり教えてやろうと思っていたのだ。だが、今はただ、もう一度その声が聞きたかった。
「……とりあえず、怪我の確認だな。立てるか?」
「……っぁ、」
はく、と音にならない空気が溶けていく。くしゃりと歪んだ顔を見ていられなくて、彰人はとりあえず腕を引っ張りあげ、立たせてやることにした。
「っ、」
「うぉ、っと…………お前、もしかして足首痛めてる?」
「っ!」
ふらついた体躯を受け止め、支えてやる。立ち上がった際にもぐ、と一瞬歪んでいたが、今押し黙ったのであれば、事実なのであろう。
「………はー、テーピングしてとりあえず応急処置してやるから、そこで待ってろ」
慌てる冬弥を無視し、彰人は備え付けのパイプ椅子を段差がある場所の近くに開き、自分の鞄の中から救急キットを取り出した。今では大分減ったが、昔はよく無茶な練習をして、足首を痛めていた。そのときの名残が、今役立つとは思わなかったのだが。
「ほら、こっち来て座れるか?」
「………」
どうやら歩くのも辛いようだ。彰人はしょうがねえな、とつぶやくと、冬弥を抱えて歩き出した。いわゆる、お姫様抱っこというヤツだ。
「~~~~っ、!!」
「おいこら、ジタバタすんなって!…ったく、ほんのちょっとの距離だろうが」
ふわりと椅子の上に冬弥を下ろすと、彰人はすぐに患部を一段高いところへ上げ、包帯で固定を始めた。冬弥は観念したのかおとなしくしていて、時折彰人に何か言いたげな視線を向けていた。
包帯の端をホックで留め、氷嚢を取りに行こうとしたところで、くん、と服の裾を引っ張られる。彰人が振り返ると、不安げに揺れる瞳とばっちり視線が合った。
「…ぁ、あの」
「!…おう」
「そ、その……」
小さく小さく響いた声は、今ここが無音でなければ聞き取れなかっただろう。それでも必死に言葉を紡ごうとする冬弥のことを、彰人はただ黙って待っていた。
「…えっと、まずは……すまない。俺の不注意のせいでした怪我なのに、処置までさせてしまって…」
「あ?…気にすんなって、チームメイトだろ」
「!」
ぽたり、と雫が落ちてくる。何事だと顔を上げれば、静かに涙をこぼす冬弥が視界に入った。
「うおおおおお!?わ、わりぃ、もしかして痛かったか!?いつも自分にやってるノリで包帯巻いちまったから……」
「ちが、ちが、くて、っそ、そのっ、」
ひくひくとしゃくりあげる冬弥の瞳からは、堰を切ったように涙があふれ出していた。彰人はポケットからハンカチを取り出すと、きゅっと瞳に押しつけてやった。
「…っひ、ひとに、やさしくされたのが、ひさしぶりで」
「っ!」
小さな声で話を続ける冬弥に、胸が締め付けられる。元ユニットで大きく揉めた、というのは、もしかしなくても冬弥が一方的に虐められていたのではないだろうか、と彰人は思った。『Enpire』のメンバーは、ほとんどが成人済みだ。デビューを急いている者も多い。大方、新人で、年下で、親の七光りと陰で囁かれている冬弥がエースであることを気に入らないメンバーによるものだろう。
「……それに、東雲とは、まともに話をしたことがなかっただろう…?」
「うっ」
「レッスンでも俺だけ追いつけないことが多くて、いつも東雲が渋い顔をしていたから……その、嫌われてしまっているのかと思って」
「んなわけねぇだろ!?」
「!?」
急に大声を上げた彰人に、冬弥がびくりと跳ね上がる。彰人は「わ、わりぃ」と謝ると、再び冬弥の方へ向き直った。驚きでまんまるになってしまった美しいアイスブルーの瞳からは、怯えの色が薄れてきているのが見て取れる。
「……なんつーか、その……どう接してやりゃいいのかわかんねぇな、って思ってて……あと、レッスンの時渋い顔してたのは多分あれだ、いきなりこんな激しい振り付けに付き合わせちまって大丈夫なんか、って思ってた」
「でも、俺が『FANTASISTA SQUAD』に移籍することになったのは、俺自身の問題で、俺のわがままでもあったから……やはり、追いつけない俺がいけないんだ。本当にすまない。次のレッスンまでには、必ずこのステップを仕上げるから……ッ」
失望されたくない。
言葉にはされていないが、きっと伝えたいことはそれなのだろうと彰人は直感で感じた。
(そんな重いことを背負う必要なんて、ないのに)
彰人がアイドルを目指そうと思ったのは、ある伝説のアイドルがきっかけだ。
それぞれのよさをそれぞれのよさでさらなる輝きへとつなげていく。たった一人では生み出されない相乗効果によるきらめきに、どうしようもなく惹かれてしまったのだ。
__一人では見られない景色を、高みを目指す仲間とともに見たい。
そして、その仲間の中に、冬弥もいてほしい。
怪我をしたことはいただけないが、裏を返せばそこまでして自分たちの隣に立とうとしてくれていたのだ。その必死な思いには、必死な思いで応えてやるべきだ、と彰人は思った。
「……なら、オレがお前にステップを教えてやる」
「…っ、だが、それでは彰人に負担がっ、」
「だから代わりに、お前はオレに歌を教えてくれ」
「………え、?」
軽く裏返った声が、冬弥の喉から飛び出す。それは予想していなかった、といわんばかりの表情だ。彰人はかまわず、まっすぐに言葉を紡ぎ続けた。
「オレ、歌は完全に我流だから、全然うまくねぇんだよ。でも、冬弥、前歌ってるとこ聞かせてくれたとき…ブレもなくて技術もすごくて、素直に尊敬した」
「え、」
「それに、司センパイと神代センパイは、歌もダンスもオレより上だ。これに関しては事務所に入ってからの歴がちげぇから、当然のことなんだが…そんなことで、弱音を吐くべきじゃねぇだろ?」
「っ!」
「だから、これはオレとお前の、秘密の特訓だ」
ひみつのとっくん、と冬弥が言葉を飲み込むようにオウム返しした。先ほどまで自信なくうつむいて後ろ向きなことばかり言っていた姿はどこへやら、キラキラと幼い子供のようなオーラを放っている。
「やり、たい……やってみたい!俺なんかに歌を教えるだなんてできるかどうかはわからないが…」
「……『俺なんか』って言うのやめろよ。お前はすげぇんだから、もっと自信持てって」
「うっ…これは、なんというかその、口癖のようになってしまっていて……善処する」
「ふは、なんだそりゃ」
その自己肯定感の低さは、今後自信をつけさせて、なんとかしてやればいい。なんといっても我がチームには自己肯定感爆発のお手本と、褒め上手が居るのだ。心配は無用である。
「あー、そうだ。お互い、下の名前で呼ばねぇか?」
「したの、なまえ」
「おう。東雲、青柳、って、なんか他人行儀感あるだろ」
「そう、だな……うぅ、」
「どうした?なんかあんのか?」
「いや、その、だな……」
頬を少しだけ赤らめて、冬弥がもごもごと口ごもる。何か恥ずかしいのだろうか、と彰人は首をかしげた。
「……同級生と名前で呼び合うなんて、初めてだから……その、緊張して。……っんん、よろしくな、…………彰人」
ふっとようやく雰囲気を柔らかくした冬弥に、今度は彰人が頬を赤らめる番だった。ああやっぱり、こいつと、センパイと、四人でキラキラ輝く最高の景色を目に焼き付けたい。
「……こちらこそ、よろしくな。………冬弥」
こつり、と拳同士をぶつけ合う。それは、ふたりがキラキラの希望に満ちたスタートラインに立ったという、証の音だった。
「…それはそうと、お前足首結構腫れてたぞ。タクシー呼ぶから、なるべく歩くな」
「だ、大丈夫だ!歩ける!」
「悪化したら困るだろうが!」
「いやだ!大丈夫だ!」
「お前、打ち解けた瞬間に頑固すぎねぇ?……ったく……」
「ひゃあ!?…っおい、この抱え方だけはやめてくれ…!誰かに見られたらどうするんだ!」
「まさかさっき暴れた理由、それか?ふーん……」
「ひっ、なんでそんなに悪い顔をしているんだ…!?っ、彰人!お前の方こそ、打ち解けた瞬間にこんな仕打ち……!!」
「いってぇ!殴るなって!」