チャイナブルーほんの少し……本当に、ちょっとだけ。ある種、ただの出来心。……否、嘘。
本当は……少しだけ、見てみたかった。
ネロは何時も優しいから、ちょっとだけ…強引な彼も見てみたいな…って。
だから……───そんな顔、させたかった訳じゃ無い。決して。
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本日の依頼も無事終えてホッとする。途中ミスラとオーエンが口論を始めた時はヒヤリとしたけれど、カインやスノウが仲裁に入ってくれて2人の意識が外れてくれて本当に良かった。何やかんや揉めても、いざと言う時しっかり討伐してくれる辺りは流石としか言いようがない。あっさりと片付いてしまって、ブラッドリーに「だから、ミスラとオーエンが居れば十分だっつっただろ?」と溜息をつかれてしまったのも、何事も無く終わった安堵の一つとして宥めるのも楽しかった。
日課の賢者の書に書き記して…気付けばだいぶ時間が経っていた。夜も遅い。でも、何となく寝るには惜しくて…。ネロの顔も見たいけれど、朝も早い彼に夜半に会いに行くには忍びなく…でも、誰かの声を少しだけ聞いてから眠りに着きたい気分だったので、ううーんと拳一個分頭を捻った後、シャイロックのバーへ足を運んだ。
からりと扉を開けると、何時もの笑顔のシャイロックが出迎えてくれる。
「おや、いらっしゃい、賢者様。珍しい時間においでですね。」
「お邪魔します。少し眠れなくて、なにか頂いても良いですか?」
「宜しいですよ?では、ノンアルコールのカクテルでもお出し致しましょうか?」
「ありがとうございます。」
「お安い御用です。」
シャイロックはにっこりと微笑むと、滑らかな動きで腕を動かし始める。
やがてコトリと眼前に置かれたグラスに、思わず息を呑んだ。
「お疲れのようでしたので、さっぱりとしたものにしてみました。アルコールは抜いてありますのでご安心ください。……お好みでは無かったですか?」
ピシリと固まってしまった俺を見てシャイロックが眉尻を下げる。慌ててやり過ぎなくらい手をブンブンと左右に振ってしまった。
「ち、違います!あんまりにも綺麗で、ちょっとビックリしただけで!」
俺の返事を聞いて、シャイロックはそうですかと安心したように柔らかく微笑んだ。
「いただきます!」
グラスを傾けて口をつける。透けるように真っ青なその液体は、シャイロックの言った通り…さっぱりとした味わいを口の中に広げた。甘くて、酸味があって、最後の口当たりはほんの僅かに苦い。どこまでも広がりそうな青は…───雲の間にその顔を覗かせ、微かな風を纏って輝く控えめな美しい青空のようで。
見た目も味までも彼のようで、参ったなぁと心の中で苦笑した。
ちらり視線を向ければ、シャイロックは何食わぬ顔でまた微笑んだ。
「今日は彼にはお会いにならないのですか?」
「…会う気はないと言えば嘘にはなりますが、時間も時間なので。」
「賢者様が会いに来られたとなれば、彼ならば喜んで飛び起きると思いますが?」
「………だからです…」
カラリ、グラスの中の氷が小さく切なげに瞬いた。
「ネロは優しいです、えぇとても。何時もさり気無く気を遣ってくれて、大切にしてくれて、決して無理強いはしません。俺が少し無茶な事言っても、イイよって笑って、自分を何時も後回しにして……。だから、こんな事を考えてしまう俺が我儘なんだって言うのは、自分でも分かっているんですが…。」
そんなに気を遣わないで欲しい
偶には我儘言って欲しい
俺に合わせるんじゃなくて、偶には少しくらい強引に我を通して欲しい
ネロはネロのままで
本当のアナタの事も、ほんのちょっとでイイから俺も知りたいんだ…
落とした視線の先の青いカクテルを模したものは、氷に溶けて…その身を薄めてしまった。
3拍程の間をおいて、シャイロックがフッと息を吐いた。
「可愛らしい人。」
伏せられたシャイロックの睫毛はとても艶やかだった。
「あ、あの、すみませ──」
「なになに、賢者様、ちょっと強引なネロに興味があるの?!」
「ムル?!」
突然天井からにゅっと声がしてぎょっとする。ムルは何時もの様子で朗らかに笑うと、ふわりと俺の隣に降りて座った。顔を間近で覗かれて、かぁっと頬が熱くなる。
「あ、えっと…はい…」
シャイロックもだけれど、ムルに誤魔化しは効かないと思い素直に頷く。ムルは上機嫌に僅かに茶化して「素直で宜しい」と得意げに鼻を鳴らした。
「じゃぁ、悩める賢者様にコレをあげるね!」
「コレは…──?」
「およしなさい、ムル。賢者様を惑わしてはいけません。」
「ええー?だって、いいの??知りたいと言う知識欲は、最も強いとも言われるよ?人は特にだろう?知らない事に人は、恐れ、悩み、遠ざけながら…それでもその欲望には抗えない。分からないから知りたい、コレは誰にでも芽生え、決して悪い事では無いはずだよ?その欲を、渇望するのも、見なかった事にするのも、それはその人次第で俺が決める事じゃない。ねぇ、シャイロック、そうだろう?」
欠片では無い筈のムルが無邪気に笑って、欠片のような瞳で俺をその眼に映す。
その言葉は毒のように甘く…キツく俺を締め上げる。
コロンと掌のに乗せられたのは───小さな小瓶だった。
「紅茶に1滴混ぜるだけで完成!簡単だろう?大丈夫だよ、賢者様。コレは西で流行りのジョークグッズ!決して危なくないし、一晩で効果は消えちゃう。しかも効果は、ただちょっと大胆になるだけ!少し派手なお酒の延長戦みたいなモノだよ。少し強引なネロが見たい賢者様には正にピッタリでしょ?試してみて!」
パチリとウインクしてみせるムルの先、シャイロックは困った人と呆れたような溜息を漏らした。
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「今日は俺の部屋で、お茶でもいかがですか?クロエから茶葉をお裾分けして貰ったんです。」
上手く笑えていただろうか?
何時も通りを装ってネロに声を掛ける。ネロは「いいね。ちょっと片付け終わったら、すぐに行くよ」と笑って手を振ってくれた。
ムルからの小瓶を手にしてから数日。使うか、使わ無いかで正直随分悩んだ。
こんなやり方…間違っている気もするから。
でも…
嘘をつかせるわけでも、強制的にネロを支配するわけでもない弱い物だと聞いたし、ネロに実際に効くとも限ら無いから。
こんなの間違ってると…頭の中のもう1人の自分が大声を上げる。
全く持ってその通り。
やめよう、やめよう…そう思うのに、───知りたい欲が、そおっと背後から身体全体を舐めるように抱き締めるのだ。ネロの本当の気持ちが見てみたいって。
コンコンと扉が鳴る。
開いた先、ネロは何時ものように「スコーンとかどう?あ、オーエンには内緒な?」と口角を上げた。
パタン、ドアが閉まる。
もう、後には引け無い
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