フレッド、過去へ②やる気が出ない。
箱の中を見る。トモシリソウ……次の箱を見る。ニガヨモギ。この瓶は?蜘蛛の目玉の詰め合わせ。ああ、やる気が出ない。
「フレッド、僕たち良いように使われてる」
「ああ、そうだな」
「最近ますます目を付けられてるよな」
「まったくだ」
抱えるほどの大きさの壺を上から覗き込む。うぇ…腫れ草の膿だ。これを絞り出す罰則じゃなくてよかった。よく使う物だから大量にあるし、何より臭い。
羊皮紙の切れ端に材料名を書いて、蓋にべたっと貼り付ける。
「思うに、フレッド。おまえのせいだ」
「……はあ?」
木箱に詰められた小瓶を摘んで振っていると、羊皮紙を鋏で切っていたジョージに聞き捨てならない言葉を吐かれた。
薄い黄色の、粘度のある液体が詰められた箱に材料名を書いた羊皮紙を叩きつける勢いで貼る。ガラス同士がぶつかり合う、甲高く不快な音が、陰気な研究室に響いた。
「どういう意味だ?」
積まれた箱の山に、あらかた黄ばんだ羊皮紙の切れ端を貼り終えた。あと少しで罰則は終わる、という所で、不満そうなジョージに顰めっ面を向けられて気分が悪い。ラベリングが終わった木箱のひとつにどっかりと腰を下ろして、怠い視線を返した。
今朝は城中の絨毯を粘着テープのようにベタベタさせて、授業の度に移動する皆が踏ん張りながら歩く姿を見て一緒に笑っていた。貼り付いて脱げそうな靴を剥がしながら、一歩一歩踏み締めて進んだり、友達同士で押し合って相手を絨毯の上に転ばせて貼り付けたり、結構面白いイタズラだったと思う。その騒ぎに乗じて忍び込んだスネイプの部屋で、瓶という瓶の口を粘着呪文で塞いでやったのもオプションで。
「計画は二人で練ったイタズラのはずだぜ?なんで俺のせいなんだ?」
「それだよ、それ」
「は?」
鋏と羊皮紙で両手の塞がったジョージが、顎で示すのは魔法薬の材料の山。
「これが何だって?」
「ちょっと見ただけで仕分けてる。フレッド、いつからそんなに詳しくなった?」
「………あー…」
「……はあ、まあいいけど」
どうせ言わないんだろ。じゃきじゃき刃を鳴らしてラベル用の紙を切り刻みながらジョージが、ぶっきらぼうに言い放つ。
こいつこんなに拗ねっぽかったっけ?要するに、フレッドの仕事が早いので、罰則という名目でスネイプに捕まることが増えたって言いたいのか。
「これくらい何でもないだろ?俺たちこれから、いろんな可能性に挑んでいくんだ」
戻ってからも一年近く一緒に過ごして来て、今でも時々こうして衝突する。時間を戻る弊害とやらは本当に面倒だ。
「ジョージだって、呪文の組み合わせは俺が思い付かないような凄いやつ作るじゃん」
「…お互い様だって?」
「そうそう。俺たち二人が揃って、最高のイタズラができるんだから。頼むぜ、相棒」
「………」
ぶすっと可愛い顔しちゃってさ。本当に、頼むぜ。
ちょっとは機嫌が直ったのか、不満そうに顰めていた顔はいつの間にかまじまじと窺う目に変わり、片目を瞑るフレッドを頭の先から足までじっと観察していた。
「どうした?惚れたか?」
「……フレッドがそんなふうに思ってたなんて」
「なんだよ。ジョージもそうだろう?俺たちで、皆が笑えるイタズラをするんだ。こんな楽しいことは他にない!」
例え暗黒時代が再来しようとも、フレッドとジョージは二人揃って皆に笑顔を与え続ける。笑いは希望だ。ヒトの活力だ。いつだって、それを忘れちゃならない。
「これは俺たちの使命であり、運命である!」
「いいこと言うな。ちょっと見直したぜ」
「は?見直しただって?失礼だな。尊敬しろ」
「それはない」
二人で、笑い合う。こうやってジョージと話していると、酷く懐かしい気持ちになった。元の時間に戻って、あの闘いに決着がついたなら、昔の夢の話しを肴に相棒と一杯やろう。過去に戻った分、俺の方がネタは新鮮だけどな。ハリーを誘うのも忘れちゃいけない。……ハリーと言えば…。
「どうして返事くれないんだ…ハリー……」
「なんで今発作を起こし始めたのか、聞いてもいいか?」
思い出して、再び全てのやる気がしおしおと萎んでいく。ハリーに手紙を出したのは、先週の月曜日。今週はもう水曜日だ。もう一週間以上経ったのに、ハリーからの返事は一向にない。
発作呼ばわりのハリー欠乏症に、さっきは見直したとか言っていたジョージが、呆れた目でフレッドを見た。
「残り少しだぜ。こいつをちゃっちゃと片付けちまおう」
「あとはやっておいてくれ。俺はもう無理」
思えば、あのマグルの一家はハリーのことをあまり大事にしていなかった。もしかしたら、手紙が彼に届く前に、あの一家がフクロウを追い払ってしまったかもしれない。もしくは、届いた手紙を燃やしてしまったのではないか。
「フレッドがやった方が早い」
棚に並んだ円柱の保存瓶を前に、蓋を開けてはにおいを嗅いだりしながらジョージが顰めっ面をする。おっとその辺は、強心薬に使う材料なんじゃないか?原料ごと試すとはさすがだな相棒。
もう一度手紙を出そうか?今度の手紙には何か食べ物を添えてやろう。小さくてガリなあの様子じゃ、ホグワーツに来るまでまともな量の食事は摂っていなかったはずだ。
「うっ、何だこれ、びしょ濡れのマットを引っくり返した上にネズミのフケをまぶしたみたいなニオイだ」
「そのニオイならエルンペントの血液だな。煙幕系の調合に最適だが、毒があるので要注意」
「毒?まじで?僕らそんなもんまで仕分けさせられてんの?」
「うわぁ、信用されてる?吐き気がしてきた」
一年生の罰則で、付き添いもなくやらせるような内容ではないと思ってはいた。ラベリングはされていなくても、どんな物が補充されたかは把握しているはず。授業なんかに使う材料ばかりではなく、明らかに個人の研究で使うような代物まで仕分けさせるとは、よっぽどの信用か、殺したいほどの憎悪が無ければ有り得ないだろう。
「今はそんな殺意向けられることは無いしな。クソ腹立つ」
「フレッド、本当にスネイプ嫌ってるよな。インドアねちねち先生なんてどうって事ないだろ?」
ああ、奴の正体を知らなかったなら、どうって事ないさ。今はいい。ただ、未来でアンタがやった事を俺は知っているからな。
+ + +
厨房から頂戴してきた料理をテーブルに並べ、フクロウ便用のバスケットに詰めていく。寮の談話室で行われる、正に魔法のような詰め込み術を腹を空かせたグリフィンドール生が唾を飲んで見守っていた。
焦げ目を付けたパンに瑞々しいキャベツとシャキシャキのアスパラガス、メインに子羊の柔らかい肉を挟んだサンドイッチ。肉汁をギュッと閉じ込めたスコッチエッグ。ドライフルーツをふんだんに練りこんだスコーン。忘れちゃいけない好物の糖蜜パイ。かぼちゃジュースを二瓶。
「いやいや、それ普通にちょっと豪勢な夕食だろ」
「サンドイッチとかぼちゃジュース一本でいっぱいになるサイズに、どうやったらそんなに入るんだ」
瓶の間に手紙を挟み、蓋付きのバスケットに保存魔法を掛けたら完璧だ。ちょっと入れ過ぎたかもしれないし、連れてきたフクロウは隙を見て逃げようとするけど、彼の喜ぶ顔を想像するとそんなのは何も問題ない。それに、ダドリー相手にちょっと楽しくなれるイタズラグッズは次の便で送る予定だ。今回の荷物は大した量じゃないさ。
「ジョージ、これをフクロウの足に括り付けるの手伝ってくれ。さっきからすごい暴れるんだ」
「気付けフレッド。みんなから冷めた目で見られていることに」
まったく乗り気じゃないジョージに手伝わせて、ようやくカラフトフクロウのしっかりした足にバスケットの取っ手を握りこませた時だ。
「フレッド!ジョージ!この騒ぎはまたおまえたちか!?」
やけにピリピリした声音のパーシーが、肖像画の入口を這い登るなり大股で近づいてくる。その様子は今にも弟の頭を辞書の角で殴りそうな勢いだ。
「今朝も騒ぎを起こして、罰則を受けたそうじゃないか!」
「そうカッカすんなって。俺たちが騒いでも、監督生の座は揺らがないぜ」
「は!?何故もうその話を知ってるんだ!?」
こびり付いた泥を睨むみたいな顔をしていたパーシーが、監督生というたった一言で分かりやすく動揺する。この頃は監督生の候補に、自分の名前が上がっていることを噂で知ったパーシーが、過剰に優等生ぶっていた時期だ。
「そりゃ、パーシーだからな。監督生になることは未来から決まってる」
自信たっぷりに言い切られて余程嬉しかったのか、顔を真っ赤にさせたパーシーは口をもごもごさせて、居心地悪そうに足を踏み変える。怒鳴りつけようとした相手から、まさかこんなことを言われるとは思わなかっただろう。叱ろうにも勢いを削がれてしまって、咳払いで誤魔化したパーシーが耳を赤くさせたままポケットをごそごそ探った。
「そ、その…渡すものがあってきたんだ。夕食の席になかなか来ないから、僕が受け取って持ってきた」
「ん?クソ爆弾なら先週受け取ったぜ」
わざわざパーシーが持ってくるような物なんて、広間にあったらマズイものとしか思えなかった。イタズラグッズの名前を聞いてムッとした顔のパーシーが、ポケットから紙の切れ端を引っ張り出す。
「またそんなもの頼んだのか!?じゃなくて……ほら、おまえずっと誰かからの手紙待ってたろ」
ぺら、頼りないほどヨレた紙が差し出される。
「多分、その手紙だ」
震える手でパーシーから手紙を受け取って、折りたたまれた紙っぺらを開いた直後から、フレッドは一部の記憶が吹っ飛んだ。後に聞いた話では、目の前のパーシーに抱きつき顔面にキスの嵐を降らせたらしいが、記憶に残っていないならノーカンだ。
パーシーが憶えてるって言うんだったら、しばらく距離を置かれた上に小言もなくなってラッキーじゃないか。
ベッドに転がりながら、新聞の切れっ端らしき紙を広げた。印刷の整った文字が生真面目に羅列する中、小さな空欄に遠慮がちに書かれた文字を読む。
(こんにちは、フレッド。僕はハリーです。あなたは誰ですか?)
人目につかないように、隠れてこの手紙を書く彼の姿が目に浮かんでくるようじゃないか?手が震えたのか、クエスチョンの最後の一点が、とんでもない位置から真横に引かれていて、何度見ても笑えた。
「んふ、ふふふ」
「怖い怖い怖い」
「おおジョージ、夢にお袋が出てきたか?」
「おまえが怖いんだ!」
勢いよく開けられた天蓋カーテンから、ぬっと首を突き出したジョージがちょっと機嫌悪そうに、フレッドを見る。
「そろそろ、その気味の悪い笑いを引っ込めろ」
「ああそれなら、隣のベッドから聞こえてるぜ。お楽しみを邪魔してやるなって」
隣のベッドから、何もしてない!と声が上がった。
「はあ……嬉しい気持ちはわかる。そりゃ浮かれちまうよな」
「ジョージも見るか?」
ほれ、と新聞を裏返して見せれば、しげしげと手紙を読むジョージ。目の前のジョージにとっては、初めて見るハリーの字だ。行間の詰まった、こじんまりした書き方に特徴がある。
「なあ……ハリーってやつとは、友達じゃないのか?」
ハリーの手紙を見て、何を考えているのか、ジョージは険しい顔つきでフレッドと手紙を見比べ始めた。
「知り合いって感じが全くしない」
怪しむ視線に見つめられながら、フレッドは手紙を目の前に翳す。この文面を見るに、ハリーにも記憶はないらしい。ジョージが訝しむのも仕方ないだろう。
「…思ってたより、寂しいもんだな」
ハリーも違うと言うのなら、この時代に戻ってきたのは自分一人だけなんだと、どこか確信してしまう。これまで過ごしてきた10年近くの思い出も、築いてきた友情も愛情も、全部リセットされてしまった。覚えているのに、全部無かったことになるなんて、あんまりじゃあないか。
手紙を眺めながら、急に萎れるフレッドを見てどう思ったのか。訝しむ視線を向けていたジョージが、苦い顔でフレッドの腹を二回叩いた。
「まあ…これから友達になればいい。だろ?」
「……ああ。そうだな……」
いつ元の時間に戻るのかは不明だが、もし戻れないとしても、また会える。それは確かな未来のはず。
ちょっとしんみりした気分になったが、それはそれで、悪いことばかりでもない。
「そう…今度は、もっと早く口説けるってわけだ」
抑えきれない笑みで、ついつい口元が歪む。
「いいぞ、これは有利だ。ハリーのツボはわかってる」
上手くやれば、未来を知るフレッドだったら、ハリーに襲いかかる苦しみにだって対処できる。これまでの時間が、どうなっているのかはわからない。でも、ここに居続けたなら、この時間のハリーにしてやれることが山ほどある。
「ハリー、なんてこった。俺が君を幸せに出来るかもしれない」
これでもかってくらい、重いものを背負わされて、大切な物を次から次へと奪われて、苦しみながらも懸命に闘う小さな身体を思う。
「ちょっといいか?」
思考の縁に沈んでいくフレッドを引き戻したのは、フレッドの様子を見ていたジョージだ。なんだ?と目だけで返すと、ジョージは言いにくそうに唸った。
「フレッド、聞きたいことは色々あるんだけどな。まず……ハリーってのは誰なんだ?」
改めて尋ねるジョージのその質問は、興味よりも確かに深い関心だった。
「生涯を賭けて、笑わせたい相手」
この思いは、おまえと交わした約束でもあるんだからな。
早くおまえにも会わせてやりたい。どうしようもなく愛してしまう、ただひとつの存在に。
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まだまだ続く……