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    進捗ゆうま

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    散らかってる 220308

    ##小説

     付き合い始めロナヒヨ(全年齢)

     クロール



     お付き合いを始めたけど大事に大事に手を出さないようにして拗らせてる兄と、関係を進ませたいけど経験がないのでどうしたらいいか分からない弟の話。

     相変わらず逆っぽいけどロナヒヨです。








    「……っ、ぐ……ぅ」
     大の男が深夜の夜景スポットで、声を上げることなくぼろぼろと大粒の涙を零して泣いていた。俺が欲しかったせっかくの男前な顔を子供みたいに歪めて、しゃくり上げている。
    「あー……、おい……」
     尋常ではない様子で泣き続ける目の前の男は、何を隠そう俺の「弟」兼「恋人」である。そんな妙な関係の人物を前に、……そんな肩書きがあるのだから親密以上の関係であるはずなのに、俺はどう声を掛ければいいかすらも分からず、立ち尽くしていた。
     普段だったら、というか女の子相手だったらすぐに慰めるための気障な言い回しと振る舞いが考える前に既に出てきているものだったが、何しろ相手は実の弟なのだ。子供の頃とは違う、自分より一回りも大きくなった弟の謂わゆる「ガチ泣き」に俺はどう対処すればいいのか全く分からなかった。
     子供の頃のようなあやし方で慰めるのでは成人男性のプライドも傷付くだろう。かと言って女の子へのいつもの口説き文句のような言葉では、弟から俺への清廉なイメージとはかけ離れていて更に混乱させて泣かれてしまう可能性もある。成人男性の上手な泣き止ませ方なんて、流石の俺も知らなかった。
     動揺のまま、一先ず周囲を見回す。時刻は深夜を回っているからか俺達以外に人の気配はなく、今をときめく人気退治人が新横浜有数のデートスポットで号泣している様を誰かに目撃される心配は、取り敢えずなさそうだった。俺は弟に気付かれないように微かに安堵の溜め息を漏らした。
     動揺していようが泣いていようが、新横浜の夜の街並みは変わらずにキラキラと輝いている。日付を越えているから少しばかり明かりは少なめかもしれない。それでも、この煌めく街の中で俺以外の吸対の面々も、弟以外の退治人達も、吸血鬼達も、皆変わらず活動しているはずだ。
     今日も今日とて騒がしいだろう自分達の街を静かに見下ろしながら、どうしてこの場所でこんな異常事態になっているのかを現実逃避のように思い出してみた。





     遡ること今から一年前。
     あの日俺は弟から初めて“家族として“ではない方の愛の告白をされた。
    「あのさ。俺、兄貴のことす、すすす好き、なんだけど」
     あいつの事務所で、部下の謝罪にではなく今度は普通に遊びに来てほしいと誘われて行ったドラルクもヒナイチも居ない二人きりの日に、その言葉は突然放たれた。
    「お、おう。ありがとな。何じゃ急に改まって……」
     てっきり弟として兄への日頃の感謝からのものと思い、照れながらも俺は顔を綻ばせた。
     苦労こそあまりした覚えはなかったが、それでも若くから弟妹の面倒を見、そのことを大人になった本人達から改めて言葉に出して感謝されてしまうと何だか面映い気持ちになる。けれど俺のその考えを表情から読み取ったのか、弟はすぐに手をわたわたと振りながら発言を軌道修正した。
    「あ! いや違う、好きなのは兄貴としてじゃなくて、いや兄貴としても勿論大好きなんだけど! それ以上に兄貴の、こ、恋人になりたい……っつーか……」
     修正されたその告白は家族愛からのものではない、……つまり恋愛としての愛の告白だった。
    「……は?」
    「えっと、だから俺は……」
    「い、いい、違う。聞こえなかったとかじゃにゃあ」
     真っ赤な顔をした弟からのしどろもどろな告白を聞いた俺は、聞き間違いじゃなかろうかと思わず間の抜けた声で聞き返していた。しかし弟の決意を込めた表情と、その眼差しの奥の色で聞き間違いではなかったことを確信してしまって、すぐに繰り返そうとする弟の言葉を遮った。
     今までの尊敬や賞賛だけではなく、いつもの熱っぽさとはまた違う温度の、蕩けるような浮ついた眼差し。言ってしまえば、まるで恋をしているような瞳だ。それが他でもない、実の兄である自分に向けられている。
     思い返せば最近、弟は時折こんな瞳で俺を見つめていたかもしれない。かもしれない、程度だから自信はない。いつの頃からなのかは見当もつかなかった。
     弟のその想いを理解してまず真っ先に、俺は弟を叱責するでも、軽蔑するでもなく、ただ自分自身を胸の内で責めた。
    (こいつが悪いんじゃにゃあ。そう思うように育てちまった俺が悪い……)
     親子や兄弟で結婚は出来ないし、ましてや恋愛なんてもってのほかであることは社会で生きている上で常識のはずだ。噛んで含めるように丁寧に教えたことはなかったが、弟も妹も、そこまで常識のない人間に育てた覚えもなかった。    
     俺に対してそう思ってしまったのがいつからなのか、……兄妹三人で一緒に暮らしていた子どもの頃からなのか、お互いに大人になり、俺があいつの退治人事務所へ訪れてからなのかは分からない。けれどそう思ってしまうような土壌を作ったのは明らかに昔の俺自身なのだろう。自覚はなかったが、甘やかし過ぎた可能性だってある。
    「……お前の気持ちは分かった。けどな、俺なんかじゃにゃあで、もっとちゃんとした相手を見付けろ。男でも女でもええから」
     それから、お前のその感情は一時の気の迷いか吸血鬼の催眠で、たぶん少ししたら治まる類のものだし、そもそも血の繋がった兄弟間で抱いて良いものじゃない。あと俺は異性愛者だからそもそも男は恋愛対象ではない。
     そんな感じで全ての要素を潰していくように丁寧に、且つ一方的に突き放すように説明をしてやった。そうすれば、それで諦めてその話はもう終わりになるかと思っていた。現に弟はこれでもかと言うほどに凹んで、その日は気まずい雰囲気のまま早々にお開きとなった。
     ……お開きとなったのだがその次の日、そこそこな規模の吸血生物退治で吸対も退治人も現場へ総動員された後。撤収作業も終わるかという頃にこっそりと人目につかない場所へ呼び出され、再び俺は弟から愛を告げられた。何故か、地元の銘菓の菓子折を差し出されながら。
    「兄貴、昨日も言ったけど、俺兄貴のこと好きだ。愛してるんだ」
     昨日の今日で、あんなに無理だと説明したのに、それこそあんなに凹んでいたのに弟の目は再び同じ熱を帯びていた。頭を打って昨日の記憶でも失くしたかと思うほどのあまりのへこたれていない様子に、思わず一度口籠もってしまう。
    「お、おみゃあ……、おみゃあ、昨日俺の話ちゃんと聞いとったのか? 無理って言っとるじゃろうが」
    「ごめん。……けど俺、諦められなくて」
     頭ごなしに無理だと言われ少しだけたじろいだが、それでもしっかりと俺を見据えて、弟は話し続けた。
    「兄貴のことずっと好きだったんだ。俺が生まれて、兄貴の弟になった瞬間から。けどこういう、……一人の人として好きになったのは、たぶん中学か高校の頃だと思う。それからずっとだから、これは気の迷いでも吸血鬼の催眠なんかでもない。信じてほしい。兄貴が今は俺のこと男として見られないとしても、頑張るから。だから俺にチャンスをください。……あ、あとこれ。兄貴にプレゼント。良かったら食って」
    「いやおみゃあ、プレゼントっつーかこれまんじゅう……」
    「兄貴」
    「…………!」
     俺に似て端正に整った顔を、必死に口説きながらぐいぐいと近付けてくる。いや、俺からしたらこんなの口説きなんかじゃない。懇願と言った方が近いかもしれない。懇願しながら、このまま手でも握らんばかりに、それ以上に今にもキスされてしまうのではないかと思えてしまうほどに顔も体もどんどん距離を詰め続けている。昔の幼くかわいかった頃は良いが、今の成長した面差しでそれをされると、何というか圧がすごい。
     女の子だったらもしかしたらこれだけでメロメロになっていたかもしれないが、俺は男で、しかもこいつの兄だ。こんな事をされても恋に落ちたりなんかしない。
     気圧されて一歩、二歩とじりじり後退していたが、兄として毅然とした態度で断らなければ、と思い直す。意を決して背筋を伸ばすと、弟を真っ直ぐ見つめ、なるべく冷たく聞こえるように言い捨てた。
    「おい、それ以上言うな、聞き分けろ。兄弟でそういうのは駄目なんじゃ。……仕事中じゃから俺はもう行くぞ」
    「あ、兄貴待って……!」
     一息にそう言い切ってしまうと、止めようとする弟を振り払い逃げるように署まで走って帰った。
     部下達に不審な目で見られ、何かあったのかとしつこく訊かれたが答えられやしなかった。実は人気退治人のロナルドと俺は兄弟で、兄弟なのにそのロナルドから何故か愛の告白を二日連続でされただなんて、驚かせるどころか正気を疑われるかもしれない。
     そしてまた次の日、ヒナイチのドラルク監視の報告書に混じって手紙が届いた。所謂ラブレターだ。飾り気のない真っ白の封筒と便箋に、弟の筆跡の文字が書き込まれている。
     因みに昨日も一昨日も、弟の口説き文句はお世辞にもときめくようなものではなかった。たぶん女性からしてもそう思うだろう。それが、今日のラブレターはこれまでの口頭の口説きとはまた異質の、それこそ別の意味で熱に浮かされて考えたのかと思ってしまうほどの、ポエムのような文章が書き連ねられていた。
     弟がこれを自分に向けて書いたのだと思うと照れを通り越して、顔から火が出るような心地がした。あいつがこれをどんな顔をして書いたのか思わず想像してしまうから、自分を意識させるという点では成功していると言えるかもしれない。
     俺はスマホを取り出し、その場で断りのメッセージをあいつへ直接送って再び業務に戻った。
     それから翌日も、その翌々日も毎日弟からあらゆる手段で告白された。俺から何度も断られ毎度ひどく凹むくせに、それでも弟は諦めずに次に会った日も、その次の日も一生懸命下手な口説き文句を伝えにやって来た。
    「兄貴、好」
    「また言いに来たのかお前! 毎度毎度懲りにゃあな、無理って言っとるじゃろうが」
     もう諸々すっ飛ばして第一声で告白に来る弟へ、俺の方も初っ端から拒否の態度を明らかにするとすぐにシュン、と落ち込んだ顔になる。昔から見慣れたそのかわいげのある表情に思わずぐっと溜飲を下げそうになるが、ここで絆されてはいけないと慌てて頭を振って邪念を取り払った。
    「俺の話、ちゃんと聞いてくれよ」
    「聞かん。いいから帰れ」
    「他の男でも女でも意味ねぇんだ。俺は兄貴がいい」
     真摯に、目を潤ませながらも俺を見つめて愛を囁くその顔を見て、我が弟ながら男前だなと見当違いにしみじみと思ってしまう。俺もそんな雄くさい顔したかった。そんな事しか考えられない兄の俺にではなくて、もっと活かせる場が他に沢山あるだろうに。
    「またお前は……。いい訳にゃあわ、もっとちゃんと考えろ。あー……えーと……ほら、あそこにいる娘とか、ああいう感じお前高校生の頃好みじゃったろ。俺のことはすっぱり忘れてああいう……」
    「え? あー、確かにそう、かも……じゃなくて、俺そんなに魅力ねぇかな?」
    「違う、魅力とかそういう問題じゃにゃあ。兄弟ってのが駄目じゃから言っとる訳で」
    「……そうだよな、やっぱ俺なんかじゃ退治人としても男としてもまだまだで、最高にカッコイイモテモテの兄貴の視界になんか入らねぇくらい……」
    「そうじゃにゃあ。お前は退治人として立派に活躍しとるし、正直羨ましいくらい男前じゃぞ」
    「あ、兄貴……! それなら俺と」
    「そういう事じゃにゃあ!」
     始めはきっぱり駄目だと断っていたのに、最近はもうこうやって、わやわやになってはとにかく駄目なものは駄目なのだと無理に話を断ち切って逃げ回っていた。弟も弟で俺への口説き方を学習しているのかいないのか、色々な手こそ使うもののいつも最終的にはただ諦める事なく、真っ直ぐ俺に気持ちを伝え続けた。
     必死になって愛を伝えるあいつに、無駄だからやめろと、諦めさせようと俺だってあの手この手で断った。それでもどうやっても、弟は凹んではまたすぐに復活して俺を口説きにやって来るのだ。
     たぶん何か、あいつの同居人が後ろで計画を立ててやっていたりしたのかもしれない。そうでなければあの単純そうで実は考え込みやすい弟が、何度も諦めずに向かってくるとは到底思えなかった。
     しかもその後にも色々と、もう何か新横浜の様々ある要因が弟に味方するように重なって、(この辺は色々あり過ぎたので割愛するが)とうとう俺は自らの弟に対する感情が段々と変化している事実に気付いてしまい、……結局周囲に内緒で弟と付き合い始めることになった。
     あろう事か自分からも意識して見始めてしまったのは、あの日々の猛攻で絆されてしまったからもあるだろうが、少なくとも女の子に飽きたから今度は……とか、単純に根負けして流されたからとか、そんな理由ではなくもっと根本的な理由だと思う。恐らく俺もあいつのことを兄弟として以上に、「そういう意味で」好きになってしまったからだ。男を、しかも弟のことを恋愛対象として好きになるだなんて天地がひっくり返るよりもあり得ないと思っていたのに、人生何が起きるか分からないものだ。
     あの下手な口説き文句で好きになったのか、元々好きだったのに気付いていなかっただけなのかはもうこの際どうでもいい。今の俺は弟のことがただ好きなのだ。言葉にすると陳腐極まりないが、結局はそれに尽きる。
     だから弟が俺に飽きるまでにしろ、俺が正気に戻るまでにしろ、いつかそのときが来るまでは「兄弟」という肩書きに加えて「恋人」として一緒にいるつもりだった。それが明日になるか、何年も後になるかは分からないがいずれ来る二度目の別れまでは、弟と一緒にいたいと思った。
     俺達のこの歪な関係はドラルクやジョンくんや、退治事務所のツクモ吸血鬼達は知っているらしいが、それ以外には絶対に秘密だ。それは吸対の面々も、退治人達も、妹のヒマリでさえ例外ではない。
     そうして始まった弟との秘密のお付き合いは、俺としては順調に進んでいると思っていた。





     とにかく、俺は弟を大事にした。
     今までの軟派なお付き合いの仕方とは別れを告げ、すぐに手を出すどころか手すら握らず、硬派で紳士的で、あいつのイメージ通りの俺を演出した。あいつの初めての相手として、絶対に俺の今までの爛れた付き合い方を見せてそれが普通なのだと思わせたくなかった。
     二人きりになったとき、弟が俺に向かって照れながら言う。
    「兄貴、好きだよ」
    「ああ、俺もお前のこと好きじゃぞ」
     こうやってお互いに目を見つめ合って愛を伝え合う行為は頻繁に行う。恋人としてする事と言ったらそれくらいで、あとは普通に男兄弟として遊びに出掛けたり、食事をしたり、たまに俺の家に泊まったりするくらいだった。勿論、泊まりの日には同じ部屋だが別々の布団で眠る。
     自信を持って言えるくらい、限りなく健全だ。……ただ、恋人としての行為がこれだけとなると、健全を通り越していっそ不健全と思えなくもない。
     これまでの俺の華麗な恋愛遍歴と比べてしまうと、弟との最近の時間はまるでままごとのようだった。沢山の女の子と出会ってすぐあんな事やそんな事に発展していた頃とは全く違うのだから、そう思ってしまうのは仕方がない。けれど俺が初めての恋人だと言う弟を相手に無理に急いだって、それこそ仕方がないだろう。それも引っくるめて、あいつとはゆっくりやっていこうと心に誓っていた。今思えば、俺自身がその先に進むのを避けていた節もあるのかもしれない。
    「夕飯、美味かったか?」
    「ああ! やっぱ兄貴が作るカレーが一番美味いよ」
     頬を蒸気させ、何なら米粒まで付けて、弟が俺に向かって顔を綻ばせる。今日はお互いに仕事も急な呼び出しもなく、二人で買い物に行ってから家で一緒に夕食を取った。リクエストされ俺が作ったカレーを食べて美味い、と心の底からの笑顔を見せる弟に、思わず俺も笑みを浮かべる。
    「昔散々食ったのによく飽きにゃあな」
    「散々食ったからこそまた食べたくなるのかもな。俺にとって、あとたぶんヒマリにとっても、兄貴の料理がおふくろの味って感じだし。あ、今度ヒマリも呼んで三人で食いてぇな……」
     仲の良い兄弟としての会話を交わし、食事も終わって弟は先に風呂に立った。その間に俺は食器の後片付けをしながら、ぼんやりと弟との今の関係性について考えていた。
     弟とはこうやって、思っていた以上に仲良く過ごせている。まるで俺の退治人引退をきっかけにこいつが飛び出していったあの日から俺が弟の事務所を訪ね誤解を解くまでの、空白だった兄弟としての期間を埋めるようだった。口頭での確認のような愛の伝え合いこそあれど弟も俺も変に遠慮しているのか触れ合いは一切無い。やはり、これでは兄弟として仲が良いだけで、恋人としてのお付き合いをしているとは言い難いかもしれない。
     そもそもまともな、健全な恋人同士というのはどんなものなのだろう。甘い雰囲気に持っていって触れ合って、そのまま……なんて簡単なことだったが、遊び慣れてる空気を弟に勘付かれて幻滅されそうで出来なかった。
     もうお互いにちゃんとした大人で、少なくとも俺の認識ではそういう欲求も伴っていてこその「好き」であるはずなのに、それをあいつに晒して見せることも、そういう雰囲気になることすらも避けていた。
     いざそんな雰囲気になったら、隠していても今までの爛れた色恋の名残が滲み出てしまうかもしれない。俺の本性を知ったら失望して、あいつはそれこそグレて珍走団になってしまうかもしれない。そうやって俺にしては珍しく弱気になって、ずっと進展させることが出来ないままでいた。
     洗い物も片付けソファーで物思いに沈んでいると、風呂から上がった弟が俺の隣に座った。相変わらずろくに拭かずに出てきたらしく、タオルは首に掛かったまま、髪から水滴が落ちていた。
     ……本当は最近、二人きりでいるとき、弟が明からさまにソワソワしていることにも気付いていた。顔を薄っすらと赤らめて、チラチラと俺の表情を横目に窺う。今だってそうだ。こいつが何を期待しているのか、ちゃんと顔を見ずとも察することが出来た。
     だからと言ってどうすればいいのだろう。ここで手を出したり出されたりするのが正解なのか? 流石に、こいつにはまだ早過ぎるんじゃないか。そうやってぐるぐると熟考した挙句、結局気が付かなかったフリをして兄としての役割に流されてしまう。
    「おい、濡れたままじゃと頭皮痛むぞ。乾かしてやるからドライヤー持ってこい」
    「あ、ああ、うん……」
     俺の軽い調子で掛けられた言葉に素直に頷いて、ドライヤーを手に戻ってきた弟をソファーの前の俺の足の間に座らせる。
    「よ、よろしく」
     緊張しているのか、……それともまだ「触れ合い」を期待しているのか、ギクシャクと両肩が上がっている様に気付かれないよう笑みを漏らした。
    「楽にしとれ」
     そう言って濡れた頭を緩く撫でてやった後、昔毎日やっていたようにわしわしと手櫛で梳かしながら熱風を当ててやった。見た目よりも感触の硬い髪質は、以前と変わらず俺の手のひらによく馴染んだ。少しだけ幼かったあの頃よりも毛が太く、昔よりも更に硬い感触になった気がする。前回が大分遠い記憶になってしまうため定かではないが、それでも自分の細くなってきた頭頂部の毛と比べてしまい、弟との年齢差に何とも言えない気分になった。
     思い出と感慨に浸りながら乾かし終え、仕上げに冷風に切り替えて軽く指先で髪をかき混ぜてから、ドライヤーのスイッチを切る。
    「ほい、終わり」
    「…………」
    「? おい……」
     声を掛けたはずなのに微動だにもしない様子にまさかと顔を覗き込めば、余程気持ちが良かったのか、弟は器用にその姿勢のまま眠ってしまっていた。
    「……寝ちまったのか」
     思わず漏れ出た呆れ声には反応せず、すやすやと眠る弟の背中は規則正しく上下していた。俯いて晒された首筋は無防備で、風呂上りの体温の高そうな皮膚も、頸椎の出っ張りも、うなじから続く産毛も、そこに見える何もかもが手を少し動かせば触れられる距離にあった。
    (……いやいやいやいや)
     良からぬ想像にまで考えが及びそうで、慌ててそれを掻き消して立ち上がった。揺すっても掴んでも起きない様子の弟を引きずるように布団に寝かせ、頭をすっきりさせるために風呂場へと向かった。
     湯船にゆったり浸かり、火照った身体を冷たいシャワーで冷やしてから上がる。しっかりと寝支度を整えて部屋に戻ると、弟は未だ気持ち良さそうに眠り続けていた。ずれたタオルケットを掛けてやり、部屋の電気を消す。ベッドサイドのランプだけが点いた仄暗い室内で、ベッドの上から床に敷いた布団の上で眠りこける男の寝顔を眺めた。
     触れたいのだろうか、俺は。他人の女の子ならまだしも、身内の男に対してそんな欲求を抱いたこともないから分からなかった。好きであるはずなのに、だから弟の恋人になることを選んだのに、例えばそういう行為に至ったとして、俺があいつをどうにかしているところなど想像出来なかった。弟のあの様子なら俺のする事なら何でも受け入れそうではあったが、だからこそ兄という立場を利用して無垢な弟を良いように扱っているようで、何よりも罪悪感が先立った。
     きっと今俺がこうして抱いているのは、家族愛ではない、けれど性的な欲求でもないもっと純粋な愛おしさ故の触れたいという気持ちなのだろう。そういう行為がないカップルなんて世界中に幾らでも存在するだろうし、要は二人がそれで幸せならいいのだ。
     自分の中で一先ずの結論が出て、モヤモヤと考えていた思考が取り敢えずはすっきりして満足だった。灯りを消して今度こそ寝るか、と瞼を落としてふと、逆に俺がどうにかされる様を想像してしまう。眉根を寄せ、あの俺に似てよく整った男前な顔を歪ませて一生懸命俺に迫る弟の姿、欲望を抑えて掠れた声。その声で俺を呼ぶ様を。
    「兄貴……」
    「っ……は⁉︎」
     想像した瞬間に横から俺を呼ぶ声が聞こえて、思わず飛び起きてそのまま勢い余って壁に頭をぶつけた。ぶわっ、と良くない汗が噴き出し、心臓が口から出るかと思うほどどくどくと脈打っている。
     薄暗がりの中弟の方を恐る恐る見れば、真剣な顔で俺に迫ってきている……なんてことはなく、実際は幸せそうな顔をしてむにゃむにゃと寝返りを打ったところだった。どうやら寝言で俺のことを呼んだらしい。その事に心底安心しつつ、未だにバクバクとうるさい胸を鎮めようと深呼吸を繰り返す。これ以上考えたらまずい、と本能的に感じた俺は目を閉じて無理やり眠ろうとした。けれど結局それは叶わず、悶々とした気分を抱えたまま、その日は朝を迎えてしまった。





     それから数週間後、一緒に動物園へ行ったりして、最後にラーメン屋で食事を済ませた後のことだった。一応名目上はデートということになるのだろうが、相変わらず特に何も発展しないまま一日が終わった。というかもう寧ろ、このぬるま湯のような状態を甘んじて受け入れている自分もいた。このままずっと、こんな関係が続くのではないか、と漠然と思っていた。
     腹もくちくなり、家までの道のりを二人で歩いていると、唐突に隣にいた弟が立ち止まって声を上げた。
    「あ! あー、そう言えば、この先に有名な夜景スポットがあるんだけどさ!」
    「ん? ああ、そういやこの辺りじゃったな」
     市内では結構有名な場所で、俺も行ったことがある。新横浜の夜景が一望でき、ロマンチックな雰囲気のある場所だ。
    「あ、兄貴と一緒に見れたらすげぇ……、良いと思うんだけど。時間あるし、寄ってかない?」
    「……そうじゃな、行くか。せっかくじゃし」
     意を決したように頬を染めて、おまけに眼に力を込めて言うものだから思わず了承してしまった。弟も緊張していたのか、ほっとした様子で止めていた歩を進め出す。今のは口説きまくられている時期によく見た表情だった。デートの終わりにムードを出す為に、勇気を振り絞って言ったのだろう。行った事があるどころか、現に俺も何回も同じ夜景を何十人もの色んな女の子と見てきたから気持ちは分からないでも無い。
     きっとこいつも恋人らしい事をしたがっているのだろう。その証拠に、俺の隣に並んで歩く弟の手はそわそわと落ち着きなく揺れていた。俺はそれを視界の端に入れながら、また同じことを考え始めていた。
    (どこまでなら成人男子の年相応に健全なお付き合いになる?)
     この前想像してしまった行為はこいつにはまだ早い気がする。というか俺もまだ弟とのそういう事に心の準備が出来ていない。しかし、例えば手を繋いだりと、そういった恋人同士が行うような接触ならば果たしてどうだろうか。キスは、セーフなのかアウトなのか。
     自分の爛れた恋愛遍歴は何の参考にもならないし、かと言って退治人になる前に持っていた欲求、夢見ていた妄想だってその現実と大差ない。そうではなくて、まともな恋愛とは何なのだろう。……思考が再び深みに陥っていく感じがして、こっそりと痛むこめかみを摩った。兄弟でまともな恋愛を目指すこと自体無謀なのだろうか?
    「兄貴、着いたよ」
    「あ、ああ。おっ! さすが、綺麗じゃな!」
     弟の声で我に返ると、いつの間にか目的地の場所に到着していた。そこは市内を一望出来る高台になっていて、街灯やビル街の明かりがキラキラと光っていた。上の空でいたことへの罪悪感に囃すようなわざとらしい歓声を上げてしまう。見慣れた夜景ではあったが、それでも綺麗なものは綺麗だ。弟と並んで柵に手を置き、目の前に広がる景色を見渡す。
     しかし、それよりもこの弟とどこまでなら進んでいいのか、何をするところまでがセーフなのか模索するので頭がいっぱいで絶景を楽しむ余裕などなかったし、今隣で弟が不安そうに顔を曇らせていることにすら、俺は気が付いてやれていなかった。
    「兄貴……」
    (手か? 手繋ぐくらいなら問題ないか?)
     ぼた、と大粒の滴が敷かれた石畳に落ちる音に、ようやく我に返る。雨が降ってきたなら、帰るなりどこかで雨宿りするなりしなければならない。そう思って頭上を煽り見るが、雨雲の気配はない。そうなると、と恐る恐る弟の顔を見ると、案の定目いっぱいに涙を溜めて俯いていた。
    「おまっ、何で泣いとんじゃ⁉︎」
    「兄貴ごめん……」
    「な、何じゃ? どうした、どっか痛くしたのか?」
     おろおろと訊ねるが弟は声を詰まらせて首を振るばかりで、一向に要領を得ない。下手に慰めることも出来ず、仕方ないが自分で泣き止んでくれるのを待った。こいつが子どもの頃は、泣いたくらいではこんなに動揺しなかった。弟と言えど成人男性に目の前で本気で泣かれればそりゃあ動揺もするだろう。取り敢えず、と思い途方に暮れながらも自分の袖で涙を拭いてやっていると、ようやく落ち着いたようで弟は鼻をすすりながら口を開いた。
    「……俺、俺兄貴に無理矢理付き合わせてるよな、こんな……、恋人ごっこみたいな事」
    「な、何言っとるんじゃ」
     弟から発された恋人ごっこという言葉に、最近の弟との時間をままごとみたいだと思っていた気持ちを見透かされたようで、内心ぎくりとした。確かにごっこ遊びみたいなくすぐったさだったが、自分なりに真面目に向き合って、大事にしてきたつもりだ。
    「兄貴は俺のこと弟として大切にしてくれてるのに、俺はその気持ちを利用してるんだ」
    「おい、何でそんな事……」
    「こういうところでなら俺でも雰囲気出せるかと思って誘ったんだけど、……やっぱり、俺なんかじゃ大人な兄貴にはつまんねぇよな」
    「そ、そうじゃにゃあ! すまん、今は少し考え事しとったから返事が遅れたんじゃ。じゃから泣くな……」
     慌てて否定するが、それに力なく首を振って弟は震える声で続けた。
    「告白、受けてくれてすげぇ嬉しかった。でも兄貴は優しいから、恋愛対象として俺のこと好きって訳じゃないのに俺がしつこく迫ったから仕方なく付き合ってくれて、今だって無理に俺に合わせてくれてるんじゃないかって、……そう思ったら止まらなくなっちまって……」
    「俺だってちゃんと、弟として以上にお前が好きじゃぞ」
     俺がそう訴えても、弟は痛ましい表情を変えずに首を横に振るだけだった。それは俺の本心からの言葉だった。そうでなきゃ男同士で、兄弟で付き合うだなんて酔狂なこと俺がするはずない。けれど本心であるはずなのに、きっと今のこの言葉はこいつに届いていないのだろう。
    「兄貴とこうして一緒に居られて幸せだよ。だから本当は兄貴の好きが俺の好きと違くても、少しでも長く一緒に居られるならそれでいいと思ってた。……兄貴の事何も考えてない。最低だ、俺……」
     浮かれやすい割りに、悪い方に考え込んでしまう性格だから恐らく今もネガティブな方向にしか思考が回っていないのだろう。その証拠に、またじわりと目に涙を浮かべている。
    「不安にさせたよな、すまん。でも俺もお前の事ちゃんと弟以上に一人の人間として愛しとるし、考えとる。じゃから……」
    「いや、俺が、俺の方こそ、……変なワガママ言ってごめん」
     安心させようと言い含める俺の言葉を途中で遮ると、もう話は終わりだとでもいうように、弟は頭を下げて謝罪した。今の言葉すら、弟にとっては兄として自分に気を遣って発言しているように聞こえてしまっているかもしれないと言ってから気が付いた。
     どうすれば伝わるのだろう。女の子から愛の有無を問われることがあったら、大抵キスの一つや二つをくれてやって良い顔しておけば何とかなった。今の弟に対してそんな軽薄な事、出来る訳がない。……いや、それでも。それでも、言葉を尽くしても伝わらないのなら行為で示すしかないのかもしれない。軽薄なんかじゃないキスをすれば、それが出来たなら少しはこの不器用な弟にも分かってもらえるだろうか。
     そう思って弟の頬に手を添えると、びくりと肩を揺らして伏せていた目を上げ、戸惑いながらもようやく俺と視線を合わせた。
    「……キスしてもいいか?」
    「へ、えっ⁉︎ キ……ッ」
     俺が静かに問うと、急にあたふたと顔を赤くして動揺した後、おずおずと上目遣いで訊ね返した。
    「い、いいの? だって兄貴……嫌じゃねぇの……?」
    「嫌な訳あるか。お前が嫌ならしにゃあが」
    「嫌じゃない! 俺だって嫌な訳ねぇけど」
     被せるように否定する様子に、自然と笑みが漏れた。そこでようやく、俺自身も今の今まで顔が強張っていたことに気付いた。もしかしたら俺も、弟とは違う意味で緊張していたのかもしれない。
    「なら、いいから目閉じろ。……あとちょっと屈んでくれるか」
    「あ……」
     届かないから屈めと言うのは些か不本意だったが、背伸びしてキスするよりはいいかと妥協することにした。言われた通り素直に目を閉じた弟の顔が、先程よりもぐっと近付く。そうしてぎゅっと口を一文字に引き締め、噛み締めているのに近い白くなった唇を指の腹で撫でてやった。
    「唇、噛まにゃあでいい。楽にしとけ」
     そう促せばようやく少し力を抜いて、固く閉ざしていた唇をほんの少しだけ開いた。それを確認してから、俺はゆっくり自分の口を寄せていった。鼻先が触れるくらいまで距離が縮まると、お互いの息がかかるほどの近距離に、慣れ切っているはずの胸が我知らず高鳴った。
     ちゅ、と軽い音を立てて、弟の少し乾燥した唇にそっと触れてすぐに離れる。
     目を閉じろと指示しておきながら自分はしっかりと目を開けて反応を窺っていると、弟は痛くなってしまうほどに今度は瞼を力強く閉じながら、真っ赤になってぶるぶる震えていた。
     その初々しい反応が可笑しくもあり、かわいらしくもあり、そして何とも言えない高揚感があった。こんな弟の姿を見られるのは自分だけだと思うと、優越感のようなものを感じずにはいられなかった。
     もう一度、今度は少し長く押し付けるようにキスしてやる。暫くして顔を離せば、ぶはっ、と大きく息を吐き出してハ、ハ、と短く息継ぎしているものだから、今度こそ可笑しくて笑い声を上げてしまった。
    「ふ、お前、息止めとったのか」
    「え……あぁ……」
    「鼻で息するんじゃ。……ほれ、もう一回」
     こんな台詞、昔にもこいつに言ったことがあるな……、と再び唇を合わせながら頭の片隅で思う。あれは確か幼かったこいつとヒマリを連れて海へ行ったとき、泳ぎ方を教えるのに、俺は二人に同じ事を言ったのだった。
     あの日、運動神経も良く、教えた事を素直にこなす努力家な面もある弟は初めて泳ぎを教えたのに、帰る頃には拙いながらもクロールを泳げるほどまでにコツを掴んでいた。嬉しそうに泳いで見せる弟のその様子に教えた身として、またこいつの兄として誇らしい気持ちになったのを覚えている。あの台詞をここでもう一度言うなんて、悪い事を教えているような……、いや、実際俺は兄として悪い事を教えているのだろう。
     チュ、とリップ音をわざと立てて唇を離すと、どちらからともなく瞼を上げてお互いを見つめ合った。揃いの銀色の睫毛に縁取られた中にある深い青色を覗き合えば、互いの瞳の中に自分が映り込んでいるのが見えるようだった。
    「あ、あの、兄貴……」
     赤い顔をしたまま、許しを請うようにこちらを窺いながら弟が俺を呼ぶ。ふと見やれば弟の手は俺に掴まるでもなく、下ろされるでもなくふらふらと曖昧に宙空を彷徨っていた。キスの間中ずっとそうやって身体に触れる事を躊躇っていたのかと思うと、どうにもいじらしくて笑ってしまった。
    「ん」
     腕を広げて抱擁を迎えるように促してやると、弟は逡巡した様子を見せつつも中腰になっていた身体をぎくしゃくと伸ばし、元の上背に戻った。それから未だ躊躇いがちに俺の首へ、そろそろと腕を回す。実体を確かめるように、ゆっくりと力を込めて抱き着く弟の背中をぽんぽんと叩いてやり、俺も優しく抱き締め返した。
    「……すまんかったな。不安にさせて」
    「いや、俺が焦ってただけだった、俺の方こそごめん。あとありがとう、あの、キ、キス……」
    「続きはまた今度な」
    「え……っ!」
     香水も何も付けていない素のままの自分とほぼ同じ、けれど少しだけ違う体臭。それは紛うことなき家族の、兄弟のものだった。熱っぽい吐息も体温も触れる肌も、顔に当たる髪の感触までも心地良いと思えてしまう。覆い被さる男の分厚い身体すら、嫌悪感は一切なく、愛おしいとさえ感じた。
     溺れてしまいそうだ、と思う。初めての感覚だった。息も絶え絶えではなく、温かい水底へ緩やかに落ちていくような、心地良い息苦しさに頭がくらりとする。弟のことを本当に、そういう意味で愛せるか不安はあった。けれどこれならきっと、どうにかなりそうだ。いや、どうにかなってしまいそう、の間違いかもしれない。長い腕が強く自分の身体に沈み込んでいくのを居心地良く感じながら、俺は溺れたようにぼんやりとした頭でそう考えていた。
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