葬送部署のサイハラさん◇身元不明ロボット特殊処理機関
構成
・上層部
・葬送部署
…身元不明ロボットの記録、送り出しを担当。
・納棺センター
…夢の嶌にて身元不明ロボットの処理を担当。
・情報分析部署
…葬送部から送られてきた情報を元に身元不明ロボットの主な状態、傾向の分析を担当。
◇葬送部署の業務
①「送り化粧」
化粧とは言うものの実際は破損した部位を修理したり酷く劣化した部品を取り替えたりする。
②記録
記録の為、回収時点で残存しているメモリを名前と停止年月日と共に情報分析部署および納棺センターに送る。
③送り出し
武装や抵抗能力は記録の際に解除し、以降は車に乗せて一対一で送り出す。ここで初めて当ロボットに死ぬことを伝える。(この際、混乱状態になり泣き喚く個体も居れば、すんなり受け入れる個体も居る)
夢の嶌(納棺センター運営)に着いて職員に引き渡し、業務終了。
2079年 10月12日
ロボットの形は本当に多様だ。人間と見紛うような個体が来る時もあれば、犬猫を模した小型の個体が来る時もある。商業主義に飲み込まれたかつてのロボット産業が生み出した混沌に、僕は日々唸らざるを得ない。
今日は桃色の髪の少女の様な個体。送り化粧の中で抜け落ちた髪を再度植え付けてあげると、言葉を話せない代わりに音楽がその身体から流れ始めた。当時の曲なのか、とてもアップテンポだった。
今日も外では黒い雨が降っている。
2079年 10月13日
悲しいことに、桃髪の少女の個体は夢の嶌に行く事も叶わないまま動かなくなってしまった。朝見てみると、バックアップ中にショートしてそのままになっていた。
よくある事だ。人に会うとその分負荷が掛かる。その煽りを受けて壊れる個体はごまんといる。
解体して納棺部署に送った。
中からドーナツ型の薄い板が出てきた。これがレコードというものだろうか。情報分析部の報告書によると彼女は2026年製の個人制作モノだったから、遠い昔に愛を持って取り付けられた物なんだろう。
使い勝手は今や分からないが、部屋に飾ってみることにした。
2079年10月14日
朝一番に、雨が止んだとの通達。マスク越しに見える世界はほんの少しだけ煤けていた。
「またどっかでボヤでも起きたんすかねえ」
なんて言いながら話しかけて来る別部署の職員。僕に話しかける人なんて珍しい。尋ねると、彼は名前が無い様だった。その代わりコードネームとして、「AR」を名乗っているとの事だった。彼は情報分析部署の職員らしい。僕の事も知っているようで、「勝手な動きは程々に」とやんわり注意までされてしまった。お互い全身を防護服で覆っていたからその素性は分からなかったが、いつか会えるならまた話したい。
2079年10月15日
先週送り化粧を行った個体のバックアップがようやく終わった。典型的なロボットの形をしている角々しい個体で、旦那の役職を与えられていることから持ち主は女性だった事が伺える。可能な限り遠回りをして車内で聞き取り調査を重ねたが、身元を特定出来るような情報は得られなかった。
見た目に似つかない優男と言ったような性格で、死を伝えても取り乱す素振りを一切見せず、引渡しの時にも持ち主の元に帰れることを喜んでいるようにも見えた。
死とは救いなのだろうか。
2079年10月16日
数ヶ月ぶりの食糧供給日。中央センターに向かう途中、聞き覚えのある声が追いかけてきた。
「サイハラ君!一昨日ぶりっすね。」
ARさんだ。
相変わらずお互い顔は見せないままだが、食料供給日にかこつけて暫く会話をした。
一昨日のほんの少しの会話では分からなかった彼の性格が掴めたような、そうでもないような。何となく気が軽くて人当たりの良い性格だと言うのは分かったような気がするが。
聞くと、彼はどうやら僕とは違う国の出身らしい。使用言語は同じだから、日系人で間違いはないのだろうけど。名前が分からない理由は単純。彼の出身国は史上最大の独裁国家で、名前すら偽名…というか、今のコードネームを与えられるのみだったからだ。僕でさえ苗字だけでも把握しているというのに。
「自由なんて無かったっすよ」と告げる声には、ほんの少し陰りがあった。
2079年10月17日
バックアップ中の個体が突然、前触れもなく動き出すエラーが発生した。陸軍にて使われていた戦闘用の個体だった。武装の解除をしていたからまだ良かったが、どうやら彼は自分の死を唐突に理解し、それに抗おうとしているようだった。
調節電子の投与を行っても止まらなかったので、僕は仕方なく『強制排除』を執り行った。およそ3ヶ月ぶりだ。
破壊電子を撃ち込まれモーターが壊れていく音、僕の1番嫌いな音だ。
人に引き金を引く時より、ずっとずっと心臓が痛くなる気がする。
2079年10月18日
休暇だった為、地下施設に向日葵を植えた。アポカリプス前に学者をやっていた人々は、僕達とは違う機関に所属しながら人類の復興を目指して日々研究を重ねている。その施設が、この建物の地下にあった。
今日訪れたのは植生科の研究室だ。ここは良い。
黒い雨と荒廃ばかり目にしている僕には、唯一緑を拝める場所だ。一日ここでぼんやりするつもりだったが、研究員に見付かって向日葵の播種を勧められた。随分と図体の大きな研究員だった。名前を聞きそびれたが、植生科と生物科を掛け持ちしているような大先生らしい。
早く花が咲けば良いのだが。
2079年10月19日
犬型・猫型の量産式ロボットを見ない日は無い。二日に一体の頻度で送られて来る。戦争が激化して愛玩動物が死に絶えて、それでもなお人間はその存在を求めるのだから、愚かという他ない。
彼らは人語を話せないため、共同墓地…ならぬ、虹の島に送り込むしかない。
歯痒い。
2079年10月20日
ARさんの素顔を初めて見た。飲み物を買いに廊下に出た時、緑髪の男性と目が合った。向こうは人の顔を覚えるのが得意なのか、はたまたオーラのようなものが見えているのか、声をかけられるまでARさんだとは気付かなかった。飄々とした話しぶりは前からだが、こうして顔を見て話を聞いていると、以前の数倍彼の人となりがわかるようだった。
珈琲を再現した飲み物を飲みながら、ARさんの祖国の話を聞いた。自分の名前も素性も信じられない中で、彼がどう生きてきたのか。
僕は言葉を失った。
ARさんには数人の妹が居たらしいが、祖国の一決定で、全員国に「回収」されてしまったらしい。彼女らの居場所は今も分かっていない。もしかしたら機械化されていて、何処かに廃棄されているかもしれない。だから自分はこの機関に入ったのだと、なんでもない風に述べていた。
「今度会う時はサイハラくんの話も聞かせて欲しいっす」
そう笑うARさんの顔には、深く影が差していた。
2079年10月21日
僕はARさんに尾行でもされているのだろうか。
業務後、いつも通り自販機に向かうと、例の緑髪の男性が立ち竦んでいた。「待ち焦がれたっすよ!」なんて言っていたけど、ちゃんと職務やってるのか?
このままだと業務後にARさんと話をする日々になりそうだ。飲み物を奢ってもらえるから僕は別に構わないけれど。
直近の事を聞かれて、地下施設で向日葵を植えたことを話すと、ARさんは急に真剣な表情を浮かべて言った。
「あそこの研究所の獄原研究員には、気を付けた方がいいっすよ」
理由を聞くと、「旧国軍幹部の生き残りとの繋がりがある」との事だった。
旧国軍。僕にとっては因縁の存在だ。戦災孤児だった僕はその軍に「回収」され、戦地に送られ、あんな目にあったのだから。
ARさんは僕の左腕を見て、「やっぱり君もワケありなんすね」と安心していた。
2079年10月22日
少女の姿をしたロボットの身元がわかった。夢の島に送り届ける途中、彼女の話から住所を割り出し、送り届けた。
どうやら彼女は娘を失った父親が企業にオーダーして作られた個体のようだった。
家だったであろう所へ連れていくと彼女は玄関先に座って、そのまま寿命を迎えた。
人間とロボットの違いとは、なんなのだろう。
彼らもこうには、僕らと何ら変わらないんじゃないか。
応答しなくなった体を職員に引き渡すと、彼女は何かを察しつつも黙っておいてくれることを了承してくれた。
それにしても夢の嶌の職員には、頭が上がらない。
2079年10月23日
嫌な夢を見た。昔の夢だった。
布団に戻る気も起きず、バックアップ中のロボットの情報を眺めていたが、遠い昔にラブドールを売り出していたブランドによる量産式の記憶情報がどの個体も嫌に少ないのが鼻について、それすらやめてしまった。
僕もいっそ機械化したら楽だったろうか?
2079年10月24日
身元の分かった完全個人制作モノのロボットに、殺して欲しいとせがまれた。
彼女の生まれた海辺の屋敷(だったであろう廃墟)に送り届けると、自分の主の死を思い出したようで、同じ死に方をしたいと訴え始めた。
主は強盗に襲われ、全身を滅多刺しにされ、殺されたようだった。僕は彼女の幸せを重んじ、幾度か確認した末、1時間かけて彼女を殺した。
最期はスクラップのようになっていた。
夢の嶌にそれを送り届けた時は驚かれたが、例の女性職員は「それがこの子の尊厳なら」と、他の個体と変わらず丁寧に運んで行った。
2079年10月25日
夢の嶌のいつもお世話になっている女性職員に誘われ、業務後に食事を共にした。
「気になったんだよね。サイハラくんはどうして探偵みたいな事をするのかなって。」
寧ろ今までそれを聞かずに僕に協力してくれていたのが驚きだ。彼女なら信用できる気がして、正直に話すことにした。
僕が従軍し、ベトナムの僻地で戦っていたこと。
劣悪な環境の中、使い捨てられるロボットを沢山見てきた事。
人間を信じるのが怖い事。
…僕が軍人だった事は、左手の義手から何となく察していたようだった。彼女は眉を下げながらも僕の話を真摯に聞いて、お返しに自分の背景も明かしてくれた。
彼女は僕と違って、金持ちの家…更に言うと、国内最大軍需企業「アカマツ」を運営していた会長の一人娘だったと言う。僕のように飢えた経験も、人の限界を見たこともない彼女にとって世界の終末は余りにも突然の事だったようだ。
「…私には責任があるんじゃないかって。」
彼女は瞼を伏せた。
「世界をこんな事にしちゃった原因は、きっと私の会社にもあるの。だからせめてもの罪滅ぼしとして、友達に頼んでこの機関に入れて貰ったんだ。」
友達について聞くと、彼女は苦笑いをしながら答えてくれた。
「あなたと同じ、従軍してた女の子だよ。無愛想だけどいい子なんだ。」
話を聞くに、彼女もまた地下施設の研究員…ゴクハラの知り合いらしい。
軍の関係者にはどうしても気持ちが向いてしまう。
明日にでも向日葵の様子を見に行くついでに、話を伺おうか。
それにしても彼女…アカマツさんは、太陽のような人だ。
2079年10月26日
植生科の研究施設に向かう途中バッタリ(?)ARさんに会ったため、共に行くことになった。「やっぱりゴクハラ研究員に会うんすか?」としつこく聞いてくるので適当に流す訳にも行かず、正直に答えざるを得なかった。
相変わらず図体の大きなその研究員は僕が来るなりプランター内の向日葵を見せてくれた。「すごくよく育ってるよ。きっとサイハラ君が良い人だって分かってるんだね」なんて、相変わらず無邪気な性格だった。
僕が旧国軍関係者との関係について聞くと、彼は少し考え込んだ後、口を割るなと言われているからとバカ正直に断ってきた。ARさんは変わらず眉をひそめていた
けれど、僕にはそれ以上彼を責めることは出来なかった。気になる点はまだまだ残っているけれど、僕の本業はそれじゃない。
それにしても、向日葵があんなに育っていたのには驚きだ。きっと特殊なプランターなんだろう。このポストアポカリプスにそんな資金、そして設備。どこから降りてるんだろう。
2079年10月27日
今日は朝一番に電話で起こされた。ARさんからだった。聞くに、どうやら面白い…というか、興味深いロボットが発見されたらしい。WWⅣ勃発前に製造されたような大昔のロボットにも関わらず高精度の機能を持っていて、驚くことに、未だにメモリの喪失が見られないらしい。
「これは俺含めた情報分析部から直々なんすけど…サイハラくん、俺たちに協力してくれないっすか?流石にいつも通りのルートで処理しちゃいけない子だと思うんで…」
電話口でも彼の苦笑いが見えるようだった。仕事を断る主義でもないので、受ける事にした。
「キーボ」という名前のロボットだそうだ。
2079年10月28日
休憩中に情報分析部に直接足を運んで、件のロボットについて話を聞いた。製造年月日は2035年10月28日。つまり、44年前の今日だ。記憶レベルは4。メモリの喪失率は34%。外傷は酷いが、送り化粧で何とかなる程度だと言う。口語での対応は可能。放置されてた年月は少なくとも40年。発見場所から推測するに、WWⅣ勃発のきっかけでもある3度目の国内への「投下」の際に、持ち主あるいは開発者が死亡したとみて間違いないだろう。
件は上層部にも話が通り、僕を見込んだ総長によって直々許可が下されたようだ。ただ、あくまでこれは守秘義務の中での話。この件は、僕とARさん、総長とその周辺人物の間だけで今は留めておくように。混乱を防ぐため…とのことだった。
そのロボットと話したい旨を伝えたが、少なくともデータの分析にあと3日掛かるらしく、本格的な始動はそこからになるらしい。
2079年10月29日
全く持って訳が分からないが、「顔を合わせておくのは大事だろう」との事で明日、機関の総長が僕に直接会いに来るらしい。ARさんが上手いこと葬送部に話をでっち上げて、プロジェクト始動までの3日間を特休にしてくれた。
有難いが、余りにも話が進みすぎだ。今日一日は掃除で潰れた。
2079年10月30日
黒い雨の降る中、機関総長とボディガードの女性が本当に僕の部屋に来た。総長は思っていたよりずっと若く、20代前半、ARさんと年格好は変わらなかった。ボディガードも同様。
生まれて初めて名刺を受け取った。「身元不明ロボット特殊処理機関 総長 百田解斗」と書いてあった。恥ずかしいことに僕は今まで属する組織のトップの名前も知らなかったらしい。話した内容は先日ARさんと話した事と、僕の意思の再確認程度だった。話していて思ったが、ARさん以上に飄々としていて、本当に機関のトップなのか?という具合だった。
「まあ…堅苦しいことは抜きにしてよ。俺はオメーに前々から仕事を頼んでみてーと思ってたんだ。困ったことがありゃ幾らでも、出来る限りの協力はしてやる。宜しくな、シュウイチ。」
ただ…悪い人ではなさそうだ。
ボディガードは最後まで僕を睨んでいたけど。
プロジェクト開始まで、あと2日。
2079年10月31日
昨日の黒い雨の影響で、久しぶりに防護服だ。未だに戦争の影響がこんなにも残っているのだ。
人間の科学はあって然るべきだったのか、それとも開けてはならないパンドラの箱だったのか。考え込んでいるとARさんからメールで、「明後日にはキーボくんに合わせられますよ」と来た。今日と明日はゆっくり休めということだろう。防護服姿では落ち着くものも落ち着かないが、久し振りに読書に耽ってみることにした。
もっと学校に通いたかったな。
プロジェクト開始まで、あと1日。
2079年11月1日
行けるうちに行ってしまおうと地下施設に足を運ぶと、ゴクハラ研究員が誰かと電話で話していた。盗み聞きをした訳では無いが、友達と話しているようだった。
電話が終わるといつも通り無邪気に笑って、向日葵の様子を見せてくれた。小さなプランターの中で僕の植えたそれはしっかりと育っていた。青々とした葉が送風機能に揺らされていた。
「サイハラ君は、向日葵が似合うね。」
生まれて初めての言葉だったが、嫌な気はしなかったし、彼の性格から見てお世辞でもないんだろう。
ただやはり、旧国軍幹部との繋がりは、警戒せざるを得ない。
いよいよ明日からプロジェクトが始まる。
それにしても、キーボはどうしてここまで特殊管理の対象にされているのだろう。製造年月日も大昔とは言え、それより前に製造されたロボットだって沢山見て来た。確かに高精度だが、それでもここまで固くガードを張ることはないじゃないか。
不安感に満たされ始めたので、今日はここで止めておく。
2079年11月2日
彼が特殊管理に置かれた理由がよくわかった。
彼…キーボは、WWⅣ前の製造とは思えない程の造形をしていた。ボディも精巧で、ボロボロでなければ人と見間違うほどだ。当時では考えられない程のクオリティ。情報分析部の管理室の中で大人しく座っていた彼は、僕が来るなり顔を向けて堂々と挨拶らしき行動をした。と言うのも、ボディはともかく中身の劣化が思っていたより酷く、声が聞き取れない程になっていたのだ。時差も大きく生じており、彼の中では今日は10月25日のようだ。それでもARさんに言わせれば、あの「投下」を受けてここまで形も中身も残っているのは奇跡的だという。これでは推理も何もあったものでは無いため、諸々をすっ飛ばして葬送部に設けた僕専用の特殊個室に送り、先に送り化粧を施そうという話になった。流れるように引越しを言い渡され戸惑ったが、特殊個室は昨日まで暮らしていた個室よりずっと広く、加えて必要な器具も揃っていた為、不満は特に無い。
早速今、僕は越してきた先の特殊個室で日誌を書いている。そして、僕の机の隣にはキーボ保管用のカプセルもある。僕直属での管理になりそうだ。随分と信用されている。
「送り化粧は明日からでも良いか」と尋ねると、本人は自分の機能不全を理解しているのかいないのか、何か言いながら大きく頷いた。
カプセルに入れてシャットダウンをした後、軽く体内を見てみたが、被爆したにも関わらず大きなダメージは受けていなかった。錆びた部品を交換するだけで事足りるだろう。明日にはきっと聞き取りを開始できるはずだ。
2079年11月3日
今日は個室でキーボに掛かり切りだった。時折ARさんからの電話に出ては進捗を伝え、世間話をする程度。流石は総長も噛んでるプロジェクトという感じで、部品はなんと発注したその日のうちに届いてしまった。外側はともかく、内側の破損を全て治して電源を入れると、キーボはハキハキと話し始めた。
「ボクの声が聞こえますか!?」
聞こえるよ、と返すと、キーボは表情豊かに喜んで、僕に感謝を表した。
「ありがとうございますッ!ボクは、もう二度と声が出せないと思っていました。」
彼の声を聞いて、僕はまた驚いた。人間さながらじゃないか。ARさんの分析した情報を参照すると、彼は確実に個人制作物だが、発見場所から辿るに開発したのは一般人ではないだろう、とのことだった。なかなか曇った情報だが、今はそれを頼りに送り化粧を施すしかない。声をかけながらボディに張り付いた蜘蛛の巣や錆を落としていると、不意にキーボは口を開いた。
「午前九時ですね。博士にお茶を入れなければ。」
メモリに不安要素あり…と言うのはこれだろう。恐らく彼の中の一部記憶は40年前の「その時」で止まっているのだ。上手い事宥めてボディの破損を全て治してやったが、自分の置かれている状況を未だ理解していないような言動が目立っていた。
2079年11月4日
急ぎとは言え破損部位を何とか回復させられたのて、今日から聞き取り調査がスタートした。見た目年齢に相応しく、中身も少年と言った具合で、僕に言わせれば丁度従軍していた時期の年頃だろうか。素直で前向き、少々頭が固く、モデルの人間がいたとしても驚かない程の人らしさだった。そんな彼の口からは度々「博士」という単語が出てくる。話を聞いていくと彼の製造主…兼、持ち主、マスターのようで、キーボはその博士をまるで実の父親の様に敬愛していた。名前を覚えていないか尋ねると、運悪くそのメモリは喪失してしまっていた。
ルーティンになっていたのか、彼の体内時計が9時を指すと、昨日のことがあったにも関わらず…それどころか、40年もの間その目的が叶う事も無かったのに、茶を入れに行こうとする姿が目立った。
どうするのだろう、と止めずに見ていたら、虚空を前に、まさに茶を入れるような動きだけをして、すぐに戻ってきて何も無かったかのように話を再開した。
40年間、ずっと彼はこれを繰り返していたのだろう。
その博士が、もう居ないという事も知らずに。
「どうされました?ボクはもっと、キミと話がしたいです!」
明日も聞き取り調査だ。せめて、彼の製造者…博士が何者か位は、掴んでおきたい。
2079年11月5日
今日も聞き取り調査。本当に人間を相手にしているようで、対ロボット用の自作マニュアルでは事足りないことに気付いた。とにかく慎重にゆっくりと、期日は無いのだから。
キーボは本当にお喋りだ。ここに送られてくるロボットは余り自分から口を開こうとはしないのだが、どうやら彼はそうでも無いらしい。博士との日々について尋ねると、彼はこう返した。
「ボクと博士は…本当に家族のように暮らしていましたよ。他愛ない話をしたり、ガーデニングを行ったりしていました。」
博士は、幾つぐらいだったのか尋ねると。
「そうですね…およそ、ボクの設定年齢と同じ程度でした。」
驚いた。キーボと同じ程度なら、恐らく10代中盤から後半。何度か確認したが、その記憶に間違いは無いらしい。
最後に博士の現在について尋ねると、彼はこう返した。
「恐らく出掛けているのでしょう。良く、ボクを厳重にカプセルに入れて、数日間家を空けていましたから。」
捜査は難航しそうだ。
2079年11月6日
ARさんから緊急の電話で起こされた。取ると、キーボのシャットダウンがちゃんと出来ているのか、という確認の電話だった。
何度もケーブルと状態を確認して確かに行っている旨を伝えると、ARさんは訝しげに呟いた。
「おかしいっすね…そんなハズ無いんすけど…」
何があったのか尋ねると、ARさんは口篭りながらも答えた。
「詳しくは言えないんすけど…キーボくんの動力反応がずっと消えないんすよ。」
どういう事、と尋ねると。
「要は…シャットダウン中も動き続けてるって事っすね。」
監視カメラを都度確認したが、彼が動いている素振りは無い。それを伝えると、ARさんは余計に声を陰らせた。
「……ひょっとしたら、問題はキーボくんの体内にあるのかもしれないっす。送り化粧中に何か気になる部品はありましたか?」
気になる部品。強いて言うなら、コアとなる部分の球体だろうか。伝えるとARさんは、後日一旦キーボを引き取るかもしれないとそう伝えて電話を切った。
今日は聞き取り調査…というより、雑談をして過ごした。話していると中々面白いのだ。
ただ、気掛かりなのは毎日毎日茶を入れに行くその姿だろうか。
少し高いが、再現ドリンクのサーバーでも買ってみようかな。
2079年11月6日
地下施設の植生科に、見知らぬ人間を見た。
今日は聞き取り調査を進めず、気分転換がてら向日葵の様子を見に行こうと足を踏み入れたら、常駐しているゴクハラ研究員の他に、もう一人…黒いマントを身に付けた子供?を見付けた。
子供の生き残りは珍しい為声をかけようとすると、その子供は「やべっ」と呟いて焦ったように身を翻し、とっとと研究所から出て行ってしまった。
ゴクハラ研究員に尋ねても、焦ったようにはぐらかされるばかり。
もしや、旧国軍の元幹部って彼なのかと一瞬勘繰ったが、子供がそんな役職につけるはずが無い。
となると、彼は誰だったのだろう。
2079年11月8日
昨日の子供の事が気掛かりで全く寝付けなかった。顔色が悪い旨をキーボに指摘されたが、処理対象のロボットに何処まで言うべきかも分からず、結局はぐらかしてしまった。
明日にもドリンクサーバーが届く事を伝えると、彼は「新品が買えたのですね」と喜ぶ反面、まるで僕じゃない誰か…それこそ、彼の言う博士に話し掛けているようで、何となく虫の居所が悪かった。
こんなに長く一緒にいたロボットは初めてだからだろうか。情がうつったらしい。
今更だが、僕は自分の名前を呼んで欲しくなった。
自己紹介をすると、彼はニッコリと笑って「サイハラくんと言うのですね!学習しました!よろしくお願いします!」
と、まるで初めて出会ったかのように笑った。
彼の中に、「時間の経過」という概念は、まだ残っているのだろうか。
2079年11月9日
僕に対する対応は変わらないものの、名前を覚えたからなのか、今まで「博士」と呼んでいたものが「サイハラくん」に変わっていた。
ドリンクサーバーが届いてすぐ部屋にセットしてみると、彼は喜んでそれに駆け寄り、まだ時間にもなっていないにも関わらず茶を入れてくれた。矢張り経年劣化なのか、入れて貰ったそれはとても美味しいとは言えなかったが、とても満足そう…と言うより、鼻高々な雰囲気だった為言い出すことも出来なかった。
2079年11月10日
シャットダウン後の状態異常について本人に聞いてみたものの、何も知っている素振りは無かった。
ARさんからの連絡で、明日キーボを一旦引き取って精密検査を行うらしい。
本人にその旨を伝えると、寂しそうにしながらも自分の状態を受け入れているようで、ほんの少し胸が痛くなった。
2079年11月11日
キーボが情報分析部に回収された。シャットダウンをする前、「また戻って来れますよね」なんて尋ねていて、なんだか本当に人間を相手にしているみたいだった。やはり情が移り始めてしまったのだろう。参ったな、淡々と仕事をこなさなければいけないのに。もちろんと頷いて、ARさんに引き渡した。
そのついでに、先日地下施設で子供の姿を見た旨を伝えた。ARさんは少し考え込んだ後、僕にいくつか尋ねた。その子はいくつぐらいだったか、恐らく10代前半だろう。その子はどんな服装だったか、黒いマントと黒い帽子を纏っていた。
ARさんは大真面目な顔で言った。
「その子っすね。」。
何が、と尋ねると、どうやら彼は本当に大真面目に、こういった。
「…旧国軍幹部の生き残りっす。……ここだけの話、俺はアポカリプス前から当局からのスパイとして軍に入り込んでたんで、知ってるんすよ。」
僕は言葉を失った。
ARさんの所在もそうだが、何よりあんな子供が幹部だったという事実に。
でも、僕が戦争孤児として少年兵にされたのは、もう10年以上前だ。
そんなに前となると、あの子…もとい、幹部は赤子だったろうに。
俄には信じられない。
ARさんは僕の戸惑いをしっかり見留めて、「…まずは、目の前の職務に集中っすね」と呟いた。
心に引っ掛かりが残ったまま、僕は一日ぼんやりとしてしまった。
晩の電話
「…はい、お疲れ様です。葬送部のサイハラですが…」
「…あー、サイハラ君。これは仕事の電話じゃないんで、適当でいいっすよ。」
「ARさん…どうしたんですか、こんな時間に。」
「ちょっと………君に言っておかなきゃいけない事があったんで。キーボ君の事じゃあないんすけど。」
「……って言うと、やっぱり旧国の…」
「しっ。その名前は絶対口にしちゃダメっすよ。………その、子供のことについて伝えておきたくて。」
「…何?」
「……サイハラ君は、”シヤ計画”って聞いたことありますかね。」
「”シヤ計画”……?」
「やっぱり知らないんすね。……俺の祖国で、当局が主体となって行っていた人体実験計画全体を指す言葉っすよ。」
「人体実験…」
「この国が戦災孤児を戦力に当てていたように…俺の国でも、戦災孤児はただの道具だったんすよ。簡単に言うと、絶対に死なない兵器を作り出そうとしてたんす。」
「………絶対に、死なない兵器……」
「要は、人間を……人為的に不老不死にしようとしてたんすよね。何人もの犠牲を出しながら……」
「……もしかしてあの子供は、その成功体だとでも言うのか…」
「そういう事っす。」
「でも…そんなのおかしいじゃないか。それって、隣国の話だろ?」
「そうすね。俺の祖国では、半世紀以上に渡って”シヤ計画”を執り行ってたっす。」
「だったら、うちの国の軍人がその成功体だなんて、おかしいじゃないか。」
「…………仮に、隣国と秘密裏に協力関係にあったとしたら?」
「………」
「力と暴力の支配する時代…アポカリプス前は、少なくとも俺の国とサイハラ君の国は敵対関係にはなかったっす。かと言って表面的に同盟を結んでいる訳でも無かった……。可能性は、十分にある筈っすよね。」
「じゃあ…隣国で行われていた人体実験の成功体がこの国に送られてきて、幹部に任命されたって事なのか…?」
「少なくとも俺はそう睨んでるっすよ。」
「……んで……」
「?」
「……じゃあ、なんで僕は兵士になんてなったんだ。不死の人間が居るなら、僕があんな目に合う必要は無かったじゃないか。」
「サイハラ君…」
「僕の友人が…あんな酷い死に方をする必要は、なかったじゃないか。僕が、かつての友人を殺して口に詰め込むことも、人を殺すことも、なかったじゃないか。」
「サイハラ君…気持ちは分かるっすよ。でもこれはあくまで情報共有っす。詳しい話は今度…飯でも食いながら聞くっすよ。」
「…ご、めん」
「はは、サイハラ君は感情的になると、ちょっとおっかないっすからね。…とりあえず、次に彼を見たら総長にすぐ電話して下さい。」
「…なんで。」
「今更戦争犯罪を咎めるつもりは無いっすけど、普通の人間じゃない以上何をしでかすか分かんないすからね。それに、旧国軍の存在は職員の多くにとっては恨めしいものに変わりは無いんで…。」
「……分かった。」