ジェイ監の身長差 こんにちは。
廊下の向こうから歩いてきた長身の青年に声をかける。
はい、こんにちは。
ピタリと止まったその長身は、ユウの歩幅で二歩分ほど前で緩やかに腰を折った。微笑みに揺れるのは左耳のピアス。
「監督生さんも移動教室ですか?」
柔らかく響く声音で問われ、頷く。
「これから一年生全員で魔法史の復習も兼ねてメインストリートに行くんです」
「そうですか。外は風が強いようなのでお気をつけて」
ありがとうございます、それじゃあ。
はい、さようなら。
ユウの歩幅で二歩分のその距離を、長い脚がするりと縮めて横切っていく。
当たり障りのない会話は常で、他愛ない日常のひとつ。だけどどうしてだろう、今日はどこかなにかが違う。
流れていく生徒の波間に映る、鮮やかな海の色。きれいだなぁと呟けば、それを拾ったグリムがお前は何を見てもきれいすごいすてきしか言わないんだゾと呆れて尻尾を振っていた。
「ゴイリョクがないってセベクが言ってたゾ」
「語彙力かぁ。たくさん本読めば語彙力つくかなぁ」
「お前寝るじゃねぇか」
曇りなき真っ直ぐなグリムの眼に視線を泳がせ、もう一度海の色を視界に納めてからぐるりと前を向く。もうすっかり遠退いてしまったけれど、それでも目には焼き付いている。
「きれいだなぁ」
また呟いて、ユウも生徒たちの波を泳ぐ。
ゆらゆら揺れる同じ海の色もきれいだけれど、凛と立つあの背中の方が一等きれいに見える。
本当に不思議だ。
途中で会った友人たちと合流してメインストリートに着くと、ひっそり立ち並ぶ木立の向こうに、風に靡く緑の眩しい運動場が見えた。ゾロゾロと箒片手に移動する運動着の生徒達。
だから、監督生さん『も』だったのかと、頭一つ分はみ出た蒼翠に視線を留めた。
「きれいだなぁ」
またぼんやりしながら呟くと、それをグリムより遥かに高い位置にあるセベクが拾った。
「なにか言ったか?」
「言ってないよ!」
器用に腕を組んだまま上半身をユウの方へと折り曲げる。ぐっと近付いたその距離は互いの声が聞こえやすい。しかし背が低いことを改めて浮き彫りにされた気がして悔しくなった。ユウは一際大きな声で返事を返した。うるさいぞ!と倍の大きさの声で返されたのだけれど。
「言いたいことがあるならはっきり言え!」
くわっと眉間にシワを寄せたまま、今度は随分高い位置でそう声を上げる。そんな彼の隣でジャックが耳を伏せてうるせぇと迷惑そうに顔をしかめていた。
「ただでさえお前は背が低いんだ、ちゃんと聞いてやれないだろう!」
仁王立ちで上から言うような台詞ではないが、彼の優しさは擽ったい。むずむずするまま口元に手を当てわざとらしく驚いた表情を浮かべると、これまたわざとらしくユウは震える手で隣のエースの服を掴んだ。
「ちょっと聞いて……セベクが優しい!聞こえないじゃなくて、聞いてやれないって」
ぐいと裾を捕まれたエースがニヤリと笑う。
「は?セベクが優しいのはみんな知ってますけど?」
「セベククンは優しいよ!」
「あぁ、セベクはいい奴だ!」
「そうだな、セベクはいい奴だな」
「お前ら……!」
ぽんぽんと飛び出す友人達の言葉に歯噛みするセベクの頬は赤い。からかわれて怒っているというよりも、まぁそれもあるだろうが羞恥心の方が強いかもしれない。
「ユウ!貴様!」
お怒りはごもっともですからかってごめんなさいという意味を込めて、伸びてきた手に逃げずに捕まる。
「優しい僕が貴様の背を伸ばしてやろう!」
「わ、わわわ!」
掴まれた両手首を持ち上げられれば爪先が地面から浮く。そのままぶらんぶらんと左右に揺らされると、度胸試しみたいな顔をしたエースとデュースが、空を切るユウの足を避けて遊び始めた。
「当たった方が後でジュース奢りね」
「よし!」
「避けるだけにしてね!当たっても反撃なしだよ!」
勝手に始まった度胸試しに口を挟むと、え、そうなの?ときょとんとされた。なんでだ。
「すみませんがセベクさん、このままだと関節がやられそうだし腕だけが伸びそうです」
「む?じゃあ足も引っ張るか?」
「よしきた」
「任せて」
腕まくりをしたジャックとエペルがにじりよってきた。さすがにそれは千切れると喚けば、今まで呆れた顔で傍観していたグリムが「お前らなにやってんだ」と息を吐く。
それから程なくしてトレインがやってきたので、ユウはようやく解放された。なんか肩が軽くなった気がすると歩きながら呟けば、今度はジャックが上半身を屈めて「次は足だな」なんて笑うので、ユウは慌ててもう勘弁してくださいと首を振った。
「君たちの寮にも関係しているグレートセブンだが」
歩きながら話すトレインの声は、強い風にも負けず後方までよく響く。たぶん拡声器みたいな魔法を使ってるんだろうなと、ユウは踏んだ。そうじゃなければあの子守唄のように朗々と響く声はここまで届かない。魔法は便利だなと感心しつつ、ちらりと横目で運動場を見た。
米粒大の生徒達が浮いたり沈んだりしている。
なんだかおもちゃみたいだ。
その中でも悠々と空中を浮遊し旋回するのはリドルだろうか。
他にも上手にくるくる回る生徒も見受けられる中、少し離れた場所で仁王立ちしているらしい赤いジャージと地面ギリギリに浮かぶ誰かが見えた。
あの綺麗な蒼翠がきらきらしているので、たぶんきっと、ジェイドだろう。
不得意な飛行術に加えてこの風だ、かなり苦労しているに違いない。いや、決めつけるのはよくない。もしかしたら今日はとても調子がよくて、風も味方にして高く舞い上がっているかもしれない。眩しいくらいの笑顔で「こんなに飛べたんです」と兄弟や幼馴染みに話す姿を想像して、人知れず笑いが込み上げ慌てて頬の内側を噛んで耐えた。
見たことがない彼の満面の笑みはいつの間にかフロイドのそれと入れ替わり、最終的には「伸ばしてあげる~」とプロレスにありそうな技をしかけてきた所で強制的に終わらせる。
とにもかくにもあの地面すれすれの米粒がジェイドじゃなきゃいいなと考てから、おや?と首をかしげた。
どういうわけか、今日はとてもジェイドが気になるようだ。
「ユウ、余所見をするな」
「はい!ごめんなさい!」
思考を砕くトレインの声に飛び上がる。友人たちが肩越しにニヤリと笑うのを視界の端に捕らえつつ謝罪の言葉を口にすると、厳格な教師はまた説明を再開させた。ペナルティを与える程ではないと判断されたようで助かった。
ただでさえこの世界の歴史に明るくない身分なのだ、集中しなければと生徒と生徒の間から顔を出す。足元にいたはずのグリムはいつの間にかジャックの肩に乗っている。
──ジェイド・リーチ!もっと筋肉に力を込めろ!
風に乗って声が届いた。
微かな反響を伴って届いたそれに、数名の生徒がぴくりと肩を揺らしたのが見える。揺れる腕章はオクタヴィネル。さすが副寮長、名前だけで人をそわそわさせる。
ジャックの肩に乗ったグリムが運動場を見て、口元に手を当てニシシと笑った。
やっぱりあの赤いジャージの側の米粒は彼だったか。
彼の珍しい満面の笑みはお預けかなと、人知れずふぅと細い息を吐きだした。
「こ、エ、ビ、ちゃ~ん」
柔らかく間延びした声に絡め取られて足を止める。
振り返らずとも肩越しから、ばあ、と現れたのはやっぱりフロイドで、ユウの目線が自分に向くと満足そうにへらりと笑う。
突然現れた彼になんだなんだと毛を逆立てて警戒するグリムにも、ばぁ。
しかしそのまま手をひらひら振るとなにもせずに行ってしまった。
気紛れが過ぎるんだゾと逆立った毛をさりさり舐めるグリムはうんざり顔だ。
「ただのコミュニケーションですよ」
声が、降ってきた。
文字通りのそれにハッとして顔を上げれば、真上から覗き込む双眸が。
「わ」
「おっと」
反射的に仰け反った背中に引っ張られてバランスを崩したが、大きな手が肩を掴んで支えてくれた。後頭部は彼の──ジェイドの胸元にぶつかっている。
「目線を合わせるのは、良くも悪くも意思の疎通になるでしょう?」
そういうことですよとぞろりと覗く歯を見せてジェイドが言った。普段見せないものを見せるのは、相手の情緒を乱す手段だろうか。
「……それじゃあ今、自分とジェイド先輩は意思の疎通ができてます?」
僅かに瞳が開かれる。しかしそれは一瞬のことで、すぐにいつもの表情でにこりと微笑む。