構いたい勇利くん 重たい眠りからゆっくりと覚醒すれば、世界の輪郭がはっきりと見えてくる。目を開けばまず初めに視界に映るのは、何よりも愛しい愛する人の姿だ。
「おはよう、びくとる」
珍しく、おれよりも先に起きていたらしいアーモンド色の瞳が、瞬いて朝の光を弾く。まだ掠れた小さな声で、ささやくユウリ。
「おはよう、ユウリ。今日は、はや――」
今日は早いんだね、と。
告げようとしたおれの唇は、あまりにも唐突な恋人のキスによって封じられてしまった。小さな水音。触れるだけのバードキス。不意を食らって思わず目を見開いたおれの顔を見て、まるでいたずらが成功した子どものように、無邪気にユウリは笑った。
「驚いた? ヴィクトル」
つられて、おれも笑ってしまった。
「うん。嬉しいサプライズだね。どうしたの? 急に」
問い掛ければ、照れたように目を細めたユウリは、ついていた頬杖を解いてぺたりと枕の上に沈み込んだ。さらりとした黒髪が白いシーツに散る。
「……昨日、あんまり会えなかったから。キス、一回しかできなかったでしょ」
「そうだね、確かに」
その言葉に、怒涛のような『昨日』を思い返して、おれは苦笑いを浮かべた。朝のキスをして別れてから、日中はトラブルに次ぐトラブルがあり、おれの帰宅は深夜。流石にユウリには先に眠っていて貰ったので、体感的には一日ぶりの再会だ。可愛い事を言う恋人が、たまらなく愛おしい。
「寂しかったの? ユウリ」
「うん、寂しかった」
駆け引きも何もなく、素直にうなづいた恋人に不覚にも動揺してしまう。
「――」
からかうように言えば、顔を赤くしたユウリが「違うよ!」なんて、照れ隠しに必死に首を振る――そんないつもの反応とは、まるで違ったから。
「……寂しかったよ、すごく」
「ユウリ……」
わずかな戸惑いに沈黙するおれの手を、そっと両手で掴んだユウリは、やわらかな自分の頬に持ち上げた手のひらを静かに押し当てた。
「……ユウリ?」
ほんのりと火照った肌の上を滑り落ちる指先が、桃色の唇へと導かれる。あたたかな粘膜が、おれの冷たい指先にそっと触れた。ゆっくりと伏せられるアーモンド色の瞳。
恋人と触れ合うおれの手に、いくつものキスが降り注いだ。それぞれの指先に、手の甲に、手首に――慈しむように落とされる口づけ。一つひとつ、情愛を伝えるよう繰り返される健気なキスに、おれは心がざわつくのを感じた。
こんなに明るい朝だというのに。薄暗い欲望が疼く。無邪気にキスを繰り返すユウリは、お気に入りのおもちゃにじゃれつく子猫のように幸せそうだ。きっと、こんな爛れた情欲など抱いてないに違いない。ただ、純粋におれと触れ合いたいだけなのだろう。
跳ね上がる鼓動を鎮めるように、おれは深く息を吐いた。
「ワオ、ユウリ。どこで覚えてきたの? そんな触り方」
唇の端を吊り上げて、わざと戯けるように言えば、アーモンド色の瞳がゆっくりと開かれる。そして、ユウリは不服そうに唇を尖らせながら告げた。
「……ヴィクトルが、教えてくれたんでしょ」
「……」
いつくもの夜が蘇る。闇に浮かび上がるのは、ほの白い裸体。泣きじゃくるような恋人の声とかすれた吐息。唇以外の、額や頬や首筋、手のひらやその指先――あらゆる場所に落とされるキスに、くすぐったそうに恋人は小さく笑って――
そうだ、ユウリ。
おれだけの、
「……どうしたの、ヴィクトル」
困惑したように、問いかける声。当然だろう。掴まれていた手を握り返してやわらかなシーツに押し付けると、おれは戸惑う恋人をベッドの上に組み敷いたのだから。朝の光が当たる白い頬に落ちるのは、薄暗いおれの黒い影。
「……ヴィクトル?」
ユウリ――おれだけの、ユウリ。
これまでも、これから先も、誰かの愛し方なんて、愛され方なんて、知ることのない年下の恋人。その事実を噛み締めてしまえば、おれの中に溢れたのは、大人げない独占欲とたまらぬほどの支配欲。
「ごめん。ユウリ、」
「びくっ……ンッ、んんっ……!」
答えを告げるよりも先に――おれはユウリの唇へと奪うようなキスを仕掛けていた。
終