挨拶です「只今戻りました。」
アーガマのブリッジにカミーユ・ビダンが挨拶と共に入って来た。MSを降りてノーマルスーツのまま、真っ直ぐブリッジへ来たのだ。
「ご苦労だったな」
カミーユは、艦長のブライトに報告書を差し出した。
「月からの預かり物です。直接ブライトキャプテンに、渡すように言われました。」
「ありがとう。」
「お疲れ、カミーユ、ゴメン!ドリンク人数分しか無いんだ。」
キースロンがブライトへドリンクカップを手渡し、謝る様にカミーユに手を合わせた。
「大丈夫さ、ありがとう。」
「キースロン、休憩に入ります!」
暫しの休息の空気がブリッジに拡がった。
一口ドリンクに口を付けたブライトは、カミーユを見やり、「カミーユも休憩に入ってくれ。」と微笑む。
彼の発した言葉にコーヒーの薫りが漂う。
無機質なブリッジにその薫りで微かなその人の温もりを感じた。
「…サエグサはキスした事、無いってさ!」
唐突にトーレスが、ブリッジに声を響かせた。
「おはようやお休みのキス位有るだろう!」
「親が日系で、そういう習慣も無いなぁ…」
「カミーユは、どう?」
突然振られた話題に、カミーユは小首を傾げた。
「えっ…幼い時分は…おはようやお休みのキスは、普通にしたけど…両親とも、忙しくて、何だかそんな…」
カミーユは、父に愛人が出来てから、家に有るべき筈の何かが、欠け落ちた事を、仲間達に上手くは説明しし難く、言葉尻を濁した。
「ブライト艦長の奥様も日系ですよね!挨拶のキスなんてのは、どうですか?」
カミーユの声の、低いトーンの意味合い等気にも止めず、トーレスは、次にブライトへと話を振った。
「トーレス、そんな日系とか、何処で知ったんだ?」
話の論点を逸らす様に、ブライトは、多少の厳しめの表情を見せた。
「母がホワイトベースのファンで色んな話を聞かされてますよ。」
はぁ、と、ブライトの視線は宙に泳いだ。
「ブライトキャプテンも、ご家族に挨拶のキスなんか、当然ですよね。」
カミーユは、真剣な眼差しで尋ねる。
ブライトはカミーユの憂いと期待の入り雑じる眼差しに、ドキリとする。
トーレスの質問には答える気も起こらないが、カミーユに問われると、真剣に会い対さなければならない気になる。
「まあ、おはようやお休みのキスは、挨拶だからな。たが、仕事に出る前のキスは、…有る意味、重要だな。」
カミーユは、えっ…となり、ブライトを見詰めた。
「…何故、ですか。」
「何処でこれが『最期』かも知れないってな。」
微かに笑みを浮かべるブライトの表情に、カミーユは、哀切を感じた。
「でも!」
反射的にカミーユは大きな声を張り上げてしまう。あなたにそんな顔をして欲しくない…。
「でも、家族の人からすれば、それは必ず帰って来てっていう、帰って来るっていう、大切な魔法、みたいな…ものじゃないですか?何よりも大切な挨拶ですよ。」
カミーユの言葉の真剣な含みに、ブライトは顔を綻ばせた。
「そうだな、その通りだ。
大切な魔法、だな。
人は、お互い触れあう事で、生まれるエネルギーが必ずある。」
「艦長!救助信号をキャッチしました。民間機のシャトルです。」
トーレスが、レーダーモニターの点滅に反応する。飛び込む仕事だ。
「確認に出ます。すぐ出れるのは、僕だと思います。」
カミーユは、正面のモニターに映し出された映像に反応する。
「ああ、カミーユ、済まないが頼む!」
ブライトの信頼の視線を受け、カミーユは、ブリッジを出ようとして、身を翻した。
大切な人への、大切な、あいさつ、を。
ゆっくり艦長席の人に顔を近づける。
ブライトの目の前に、ブルーグリーンの瞳が入り込んだ。
宇宙を想わせる瞳の色合い。
そのままお互いの唇が重なる。
ブライトは、驚いた瞬間、はっと、息を吐いた。
あ、コーヒーの薫り。
艦長の、呼吸…
カミーユはそれを自らの奥底に落とし込み、身を離す。
「いってきます、の挨拶です。」
耳まで熱くなっていくのが解る。
触れあう事で生まれるエネルギー。
驚きの表情のまま、ブライトは、努めて冷静に返した。
「気をつけてな。民間機を偽装してる場合もあり得る。」
「はい!」
ブリッジを出掛け、カミーユはもう一度振り返った。
「帰ったら、お帰りの…」
ブリッジクルーは外部への索敵へ神経を集中しているが解る。
カミーユは、言葉を飲み込んだ。
MSデッキへの移動の中、言えなかった言葉を、そっと呟いた。
「僕に、お帰り、のキスも、どうか…」