ド派手な兄弟喧嘩「妓夫太郎と奴の音がするッ…」
そう血相を変え、森の中へと駆け出した宇髄を、炭治郎と善逸は追った。追って辿り着いたお堂の前で、静かに立ち尽くしている宇髄…尋常ではない宇髄の様子に、炭治郎と善逸はお堂の中を覗いた。そこには、宇髄の顔によく似た黒髪の男が、宇髄の愛する男・謝花妓夫太郎を押し倒している光景…黒髪の男が乱れた妓夫太郎の服に手をかけているその光景は、まだ少年である炭治郎と善逸でも何が行われようとしていたのか察する事のできる状況であった。
「一体何をしッ…!」
炭治郎が黒髪の男を問いただそうと言葉を発した時、鈍い音と共に黒髪の男の身体がお堂の奥へと飛んでいく。
一瞬だった。一瞬の出来事で、炭治郎と善逸は目を丸くした。
宇髄は目にも止まらぬ速さで、己の顔に似たその男を蹴飛ばした。そして蹲るその男の元へ歩み寄っては、その身体を踏みつけ己の全体重を男へとかけていく。大柄な宇髄の体重は、男の身体をミシミシと悲鳴を上げさせながら床に押し付けていく。
その異様な光景を炭治郎と善逸は血の気の引いた顔で見つめる事しかできなかった。
「う、宇髄さ……」
「…おい。テメェ何やろうとしてた」
「ッぐ…」
「あ?何だ?言ってみろよッ!」
男から反抗的な視線を向けられた宇髄は、踏み付ける足を上げては男の身体へ落下させていく。鈍い音と、男の苦しむ声がお堂に響く。
「テメェ…ぜってぇ許さねぇからな…俺の大事な…大切なアイツをッ……!」
そう言い、宇髄は男の胸ぐらを掴み、そのまま拳を男の顔面へと振り下ろす。
炭治郎は恐怖した。宇髄の匂いに…。怒りに満ちたその匂いは鬼に近いものだった。
「ダメだッ…宇髄さんっ」
このままでは宇髄は人のまま鬼となってしまう。それだけは何としても止めなければ…
炭治郎は無我夢中で宇髄へ飛びつき、しがみついては止めようと必死になる。だが、
「邪魔だ!!」
己にしがみつく炭治郎を宇髄は振り飛ばし、男へ再び狂器と化した拳を振り下ろしていく。
「炭治郎!!」
善逸は振り飛ばされた炭治郎の元へ駆け寄ろうとしたが、
「ッぁぁ〜」
床に押し倒されていた妓夫太郎が身体を起こし始め、迷った挙句、善逸は妓夫太郎の元へと駆け寄っていく。
「妓夫太郎さん!大丈夫ですか!?」
「ん、あぁぁ…薬嗅がされてまだちっと頭フラつくが何とか大丈夫だぁ……」
善逸はようやく納得した。妓夫太郎がそう易易と押し倒されるわけがない。だが、薬を嗅がされ身体の自由を奪われていたのなら納得だ。
身体を起こし、妓夫太郎は周りを見渡す。そして目に映ったのは、愛しい男が自分を押し倒していた男へ一方的な暴力を奮う姿……
「……んで、何があったんだぁぁこれぇぇ?」
「……へ?いやそんな他人事のように!」
「アイツ、何であんなキレてんだぁ?」
「アンタ本当他人事のように言うな!?アンタがあの男に襲われそうになってたからあの人ブチギレてんでしょ!!」
「……あぁ、なるほどなぁぁ」
「いやどこまで他人事!!??」
自分の身が危うかったというのに、完全に他人事のような振る舞いを見せる妓夫太郎に、善逸は思わず声を荒げてしまう。
「ほら見てよ!!炭治郎があんなに必死に止めてるのに全然聞き入れようとしてないでしょあの人!!全部アンタの為だよ!!」
善逸の指差す方向には、振り飛ばされてもめげずに何度も宇髄へしがみつき、声をかける炭治郎の姿…
「宇髄さん!お願いです!やめてください!!」
「テメェが俺に勝てた事なんて今まで一度もなかったよな?今日も俺がとことん勝たせてもらうからなッ」
「ッぐ、ハァッ」
「宇髄さん!!」
宇髄の耳には炭治郎の声は届いていない。目の前の男に対する怒りが宇髄から正気を失わせている。その瞳に光は無い…あるのは、闇深い怒りの炎だけ……
「……すげぇなぁぁ。アイツがあんなにブチギレてんの初めて見たなぁぁ」
「だからアンタの為だってぇぇぇぇ!!!」
そんな宇髄の姿を見ても妓夫太郎は変わらずあっけらかんとしていた……。
凄まじい空気の寒暖差…同じお堂内な筈なのに、何故こうまで寒暖差があるのか善逸は頭を悩ませた。そんな善逸とは裏腹に妓夫太郎はニヤニヤと笑いながら、
「自分の為にあんなにブチギレてくれんの、何か嬉しくねぇかぁぁ?」
「こんな状況で惚気けないでもらいたいんですけど!?アンタには倫理観ってもんが無いのか!!」
「妹以外にはねぇなぁぁ」
「ですよね!!それがアナタですものね!!あぁぁぁぁッ!!」
どこまでも我が道をいく妓夫太郎に善逸は発狂寸前…誰でも良いから来てぇぇ!と心の中で叫んだ時、炭治郎がその場に宇髄によって振り飛ばされて来た。
「炭治郎ぉぉぉぉッ!!」
思わず炭治郎に泣きつく善逸。
「え?善逸どうし…あ!妓夫太郎さん!良かった!無事だったんですね!」
「んあぁ。全然無事だなぁぁ」
「炭治郎ぉぉッ!この人おかしいの!どこまでもおかしいの!!ねぇ!炭治郎からも言ってやってよ!!」
「え?何の事かよく分からないけど…妓夫太郎さん!宇髄さんを止めるの手伝ってください!!」
「んあぁ?」
「宇髄さん全然俺の言葉聞いてくれなくて!」
「そうみてぇだなぁぁ。ありゃ完全に他人の声遮断してやがる」
「だからお願いです!宇髄さんを止めるの手伝ってください!俺一人じゃどうにもならなくて!」
「……たまにはド派手に兄弟喧嘩しても良いんじゃねぇかぁぁ?」
「えええええええええ!!!?」
「やっぱり兄弟だったんかい!いやそれよりも、この血みどろな状況を兄弟喧嘩で片付けちゃダメでしょぉぉぉぉッ!!」
止める気配の無い妓夫太郎に炭治郎は驚愕の声を上げ、善逸は全力でツッコんでいく。
そんなこちらの空気とは対象的に、宇髄の拳は血に染まっていく。殴られている男の目にはまだ生気がみなぎっているが、それもいつまでもつか…このままでは取り返しのつかない事になってしまうと焦る二人…最早これは妓夫太郎に頼らず他の柱を呼んできた方が良いのでは?と二人が思い始めた時…
「……でもまぁ、確かにありゃやり過ぎだなぁぁ」
口元にニタリと笑みを浮かべながら、妓夫太郎はようやく重い腰を上げ、宇髄へと歩み寄っていく。
怒りに支配され正気を失い、他人の言葉が全く耳に入らない今の宇髄をどう止めるのだろう…二人は妓夫太郎の背を見つめた。そして、妓夫太郎の執った行動は…
「よう色男。そのくらいにしとけや」
そう告げて妓夫太郎は宇髄の背に身体が密着するよう抱き付いた。振り下ろす腕を掴むでもなく、しがみついて身体の自由を奪うでもなく、ただ軽く、宇髄の背に抱き付くのみ……
(……え?それだけ??)
炭治郎と善逸はまたしても目を丸くした。妓夫太郎の止める気があるのか分からないその行動に。やはり自分達も止めに入らなければと思ったが、妓夫太郎に抱き付かれた瞬間、あれほど止まらなかった宇髄の拳がピタリと止まった。
「……え?嘘」
状況が飲み込めず思わずそう呟いた炭治郎と善逸をよそに、妓夫太郎は宇髄へ語り掛ける。
「オメェにこれ以上兄弟殺しの罪負わすわけにはいかねぇからなぁぁ。その妬ましい程の綺麗な面、こっちに向けろや」
目を細め、微笑みながら妓夫太郎は宇髄へ告げる。その言葉に宇髄は振り向いては妓夫太郎へ視線を向けた。
「妓夫、太郎…」
「よお。俺の音、ちゃんと聞こえたみてぇだなぁぁ」
ヒヒヒッといつもの様に笑う妓夫太郎。そんな妓夫太郎を見つめる宇髄の瞳は、徐々に光を取り戻していく…。
何も特別な事はしていない…いつものように語り掛け、その大きな背に抱き付いては、愛する男に伝えただけ。いつも聞かせている自分の音を…。
宇髄の瞳からは怒りの炎が消え、正気を取り戻していく…だが、
「ッ……俺は、またッ」
宇髄は掴んでいた弟の胸ぐらを離し、頭を抱え始めた。それは正気を取り戻したが故に気付く、己の所業…そして後悔…
また同じ過ちを繰り返すとこだった……兄弟をこの手で……
宇髄のただ一つの呪縛…それが表に出てきては宇髄の瞳を再び曇らせていく…
「おいおい。なぁに柄にもねぇ面してんだぁぁ?いつもの自信たっぷりなオメェはどこいったんだよ?」
ニヤニヤと笑いながら、妓夫太郎は宇髄の両頬を優しく包み込み、再び曇り始めた紅い瞳をジッと見つめる。
「俺の為に怒ってくれたんだろ?嬉しかったぜぇぇ。オメェみてぇな頼りになる男に愛されて、俺は幸せもんだなぁぁ」
澄みきった空のように美しい青い瞳が、宇髄の瞳を照らす。
妓夫太郎は捻くれた性格だ。他人には決して本音を語らない。だが、宇髄に対しては本音を語ってくれる。宇髄の事を信じ、愛しているから。今告げた言葉も本音…妓夫太郎の真実。それは宇髄を呪縛から解き放ち、瞳を晴れ渡らせていく。
「……当たり前だろ。俺は日の本一の色男、宇髄天元様だ。惚れてる男を幸せにできねぇでどうするッ」
宇髄の表情にようやく笑みが浮かぶ。眉を八の字にしたはにかんだ笑顔だったが、それでも妓夫太郎にとっては満足できる笑顔で、妓夫太郎もまた満面の笑顔を浮かべる。
「オメェの罪なら俺も背負ってやっからなぁぁ。安心しろぉぉ」
「バカタレ。誰が大事な嫁に自分の罪を背負わせるかってんだ」
「なぁに言ってんだよ。夫婦ってのはそういうもんだろぉぉ?」
「お?珍しく夫婦って言ったな?帰ったら祝言でも挙げるか?」
二人は額をコツンとくっつけ、笑みを浮かべ合い続ける。
「………え?何?俺達一体何を見せつけられてんの??」
「すっごく幸せな匂い…気持ち良いなぁ」
「イヤイヤ!絶対あの二人俺達の事忘れてるよ!?あんなに苦労した俺達の事を!!」
完全に蚊帳の外状態な炭治郎と善逸…炭治郎は特に気にはしていないが、善逸は不満だらけのようだ。
「ッ…クソ」
「あ、宇髄さんの弟忘れてた……」
宇髄の弟は、痛む身体を起こし、幸せな雰囲気に包まれてる兄と兄が愛する男を悔しそうに見つめていた。そんな名も知らぬ宇髄の弟の元へ、善逸は駆け寄っていく。
「ねぇアンタさ…何で妓夫太郎さんを襲ったの?」
「…あの男が愛した男というのが気になった。調べていく内に興味がわいた」
感情もなく淡々と語る宇髄の弟。顔は似ているが、性格は真逆のようだ。
「あぁそうですか…じゃあもうこれに懲りたら妓夫太郎さんにちょっかい出すのお辞めになってくださいねー」
「……いいや」
「はい?」
「更に興味がわいた。あの男があそこまで心酔する男…どれ程のものなのか必ずこの目で確かめるッ」
無表情だった宇髄の弟の顔に笑みが浮かぶ。それは未だ諦めていない証…
(あの兄にして、この弟あり、か!!)
善逸はただただ呆れ果てたのだった………