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    ゆーご

    文章置き場。
    完成品は→https://www.pixiv.net/users/13668228

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    ゆーご

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    一年以上寝かせても完成しなかったので供養。ブレ本編メドークリア後のリンリバ。ちょっとだけ厄黙の設定もある。

    悪食の男 ヘブラの夜はどこまでも煩くて静かだ。煩いのは吹き荒ぶ冷たい風や雪で、静かなのはそこに住まう生き物の息遣い。風雪に負けず元気に動き回る生き物はタバンタ大雪原のライネルぐらいだね、なんて考えながら僕は夜空を眺める。
     僕が今腰掛けている場所はリトの村の止まり岩に待機しているヴァ・メドーの冠羽に当たる部分で、昼ならばハイラル中の景色を一望できるのではないかと思うほどの絶景ポイントになっている。そう、昼ならば。
     ……残念なことに僕の目では夜に見えるものは限りなく少ない。慎ましい月の光では大地が闇に覆い隠されてしまって、僕にはハイラル城から溢れ出る邪気と、あとは遥か東にあるデスマウンテンの赤色やハイラルのあちこちに点在する謎の塔と祠から発せられる青色と黄色がぼんやりとした点のようにまばらに見えるだけ。
    「まさか、体を無くしても夜目が利かないなんて思わなかったな」
     僕の呟きに、メドーの体にある幾つかのライトが淡く点滅した。長らく共にいたからかメドーが何を伝えたいのか僕には手に取るように解る。
    「嘆いているわけじゃないよ。事実を言っただけさ」
     夜も頼りにしているよ、と硬い肌を撫でてやるとメドーの気分も幾分か良くなったようだ。嘴の先から放たれている照準用の光はハイラル城を取り巻く禍々しい邪気の中心を捉えているはずなので、たとえ夜に『その時』が訪れても外すことはないだろう。
    「……ん?」
     ふいにメドーの足元を流れる風が妙な動きをした。目をやると細長い光が集まって人の形を作っている。まさか、と僕が声を上げるより先に光は僕がよく知っているハイリア人の青年——リンクの姿になった。もっとも、光が散ってしまったのですぐに見えなくなってしまったけど。
    「リーバル、いる!?」
     リンクの呼ぶ声が聞こえて僕はメドーの冠羽から飛び立ってみせる。この位置なら下からも見えるはずだけど、僕の名を呼ぶ声は止まらない。どうやら今の彼には僕の姿が見えていないらしい。改めて魂だけの存在というものを考えさせられる。
     きっと、もう言葉も届かないのだろうな。
     魂が解放されたあと、メドーのメイン端末の前で言いたいことは伝えたつもりだから特段話すこともないのだけど、これだけ側にいるのに会話ができないというのは流石に感傷的な気分にさせられる。その相手が百年前、確執のあったリンクであっても、だ。
    「……いるよ。君が使命を果たすまで僕はずっとここにいる」
     独り言のつもりで呟くと、
    「良かった。いるんだな」
     リンクから返事が戻ってきたことに僕は驚く。
    「何だよそれ。僕の姿は見えないくせに、独り言は聞こえるなんてことがあるわけ?」
    「どうやらあるみたいだ」
     リンクがそう言うとメドーの足元が劇的に明るくなる。どうやら焚き火を用意したようだ。炎の明かりを目印にして僕はメドーから飛び立ち、リンクの向かいに腰掛ける。
     焚き火に照らされたリンクは上から下までリトの装備で固めていて防寒対策もしっかりしているようだけど、気になるのはそこじゃない。彼は何故か腰のポーチから皿を取り出し食事を用意し始めている。串に刺して焼いた肉が二本。そして焦がしてしまったのだろうか、黒いケーキのようなものが四つ。
    「……君さ、何のつもり?」
    「何のつもりって何が?」
     質問に質問で返されるという何一つ実りのない会話に僕は盛大にため息をつく。
    「君にはやるべきことが山ほど残ってるだろ。ここでピクニックなんてのんびりしている暇はないよ」
    「夜のヘブラでピクニックする奴なんかいないよ」
    「僕の目の前にいるように見えるけどね」
    「俺はリーバルに用があってここにいる。食事はあくまでもついでだから」
     そう言いながらもリンクは肉の串にかじりついているのでイマイチ真剣味が足りないように見える。指摘しようとも思ったけど、きりがないので僕から折れてやることにした。
    「で、僕に用って?」
    「記憶を取り戻したいんだ。リーバルと話せば何かのきっかけになると思って」
     リンクはこれまでのいきさつをぽつぽつと説明をし始めた。
     姫の声で目覚めたリンクは記憶の全てを無くしていたという。安置されたシーカーストーンを片手に目的もなくただただ始まりの台地を駆け回っていると、ハイラル王の魂と邂逅して己の使命を告げられる。
     そしてパラセールを使って始まりの台地を飛び出したあとカカリコの村にいるインパに導かれ、プルアとロベリーの協力を得る。今は各地にある祠で修行を重ね、シーカーストーンに残っていた百年前のウツシエを頼りに記憶の手掛かりを求めながら、厄災に奪われた神獣の解放を進めているのだとか。
     リンクが簡潔に話すのでまるで大したことがないように聞こえるけど、その内容は僕にはかなりの驚きだった。何しろ彼の口から出る地名はバラバラで、かなりの距離を移動していることになるからだ。空を翔けるリト族ならばともかく、地を這うしかないハイリア人にはかなりの負担だろう。
    「ふぅん……翼を持たない君にとっては長旅だったろうね」
    「多少は。でも陛下から戴いたパラセールがあるし、シーカーストーンのおかげで一度行ったことのある古代遺物にワープできるから」
     なるほど、と僕は唸った。それならばリンクがここに突然現れたのも理解できるし、ハイラル中の景観に多大な影響を与えている塔と祠にも納得できた。
    「あちこちにある光る塔と祠って君のためのものだったってわけか。——それにしてもインパにプルアにロベリーなんて懐かしい名前ばかりだね。百年経っても存命なのは何よりだよ」
    「ああ。三人とも元気だった」
    「それで記憶の話だったね。三人からも話は聞いたのかい」
    「聞いた。百年前から今に至るまでの出来事は事細かに話してくれたけど、厄災に関わる部分以外の思い出はあまりなくて。百年前の俺とはそこまで近くなかったみたいだ」
     確かにインパは執政補佐官という名のプルアのお目付役であったし、プルアは古代遺物の研究者でロベリーはその部下。リンクよりも古代遺物に熱心だった姫に近い立ち位置といえる。
    「だから同じ英傑のリーバルと話をしたかったんだけど」
    「——でも、それなら僕と会話しても望みは薄そうだね」
     遮るように言ってやるとリンクは手をつけていた二本目の肉串を片手に持ちながら小首を傾げる。
    「記憶を辿りたいなら君と親密だったミファーやダルケルの方が適任ってことだよ。ウルボザだって僕よりは君のこと色々知ってるんじゃないかな」
    「そうかな」
     リンクの返事がまだ腑に落ちないという感じであることに僕は少しだけ苛ついた。何も覚えていないくせに。
    「百年前の君は今ほどお喋りじゃなかったからね。畑の案山子みたいに黙って姫の隣に突っ立っているだけの本当につまらない奴だったよ。僕は君が嫌いだったし、君も僕のことが嫌いだったんじゃないかな? ……まあ、少なくとも僕にとっては無駄な思い出ばかりさ」
     僕の口は自然と早くなっていた。こんなこと、わざわざ伝えずとも「リンクとそこそこの仲だった英傑」として振る舞う方が楽かもしれないけど、彼が全てを思い出した時のことを考えればさっさとばらした方がいい。だって不仲だったのもロクな思い出がないのも紛れもない事実なんだから。
     するとリンクの表情が見る見るうちに変わる。無から怒りへ。眉根を寄せて肉を食べ終わると残った串を焚き火に投げ入れた。火の粉が舞う。
    「リーバル、キミが俺のことを嫌っていたのは断片的にだけど思い出したから分かってる」
    「へぇ。それは何よりだね」
    「でも親密な思い出だけが大切な記憶だとは思わないし、俺とキミの間には絆があったと思ってる。そうじゃなきゃキミの姿が、声が、振る舞いがこんなに頭に残ってるわけない」
     相手のことを考え、心を通わせて、親密になることこそが絆というものじゃないか。まさか、記憶を無くしたついでに普遍的な価値観まで忘れてしまったのかい。言おうとするが声が出てこない。リンクと目が合って不覚にも気圧されてしまったからだ。……いや、正確には合っていない。リンクの空色の瞳に僕の顔は映らないから、あくまでも僕のいる方向にたまたま視線が向いただけ。
     それでも百年前は見ることがなかった彼の表情に僕は言葉を失ってしまった。
    「ゼルダ姫のこと、少し思い出したんだ。俺は姫付きの騎士なのに、姫の護衛が職務なのに、目が合うだけで顔をしかめられたよ。キミみたいな態度だった」
     つらつらと話しながらまた、リンクの表情が変わる。今度は怒りから何かに耐えるような顔。
    「でもそれだけじゃない。ゼルダ姫に付き添って歩いた道や、風の匂いを思い出した。その時は険悪だったかもしれないけど、きっと俺にとって大切な思い出だったんだよ。……だから仲が良くなかっただけで過去のことを無駄だなんて言わないでほしい」
     リンクの言葉は最後の方は掠れて今にも消えそうだった。真摯に語られたそれが僕の胸を穿つ。
     ……でも、これはあくまでもリンクと姫の話。こいつはまだ思い出していないのだろう。冷え切った姫の態度がいつからか氷解して親密な方向に進んだのを。それとは裏腹に、僕達の関係は最後の最期まで変わらなかったことを。
     姫と違って僕との間には何もないよ。そう告げれば終わりだ。さっさと終わらせてリンクを帰らせればいい。……なのに。
    「っ……分かったから、みっともない顔はやめてくれるかな。君らしくない」
     結局僕はリンクを突き放すことができず、思わせぶりな回答でもって宥めてやることにした。するとリンクが安堵したように吐息を漏らし、目元を拭った。
    「僕と君の思い出…か…」
     初めて顔を合わせた時。名乗っただけでリンクはすぐに口を噤んでしまい僕を大いに苛つかせた。完成したリーバルの猛りリーバルトルネードを披露してやった時。あの技のすごさを何一つ分かっていなかったのか、ただ突っ立って見ていただけで感想の一つもくれなかった。あとは暗闇を照らす炎にも負けないほど顔を赤くしているリンクの姿がやけに頭に残っている。
     僕は小さくため息をついた。……少し考えてみただけでも本当にロクな記憶がない。リンクは思い出に優劣はないと言ったけど、あんまり過ぎて語る気にはなれなかった。
     それでも何かないか視線を彷徨わせていると、急に岩が砕けるような音が耳に届く。リンクに改めて目をやると黒いケーキに歯を立てていた。ばき、と鈍い音がしたかと思うとケーキが割れる。リンクの頬が動く度に砂利を踏むような音が聞こえた。まさか、これは咀嚼音なのか。
    「君さ、何食べてるの」
    「薪の煮込み」
     黒い塊は失敗したケーキではなく薪の煮込みだったのか。……いや、普通薪というものは燃料として使うものであって断じて食材ではない。これはリト族だけでなくハイリア人にとっても常識のはずだけど、リンクがこの世に存在しないはずの料理名をにべもなく言い放ったので、僕は自分の持つ常識を初めて疑ってしまった。勿論すぐに思い直したけど。
    「へ……へぇ。薪って食べられるんだ」
    「俺も初めて知ったよ。火を通したら案外食べられるもんだなって」
    「……美味しいのかい?」
    「美味しくはない」
    「だったら薪なんて食べる必要ないじゃないか!」
    「串焼き肉だけじゃ足りないから腹の足しにしている」
    「君の旅はそんなに食べ物に困ってるわけ?」
    「そういうわけでもないけど、余裕があるわけでもないから。薪なら木があればどこでも採集できて確保しやすいんだ」
     確かにリンクの言うことには理があるような気がしないでもない。いや、でも、だからといって薪を食材に選ぶのはやっぱりおかしいと思う。話しぶりからして今までも薪の煮込みを食べてきたのだろうけど、この男の胃は一体どんな消化機能を持っているのか。
     と、呆れる僕の頭にふと懐かしい過去の風景がよぎった。
    「全く、君の食欲は百年前から変わらないね」
    「……俺は昔からこうだった?」
    「ああ。訓練や任務の間のちょっとした時間でも君はよく食べていたし、普通のハイリア人が手をつけないものも食べていたな」
     他愛のない昔話だけど、何故かリンクは目を輝かせている。まさか思い出とやらはこんなしょうもないものでもいいのか。真面目に考えていた僕が馬鹿みたいじゃないか。
    「そういえばダルケルからもらったデスマウンテンの岩を熱して食べていたのも見たな。百年前の君はゴロン族の物真似が得意だったね」
     あてつけに皮肉たっぷりに言ってやると、リンクは何事かをぶつぶつと呟いている。石も火を通せば食べられるのか、などという不穏な独り言が聞こえるのは僕の気のせいだろうか。
    「……何で気付かなかったんだろうな。火打ち石ならよく採れるし……」
    「おい! 茶化した僕も悪いけどさ、石を食べるのは絶対に駄目だからね」
    「百年前の俺が食べていたなら百年後の俺が食べたって良いと思う」
    「良くないよ!」
    「でも百年前のリーバルは俺が岩を食べるのを止めなかったんだよね?」
    「ぐっ…」
     そう、僕は止めなかった。百年前の僕はリンクの体のことなど本当にどうでも良かったし、実際岩を食べた次の日のリンクはぴんぴんしていたから、今の今までそのことを忘れていたぐらいだ。
     でも現在は事情が違う。この男の体に何かあっては世界が終わる。わざわざリスクの高い食事を摂る必要なんてない。
     そんな僕の思いなどまるで頭に無さそうなリンクは薪の煮込みを口いっぱいに頬張ってごりごりと音を立てて噛み砕き、飲み込んだ。それを数回繰り返し、やがて満たされたとでもいうように腹をぽんと叩いてみせる。
    「決めた。次はデスマウンテンに行こうと思う」
    「デスマウンテン、ねえ…」
     勿論リンクの本懐は神獣の解放であり、僕と同じように囚われているであろうダルケルを救うことだろう。でもこの流れだと、まるでデスマウンテンの岩の味見目当てなんじゃないかと不安になってしまう。
     そして、そんな不安を助長するかのように周囲を照らす光が劇的に小さくなる。リンクが焚き火の後始末を始めたのだ。このままデスマウンテンに向かわれると本当に岩を食べかねない。僕は慌てて嘴を開く。
    「行くのは構わないけど、ちゃんと準備しなよ。食料ならリトの村にも売ってるから多めに買っていくといい。それにこの辺りの草むらからはたまにタバンタ小麦が穫れるし、ちょっと森に入ればイチゴやリンゴ、食べられるキノコだって生えてる。あと、村の池ではマックスサーモンを養殖しているんだ。流石に根こそぎは駄目だけど、少しぐらいなら捕まえても大丈夫なはずさ。……薪や石を食べるような旅は絶対に許さないからね!」
     全て百年前の知識だけど、村周辺の環境がそこまで変わってないことを願いながらの実践的アドバイスのつもりだ。しかし肝心のリンクからの反応がない。
    「リンク、聞いているのかい?」
    「えっ…あ、ああ」
     暗闇の中から戻ってきた返事が思いの外頼りなかったので舌打ちしてやると、リンクのごめん、という呟きが僕の耳に届く。
    「そこまで心配してくれてると思わなかったから、驚いた」
    「僕だってこんなことわざわざ言いたくないよ。でも口酸っぱく言わないと君には伝わらないだろ」
    「嬉しかったよ。ありがとう」
    「……は?」
     嬉しい?何が?僕の口から反射的に声を出る。リンクの表情を見ることができればどんな意図なのか少しは分かったかもしれないけど、焚き火のない今、僕の目には暗闇しか映らない。
    「リーバル、やっぱり俺とキミの間には絆があると思う!」
     リンクがそう言うや否や、風が動いた。パラセールが開く音が聞こえたかと思うと徐々に遠くなる。そして止まり岩に訪れる静寂。
    「何だったんだよ……」
     残された僕はただただリンクの言葉を頭の中で反芻していた。僕からの心配が嬉しい。僕とリンクの間には絆がある。どういうロジックなのか全く意味が分からない。
    「……メドー。お前にはあいつが言っている意味、分かったりする?」
     シーカー族の生み出したさしもの神獣にもリンクの考えを読むのは難しいらしく、答えは返ってこなかった。


     雲一つない空から降り注がれる太陽の光が眩しい。僕は相変わらず『その時』を待ちながらメドーの冠羽の上でハイラルの景色を眺めていた。
     ひたすら待つことに苛立ちを覚えないわけでもなかったけれど、数日前に訪れた大きな変化に僕の気持ちは弾んでいた。
     遥か東にある赤々としたマグマが流れる山——デスマウンテンの天辺に巨大なシルエットが現れたのだ。それは間違いなくヴァ・ルーダニアのもので、メドーと同じようにハイラル城へと照準の光を向けている。
     ダルケルが解放された喜びと、リンクがやったのものだという確信で僕の頬が自然と緩む。
    「……あいつ、どうしてるかな」
     ダルケルが解放された以上、記憶を求めて僕の所にやってくる可能性は低いだろう。僕がようやく捻り出した大食と悪食の話なんて、ダルケルからすれば山ほど知っているあいつの一面に過ぎないはずだから。
     ……まあ別に来なくても一向に構わないのだけど、気がかりは彼の食への執着だ。僕の目から離れたのをいいことに薪や石を食べてはいないだろうか。
     こんなことなら村周辺だけでなく、ここから北にあるリノス峠が狩りに向いていることも教えてやれば良かったかもしれない。あそこにいる獣は大物ばかりで肉の味だって良い。雪道での狩りは普通のハイリア人には難しいだろうけど、リンクならば問題ないはずだ。あいつの弓の腕前が百年前と変わっていなかったのは、厄災の分身との戦いで良く分かったから――。
     そこまで考えたところで馬鹿馬鹿しくなって僕は舌打ちした。これではまるで子離れできない親だ。どうして僕があいつの食生活の心配などをしなければならないのか。
     僕は『その時』が訪れた時、百年前に果たせなかった役目をメドーと共に成し遂げればいいだけだ。それにあいつがここに来ない限り伝える手段もないのだから、あいつのことを考える必要なんてないじゃないか。あいつの悪食だって、食用として岩をプレゼントしていたダルケルはともかく、これから解放されるだろうミファーやウルボザがきっと何とかしてくれるはずだ、うん。
     そんな僕の心の内をあざ笑うかのように僕の視界の右側、リリトト湖を挟んだ先にある祠に光が集まっていく。光は人の形を作り、程なくしてリンクが現れた。赤茶の上半身と、灰白の下半身。この間と同じリトの装備に身を包んでいる。
     目を凝らして様子を確認する。おもむろに剣を抜いたリンクは草むらの中で振り回し、刈った草の中から現れたタバンタ小麦をポーチに入れていく。針葉樹の下を確認し、鳥獣にはシーカーストーンの能力だというリモコンバクダンをお見舞いして肉を回収。
     僕のアドバイスを積極的に実行してくれているようでほっとする反面、その振る舞いは端から見ると物凄く怪しい。村の人達に警戒されないといいけど。
     そして、たっぷりと時間をかけてリトの村にやってきたリンクはとうとう僕の所に現れた。昇った太陽も中天からやや西側に傾き始めている。
    「リーバル、いる!?」
    「……いるよ。君さぁ、分かってて言ってるよね」
     前回と変わらずリンクが焚き火を用意したので、僕も同じようにメドーから降りて焚き火を挟んだ向かい側に腰を下ろした。
    「祠からここに来るまでの君の奇行を一部始終見ていたよ」
    「奇行って。食料を確保していたんだ。リーバルが言ったんだろ、薪と石を食べるなって」
    「ふぅん……僕の言いつけ、ちゃんと守ってくれたんだ?」
    「守った。デスマウンテンのロース岩も美味しそうだったけど我慢した」
     やっぱり釘を差しておいて正解だった。そもそも岩を見て食欲が湧くのはゴロン族だけだと思うんだけど、こいつの頭はどうなっているんだろうか。
    「よく我慢できたねぇ、えらいえらい」
     常識的なことを手放しに誉めるのも何だかおかしいので、雛をあやすように言ってやる。てっきり怒るかと思いきやリンクは何も言わず、照れくさそうな顔をしながらポーチを漁り始めた。
     中から出てきたのはサーモンムニエルと串焼きキノコ、それから小麦パン三つにリンゴが一つ。前回と比べると食事のメニューが劇的に改善している。
    「全部この辺りで採れたもので作った。リーバルのおかげだ」
    「…フン。僕の悩みの種がようやく一つ消えて何よりだよ」
     そう言うと、串焼きキノコにかじりつくリンクの顔には何故か笑みが浮かんでいた。
    「……何笑ってるのさ」
    「キミに心配してもらったのが嬉しいから、かな」
     心配が嬉しい。前回の帰り際にも彼から放たれ、僕を大いに悩ませた言葉だ。メドーは何も言ってくれなかったので、結局言葉通りに受け取るしかなかったけど、未だに僕にとっては理外の理であることに変わりはない。
    「この前も似たようなこと言ってたね。僕は嫌っている奴に気遣われるなんて寒気がするし恥だと思っているけど、君は違うのかな」
     率直に考えをぶつけると、リンクはうーんと唸り何やら悩んでいる。キノコを食べ終え今度はサーモンムニエルに取りかかっていて、思案でフォークが止まっているせいでこぼれそうになっている。気付いたリンクはムニエルが下に落ちるよりも早くフォークですくい上げ口に入れた。無駄に器用な奴だ。
    「そもそも百年前の俺はキミのことが嫌いじゃなかった……と思う」
     咀嚼を終えて一呼吸置いたリンクが言う。しかしたっぷりと間を持たせた割にあまりにも的外れだったので僕は鼻で笑った。
    「根拠は? 僕について何か思い出したわけ?」
    「いや、そういうわけじゃないけど…」
    「…ふふっ。無いものを思い出そうとしたって無理だよね。君が好感を持つような態度をとった覚えはないし、それに僕が何を言っても涼しい顔で聞き流して相手にしなかったのが百年前の君だ。あれが嫌いじゃない奴への態度だったのかな」
    「それは…」
    「別に責めているわけじゃないさ。僕は君の勘違いを正したいだけ」
     改めて言葉にすると百年前の僕の稚気が露わになるようで恥ずかしいけど仕方がない。
    「——それよりルーダニアを解放してくれたんだろ。ダルケルと会って実りはあったのかい」
     ダルケルの名前を出すと僕に言われっぱなしで暗くなっていたリンクの表情がぱっと明るくなる。
    「……ダルケルと会ったよ! 俺はあの人の相棒だったんだ!」
     リンクは堰を切ったようにデスマウンテンでの顛末を語り出した。ダルケルの子孫で彼と同じ能力を持つユン坊という青年と協力してルーダニアを弱らせ、中に巣くっていた厄災の分身を倒して囚われのダルケルの魂を解放したという。そしてダルケルと語らううちに思い出したという様々な記憶を一つ一つ僕に説明を始めた。
     腕試しと称して二人だけでマグロックを狩りにいった話。神獣の操作に手こずっていることをダルケルから打ち明けられた話。デスマウンテンの岩の食べ比べをした話ではリンクは小麦パンを岩に見立ててかぶりついている。
     全くの他人事であるのに聞いているだけでも愉快な気持ちになるのは、二人の仲の良さが伝わってくるからだろうか。適当に相槌を打ちながらも僕は彼の話をちゃんと楽しんでいるつもりなのだけど、リンクはそう思わなかったのか気まずそうに苦笑した。
    「…なんか俺ばっかり喋ってるな」
    「続けてくれても構わないよ。君の話、退屈しのぎにはなるから」
    「あ、ああ。——あのさ……俺はダルケルと会話をして色んなことを思い出せた。キミの時よりもずっと沢山だ」
    「そうみたいだね」
     思い出話の続きをするかと思いきやどうやら違うらしい。リンクは躊躇いながらも何かを僕に伝えようとしている。
    「でも、キミとこうして話すことも俺にとっては大事な気がして。だから…」
    「だから?」
    「これからもここに来ていいかな」
    「……? 今までも僕に許可なく来ているじゃないか」
    「それはそうだけど」
     つまり記憶とは関係なくメドーにやってきたいということらしい。やけに勿体ぶって言うのがおかしくて、思わず笑ってしまった。でも、そんな僕とは裏腹にリンクは真剣な顔で許可を待っている。何故だろうと思ったけど、ヘブラでピクニックをする暇なんてないと言ったのは僕自身だったことを思い出した。
    「……まあ、ここで過ごす時間がハイラルの平和に繋がると言うなら、許してあげてもいいよ。それに君が店で買い物をしてくれれば村も少し潤うだろうしね」
     食事を兼ねた休息ぐらいはいいんじゃないか、なんて僕は少し前の自分自身に言い訳をして許すことにした。リンクにとって僕と共にいることが休息に繋がるかは甚だ疑問ではあるけれど、そうしたいというならば叶えてやってもよかった。
     リンクは僕の言葉にほっと息をつき、それから自身の胴に親指を向けた。呼応するようにリンクの耳にかけられている雪よけの羽飾りが僅かに揺れる。
    「ああ。ちゃんと買い物するよ。ほら、この装備だって上から下まで全部紅孔雀――リトの村の防具屋で買ったんだ」
    「一着と言わず何着でも買っていいんだよ?」
    「む、無茶言うなよ。どれも結構な値段したんだぞ」
    「そう? 百年前なら複数買いする奴も結構いたんだけどな。特に僕の羽毛を使った防寒着なんて予約だけでもすごいことになっていたよ」
    「ん……その話、頭に引っかかる、…感じがする」
     他愛のない昔話だけど、またしてもリンクの興味を引いてしまったらしい。
    「君って本当に変なとこに食いつくよね」
     相変わらずのずれっぷりに僕は小さく息をついた。それでも興味深げなリンクのために服の話を広げてやることにした。
    「リトは昔から羽毛を使った服飾業が盛んでね、他の種族向けに防寒着を生産しているのさ。で、僕が英傑になった記念に僕の羽毛を編み込んだ防寒具を記念を売り出したんだよ。——まあ僕の、といっても自然に抜けた羽毛の一欠片しか入れてなかったんだけどさ」
     僕の話を聞きながらリンゴをかじっていたリンクがせこい、と小さく呟く。
    「…僕の羽毛百パーセントとは売り出してないんだから別にいいんだよ。それにちゃんと僕の色に合わせて染めてたんだぜ?」
     リトの羽毛服といえば今リンクが着ている赤茶色がスタンダードだ。リト族で一番多い羽の色であり、服だけでなく武具の装飾などにも使われている色でもある。それをわざわざ僕の羽の色に合わせて染めたのだから店は売り出すために努力しているし、買った方もそれなりの特別感を得たはずだ。
    「……リンク? 何か思い出したのかい」
     僕の話にリンクは顎に手を当てて考えこんでいる。問うと、何でもないと言うだけだったので僕もそれ以上追及はしない。
    「それにしても懐かしいな。今は村に他種族が入ってくる気配がしないけど、あの頃は観光客や行商が頻繁にやってきて防寒着を買っていったんだ。その代わりにヘブラで手に入りにくいものを村で売ったりね。特にゲルド族が持ってくるアクセサリーやフルーツは人気があったな」
     するとリンクがフルーツという単語に反応して顔を上げた。分かりやすい奴だ。
    「ヒンヤリメロン、ビリビリフルーツ、ヤシの実。記憶を無くしても名前ぐらいは覚えてるだろ?」
    「名前はね。でもヤシの実以外は今のハイラルでは食べたことないな」
     どちらも美味な上に、食すだけで涼感や雷への耐性を得ることができてゲルド地方で役に立つものだと教えると、リンクは納得したように小さく頷き呟いた。
    「次はゲルド地方に行こうかな」
     デスマウンテンの時といい、相変わらず行き先を選ぶのがふわふわしているように感じられる。でも記憶の欠けたリンクに百年前のような謹厳さを持てというのも無理な話であるから、実さえ伴えばそれでいいと僕は思っている。
     それにハイラル王家への忠誠心は頭にあるようだし、他の英傑のことも思い出しさえすればしっかり友情を感じているようなので咎める必要もない。問題点は僕との関係性について何故だか勘違いが続いているぐらいか。
     そんなことを考えていると、リンクはすっかり焚き火の始末を終えてパラセールの準備をしている。
    「リーバル、それじゃあ行ってくるよ」
     リンクが僕に言う。何気ない言葉だけど、無性に懐かしさを覚えた。……考えてみると僕の人生は送り出されるばかりで、誰かを送り出すことは殆どなかった。でも、これと対になる言葉を僕は知っている。
    「行ってらっしゃい、リンク」
     そう僕が言った瞬間、リンクが大きく目を見開いたかと思うと表情が笑顔に変わる。そして頬にさっと赤みが差した。『心配が嬉しい』の顔とも違うそれはひどく僕の心をざわつかせた。
     二つの空色の瞳は相変わらず僕の横を通り抜けてあらぬ方を向いているというのに、間違いなく僕に対して向けられているからだろうか。いや、それだけではない。この頬を赤くする様子がどうにも引っかかるのだ。まるで、特別な意味があるかのように。
     でもそれが何かまでは分からなくて妙に苛立ってしまう。
    「……呆けてないでさっさと行きなよ」
    「あ、ああ」
     意図的に厳しい声色を作って促すと、リンクはぎこちなく返事をしてパラセールで止まり岩から飛び立った。僕はその背を最後まで見守ることなく定位置であるメドーの冠羽にまで飛んで戻る。
     タバンタの空は相変わらず雲一つなく絶景が広がっているというのに、僕の心には嵐が渦巻いている。とっくに無くしたはずの心臓が激しく動いている気が、した。


     今日もまた、日が昇る。東から夜の気配が薄れ徐々に視界が広がるのを感じて僕は嘴を開いた。
    「おはよう、メドー。今日もリトの村は晴れのようだね」
     睡眠を必要としない僕と昼夜問わず照準を合わせているメドーによる一日の始まりはこの挨拶から始まる。
     まずはいつものようにメドーの冠羽の上から禍々しい気配の漂うハイラル城の様子を確認し、それから今度は南側に目をやった。
     ゲルド地方特有の赤い岩壁、その向こう側に見えるのは神獣ヴァ・ナボリス。繰り手であるウルボザの気質そのままのような佇まいでハイラル城へ照準を向けている。
     あの場所にナボリスが現れたのは十日前のことだ。これで解放された神獣は三つ。あとはミファーとヴァ・ルッタが解放されれば、すぐに『その時』が訪れるだろう。
     しかし——そう遠くない未来であることは分かっているというのに、いや、分かっているからこそ、僕は湧き上がる焦燥感を抑えられず小さくため息をついた。
     リトの寿命では非現実的な年月を外界から隔離された檻の中でずっと過ごしていたからか、僕の精神は体を無くす前よりも辛抱強くなったのだけど、魂を解放されてからはむしろ待つことに対して耐性が落ちているのを実感していた。リリトト湖の水面のように一度波が立つとなかなか落ち着かなくなってしまうのだ。
    「気遣わせてしまっているね。……うん、少し見回りしてくるよ」
     メドーが僕の心に触れてくる。気分転換の散歩を勧められ、僕は素直に冠羽からメドーの足元まで降りた。少しだけハイラルの大地が近くなった風景。岩の縁まで歩いて見下ろすと真下にあるリトの村の様子を少しだけ窺い知ることができる。
     よちよちと通路を歩く雛にお喋りする娘達、巡回する戦士。リトは百年前よりも随分と数を減らしたようだけど、皆それなりにうまくやっているようだ。自然と頬が緩んだ。
     と、白い翼を持つリトの男が村から北西へと飛んでいく。最近毎日のように見かける奴だ。背に同じ翼の色を持つ雛を乗せて朝飛び立ち、日が沈む直前に村に戻ってくる。あの方角といえば僕の訓練場があった場所だけれど、まだ残っているのだろうか。あいつがここに来たら聞いてみるのもいいかもしれない。
     ……行ってくるよ、なんて言っておきながら未だにここに戻らず生意気にも僕を待たせているあいつに。
    「……リンク」
     最近は考えるだけで心を乱してしまうので、なるべく意識しないようにしていたその男の存在が頭を掠めた瞬間、僕は無意識に名を口にしていた。するとタイミングを計ったかのように転移の光が止まり岩に集まり始める。
     光の中から現れたのはリトの装備で小柄な体を覆い、風に揺れる小麦色の髪と空色の瞳を持つハイリア人の男、リンク。
    「リーバル!」
    「…いるよ」
    「うわっ、今日は早いな」
     間髪入れずすぐに応えてやると、リンクは大袈裟に驚く。
    「たまたま下にいたからね」
    「もしかして俺のこと、出迎えようとしてくれた?」
    「たまたまって言ったのが聞こえなかったのかな」
     相変わらずリンクの思考は複雑怪奇で僕には理解できない。呆れたように言ってみてもリンクは柔らかな表情のままだ。
    「遅くなってごめん」
    「それは何の謝罪だい? 別にここに来るのは君の責務じゃないんだから謝る必要はないよ。僕だって気にしてない」
     リンクを待つことから解放されたのは正直かなり有り難いのだけど、そもそも待つことの焦れったさの根元もこいつであることを考えると、素直に謝罪を受け入れる気持ちにはなれなかった。それにリンクの責務ではないというのは本当のことだ。だというのに待ち焦がれて冷静さを失っている僕というのを知られたくはないから、殊更平気であることを強調して言ってやる。
    「その割には結構根に持った言い方じゃないか?」
    「君の気のせいだね。いいからさっさと焚き火を用意しなよ。ほら、食事の支度もだ」
     急かしてやると、リンクはもごもご言いながらも薪を積み始めた。火打ち石を擦り焚き火が出来たところでお互いに座る。そして今日の食事が並べられた。ハートミルクスープ、揚げバナナ二本、それからフルーツケーキがホールごと。
    「今日は甘い物ばかりだね」
    「ゲルドでフルーツが沢山手に入ったからな。リーバルが教えてくれたヒンヤリメロン、ビリビリフルーツ、ヤシの実。全部使った」
     どの料理も見た目は完璧だけど、特に僕の気を引いたのはフルーツケーキだ。厚みのある円のスポンジ生地がフルーツとクリームによって綺麗にデコレーションされていて、職人が作ったかのような出来だ。
    「ふぅん。それにしても君ってケーキみたいな繊細な菓子も作れたんだね。薪を煮込んで食べていた人間とは思えないな」
    「……フルーツケーキはゼルダ姫の好物なんだ」
     ケーキを大雑把にフォークで切り分けながらリンクが呟いた情報は僕には初耳だった。英傑として姫と共に過ごす時間は多かったものの、こんな個人的な話をするほど親密だったわけではなかったからだ。
    「それも思い出した記憶かい?」
    「ああ。ウルボザが教えてくれて思い出せた。城の私室にフルーツケーキがよく運ばれてきていてさ、『そんなに見られると食べにくいです』って注意されたことまで思い出した」
     無口で無表情の大食い騎士に監視されながらケーキを食べるのはさぞや居心地悪かっただろう。思わず声に出して笑うとつられるようにリンクも苦笑した。
    「でも、一口食べるだけでゼルダ姫が笑顔になるんだ。そんな食べ物の味を知りたくなった。——それにさ、フルーツケーキはリーバルも好きなんじゃないかなって」
    「はあ? 何で僕の話になるわけ?」
     いきなり話を向けられて我ながら間抜けな声を出してしまった。
    「リーバルはフルーツケーキをよく食べていたから好きなのかもねってウルボザが教えてくれた」
    「……君は彼女と何を話しているんだ」
     確かに僕はフルーツケーキを人並み以上には好んでいた。図星なのが悔しいし、リンクを通して他人の話題で盛り上がっているのは僕も同じだから強く言えないのも悔しい。
     大きくため息をつく僕に構わず、リンクは切り分けたフルーツケーキをおもむろに別の皿に移して置いた。
    「だからキミの分も考えて多めに作った。食べて欲しい」
    「今の僕に食事は必要ないんだけど?」
    「確かに必要ないかもしれないけど、食べることはできると思う。それに俺が始まりの台地で会った陛下は食事を摂っていたんだ」
    「ハイラル王が、ねえ……」
    「一口でもいいから食べて」
    「…まあ、君がそこまで言うなら」
     今日は何だかリンクの圧がやけに強いので、僕は渋々ケーキの皿の置かれた場所——リンクの隣に座り直す。
     でも、目の前に好物があっても食欲が全く湧かないのが事実だ。どうしたものかと思案していると、ぐう、と何やら情けない音が隣から聞こえる。リンクから発せられた空腹の知らせだ。しかしリンクは切り分けられたケーキを見つめていて食事に取りかかろうとはしない。見えないながらも僕の食事を待ちたいのだろうか。
     流石にこれ以上リンクにお預けさせているのも悪いのでフルーツケーキに手を伸ばす。僕の指先の白とクリームの白が近付き——そのまますり抜けていく。何度試しても僕の動きはケーキに変化を与えることができなかった。
    「駄目だね、触れない」
    「……いけると思ったんだけど」
    「ケーキはやっぱり君が食べなよ」
     リンクは残念そうにため息をつき、切り分けたケーキを渋々口に運ぶ。失望がよほど深いのか一口食べて笑顔、とはならないようだ。
    「リーバルと陛下は何が違うんだろう」
    「さあね」
    「リーバルって俺と話している時、ずっと飛んでるわけじゃないよな」
    「そうだね。今は君の隣に座ってるよ」
     僕が答えると、リンクは止まり岩に視線をやる。
    「座れるのにケーキには触れないのはどういう理屈なんだ。現世の物すべてに触れないなら、リーバルは飛んでない限りハイラルの大地の底まで落ちていくんじゃないか」
    「君は本当に変な所に食いつくよね……」
     そもそも百年前に体を無くしているというのに、魂の存在として現世にいること自体が世の道理から外れているし、実際その恩恵に預かっている僕自身にも何故なのか理由は分からない。でも、その理由について考えて筋道を立てるならば。
    「僕が今、ここにいるのは百年前の役目を果たして厄災に借りを返したいからだ。その執着が僕をこの場所に座ることを可能にしているんだと思う。地の底に落ちてメドーの側から離れるわけにもいかないしね」
    「執着……」
    「で、ハイラル王がこの百年間、どうやって過ごしていたか僕には分からないけど。ちゃんと意味があるんじゃないの。例えば、長い眠りから覚めて何もかも忘れた悪食な奴にハイリア人らしい食事を教えるために実践する必要があった、みたいなさ」
     僕の考えはまるっきり的外れでもっと別な理由があるかもしれないけど、こんなこと、どうせ答え合わせなど出来るはずもないのだから説得力があればそれでいい。推測をそのまま伝えると、リンクはケーキを食べながらも何か考え事をしているようだ。僕用に切り分けたそれを全て平らげたあとようやく口を開く。
    「美味しかった。ゼルダ姫が笑顔になる理由も分かる」
    「そう」
    「……でも、リーバルは触れることが出来なかった。陛下との違いが食事への執着なら…つまり、リーバルはフルーツケーキ以上の大好物だったら食べられる?」
    「多分無理だろうね。触れなかったってことは僕は食自体に執着していないんだよ」
     リンクがここに持ち込む料理は薪の煮込み以外、どれも見事な出来だった。でも、それを見て僕自身が食べたいとは一度も思わなかったことが証左だろう。
    「そっか……」
     がっくりと肩を落としたリンクは暗い表情のままハートミルクスープの入ったカップを手にした。外気で冷めたのか湯気も上がっていないのに、スプーンを口に運ぶ動きがやけに遅い。
    「君まで食欲を無くしてどうするのさ。それともそのスープ、見た目が良いだけで味付けに失敗したとか?」
     問うとリンクは小さく首を横に振った。
    「ちょっと温いけど、ちゃんと美味しい」
    「ねえ、だったら、」
    「……キミの笑顔が見たかったんだ」
     リンクが小さく呟く。
    「百年前と違ってキミと沢山話が出来るようになったのに、姿が見えないのが歯がゆい」
     だから姿を見えるようになる方法を色々考えてフルーツケーキを食べさせることを思いついたのだと言葉を続ける。
     ……厄災を討伐し、ハイラルを救う役目とは無関係な明後日の方向の努力。でも、ある意味健気ともいえるその努力が僕自身に響かないわけではない。むしろ自分でも驚くほどに、リンクから向けられる感情に高揚を覚えている。
     いや、でも、だって。期待しているのに否定を求めている僕は、冷静に考えようとする。笑顔が見たいだなんてどう考えても僕に向ける言葉ではないはずだ。
    「言う相手間違えてない?」
    「間違えてないよ。俺はリーバルの笑顔が見たい」
    「どうして?」
     問うとリンクはスープの入った器を置き顔を上げて僕の方を見ようとする。ケーキのことがあったから僕の今いる位置がある程度把握できるのだろう。
     それでも視線だけはかち合わない。…だから僕の方からリンクに合わせてやる。澄んだ空色の瞳と赤い頬。……また、これだ。彼が時折見せるこの仕草はどうしようもなく僕の心をかき乱す。
    「……百年前、キミを好きになった。そして今もキミが好きだ」
     捻りがない分、深読みしようがない真っ直ぐなリンクの言葉に胸がきゅっと苦しくなった。僕からわざわざ聞いたのだ。笑顔が見たい、から繋がる「好き」にどんな意味が込められているかはよく分かっている。
    「…この前ここに来た時は『嫌いじゃなかった』、だったよね」
    「ああ。これがきっかけだっていうのを完全に思い出したんだ。ゲルド高地にあった洞窟で焚き火を作って夜を明かした時に。きっとあの時に似ていたから思い出せたんだ」
    「僕には覚えがない」
    「多分、俺にとっては大事だったってだけ。リーバルが覚えてなくてもしょうがない」
     キミとの絆だと思っていたのは勘違いだったけど。そう言って寂しげに笑ってみせたリンク。
     やっぱり腑に落ちなかった。たとえリンクの一方的な思いだとしても、そのきっかけに気付かないほど僕が鈍かったとは思いたくない。……二人の姫から好意を向けられても、気付く素振りの無かったこいつじゃあるまいし。
    「そうだとしてもさ、僕は君と違って百年間ずっと意識はあったんだ。大事なことも無駄…どうでもいいことも、君よりずっと覚えてるはずだよ」
    「…じゃあリーバルはさ、叙任式の日の夜のパーティーで出た料理のメニュー覚えてる?」
    「いきなり何の話だよ」
     唐突なリンクの問いに僕は狼狽えた。本当にこいつは何の話をしているんだ。
    「覚えてる?」
     再度問われ、仕方なく思案する。確か立食方式のパーティーだったはずだ。招かれた客の殆どはハイリア人の貴族で、僕達英傑は半ば見世物のような扱いだったから居心地が悪かったのは覚えている。そんな状況だったからか何かを食べはしたのだろうけど、はっきりと思い出せなかった。
    「……覚えてないけど」
    「俺は覚えてるよ。ケモノ肉の香草焼き、ミートパイ、サーモンのソテー、キノコのテリーヌ、シーフードサラダ、カボチャとニンジンのグラタン…」
     食への執着が強いのはこれまでのやりとりで嫌と言うほど思い知らされたのだけど、良くもまあ百年前のメニューがぽんぽんと出てくるものだ。
    「メーベスフレ、リンゴのコンポート、フルーツケーキ」
     呆れる僕の頭にふいにフルーツケーキという単語がかちりと嵌まる。さっきまで僕達の間を賑わせていただけのそれが叙任式のパーティーと結び付いた瞬間、ぼんやりとした記憶が鮮やかに彩られていく。
     フルーツケーキ。一挙一動に視線が集まるあの場所ではとても食事を摂る気にはなれなかった。それでも空腹は訪れるし体面だってある。だからあの時、僕はフルーツケーキに手を伸ばしたのだ。沢山あったご馳走の中で僕が一番好きなもの。
     きっとウルボザはその様子を覚えていたのだろう。だからフルーツケーキが僕の好物だと知っていたんじゃないのか。
    「それからセレモニアルプレート。全ての種族が楽しめるようにって作られたんだって。種族の違う英傑の結束を深めるために」
     セレモニアルプレート。また、僕の頭の中の欠けた部分にかちりと嵌まる。調理した肉や魚や野菜をパンに挟むという立食向けのそれは、ゴロン族のためにパンの部分を石にしたものもあり、ダルケルとリンクが喜んで食べていた。
    「…石に具材を挟む料理なんて凄いものを作るよね」
     あの場では言うことのなかった感想が自然と僕の口から出た。すると隣のリンクの表情が驚きに変わる。それはそうだ。覚えてないと言っておきながらこれなのだから。
    「君の話で思い出せた。……ああ。それと君の言いたいことが分かったよ。僕にとってはどうでもいいことで、君にとっては大事だってやつがね。それに、きっかけさえあれば忘れたはずのどうでもいいことを思い出せるってことも」
     まさか記憶喪失の追体験のようなものを、記憶喪失真っ最中のリンクがきっかけでできるとは。いや、今までもそうだったじゃないかと思わず自嘲の笑みが出てしまう。これまでリンクとの会話で僕はどうでもいいことを沢山思い出している。そして体すら無くしてこれ以上失うものは無いと思っていたのに、百年の年月は記憶すら持って行こうとしていることにも気付いた。
     でも百年の年月は奪うだけではなかった。百年の眠りで傷の癒えたリンクが僕とメドーを解放し、新しい感情を与えようとしている。怖さはあった。過去の自分にはもう戻れないかもしれないという恐れがあるから、新しいものを受け入れる時はいつだって勇気が必要だ。
     僕は大きく息をつき、それから覚悟を決めた。
    「ねえ。君が百年前の僕に恋したきっかけってやつを話してみなよ」
    「……聞いてくれるのか?」
    「ああ、聞いてあげる。百年前の僕が君を嫌いだった事実も、百年間君に抱いてた気持ちも変わらないけどさ。……ここから先は違う可能性だってあるよね」
     口に出してから不毛かもしれない、という考えがよぎった。今を生きるリンクと体を無くした僕。ここから先といっても『その時』が訪れるまでの期限つきであることは薄々理解している。それでも僕はリンクから与えられたその先を求めてしまった。
    「百年前の昔話で今の僕を変えてみせてよ、リンク」




     大事な用があると呼び出され防具屋・紅孔雀に行くと、店内は僕の色に染まっていた。普段の売り物である羽毛服、ズボン、羽飾りは脇に追いやられ、様々な丈の紺青色のコートが大量に並べられている。そしてリトの女店主が一人、自慢気に僕に向かって胸を張った。
    「リーバル、見てごらんよ。英傑のコートがようやく完成したよ」
     英傑叙任式のあと、記念に僕にちなんだ防具を作りたいとの打診がこの店主からあり、引き受けて僕の羽毛を少々提供してから二月ほど。てっきり羽毛服でも作ると思っていたから驚きつつ、近くにあったコートに触ってみる。手触りが良く、光の当たり具合で黒にも明るめの青にも見えるようになっているのはまさしく僕の羽だ。
    「……へえ。よくここまで色を再現できたね。結構頑張ったんじゃない」
    「ここじゃあんたの色を作るのは無理だったからね。ハテノ村の染色屋に無理を言って頼んだ特注色さ」
     ハテノ村といえば南東のハテール地方にある小さな村で、リトの村からは相当な距離がある。コートの出来を見るに確かにわざわざ依頼する程の腕がある染色屋のようだ。
    「でもさ、何でコートなわけ? 防寒にはいいだろうけど防具としては不十分だよね」
     さり気なく疑問に思っていることを聞くと店主は得意そうに笑ってみせる。
    「少し前にハイラルのお姫様があんたを訪ねてきただろう」
    「ああ」
     その姿を思い起こす。ハイラルのお姫様——ゼルダは長い金色の髪をたなびかせ、動きやすそうな軽装の上に、もこもこした白いコートを着て村と飛行訓練場にやってきた。僕に神獣の繰り手を引き受けてもらうために。
    「あの時、お姫様が着ていたコートを見て閃いたんだよ。これは流行るってね」
    「つまり、真似したんだ」
     からかうように言えば、店主からコートはハイラル王家の専売じゃないよ、と反論があった。
    「コートなら着るのも脱ぐのも簡単だし、色々な服と合わせられてファッションとしても楽しめるからね。防具性能はコートの下の装備で補えばいい」
     ただの思いつきから始まった割に店主の言葉には説得力があった。さすが服飾を生業にしているだけのことはある。あとは異種族からの反応がどうかというところだろう。
    「ふぅん。ま、僕の名前も貸してることだし、売れることを祈ってるよ」
    「なに言ってるんだい。ここに出してるのは全部予約の品さ」
    「……え? これ全部?」
    「お客様の名前が入ったタグがついてるだろう」
     確かによく見るとコートの襟首には一つ一つタグがついており、予約の番号なのか幾つかの数字と名前や種族が書かれていた。
    「二着、三着と予約してくださったお客様もいたぐらいだよ。英傑リーバル様々だねえ」
     上機嫌な店主のウインクに僕は視線を彷徨わせた。全く売れないのも困るけど、僕の色のコートがハイラル中で着られることになるのは誇らしい半面、気恥ずかしくもある。
    「…村の利益になって何よりだよ。それじゃあ、もういいかな」
     大量のコート群を見ると何だかいたたまれない気分になって、ここらで切り上げようと僕は店主に背を向けた。しかし、店主からちょっと待って、と声がかかる。顔だけ向けると店主はカウンターの奥の木箱をごそごそと漁り、コートを持ち出すと僕に手渡そうとしてくる。
    「はい。じゃあ今回のお礼ね。お金は受け取れないって言ってたから現物にしといたよ」
    「リトに他種族向けの防寒具なんて必要ないだろ。貰っても困る」
    「じゃあお仲間にでもプレゼントしたらいいさ」
    「仲間って…」
    「ハイラルのお姫様や他の英傑様が着てくれたらいい宣伝になるし」
    「むしろそれ目当てじゃないか!」
     僕が声を荒げても店主は全く引かなかった。それどころか僕の右手をはし、と掴むと無遠慮にコートの一部分を内にねじ込み、上からぎゅっと握ってみせた。見上げると生粋の商売人らしい皮相な店主の笑顔。結局突き返すことができず紅孔雀を後にする。
     自宅に持ち帰り、吊したコートをまじまじと見る。門外漢な僕から見てもなかなか良い品であるのは分かるし、予約の時点であれだけ売れているのだから異種族にとっても価値があるのだろう。だから誰かにプレゼントしたとしてもきっと喜ばれるに違いない。
     でも、実際にプレゼントするとなると話は別だ。僕にちなんだものとなると相当な勇気が必要な上に、僕は異種族の知り合いが少ない。それこそあの店主の言っていた英傑絡みしか縁がない。
     まずダルケルの姿が頭に思い浮かび苦笑した。このコートはゴロン族特有のあの巨体には小さすぎるし、何よりデスマウンテンで暮らす種族には不要だろう。
     昼は暑くとも夜は冷えるゲルド砂漠に住むウルボザ。彼女は屈強なゲルド族にしてはスレンダーではあるけど、上背を考えるとこのコートの丈はだいぶ短い気がする。
     あいつにプレゼントは論外として、姫はどうだろうか。体型的にも合いそうだ。でも、姫のコートを参考にしていると考えると物凄く渡しにくい。それによく見るとこのコート、デザイン自体も姫のものに結構寄せているように思える。異種族向けの防寒具なんて大体こんなものだと思いながらも、もし彼女の気分を曇らせてしまったらと考えると躊躇してしまう。
     ミファー。異種族の知り合いの中では一番渡しやすいかもしれない。サイズはまあ……少し大きい気がするし、水場で暮らすゾーラ族とコートは相性が悪いけど。そもそもゾーラ族に防寒という概念はあるのだろうか。
     結局誰に対しても決め手がなく、大いに悩んだ。そして出た結論はしばらくバックパックに入れて持ち歩き、プレゼントの機会を窺うというものだった。神獣操作の訓練に姫の研究のお供に定期的な会合と顔を合わせる機会は思いのほか多いから、まあ何とかなるだろう。


    「リーバルさん」
     ハイラル城の一室の中で行われた会合のあと、廊下に出たところでミファーに声をかけられた。
    「何?」
     足を止めるとミファーは僕より頭一つ小さい小柄な体で僕の前に回り込み、金色の瞳を僕に向けた。
    「あの、もしかして怪我してないかなって」
     そう言われた瞬間僕の左手が僅かに強張る。身に覚えはあった。
     この会合の前にハイリア兵の隊長に請われ弓の手本を見せた時のことだ。オオワシの弓では参考にならないだろうと彼らの使っている弓を使って的を射た際、僕の技術に耐え切れなかった弓は壊れてしまった。その時に弦を引いていた指に過剰な負荷が掛かってしまったのだ。
     隊長からは弓の手入れがなっていないせいで、と頭を下げられたけど、オオワシの弓と同じように扱おうとした僕も悪い。結局壊してしまったことを謝罪してそれで終わりになったのに、あの場にいなかったミファーに気付かれるとは。
    「気のせいじゃない?」
    「うん。気のせいだったらそれで終わり。だから見せて欲しいな」
     ミファーは見かけによらず——というのは失礼かもしれないけど、大人しそうな顔立ちや柔らかい言動とは裏腹に結構気が強い。噂では神獣の繰り手を引き受ける時に反対する父王を説き伏せたというから相当なものだ。
    「やれやれ…」
     仕方なく僕が左手を差し出すとミファーはすぐに僕の二指に触れる。軽く押されると鈍い痛みが広がった。
    「ここ、だよね」
    「……まあね」
     言うや否やミファーの手から淡い光が放たれ、僕の体の中に入り込んだかと思うとすぐに消える。
    「終わったよ」
     左手を伸ばし、それから握り拳を作ってみる。痛みはどこにもない。
    「ああ……。これぐらいなら三日もかからず治ったと思うけど、その…助かったよ」
    「リトの翼は私達ゾーラにとってのヒレと同じぐらい大切なものだよね。何かあったら頼って欲しいな」
     城の回廊を歩きながらミファーに言われ、僕は顔をしかめた。一方的に借りを作るというのも気が引けるし何より今回は半分ぐらい自業自得な怪我だ。
    「だからってその言葉に甘えて僕が矢の手入れで指先をちょっと切りました、料理でちょっと火傷しましたって、いちいち君の所に泣きついたらどうするのさ」
    「ふふふっ。そんなリーバルさんも見てみたいかも」
     反論のつもりだったけど、現実では絶対に有り得ないような極端な例え話だったからか軽くかわされてしまった。にこにこと笑うミファーにどうしたものかと視線を逸らした時、大切なことを思い出した。
     治療してもらった礼という大義名分ができたのだ、あのコートを渡すチャンスじゃないか。僕はこの機を逃すまいと嘴を開く。
    「…まあ、今回の件は本当に君に感謝してるよ。それであの、——コートなんだけど」
    「コート?」
     先走って無計画で喋った結果、プレゼントしたいという意志を伝える前に渡すものの名前が先に出てしまった。案の定ミファーは首を傾げていたが、急にはっとした顔つきになって口を開く。そう、僕がプレゼントへの導線を紡ぐよりも先に。
    「あっ、そういえばリトの人達が売ってるリーバルさんのコート綺麗だよね。里でも買ってる子がいて見せてもらったよ。水に濡れると大変だからって凄く大切に保管してて…人気者だね、リーバルさん」
     この話しぶりからしてゾーラの里ではコートの取り扱いはなかなか大変らしいことが分かって僕は内心慌てた。ミファーにコートを見せたゾーラはどうやら僕のファンであるようだからそれも気にならないだろうけど、今目の前にいる彼女もそうだとは全く思えない。
    「別に君だって人気者じゃないか。…そうだ、君にちなんだ何かを販売したら喜んでゾーラの里に行くやつがいると思うよ。コートは無しにしても鎧とか髪飾りとかね」
     プレゼントの話を切り出せなくなった僕がとりあえず話を合わせると、何故だかミファーはびくりと肩を跳ねらせた。そして彼女の真っ白な頬にさっと赤みが差したかと思うと目が伏せられる。……これはどういう感情なのだろう。リトは羽毛に覆われて顔の色を見られることはないから、異種族のそれの意味が良く分からないけど、表情から察するに口に出すのが憚られる話題を振ってしまったことだけは察せられる。
    「ゾーラの王女にとって鎧には特別な意味があるから……」
     絞り出すようにミファーが呟く。どうやら種族に関わる重要な事項なようだ。
    「……そう。詮索するつもりはないから話さなくていいよ」
    「ううん…リーバルさんになら話したい気もするし、リーバルさんには話したくない気もする……難しいなあ」
     そう言ったきりミファーは黙ってしまった。僕は何だか気まずくなって断りを入れてその場から離れることにした。プレゼントのことは結局保留になってしまったけど、こればかりはしょうがない。



     それから一月経ってもプレゼントを渡す機会は訪れなかった。そもそも渡す相手が実質姫とウルボザに限られてしまった上に、まず何らかのやりとりをして感謝のために渡すというシチュエーションが僕にはどうしても必要で、更に皆の前で渡すものではないからと二人きりになる場面が欲しいとなると揃わないのが当たり前だ。
     それでも出掛ける時には必ずバックパックの中にコートを忍ばせている。ウルボザはともかく姫は非常に活動的であるため、ハイラルのどこで出会うか分からないからだ。……例えばこのタバンタ村のように中央ハイラルから離れた場所であっても、だ。
     タバンタ村での所用を終え、リトの村を戻ろうとすると視界の端にリトの雛が目に入った。こちらをちらちらと見て話しかけたそうにしてるのを察して近付き目線を下げてやる。迷子だろうか。
    「どうしたの?」
     柔らかく聞こえるようにゆっくりと語りかけると雛は安心したように嘴を開いた。
    「あ、あのね……ママと今日コクッピ雪原にイチゴとハーブとキノコを摘みに行ってね、でもね、怖い魔物が出てきたからね、摘んだものを置いて戻ってきたの…ママはしょうがないって言ったんだけど、沢山採れたし、それにあのカゴはパパが編んでくれた大切なカゴなの」
     僕は一瞬雛から視線を外しちらりと空を見た。太陽はだいぶ傾いていて西の空がオレンジ色に変わっているけど、コクッピ雪原ならここから近いし大丈夫だろう。
    「なるほど。じゃあ僕が取りに行ってあげるよ」
    「…う、うん。でもね、この話をしたらお兄ちゃんみたいに取りに行ってあげるって人がいてね…その人がまだ戻ってこなくって」
     想定していなかった雛の説明に最悪の事態が頭に浮かぶ。カゴを取りに行って運悪く魔物に遭遇してやられた可能性がある。
    「……その人に声を掛けたのはいつぐらいだい?」
    「ええとお日様がもうちょっと上にあった時…」
     このぐらい、と雛は空を指差した。
    「一時間ぐらい前って感じかな。その人の特徴は?」
    「ええとええと……あっ! お兄ちゃんのそれと同じ色の服を着てたっ」
     それ、とは僕が首に巻いている英傑の証のスカーフである。ハイラル王家ゆかりの青を身に付けられる人間はそうそういないはずだと首を傾げると、
    「あとはね、耳が長くてね、黄色の髪の毛結ってて、背中に長くてかっこいいのをしょってた!」
    「まさか……」
     次々と出される情報に僕は顔をしかめる。ここまで特徴が一致する人物は一人しか思い当たらなかった。そもそも姫の側を離れてタバンタ村で何をしているのかという謎はあるけれど、ハイリア人のあいつならば帰りが遅いのも納得である。
     この子はまだ幼いから分からないだろうけど、空を自由に飛べない以上、コクッピ雪原に行きカゴを見つけて魔物を殲滅、そしてまたここに戻ってくるという行程を一時間でこなすのはいくらあいつでも無理だ。
    「分かった。僕がそいつも探してくるよ。その代わり、僕が戻るまでこのことは誰にも言っちゃ駄目だよ」
    「……ママやパパにも?」
    「ママやパパにも。大丈夫、僕は物凄く強いから。もしかしたら君がおうちに帰る頃まで戻れないかもしれないけど、明日の朝には必ずカゴをここに届ける」
     もう夕暮れが近いから親切心を起こす人間は現れないと思うけど、これ以上雛の言葉を受けてコクッピ雪原に向かおうとする奴を増やしてはいけないから少し強めに釘を差しておく。
    「う、うん…分かった」
     雛が頷いたのを確認して僕はリーバルの猛りリーバルトルネードを使い飛び上がると北西へと向かった。

     コクッピ雪原は辺りが山に囲まれた場所で、長い斜面が窪みへと続いている地形となっている。視界を遮るものが少ないため高所から見下ろせば遠くの景色も容易に把握することができた。
     白い雪面には青と赤が一つずつ。目を凝らすと案の定リンクと赤髪のライネルが対峙していた。
     あいつは人格はともかく剣の腕だけは確かなので、これしきのライネルなら軽く片付けられるだろうと様子を見ていると、意外にも手こずっている。雪に足を取られ、ライネルに坂の上側を奪われているのが原因だろう。
    「全く、世話が焼けるね」
     岩肌を蹴り、坂に添って滑空していくと見る見る近くなる二つの戦う点。やがてライネルの体越しに僕に気付いたリンクが目を見開く。いつもは無表情なくせにこういう時だけ表情に出すな、と内心で叱咤してオオワシの弓を構え矢をつがえて弦を引いた。
     放った矢は全てライネルの後頭部に突き刺さる。耳をつんざくような咆哮を上げ、その場にダウンした様子を見て勝機ありと見たリンクがその背に乗り退魔の剣で何度も何度も斬りつけると、やがてライネルはぴくりとも動かなくなり武器だけ残して霧散した。
     ふう、と小さく息をつきリンクが退魔の剣を納める。
    「ありがとう、助かった」
    「退魔の騎士様には余計な手助けじゃなかったかい?」
     僕の軽口にリンクは何の反応も示さなかった。肯定でも否定でも何か言うことはあるだろうに、無表情のまま僕を見つめている。こんな奴がよくあの雛と意志疎通が取れたなとつくづく不思議に思う。
     このままでは一生沈黙が続きそうなので、話を変えて僕の状況を話すことにした。
    「……タバンタ村にいたリトの雛から依頼があってね、コクッピ雪原にカゴを探しに行ったまま戻らない奴を探してくれって頼まれて僕はここにやってきた」
    「カゴを探しに行った奴というのは俺のことだと思う。……手間をかけてすまない」
     やっと喋る気になったのかリンクは僕に向かって謝罪を口にしつつ頭を下げた。しかし僕が欲しい言葉はそんなものではなかったので鼻で笑い、話を次に進める。
    「それならさっさと帰るよ。カゴはどこ?」
    「カゴはまだ見つかっていない」
    「何だって?」
     確かにリンクがカゴが持っている様子はない。辺りを見渡してみても、あるのは夕日に照らされた雪面や岩肌だけだ。
    「魔物を片付けながら周辺を探していたけど、どうしても見つからなくて。その内ライネルまでやってきて対峙している時にキミが現れた」
     思わず舌打ちが出てしまう。上からコクッピ雪原を見渡した時もそれらしい物は無かった気がするし、もしかすると既に他の魔物に持ち去られたのかもしれない。カゴはリンクが見つけているものだと皮算用をしていたから、予定が大きく狂ってしまった。
     日没は近い。どう考えてもここで捜索を打ち切るのが合理的な判断だ。それにハイリア人のこいつにヘブラの夜の雪山を歩かせるわけにはいかない。……でも、僕一人ならばまだ時間の猶予はある。導き出した結論を言うために嘴を開く。
    「僕はもう少し上から探してみる。君は凍死しないように岩影で火を起こしてキャンプするといい」
    「…いや、俺も手伝う。あの子から依頼を受けたのは俺も同じだから」
     リンクが僕に歩み寄り、視線を合わせて反論意見を述べた。さっきまでの自分の意志がなく事実だけを受け答えしていた奴とは別人のような我の出し方に、少なからず驚いた。
    「キミが空からなら俺はこのまま地上を探す」
     そう言って背を向けようとするリンク。こいつは本気だ。僕はその腕を掴み、場に留める。
    「駄目だ。君は大人しくしていなよ」
    「二人で探した方が早いと思うけど」
    「そういう問題じゃない。……第一さ、何だよその薄着。ヘブラを舐めてる?」
     リンクはハイリア人が中央ハイラルなどでよく身に付けている薄い布の装備に英傑の服を着ただけの正気とは思えない格好だ。
    「舐めてはいない。防寒の食事を摂っているし、多少の予備もあるから」
    「多少の予備、ねえ。無謀なことに変わりはないね」
    「無謀じゃない。俺は防寒の食事を……」
    「それはもう分かったから! 無謀だし無茶なんだよ。それにさ、同族の僕ならまだしも、ハイリア人の君がそこまでムキになって探すようなものでもないじゃないか。カゴだってまた作ればいいし、中身だってまた採集すればいい。そう思うだろ?」
    「でもキミはまだ飛ぶんだろ、あの子のために。だったら俺も探したい。……それに、こういうことに種族は関係ない」
     なんて頑固な奴だ。僕にはこれ以上リンクを説得する材料がないし、こんなしょうもないやり取りをしている間にも時間はどんどん過ぎていく。もういっそ折れるのも有りかもしれない。
     ただし、このままでは駄目だ。こいつ自体はどうでもいいのだけど、僕の目の届く範囲に入った以上ヘブラで勝手なことをされるわけにはいかなかった。そう、リンクはもっと防寒対策をする必要がある。そして僕の手元には丁度防寒対策のためのアレがある。誰にも渡せずに扱いに困っていた、この場にお誂え向きのアレが。
     ……渡すことに抵抗が無いわけではない。けれど、僕のそんな感情より優先すべき事態なのは分かっているし、実用的に活用できるとなればアレも、ついでにアレを僕に渡した紅孔雀の店主も報われるというものだろう。
     リンクの腕を放してやり、バックパックの中からアレ――英傑のコートを取り出すと頭の上に被せてやる。
    「わぶっ!」
     リンクは情けない声を上げながらもがもがとコート中で暴れている。やがて顔を出してコートと僕に交互に目をやった。
    「……リーバル、これは…」
    「君にあげる。手伝うって言った以上は僕の役に立ってくれよ?」
     リンクはまじまじとコートを観察したあと袖を通した。こいつが僕の色を纏っているのはなかなかに不思議な感じだった。もっと不愉快な気分になるかと思ったけど、正直そこまで悪くはない。
    「このコートはキミの――。本当に貰ってもいいのか」
    「いいよ。僕にはいらないものだから」
    「……あ、ありがとう」
     ぼそりと礼を言うリンクの顔は相変わらず無表情だったけど、頬が真っ赤になっている。その様子に僕の頭にはいつぞやのミファーの顔がよぎった。種族も体格も性別も何もかも全く似ていないというのに。
    「ねえ。君の顔、すごく赤くなってるんだけど何で?」
     ミファーには聞けなかったことを問うと、リンクはまたしても黙り込んでしまった。こいつの場合ただの無口なのか、それとも僕が振った話題を避けたいのかさっぱり分からない。答えを待ってはいられないからまあいいけど、と呟いてリンクに背を向けると背中越しに声が届いた。
    「……キミのあたたかさで、顔が…あつい」
     つまり渡したコートが早速役に立っているということか。僕は満足感を覚えて鼻を鳴らした。



     焚き火を囲んで僕とリンクは並んで座っている。その傍らにはリトの大人が背負う大きな木カゴと雛が持つのに丁度いい手提げの小さな木カゴが一つずつ。中身は勿論ヘブラの山の幸だ。
     ……カゴは確かにコクッピ雪原にあった。ただし、表面ではなく山肌が抉られて出来た洞窟の中に。入り口が木の板で覆われていた上に雪が被せられていたから、おそらく魔物が隠していたのだろう。
     この洞窟を僕達が見つけたのは日没後かなり経ってからのことで、さらに雪まで降ってきたからこの洞窟の中で一晩明かすことになった。
     今思うと雪の照り返しで多少はマシとはいえ夜目の利かない状態でモノを探すなんて無謀で無茶なことをしたものだ、と笑えてくる。リンクに説教できる立場ではない。
     そのリンクはといえば相変わらずの無表情で何やら自分の持ち物を漁っている。そして出して来たのは赤いものが乗った皿二つ。
    「リーバル、食事にしよう」
     声をかけられてそういえば昼に食べたきりだったことを思い出す。成り行きでコクッピ雪原までやってきたから、僕の方に手持ちの食料はない。するとリンクが皿の一つを僕に差し出してきた。
    「コートの礼……には安すぎるかもしれないけど、良かったら食べてくれ。ピリ辛炒めだ」
     視線をやると赤いものは調理されたポカポカの実だった。なるほど、これがリンクが言っていた防寒の食事か。確かに効果はありそうだけど、具の殆どがポカポカの実なのはピリ辛の範疇を超えているように思える。これを美味しく食べられるのはよっぽどの辛いもの好きな奴だけではないだろうか。
     こんな場面で体を壊したくないから、皿をそのまま突き返した。
    「いらない」
    「……そっか」
     すると、リンクの仮面のような無表情が僅かに崩れた。ほんの少し眉毛の位置が下がって目が伏せられる。いわゆる残念そうな顔というやつだ。他の相手ならまだしも僕に対してそういう表情を見せるのは初めてのことで、少し面食らってしまった。
     リンクはその表情のまま無言でピリ辛炒めを食している。……気まずい。そして気まずさを感じている僕自身に困惑する。
     これまでリンクに敵愾心を持って接してきた自覚はある。自己紹介の場で僕はリンクに神獣の繰り手が退魔の騎士の補佐に回ることの不満をぶつけ、厄災討伐の要となることへの覚悟について問い詰めた。リンクは無表情を崩すことはなく、周りの仲裁が入ってもなお名前以外のことを口にすることはなかった。
     リトの村でリーバルの猛りリーバルトルネードを見せた時、どんな表情をするかと思ったものだ。他のリトが成し得ない僕だけの特別の技。姫に見せた時だって驚いていたのだからリンクにも凄さが分かるはずだ、と。それでもリンクは僕の技にぴくりとも反応しなかった。感情を引き出すための煽りの言葉も虚しく上滑りして不発に終わり、メドーへ撤退する羽目になった。
     そんなリンクがたかが食事の提供を断っただけで感情を表に出してしょんぼりしている。いい気味だ、とは思えなかった。僕がリンクにこんな顔をさせるのはもっと別の場面であるべきだからだ。
    「…僕はリトだからこれぐらいの寒さなら防寒料理なんて必要ないし、それに辛いものは舌に合わなくてね。だから君の気持ちだけ受け取っておくよ」
     弁明のために言ってみたけど、肝心のリンクからは返事はなく、そのまま二皿目まで平らげたあとポーチをがさごそと漁り始めた。
     ああ、こんな反応なら余計なこと言わなきゃ良かったな、と後悔する僕をよそにリンクは小さく声を上げると布の包みをポーチから取り出して広げて見せる。出てきたのは沢山のイチゴだった。
    「それなら少ないけどキミにこれを。昼に道中で摘んだんだ」
     そう言って僕に差し出した。訳が分からず固まっていると、リンクが首を傾げる。
    「……もしかしてイチゴ、苦手だったりする? これ以外の手持ちは全部ピリ辛炒めにしてしまったから、他に渡せるものがないんだ」
    「イチゴはヘブラ地方の名産でリトにとって一番馴染みの深いフルーツなんだよ。嫌いな奴はそうそういないさ」
     僕は一体何を言っているんだろう。リンクの求めているのは受け取るか受け取らないかであって、こんな説明をしてもどうしようもないだろうに。そんなこちらの内心の動揺を知ってか知らずか、リンクは再度イチゴの包みを僕に近付けた。
    「だったら、食べてくれ」
     促され、僕の指はゆっくりとイチゴに伸びていた。小さくて程よい弾力があるそれが羽毛に当たる。……ああ、受け取ってしまった。こういう時は相手に何と言うんだったか。君にしては気が利くね。仕方ないからもらってあげるよ。違う気がする。僕が、僕が言いたいのは。
    「……ありがと」
     ようやく喉から出たシンプルな解答にリンクはぎこちなく頷く。そして訪れる沈黙。こういう時、他の奴らならもう少しまともなやり取りになるんだろうな、なんて考えながらつまんだイチゴを口の中に入れた。
     イチゴは僕にとって日常を感じさせるフルーツだ。毎日食べることが当たり前になっているからか、多少の味のばらつきさえも個性を感じて愛おしく思える。……とはいえリンクのくれたイチゴは色合いの割に味が薄く、特に甘みが絶望的に足りなかった。もしかすると見た目は成熟しているように見えて中身はまだまだ熟れていないのかもしれない。
     ならば――と残りのイチゴを焚き火のそばに投げると、燃える音に混じってリンクの息を飲む音が聞こえた。
    「何をやっているんだ」
    「焼きイチゴを作っているんだよ」
    「焼きイチゴ……?」
    「君、料理できるみたいだし焼きリンゴぐらい作ったことあるだろ? それと同じ要領さ」
    「ああ、なるほど」
     ほっと息をつくリンクに嘴の端が自然と上がる。
    「君からもらったイチゴが気に入らなくて捨てたかと思ったかい?」
    「っ……いや、そんなことは」
     正解だったのか声が少しだけ上擦っている。もっとからかってやろうかとも思ったけど、イチゴから煙が上がり始めたのでリンクを放置して焼けたイチゴを回収していく。
     表面についた焚き火の灰を払うといい具合に焼き色がついていて、口に入れると柔らかくなった果肉からほのかな甘みがあふれ出した。やっぱり味は薄いけど、今の僕にとってはご馳走だ。平時に食べたならばきっとここまで美味に感じられなかっただろう。
     ゆっくり味わったあと残ったヘタを焚き火の中に投げ入れて、また焼きイチゴをつまむ。するとリンクがちらちらこちらを見ていることに気付く。相変わらず表情はないけど、口が半開きになっていて、そして僕の指の動きと共に瞳が動く。
     そういえばこいつはこういう奴だったな、と内心で笑みを浮かべる。人並み外れた大食漢で何でも食べる悪食な男は僕の作った焼きイチゴの味にも興味が湧いたらしい。
    「物欲しそうな顔をしているね」
     言うとリンクははっとして視線を逸らした。
    「元々君のイチゴだし、食べたいなら食べれば」
     誘いのつもりだったリンクはいかにも興味がありませんという素振りで焚き火を眺め始めた。僕の誘いにも返事はなく、あっと言う間にいつものつまらない退魔の騎士様に戻ってしまったようだ。
     またそんな態度を取るならこっちにも手がある。
    「ねえ、リンク。見てよ。こっちに何か変なものがあるんだけど」
     ……やる方が恥ずかしくなるほどの子供騙しの策だけど。それでも僕の演技にリンクは何事かと顔を向け、体を僕の方に近づけてきた。すかさず僕は左手でリンクの胸ぐらを掴んで体を引き寄せると、右手で焼きイチゴをつまみリンクの顔面に近付ける。
    「――な、何っ…!?」
    「ほら食べなよ。味、気になるんだろ」
    「リーバル、…ち……近い…」
     視線を彷徨わせうろたえるリンク。確かに僕がここまでリンクに距離を詰めたのは初めてかもしれないけど、これしきのことで動揺するのが面白くて、更に詰め寄ってやる。
    「君が素直にならないから。ねえ、いっそのこと雛にするみたいに食べさせてあげようか?」
    「…ひ、……雛にするみたいにって…?」
     嘴で焼きイチゴを咥え、ハイリア人の薄い唇まで運ぶ。リンクはしばらくじたばたしていたけど、やがて抵抗をやめて焼きイチゴを咀嚼している。喉が動いたところで離してやった。
    「どう、美味しかった?」
     リンクは答えない。表情も動きがないけど、その代わり劇的に変わっているところがあった。焚き火の炎で照らされているのを考慮しても、リンクの顔の色が明らかに変化していた。僕のコートを着た時と同じ、色。
    「また顔が赤くなってる。焼きイチゴはピリ辛炒めよりも防寒効果があるのかい?」
     リンクは答えない。それどころかまるでアイスチュチュの冷気を浴びてしまったかのようにフリーズしている。暖かさを感じると顔に血が回ると説明したのはこいつ自身だというのに、どうしてこんなことになっているのか。
     まさか本当に冷凍されてるわけじゃないよね、と頬をつまんでやるとちゃんと温かかった。でもリンクは何故か大袈裟に肩を跳ねらせ僕から距離を取ってしまう。そして俯いたかと思うと更に両腕を膝の上に乗せて組み、完全に顔を隠してしまった。これでは流石に何を考えているか分からない。
     ……騙し討ちの方法で焼きイチゴを食べさせたのがそんなに気に障ったのか。いや、食べたそうに口を開けてたじゃないか。ここは流石に謝るべきか。いや、理由が分からないのに口だけの謝罪なんて絶対にしたくない。
    「…あのさ、言ってくれないと分からないんだけど」
     リンクは答えない。今までもこいつに相手にされていないと感じることはあったけど、顔が向いているだけ僕の言い分を聞く余地があったのだと今更ながらに気付く。……だから今のリンクの状態は完全な拒絶なのだろう。
     別に今までだって好かれようと思って接してきたわけじゃないから、こうなったところで大して変わりがないじゃないか。そう自分を納得させようとしても、僕の中で生まれたもやもやとした感情は収まらない。それどころか何故か視界を滲ませようとしている。
     ――何で僕がこんなことで。絶対にこぼしたくはないから目を瞑った。そして祈る。早く朝が来ますように、こいつの側から離れられますように、今日のことをさっさと忘れられますように、と。




     リンクの昔話は実に簡潔だった。百年前コクッピ雪原でライネルと対峙中に現れた僕の弓捌きに見惚れ、コートを譲ってくれた僕の優しさに惹かれ、洞窟の中で僕と一緒に一晩過ごしたことが唯一の甘酸っぱい思い出、らしい。
     昔話を終えてすっかり食欲と機嫌が戻ったのか残りのフルーツケーキと揚げバナナに手をつけているリンクをよそに、僕はひたすらに混乱していた。
     確かに彼の話で無くしてしまった記憶を詳細に思い出すことはできた。でも、これで百年前のリンクにも好感を……なんてことはなく百年前の僕達がいかに不仲だったかを再確認しただけである。
    「君の話、僕の記憶と一致しないんだけど」
    「違っているところあった?」
    「合ってるけど全部違う」
     僕の言葉にリンクは首を傾げた。
    「……あんな喧嘩別れになった出来事で、恋だの何だのってどうかしてる」
     結局あの後僕達の間に会話はなく、ひたすらに朝を待つだけになっていた。そしてようやく日の光が洞窟の中に差し込んだのを確認して僕はカゴを背負い、一人外に出たのだ。
     リーバル、と背後からかけられた声を無視して飛び立った。その日のヘブラの空は晴れていたから一人にしても大丈夫だろうという確信があったし、何より請け負った仕事に関わる部分で喋る必要性があるから、仕方なく口を開いたであろうリンクに腹が立っていて、一刻も早く離れたかったというのがあった。
     そのままタバンタ村まで飛んで律儀に街道で待っていた雛にカゴを渡し、リンクの無事を告げてそれで終わり。僕にとっては忘れたい過去の一つであり、実際に封印していた過去でもある。
    「俺達、喧嘩別れなんかしたかな」
     それなのにリンクがとぼけたことを言うので僕はため息をついた。
    「……したよ。少なくとも僕はそう思っていた」
     今なら分かる。僕が洞窟内でしたことは完全に距離感を間違えていた。仲の良い子供同士がやるならまだしも、不仲を自覚している相手にするべき行動じゃない。それでリンクから思うような反応が得られなくて、拗ねたのがあの時の僕だ。
    「ちなみにどれのこと?」
     リンクにとって悪気のない問いかけなのだろうけど、ぐっと喉が苦しくなる感覚に襲われた。それを僕に説明しろというのか。言いたくない。言いたくないけど――リンクが言ってくれないまま拗れた百年が、百年後のリンクによって解けようとしている。彼によって変わることを求めたのは他でもない、僕自身だ。
    「……焼きイチゴを無理やり食べさせたら君が一言も喋らなくなったから、お返しに僕も喋るのをやめた時のことだよ!」
     羞恥を抑えながら言うと、リンクはぽかんとした表情を浮かべた。そして頬にさっと赤みが差したかと思うと笑顔になる。その様子が煽りのようにも感じられて、胸の奥が熱くなった。
    「その顔を赤くするのも意味が分からないんだけど。コートを着て赤くなって、焼きイチゴを食べて赤くなって、僕と話す時も時々赤くなって、全然分からない。全部説明しなよ。君が言ってくれなきゃ君のことを知りようがない。ねえ、もっと君のこと教えてよ。君が百年前何を考えていたのか、今何を考えてるのか。君の体のことも全部!」
    「…リーバル、これは君の風?」
     気がつけばリンクの小麦色の髪が揺れていた。どうやら僕の手の動きによって風が起こっているらしい。でも――。
    「そんなこと、どうでもいいっ」
     僕の感情に合わせるように突風が吹き抜けた。
    「わ、分かった、説明する! するから落ち着いてくれ。ええと、まず……焼きイチゴに防寒効果は無い、です!」
     リンクが慌てて口を開く。百年越しに質問の答えが戻ってきたことに、僕は手を止めた。
    「なら、君の顔色が焼きイチゴを食べて変わった理由は何?」
    「ハイリア人は体調や感情で顔の色が変わることがあるんだ。……で、あの時、キミとの距離が近くて俺の気持ちがバレてるんじゃないかって凄く恥ずかしかった。だから、顔が赤くなったんだと思う」
    「…へえ。恥ずかしくなると、赤くなるんだ。じゃあ今も?」
    「今はあの時のこと思い出して嬉しくなったのもある」
    「嬉しくなっても赤くなるの?」
    「あとは怒ったり、緊張したり…酒を飲んだ時も顔が赤くなる」
    「……多いよ」
    「それで、昔の俺は話すのが得意じゃなくて。特にあの時はどうすればいいか分からなくて黙っていただけ」
     だから俺にとっては喧嘩じゃない、とリンクはつけ加えた。
     ハイリア人の生態について今更ながら学べたことに感慨を覚えつつ、あの洞窟内の出来事が完全なすれ違いだった事実に僕は脱力した。
    「それでも一言ぐらいあってしかるべきじゃないか」
    「……キミが相手だと、キミを喜ばせたいのに何を言っても怒らせてしまう気がしていたから。でも、俺が黙っていればキミは諦めて話すことをやめてくれるから、それでいいかなって」
     些細な恨み節のつもりだったけど、戻ってきたリンクの言葉に僕は息を飲む。
     当時のリンクは僕の私情を抜きにしても決して誰からも好かれるような人間だったわけではない。恵まれた才能と神に選ばれた境遇、そしてあの態度。同じハイリア人からの妬みも相当あったと聞く。
     それでも、リンクと近い人間は徐々に絆されていった。彼に恋をしていたミファーであったり、異種族ながら相棒と呼んだダルケルであったり、姫との仲を取り持とうとしていたウルボザであったり、共に行動するうちに心を開いた姫であったり。
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