Fly to me 夜の帳が下り始める頃。
勇者イレブン一行は、とあるキャンプ場に立ち寄っていた。
食事を終えた今は、それぞれ武器の手入れをしたり酒を楽しんだりと、思い思いに過ごしている。
イレブン、ベロニカ、セーニャもまた、焚き火を囲んで談笑していた。
事の発端は、その何気ない会話だった。
「今更だけどさ、“ルーラ“って便利だよね」
「……ほんっとに今更ね!」
ルーラを覚えてからもう随分に経つというのに、イレブンが突然切り出した。使うことが当たり前になりすぎて、その価値を忘れていたのかもしれない。
ベロニカは驚きと呆れが入り混じった顔をしている。
二人を見てクスクスと笑っていたセーニャが、不意に何かを思い出して両手を叩いた。
「そうですわ! お二人とも、ルーラに纏わる噂をご存知ですか?」
「なに、それ?」
「どんな噂よ?」
イレブンもベロニカも旺盛な好奇心を持て余しているのだろう。
セーニャの言葉に、目を輝かせながら身を乗り出した。
「以前何かの本で読んだのですが、『目的地を思い浮かべずにルーラを唱えると、その者を最も強く想う相手の所へ飛んで行く』というものですわ」
「へえ。ちょっと……ううん、かなり嘘くさいけど。でも、ルーラって目的地を強く想像して唱えるものだからね。その人に対して『傍にいてほしい!』みたいな、強い想いに引っ張られるっていうのも、案外あるのかもしれないわ」
セーニャの話を聞いて、ベロニカは冷静に考察してみせた。
「それじゃあ、僕が何も考えずにルーラを唱えたら、僕を想ってくれている人の所へ連れて行ってもらえるのかな」
そう言って、イレブンは照れ笑いを浮かべる。
焚き火に照らされた中でも分かるほど頬を染める彼を見ていると、なんとも温かい気持ちになり、ベロニカとセーニャも釣られて笑顔になっていた。
「おぬしが飛んで行った先にいる相手が、将来の伴侶になるかもしれんのう」
イレブンたちの近くで読書をしていたロウも、噂の内容に興味を示したようで、優しく微笑んでいる。
そこでベロニカが実に愉しげな声を上げた。
「ねえ、イレブン。ちょっとやってみましょうよ! 本当に誰かの所へ飛んで行くのか見てみたいわ! ほら、『物は試し』って言うじゃない?」
噂の話題で盛り上がる面々は、カミュ、シルビア、マルティナ、グレイグが、身動き一つせず聞き耳を立てていることに気が付いていなかった。
(マジか……)
(ルーラを唱えたイレブンちゃんは……)
(あの子を強く想う人のところへ飛んで行くというの……?)
(そして、その者がイレブンの伴侶に……)
((((その座、絶対に譲れない))))
四人の心に火がついたことなど、イレブンは知らない。早速噂を検証するべく、目を閉じて深呼吸をすると、心を空っぽにしてルーラの詠唱を始めた。
ワクワクとした面持ちで見守るベロニカ、セーニャ、ロウ。
彼女らと対照的に、四人は尚もその場を動かずにじっとしている。皆、イレブンに対する想いを、普段以上に強めようと集中しているのだ。
やがて、詠唱を続けるイレブンの周りに光が集まり始める。
仲間たちを包むのはいつもの青白い光だが、イレブンに集まったのは、うっすらとした桃色。それはイレブンの四肢を別々に包み込んだ。
八人の身体がふわりと宙に浮き、いよいよ飛び立つ態勢に入ろうとしている。
「すごい! 本当に飛ぶわよ!」
「噂は本当だったのですね! ……それにしても皆さま、今日はお静かですわ?」
興奮してはしゃぐベロニカの横で、セーニャは四人の様子が気になっていた。
いつもイレブンの隣を誰にも譲らないカミュが、楽しそうなことに──しかもイレブンが絡むことには尚更敏感なシルビアが、常にイレブンの動向を気にして止まないマルティナが、『勇者を守る盾』を口実に片時もイレブンの傍を離れないグレイグが、何の反応も示さずにいるのだから無理もない。
身動きしないまま宙に浮く四人の姿は、彼女の目にこれ以上なく奇妙に映ったことだろう。
セーニャは一番近くにいたカミュに声をかけようとする。
が、その時。
イレブンの悲鳴が響いた。
「痛たたたた!!」
慌ててイレブンの方を見ると、彼はうつ伏せで宙に浮き、その四肢が外側へと強く引っ張られているような姿になっていた。
「たっ、大変! お姉さま、これは一体……?」
「きっと、イレブンを想う人間が何人もいて、それぞれの想いが自分の方へ引っ張ろうとしているんだわ……」
(まあ、察しはつくけど……)
ベロニカは四人の方をチラリと見遣り、やれやれ、と呆れた表情を浮かべる。
それでも止めないのは、イレブンの身体がそんなに柔ではないと分かっているし、四人とも分別のある人間だと知っているからだ。
放っておいても、適当なところでやめるだろう。そんな風に思っていた。
ところが、ベロニカの読みは外れてしまった。
四人は、自分以外の三人がライバルであることになど、とっくに気が付いている。
だからこそ、少しでも気を抜けば即座に負けを認めることになるのも理解している。
長い旅を共にしてきて、各々が持つ精神力の強さも、何事も簡単に諦めない心も、充分に思い知っているのだ。
イレブンを痛めつけていることへの罪悪感は、もちろんある。
だが今は他の三人を打ち破り、イレブンを自分の胸に抱き留めることを第一に考えてしまっている。
皆に共通する負けず嫌いの性分が、悪い方向に作用したということだろう。
集中するあまり、四人はいつの間にかゾーン状態に入っていた。
イレブンは、より強い力で引っ張られ始める。
「痛い痛い痛い! 肩と股関節が抜ける!」
セーニャはスカラを、ロウはベホマをイレブン目がけて唱えた。
この状態になってしまうとルーラはキャンセルが効かず、ベロニカにはただ見守ることしかできない。
「お姉さま! イレブンさまの手足が、さっきよりもバラバラの方向に引っ張られていますわ! このままでは千切れてしまいます!」
「怖いこと言わないで! 人の身体はそんな簡単に千切れないわよ!」
この姉妹の悲痛な叫びが、ある者の心を動かした。
グレイグである。
彼は昔のことを思い出していた。
(見習い兵時代の座学で、こんな物語を聞いたことがある。『一人の少年と、その母を名乗る女性が二人。女性たちは、自分こそが本当の母親である、と主張して引かない。そこで裁きを担当した《ブギョウ》は、双方に少年の腕を引っ張るように命じ、痛がる姿を憐れみ先に手を離した方を、本物の母親と認めた』と。つまり、この話に従い最初にイレブンへの想いを断ち切れば、俺が伴侶として認められるのでは……?)
グレイグは悩んだ末、腹を括ったように目を閉じた。
下心は大いに含まれている。それよりも勇者の盾になると誓った自分が、その勇者たるイレブンに危害を加えている事実に心が痛んだ。このことが最初に勝負を降りる覚悟を決めさせた。
ゆっくりと深呼吸を繰り返して、グレイグは徐々に平常心を取り戻していく。
(……これで良いのだ。これで、イレブンは俺の元へ来るはず。さあ来い、イレブン……!)
グレイグは期待に胸を膨らませながら、イレブンを見つめる。
「あっ、なんか左足だけ楽になった!」
(なんだと……!?)
残念な事にグレイグの思惑は外れ、単にイレブンを解放するかたちとなった。
カミュ、シルビア、マルティナは、肩を落とすグレイグに一瞥をくれると、口元だけでニヤリと笑う。
グレイグと比べてイレブンとの付き合いが長い三人は、生半可な気持ちでこの場に臨んでいるわけではない。もし、イレブンが自分以外の仲間のところへ飛んで行こうものなら、その相手と差し違えるくらいの覚悟を持ち合わせている。
それは仲間たちの強さを認め、敬っているからこそ。しかし少々頭に血が上っているせいか、普段よりも過激な思考になっているらしい。
それでも、イレブンを胸に抱き留めたい一心で、三人は彼への想いをさらに募らせた。
「ああ……っ! イレブンさまの服が破れ始めましたわ! お、お姉さま、どうしましょう!?」
「これはもう、無理矢理にでも止めるしかないわね!」
ベロニカは焦りつつも、必死で考えを巡らせる。
(何か、全員を一気に止める方法を考えないと……! そうだ、セーニャとおじいちゃんにザラキを唱えてもらえば──)
少女の口から恐ろしい提案が発せられようとした、まさにその瞬間。
「イレブン! おぬしが一番行きたい所を思い浮かべるのじゃ!」
ロウが叫んだ。
ハッとしたイレブンは、目を閉じて念じ始める。
(僕が、一番行きたい所……)
すると桃色の光が消え去り、彼は仲間たちと同じ青い光に包まれる。
そしてようやく、全員の身体は空高く、高くへと上って行った。
ルーラ本来の使い方をすれば孫は解放されるのでは、と踏んだロウの考えは当たっていたようだ。
どんなに周りの想いが強くても、唱えた本人の思いには叶わないということだろう。
眩い光に目を瞑っていた全員が、足が地に着く感覚に目を開けると──そこは先程のキャンプ場であった。
「イレブン、どうして?」
首を傾げるベロニカに、イレブンは頬を掻きながら答える。
「僕が辛い時、助けてくれるのは皆だから……つい皆の顔を思い浮かべちゃったんだよね。だから、またここに戻ってきたみたい」
へへ、と恥ずかしそうに笑うイレブンを見て、全員の心に彼への凄まじい愛おしさが溢れ出る。
尊いものに触れた四人は、先程までの競り合いを猛省した。
そして、改めてイレブンへのある想いを抱くのだった。
((((結婚しよう))))
──と。