木の葉を隠すなら(中)人混みを通り抜けて奥の建物に入ると、ロビーみたいなとこに色んな部活やサークルの張り紙がしてあった。四天宝寺のみんなで探せば、すぐにテニス部の展示が見付かった。展示どころかその下には、出店で買うたらしい焼きそばを食べとる二人組がおる。
「あの、テニス部の人ですか?」
「そうやけど……あ、お前白石やろ。W杯見たで」
「えっ、あ、はい。おーきに」
昨年のU-17W杯は優勝したこともあってか、例年にないくらいTVでも取り上げられた。ほんでTVやなんてミーハーやから、決勝よりも準決勝よりも、フランス戦のキミ様の試合の映像を一番流しとって。ダブルスパートナーとして一緒に映っとった俺も、ちょっとした有名人になってしまっとった。嬉しいことやけど、少し恥ずかしい。
隣におったケンヤが、「よっ、有名人」って冗談めかして小突いてくる。俺もケンヤに小突き返しながら、先輩に軽く頭を下げた。
「それであの、テニス部の設備を見せてもらいたいんですけど」
「あー、少し歩くけどええか?」
「はい。よろしくお願いします」
先輩らは焼きそばの残りをかっ込むと、施設の案内をしてくれることになった。急かして申し訳ないなって思ったけど、本人達いわく元々早食いらしい。
「白石来るんやったら安泰やなぁ」
「言うて何年後や? 今、高1とかやろ」
「ほな、留年するしかないか」
先輩らは軽口を叩きながら、人通りの少ない裏道を歩いていく。その後ろを、俺達四天宝寺のメンバーがぞろぞろと歩く。
今日ここに来たのは、種ヶ島先輩に誘われたからで。来たからには折角やから、見学させてもらおかなって話になっただけで。ここの大学に進学したいとかは、全く考えとらんかったんやけど。
せやけど見せてもろたテニスコートもトレーニングルームも、改修したばっかりらしくて、ほんまに綺麗で使いやすそうで。こういう所で練習出来たらええなって、見学すればする程、みんなのテンションは上がっていく一方やった。
「めっちゃええやん。ほんまにここに進学しよかな」
「ホンマにええとこやねぇ」
「小春が受けるんやったら、俺も受けるで」
「そもそも受かるんですか?」
みんなは楽しそうに、あっち見たりこっち見たりしとって。俺もそうしたかったんやけど、俺の方はいまいち気分が乗り切らんかった。
というのもさっき見た種ヶ島先輩の写真とか、ビリビリに破かれた写真とかが、ずっと俺の頭ん中をぐるぐると回っとったからやった。
破かれたのは知らん写真で、種ヶ島先輩の写真ちゃうのに。まるで俺の気持ちごと、種ヶ島先輩の写真がビリビリに破かれたような、変な喪失感みたいなもんがあって。何でか知らんけど、ずっと心臓の辺りがずっしりと重くて。
何か悪い事を仕出かしてしもたような、せやけど実際は何もしてへんし、何の反省も弁明もしようがなくて。許してほしいのに、誰に何を許してもろたらええのかも分からんくて。自分の感情がよう分からん袋小路に入り込んどって、出口が分からんくてどうにも苦しかった。
「白石どないしたん? 腹でも痛いんか?」
「や、別に……」
「お前ら、トイレやったらそこやで。ほな最後にロッカールームも見せとくか」
先輩が扉を開けて、俺達はロッカールームの中に入った。正面に大きな窓があって、壁にはロッカーが並んどる。普通の部室や。せやけど─
「……え?」
俺達の視線は、ある1箇所に釘付けになった。そこにはロッカーを1列潰すように、1枚の縦長のポスターが貼られとった。ほぼ裸の金髪美女の、等身大くらいのでっかいポスターや。
「うわ……」
「あらぁ、お盛んねぇ」
「こういうの、貼ってもええんですか?」
男しか出入りせえへん空間では、こういうことはままあるとは分かっていたけども。こんな場所で種ヶ島先輩が過ごしているのかと思うと、あんまりええ気はせんかった。
「俺ちゃうて。これ貼ったの、種ヶ島やで」
「種ヶ島先輩が?」
「オーストラリアの、土産やって言うとったわ」
言われてみれば確かに、背景にはいかにも合成っぽいエアーズロックが見える。
「オーストラリアで、こんなん……買うてたんや」
「雑誌もあるで」
別に見たいとか言うてへんのに、先輩は勝手に金髪グラマー美女の雑誌を差し出してきた。誌面いっぱいに、異様に艶のある女の人の裸が見える。あかん。見えたらあかんとこが丸見えや。
「や、あの、俺らまだ高1なんでっ」
俺は慌てて雑誌を押し返すと、案内のお礼を伝えて逃げるようにその場を立ち去った。
「白石ー、待ってや」
人混みをかき分けてかき分けて。気が付けば俺は、全然人通りのない校舎裏におった。すぐに追い付いてきたケンヤが、苦笑いをしながら、まるで俺を諭すかのように言葉を続ける。
「免疫なさすぎやろ。先輩らも笑っとったで」
「免疫て……俺ら高1やろ。免疫ある方がおかしいやん」
「それは、そうやけど」
ケンヤは「真面目やなぁ」って言うと、ステップを踏むみたいに足をトントンとさせた。どうやらケンヤにはもう、免疫ってやつがあるらしい。別に俺かて、免疫を付けようと思えば付けられるんやけど。
高校生になってから─や、中学の時もやけど。兄ちゃんとかがおる奴が、そういうやらしい雑誌を学校に持って来たりすることもあった。男子だけでこっそり集まって、みんなでわいわい見たりして。そういう時に俺は、真面目ぶって止めたりとか、邪魔したりはせんかったけど。愛想笑いしながら目ぇ逸らしたり伏せたりして。女の人の裸を直視せんようにしとった。
それは別に、法律とか条例とかを気にしとる訳でもないし、そういうのが苦手って訳でもない。エロいことには、それなりに興味はある。せやけど裸っていうのはやっぱり、特別なものやから。そう簡単に見てええもんちゃうと思うんや。
いつか俺が誰かを好きになって、その人も俺を好きになってくれて。付き合うようになって、デートとかして。ケンカとかもして乗り越えて、深い関係になった時。そこで初めて見られたら、それでええんやと思う。俺が初めて見る女の人の裸は、よう分からん女優さんのやなくて、初めて好きになった人のがええって。少し、夢見すぎかもしれへんけど。
せやから今さっき、予定外なものをかなりはっきりと見てしもて。こんなんノーカンやん、忘れよ忘れよって頭を振ったんやけども。さっきまでの記憶とごっちゃになって、今度は俺の頭ん中で種ヶ島先輩の写真とビリビリの写真と、金髪美女のポスターと雑誌とがぐるぐると回り始めた。あぁ、ほんまに嫌や。よりにもよって金髪グラマー美女やったし。いっそもう、吐き気すらある。
そんな俺の気持ちも知らんと、ケンヤは楽しそうに周りを見回して、大学生活を妄想しとるようやった。
「ここのテニス部に入るんやったら、入学までに免疫付けとかんとなぁ」
「別に、入るかは分からへんけど」
「俺は結構気に入ったわ」
「え、ここの大学に入るん?」
「まだ先の話やけど、選択肢としてはアリやろ」
「えぇ……」
正直俺はテニス部の設備に興味はあったけども、ここの大学に入ろうとかは、そんなん全く思っとらんかった。そもそも入れるのかも分からんのやけども。入ったら何や、種ヶ島先輩の金魚のフンみたいやし。俺は俺で、別の大学で花開きたい言うか、頑張っとるとこを遠くで見守ってほしいなって思っとって。
せやけどもしケンヤが種ヶ島先輩の後輩になるんやったら、それは少し納得がいかんとこあるわ。俺の方が先に、種ヶ島先輩に面倒見てもらっとったのに。俺の方がれっきとした、種ヶ島先輩の後輩やったのに。
そう思うとケンヤにはここの大学に入ってほしくはないし、他の四天宝寺のみんなにも入ってほしくない。もっと言えば、こっちの大学を受けたりはせんやろうけど、幸村クンとか不二クンとかでも嫌やし、切原クンとか一番嫌や(切原クンは受からんと思うけど)。
そもそも、種ヶ島先輩も種ヶ島先輩や。すぐに後輩にちょっかいをかけるし、面倒見ようとするし。あんなんやったら、後輩みんな懐いてまう。もう少し、節度を持って先輩やってほしいわ。
ほんでその一方で、あんなポスター買うて部室に貼るとか、浮かれたことしとって。オーストラリアで先輩が港に向かう前に、俺、挨拶しに行ったのに。あの時にはもう、でっかいスーツケースん中に、あのエロいポスターが入っとったってことか? めっちゃ浮かれとるやん。
W杯で色々あって、俺めちゃくちゃ尊敬しとったのに。俺のこと助けてくれて、導いてくれて。対等な位置にまで引っ張り上げてくれたって、そう思っとったのに。その裏であんなポスター買うとったとか、ほんまにがっかりやわ。さっきも女の子のスコートめくれとったって、紳士ぶっとったけども。あないエロいポスター、自分の部屋に貼るならまだしも部室に貼るとか、そんなん変態やん。
俺は段々と腹が立ってきた。と同時に、さっきまで変な罪悪感を抱いとった自分がバカらしくなってきた。何で種ヶ島先輩は好き放題しとるのに、俺が気ぃ遣って真面目に生きなあかんのや。俺かて好きにしたる。種ヶ島先輩の腹が見えとる写真、俺、買うわ。
「ケンヤ、俺寄るとこあるから、先にみんなのとこに行っといてや」
「何やトイレか? 俺も行こかな」
「ウンコやからあかん」
「ウンコかぁ」
俺はケンヤに背ぇ向けると、正門に向かって走り始めた。