夏の日。少し蒸し暑い夜に、小さな相棒が窓からふわりと入ってくる。
「仕事?」
人型が僕の手のひらに収まる。紫色の炎でそれを燃やしてやると、日本語でも英語でもない、人間の言語ではない文字が現れた。
「『○○区△△町ニ人ナラザルモノ出現。直チニ祓除セヨ』。全く、人使い荒いなあ。」
ため息をつきながら普段着のスウェットから正装に着替える。
「ありがとね。」
せかせかと準備を手伝ってくれていた人型たちに礼を告げ、窓から飛び降りた闇ノシュウは、呪術界きっての特級呪術師である。昨夜も隣町でそれなりの相手と応戦して負った傷の治りを、お盆が迫る夏の繁忙期は待ってはくれない。
「全く呪術師ってブラックな職業だよね。」
などとブツブツ言ってているうちに目的地に辿り着いた。
「うーん、おかしいな。△△町ってここで合ってる…よね?」
ケガレ特有の匂いも、気配も感じられない。
「本部が誤情報を拾った?か、もしくは……」
違和感に呪符を取り出そうとしたその瞬間、シュウの重心は後ろに傾いていた。
「なっ…」
トプンー
暗い。寒い。あれ、僕何してたんだっけ。
「ゔっ」
むせかえるような匂いに思わず顔を顰める。真っ暗で何も見えない。ケガレに取り込まれたみたいだ。
「あれ…?」
暗闇に目が慣れてくると、見覚えのある風景があたりに広がる。
それが何であるかを認識した瞬間、体が急激に冷えていくのを感じた。震えと、嫌な汗が止まらない。
僕の村だ。十年前、ケガレが全てを奪い、壊してしまった。僕が、祓えなかったから。
『きゃあああああああ』
『この子だけは助けて、お願い…』
『おかあさんっ、おかあさんっ』
『やめてくれええええええ』
耳を塞いでも聞こえてくる仲間たちの声が刃となって幾度も僕の体に突き刺さる。
「は、はー、ぐっ…かはっ…ごめ…かひゅっ、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
痛い、苦しい、ごめんなさい、ごめんなさい、
『お前のせいだ』
お願い聞いて、あの時僕は、
『あんたさえいなければ』
師匠が、村を出ていて、
『言い訳をするのか』
ちが、
『お前が殺した』
ああ、そうだ、僕が、
『お前なんて 』
「っ」
「やあ、遅れてすまない。」
「あ、ヴォックスやっときた。」
懐かしい声がする。
耳に心地よいヴォックスの低い声。
ルカとミスタがまた二人してふざけているのだろう、アイクのふわふわした笑い声も聞こえる。
「みんなっ」
四人がこちらを振り向く。しかし、距離が薄暗い中で僕の顔が見えないのか、どこか怪訝そうな顔をしている。
「みんな、僕だよ、シュウ!どうしてここに、…」
「あの、大丈夫ですか?」
「え?…なんで敬語なのアイク。僕だよ、シュウだよ、」
「すまないが、どこかで会ったことがあっただろうか。」
「や、やだなあヴォックス、僕シュウだよ、ラクシエムの。もしかしてみんなでプランクしてるの?そんなことよりここは…」
アイクやミスタに近づこうとすると、ヴォックスとルカがその間に入る。
「あー、ラクシエムは俺ら四人だけど。そんなことよりめっちゃ血だらけだぞお前、大丈夫か?」
「ミスタ、?」
「うん、怪我してるし送って行かせるけど、少し離れてもらえる?」
「ルカ、どうして、」
「みんな、僕のこと忘れちゃったの?」
自分に向けられる哀れみの目に耐えられず、シュウは後ろを向き走り出した。
「あ、ちょっと、」
「アイク、何か普通じゃない気がする、やめておこう。」
「でも…」
そんな声が聞こえる。呼吸がうまくできない。どんどん体が沈んでいく。どうして、なんでみんなまで。やっと、やっと見つけたと思ったのに。
『お前のせいだ』
そうか、僕の、僕がおかしいから、
『あんたさえいなければ』
ごめんなさい、ごめんなさい
『お前なんて、消えてしまえ』
そうか、消えちゃえば、みんな幸せになるのかな
ああ、あの呪いなら
「 」
「…ウ、」
言いかけたそれを終える前に、温かい何かに口を覆われる。
「シュウ。」
黄金色の瞳がこちらを見ている。
「シュウ、聞こえるか?」
「ゔぉっ、ゲホッゲホッ、ヒュー…」
「シュウ、俺に合わせて息をするんだ、もう大丈夫だから。」
穏やかな心音が聞こえる。それに合わせて必死に呼吸を落ち着かせた。
「はー、は…ゔぉっ…くす?」
「ああ、俺だ。」
白色の着物に赤と黒の羽織を着た鬼の、優しい笑みが目に映る。
「なんで…ぼくのこと、わかるの?」
「もちろんだとも。君は俺たちの大切な兄弟だろう。よく頑張ったな、シュウ。」
少し笑顔を歪めたヴォックスの、大きくて温かい手のひらが頬に触れる。
「あとは、任せろ。」
意識を手放したシュウを羽織に包み、軽い術を施す。これで命はつなげども出血がひどい、早く連れて帰らねば…
「ところで、」
暗闇の中で黄金から光が消え、ギョロリと動く。
「お前、何をしているんだ?」
地を這うような声が空間を揺らしたその瞬間、何かがつぶれた音がして、日常が戻る。鬼は隠しきれない怒りを内に抑え込みながら、傷だらけの呪術師をそっと抱き上げた。
「さあ、帰ろうか。」
暗い、寒い、誰か、誰かいないの?
ヴォックス、アイク、ミスタ、ルカ、
ああ、でももう僕は、彼らのそばにはいられないのかなあ
「シュウ」
なんだろう、暖かくて、ふわふわする…それに、明るい。
「…シュウ!」
「シュウ、痛いとこない?」
「…僕のこと、わかるの?」
「当たり前だろっ…心配したんだからな…」
「ミスタ、泣かないで」
「お前だって泣いてんだろっ」
「え…?」
ミスタに言われて初めて、大粒の涙が頬を伝う感触に気がついた。僕に涙を流す権利なんてないのに。
「あれ、っおかしいな、はは、」
「やっと泣いてくれたな。」
ヴォックス、ダメなんだ、僕が悲しむなんて、許されないよ
「いいんだよシュウ、泣いて。」
違うんだアイク、だって僕はみんなを
「殺してしまった。大事な仲間だったのに、僕のせいでみんな死んじゃう、いなくなっちゃうっ」
失いたくない。傷つけたくない。みんなと一緒にいたいだけなのに
「シュウ、聞いてくれ。400年生きてきたが、…過去の過ちが消えることはない。俺も、君も、他のみんなも、皆何かしら背負ってこの時代に来ている。だがな、それでも君たちは俺にとっての居場所でいてくれるし、俺も君たちの居場所になりたいと思っている。」
「俺ら兄弟だろ、いなくなるわけねーじゃん」
「こんな僕でも、シュウはいつも隣にいてくれるでしょう?もう離す気なんて無いからね?」
「みんな揃ってるからLuxiemはPOGなんだよシュウ!!」
「みんな…」
「はあ、もーとりあえずハグさせて?」
そういったミスタが動いたのを皮切りに、全員まとめて僕を抱きしめてくれる。
「ちょ、苦し…」
「知らねー!文句言うなよ!」
「もうミスタはいつまで泣いてるの?」
アイクが笑う。
「あったかいね!POG」
「ちょ、ルカ声でか」
「シュウ。」
わいわい騒ぐいつも通りの同期の中で、穏やかな低音が僕の名を呼ぶ。
「何があったって俺たちは、君といたくて、選んで君のそばにいるんだよ。」
消えるわけじゃない。忘れられるわけもない。
「よーしそれじゃ、今日はみんなでスマブラだー!」
「俺もやりたい!」
「ちょっと、シュウはまだ起きたばっかなんだよ?」
「でも僕もやりたいかも。」
「ははっ、じゃあ紅茶でも入れてこようか。」
それでも、ここにある。僕の居場所。同期で、友人で、兄弟で、家族だ。