その優しい手を___
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"嘘や怠惰こそが人間の本質である"と…
_ガキの頃は本気で思っていた。
なんなら、今もそうだと思っている節はある。
汚いことや納得のいかないことにも目を瞑る…
そんなのに毒されるくらいなら、
全部捨てた方がマシだとさえ。
偽りの面を取り繕ってまで、
己の利益のためだけに権力を使う奴の
相手をしている暇なんて俺には無いし、
そんな掃き溜めのような奴が、
苦労してる人間の上に立って
偉そうにしてるのも気に食わない。
上司を殴った後日、
俺から距離をとる人間は勿論いたが、
「殴らないと分からない馬鹿もいるよ」と、
俺に同情する奴もいた。
…まぁ
「あんたがアイツを殴ったから
何だって言うのよ」
なんて言う奴もいたが。それは今はいい。
俺は、他人に正しさを説くつもりは無い。
うまく言語化できないが、
きっと、もっと単純な理由だ。
強いて言うなら…自分の内に溜まった
不快感を晴らしたい。
本当にただ単にムカつくからやったに過ぎない。
だが、昔…弟のはち太に
「お兄ちゃん、僕のために
傷つかんくていいんやざ」
と言われたことがある。
弟の…1人の子供の夢を守ってやりたくて、
はち太をバカにした奴等を殴った。
でも…俺はあの時、
傷ついていたんだろうか。
後悔はしていない。
例え自分のエゴであっても、俺なりに
弟を守る方法だったと思っている。
はち太は、顔に切りキズを
つくって帰ってきた俺を見て、
「ありがとう」
と言ってくれた。
あの時はちゃんと言葉の本質を
理解してやれていなかったが、
今なら……__。
「……」
「どうしたの。
自分の手のひらなんか見つめて。」
「新しい力でも目覚めそう?」と、
缶ビールを片手に、ニヤケ面で
キッチンから話しかけてくる恵美。
「別に。そんなんじゃねぇ」と一蹴して
テレビへと視線を移す。
「つれないな〜」と、俺が背もたれにしてる
ソファーまで来てどかっと座る。
スナック菓子まで持ってきていたようで、
袋を開けては、パリパリ食べている。
…半袖に短パンとラフな格好なくせに
足を広げて座るとか
危機感 皆無かコイツは。
「足閉じろ。」
「自宅の中くらい好きにさせて」
「口答えすんな」
「ちぇっ」と不貞腐れつつも
なんだかんだ足を閉じる恵美。
素直に言うこと聞いときゃいいんだよ。
…そういえば、恵美は、
俺が上司に暴力を振るった時
怒らなかった。
_ただ、悲しそうだった。
あの時、何が原因で
悲しませてしまったんだろうか。
職人気質であり、年々窮屈さの増す
厳しい家庭に反発し、学生の頃から
暴力で物を言わせてきた
俺には上手く咀嚼しきれない部分。
「…恵美」
俺は、テレビから視線を外さず、
恵美に顔も合わせないまま声をかけた。
「_ん?どした」
後ろのソファの上から、
先程のおちゃらけとは全く違っていて、
それでいつもよりどことなく柔らかく、
優しい声色が返ってきた。
俺の気のせいかもしれない。
だが恵美は、周りの人間の感情や
思考を読むのがあまりにも上手い。
おまけに勘も鋭い。
顔を上に向けると、
恵美の黄土色の大きな瞳と目線が合う。
小さくて白い両手で頬を包まれて、
顔の動きを軽く封じられた。
恵美の長い髪がカーテンのように流れる。
俺は、長いまつ毛の奥にある
綺麗な瞳に魅入られながら聞いた。
「俺が、前の職場で上司を殴った時
どう思った?」
恵美は、少し間を空けて答える。
「殴ることは良くないっていうのは
大前提として考えても…。
今は、なんだかんだ
みつ夫らしかったなって思ってる。
でも、当時のことを思い返すと…
…悲しかったよ。
みつ夫に手を出させてしまったことが…。
私は、見て見ぬフリしか出来なかったから。
全部背負わせてしまってたのかもって、
勝手に思い込んで、不安になった。」
眉を下げて、少し悲しそうに
恵美の瞳が揺れた。
空いている手で頭を撫でると、
恵美は甘えるように、
「みつ夫、となり来て」と呟いた。
俺の両頬から手が離れると、
立ち上がるついでに
もう見ていないテレビを消し、
恵美の隣に腰かけた。
「…あの時、お前に
悲しい顔させてたのは知ってたけど、
どういう考えがあったのかとか、
気持ちとか色々…。そこまで
分かってやれてなかったから。」
恵美の手に自分の手を重ね、触りながら、
知れて良かった。と付け足した。
指の長さ、細さを一つ一つ
確かめるように指を絡め、
きゅっと握った。
「…もう、悲しませるような
ことはしねぇから」
「うん、そうして。」
恵美は、応えるように手を握り返し、
ふにゃ、と微笑んでそう言った。
「…その手は、世の中に蔓延る馬鹿な
大人を分からせるためでもないし、
反対に、自分を傷つけるために
あるわけでもないから。
_美味しい料理を作って、
幸せそうに笑う弟の頭を撫でて
未来の命と指切りげんまんをして
私を愛するためにある手だから。
自分を大切にしてね。」
その優しい手を__ おわり。