俺の平凡な人生にあの人は突然現れた。
いや元々居たが正しいか、今までは俺の視界に写る風景の一部にすぎなかった。職場の上司のおっさん、ただそれだけだった。
だがある日から嫌でも俺の視界に入ってくるようになった。
遠ざけておきたい、あぁはなりたくないと思っても気づいたら目で追っていて、ほっとけなくて、助けてしまう。
そしてあの人は伝説になった。あの常識のないぶっ飛んだおっさんが伝説を作った。歴史上の英雄っていうのはかくしてこういう変人なのかもなんて思った。
正直あの人が眠っていた八年間は黒沢組なんて不名誉な枠組みもなくなり、仕事にも専念できたし結婚もできた。普通の幸せな人生を謳歌していた。
でもどこか空虚だった。あんな思いは懲り懲りだと思いつつどこかであの人の熱を、オーラを求めてたのかもしれない。あの刺激を味わって俺もちょっと当てられたのかもしれない。
普段は仕事も人間関係も不器用な冴えないおっさんがどうも面白くて、心を揺さぶってきて、頭にこびりついて取れない。俺は元々あの人みたいになりたくないし、今もあの人に憧れてる訳じゃない。でもあの人を見てるのは悪い気はしなかった。
今じゃ夢物語を見てたんじゃないかと思う。その中に自分がいて目の前で伝説が生まれていく様を見てる。俺はあの人の部下の1人で、聴衆の1人に過ぎなかったけど、立ち会うことができてよかったと思った。
振り回されるのはもうコリゴリだとも思ったけど、ケンカの時になるとあの人は妙にオーラがあって、センスが良くて、強くて、ちょっとかっこよく見えた。あの人の漢らしさにみんな感化されたのだろう、純粋に尊敬していまう、俺もそんな中の1人だった。
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目覚めたと思ったらあの人はまたどこかに消えてしまった。まるで最初からどこにもいなかったみたいに。俺たちは確かに憶えているのに。
失踪から数ヶ月後、職場で名簿を整理してるとあの人のページが目に入った。こんな名前だったんだな、全然意識したことがなかった。失って初めて気づくってこういうことなんだろうか。不良に拉致された時の記憶が蘇って妙に胸騒ぎがした。
資料をシュレッダーにかけようとしたが思いとどまってファイルに戻した。これがなくなったらあの人がここに居たこと自体がなかったことになる気がして怖かった。
あの人のことだからまた帰ってくるだろう、すぐ賑やかでめちゃくちゃな日常が帰ってくるんだろう、そう自分に言い聞かせて事務所を後にした。